• 現代ドラマ
  • 恋愛

【完結】「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」あとがき(※ネタバレあり)

 おかげさまで「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」、完結しました。せっかくなのでレビューへの御礼もかねて、あとがきを残したいと思います。なお本近況ノートのタイトルには「ネタバレあり」と書いてありますが、世の中には「あとがきから本を読む」という方が少なからずいらっしゃるので、ある程度ぼかして書きます。

 本作を投稿するにあたって、僕には三つほど大きな悩みがありました。

 一つ目の悩みはジャンル。以前の近況ノートにも記した通り、「恋愛・ラブコメ」カテゴリに置くことには別に抵抗ありませんでした。問題はタグで、「BL」か「BL(?)」かで悩みました。テーマとしてBLは密接に関わってきますし、同性間の性描写も存在しますが、実質BLではないのでどうしようかなと。
 最終的には「BL(?)」だと「これはBLじゃないから安心して」という宣言にも見えてしまい、僕はそういうBL差別があんまり好きではないので普通の「BL」タグにしました。むしろ「年の差」を足して釣りにいきました。釣られた腐女子の方がいらっしゃいましたら本当に申し訳ありません。でもほら、年の差BLはあったからいいですよね?萌えないと思いますが。

 二つ目の悩みはキャッチコピー。タイトルがものすごく人を選ぶので、キャッチコピーで内容を補足しようかどうか悩みました。要するに「同性愛者が自分の存在理由を求めて異性と付き合い葛藤する作品」だと分かるようなキャッチコピーをつけようかと考えたのです。
 で、結果として出来上がったキャッチコピーはアレ。でも僕はテーマが先攻し過ぎる形にならないで良かったと思っています。まずは登場人物たちに感情移入して貰って、それから扱っているテーマについて色々感じて貰う。創作という形式を取る以上、それが理想の形でしょうから。
 なお個人的に僕は本作を「カノホモ」と呼んでおり、「略してカノホモ」というキャッチコピーも候補の一つでした。全く意味分からないので止めました。これも正解だったと思います。

 三つ目の悩みは伏線(というか前フリ)。本作は結構、長期に渡る伏線張りと回収をあちこちで行っています。ミスター・ファーレンハイトの「アレ」絡みが最大級ですが、他にも「6-5」の決め台詞を「3-3」で出していたり、長い伏線だと「8-4」に繋がる行動を「1-3」で取っていたりします。この手の伏線は読者が覚えていれば作品を盛り上げると思うのですが、いかんせんエピソードを順々にアップしていくWEB連載スタイルとは致命的に相性が悪いです。伏線を張ってから回収するまでに時間が経ってしまい、しかもその間に他の作品を読みに行くのが普通なのでだいたい忘れてしまうでしょう。
 約15万文字をおよそ二週間という早いペースの更新を心がけましたが、伏線忘却にどこまで対応出来たかは分かりません。読み終わった方も一から読み直すと新しい発見があるかもしれません。まあ、長すぎて読む気しないでしょうが……

 と、色々な問題点を抱えたまま手探りでスタートした作品なのですが、結果としては「恋愛・ラブコメ」カテゴリの週間3位まで行きました。トップページにも載ることが出来ました。応援頂いた皆様には感謝の言葉しかありません。

 本作の主人公である純くんが抱えている問題は、最終的に何も解決していません。依然として圧倒的存在感をもって人生に横たわり続けています。だけど彼は三浦さんを初めとする自分を愛してくれる人たちを通じ、自分を愛する術を知りました。世間は変わらない。自分も変えられない。だけど人生は、変えられる。そこに気づいた純くんは、きっともう「5-4」で取ったような行動はとらないでしょう。

 次は「少年と老人」を題材にしたジュブナイル小説を掲載する予定です。「長い」「暗い」「展開遅い」「伏線多い」「地の文で変なことしてる」と読み辛い要素満載なので、カノホモのようにランキング入りしたりはしないでしょう。ひっそりやっていきますので、時間あれば見に来てください。

 「僕とぼくと星空の秘密基地」
 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881963089

 それでは最後に、本作にレビュー頂いた皆様への謝辞を述べ、後書きを終わらせたいと思います(レビューが増えたらまた後日謝辞を述べます)。ご愛読いただき誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

------------------------------------------------------------------------------------------------------

>草風水樹(くさかぜみずき) 様
 人間の普遍性の追求。良い表現だと思います。小さな世界だと「違う」ことは「異常」かもしれない。だけど大きな視野をもって考えれば、全員が全員同じ人間である方がおかしい。「違う」ことは「普通」。そういうメッセージが本作から伝われば良いなと思っています。

>こやま ことり 様
 僕は「ラブコメでもないしBLでもないし何て呼べばいいんだろうこの小説」と思っていたのですが、ことり様の「LGBT小説」という言葉を拝見して「これだ!」となり、タグにLGBTを足しました。拙作をLGBT小説として成立していると思って頂けたこと、とても嬉しく思います。

>木遥 様
 魂に来るレビューでした。自分の文章が他人の心をそこまで動かせたことを誇りに思います。登場人物たちは創作だけれども、登場人物たちが抱えている問題は創作ではない。そのリアルを感じ取っていただき、拙作が木揺様にとって一廉の作品となれたのであればこの上ない喜びです。

>台上ありん 様
 異性を愛する純くんはファンタジーが無くて純粋であるという意見は目から鱗でした。言われてみればその通りで、例えば純くんには三浦さんが腐女子であることに対し「女の子としてどうなの」という視点がありません。「女の子」に幻想が無いからです。自分でそのように書いておきながらそのことに気づいておらず、新しい発見でした。

>彩見一乃 様
「日本で」という表現にハッとさせられました。確かに日本のLGBT小説は数が少なく、あっても「自伝」か「ドロドロ」な気がします。本作のようなコメディタッチのLGBT小説は僕が思っている以上に日本では貴重なのかもしれません。

>@harusame1461 様
そう、同じです。特に男性同性愛者はネット上でスラング化している某ゲイビデオの影響もあり「男とみれば異性愛者だろうと構わずに手を出しまくる犯罪上等な性欲魔人」的な印象を抱かれがちですが、そんなことはありません。いや、当たり前なんですけどね。でもそういう当たり前を改めて実感して頂けたなら、書いた意味がありました。

6件のコメント

  • こんばんは。はじめまして。
    カノホモ。本当によかったです。最後まできちんとしたレビューが出来なくてごめんなさい。
    でもとても心に残る作品でした。恋愛の要素が強いので、恋愛ジャンルがふさわしいと思いますが、現代ドラマとしても読み応えがある良作だと思います。
    男性をパートナーに選ぶ男性、女性をパートナーに選ぶ女性は私の大切な友人なので、何がマイノリティなのか見失いがちでした。

    すぐに新連載もはじまり、前作以上に楽しませていただいています。全然暗くないと思います。内容的には重いのかもしれませんが、それ以上に「ぼく」の気持ちがきれいで、森の上に瞬く星がきれいで、とらじろうがかわいくて。
    とても楽しみにしていますね。
  •  こんばんは。コメント頂きありがとうございます。心に残ると言って頂けたこと、とても光栄です。最近はカムアウトも(以前よりは)だいぶ気楽に出来る世の中になり、LGBTの方と友人関係を築いている人も珍しく無くなってきましたよね。僕はマイノリティに対する世間の目を変えるものは、法律や制度ではなく人との人の繋がりだと思うので、もっとそういう方が増えて欲しいと感じます。

     新連載の方も楽しんでお読み頂いているようでありがとうございます。今のところは確かに重たい雰囲気を臭わせている程度ですね。ただ後々、特に第四章から第五章にかけてちょっとキツい展開がありまして……。まあ、それはまたその時ですね。今後ともよろしくお願いします。
  • はじめまして。

    コメント欄への書き込みも、こちらのサイトへの訪問も慣れておりません。なので、ご無礼がありましたら、お許しください。
    もうひとつ、私は日本語も不適切な使い方があるかもしれません。ごめんなさい。

    カノホモ、楽しく拝読させていただきました。色んな事を考えたり思い出したりしながらでした。


    私はLGBTに、生憎詳しくなく、数年前に色んなホームページをみておりました。
    Tだけ、疾患として認知されている違和感の理由がわからなかったのでの徘徊、でした。

    どこかで、何故かアドレスを登録したようで、メルマガとは別に、管理人さんらしきかたから、沢山優しい言葉を頂きました。
    たいてい、それは、ひとりで悩まなくてもいいよ?と言う内容。
    誰かを救おうとなさってるのがとても感じられました。
    差別をしないために学びかったのですが、その善意に罪悪感すら感じてしまいました。

    ストーキングや同意でない接触など、犯罪ですが、それ以外の愛情の在り方は人それぞれだし、嗜好も他人が干渉するものではないので、互いに尊重できる、優しい世界が出来るといいな。
    なんて思ったことを思い出しました。

    願わくば未来の子供たちの悩みが少しでも解消されます様に。

    純くんに幸あれ、と。

    小学生にも及ばない文章で申し訳ありません。

    完結の短編小説へもお邪魔させて頂きました。
    単純に闘病ものでなかったことに安心しました。仕事柄、あれ?ここであの処置は?やデータ欲しいよね。なに基準?みたいなことにならなくて。
    起承転結の起で結。
    人がなくなる事は好きではないですが。
    悲劇ばかりではないことをこちらも沢山のかたに知って頂きたい現実だなと思います。

    おかしな事、不適切な事を記入してましたらどうか削除をお願い致します。(投稿出来るのか、削除出来るかどうかも実はわかっていません)

    こっそり、お邪魔することをお許し頂ければ幸いです。
  •  月桃 様

     はじめまして。色々と不慣れな中、コメント頂きありがとうございます。頑張って伝えたいという想いを感じ、とても嬉しいです。正直、僕もカクヨム登録からまだ半月程度でいまいち作法が良く分かっていないのでお気になさらず。

     LGBTについて学ぼうとなされたのですね。興味本位で下世話な話を聞きたがる人たちが大勢いる中、真摯にLGBTについて「学ぼう」とする姿勢はとても尊いものだと思います。異性愛者によるLGBTの認識については何も小難しいことばかりを考える必要はなく、どこにでもいる、それこそ親しくしている友人や家族が実はそうであっても全くおかしくない、ありふれた存在であるということを理解することが一番大事なのではないかと、個人的には考えています。

     短編の方もお読みいただき、ありがとうございます。病気ものとしてはかなり変わっていたと思いますが、それがお気にめしたようで何よりです。LGBTもそうですが「避けられない」「どうしようもない」からこそ、前向きに捉えたいという意識が僕の中にあるのかもしれません。

     特に変なことを仰っているとは感じませんので、お気になさらずに。今後ともよろしくお願いいたします。
  • レビューでも感想を語らせてもらったのですが、そこでどうしても私自身と絡めることが出来なかったので、ここでも少しばかりコメントさせていただこうと思います。

    私はいわゆるLGBTに属する人間ではなく、どこにでもいる普通の高校生です。この作品を読み終わった後も、読み終わる前もLGBTには相変わらず思うところはありません。

    それは例えば、隣でいちゃつく異性愛者を風景として捉えるように、LGBTもまた風景ととらえ続けられるということです。私自身の思想としては、これは全く間違っていないと思います。私はLGBTを攻撃する理由を持たないけれど、同時に理解したり、保護したりする理由もないのです。乱暴な言い方をすれば、興味がない。だから、レビューでLGBTについて話すことが出来なかったのです。ただ、それでも喉に引っかかる物があったので、これを書かせていただいているわけです。

    話を戻しますと、重要な事は少数派を理解する必要はないのです。むしろ、理解しようと思うことこそが、より両者の距離を開くのではないでしょうか? 私達は、それぞれ違う趣向を持っています。例えば小野くんはマジックが好きで、私は眼鏡っ娘が好きです。でも、それは笑い飛ばされる。理解しようとは思われませんし、理解されたいとも思えない。本来、LGBTもまたメガネフェチや太ももフェチと同様に、他者への理解を求めるものではないのではないでしょうか? 差別や偏見というのは、自分を含む多数派と他人の間に明確な差異を見つけることによって生まれます。そして、LGBTを学ぶということは、そういう深淵を覗くこととなるはずです。深淵を覗くとき、深淵もまた……という言葉がありますが、LGBTをよく理解する多数派こそが、その差別や偏見に最も近い場所に立つのではないでしょうか? そして、自分の意識の片隅にあるその偏見を誤魔化すために、声の大きな偽善者となるのではないでしょうか?

    LGBTに限らず、少数派の側に立つ人間は、常に敏感なセンサーを社会に向けます。それは「黒人が悪役になっているポスター」だったり、「コメンテーターの発言」だったりします。声の大きな偽善者たちは、そこに差別的な意図があるかないかを問わず、自分が第三者であることも忘れ「少数派への差別だ」と訴えるのです。そして、その常に攻撃的な発言に対して、多数派はフラストレーションを溜めていく。

    真に平等であることを望むのであれば、目の前にあるその人だけを見て、その人を修飾する言葉を排除する個々の意識を高める必要があるでしょう。それは法律や制度によってではなく、醸成されて行くべきものです。そうでなければ、多数派と少数派のコミュニケーションはさらに不自然な、歪なものとなるに違いありません。



    また、書く内容も決めずに書き殴ったので読みにくいものになってしまっているとは思いますが、なんとか解読していただけたらと思います。




  • 宮山 様

     初めまして。まずはレビューありがとうございました。「本当に僕の作品がそのポジションにいていいんですか?」と恐縮してしまうほどのお言葉を頂き、深い喜びを感じております。

     またLGBTについて忌憚なきご意見、ありがとうございます。結論から申し上げますと、僕としては半分は理解出来て半分は賛同しかねると言ったところです。単に個人の意見として同意が難しいというだけであり、そこに正しい間違っていると言った正誤判断はありませんのでご承知おきください。

     宮山様は「ゲイリブ」という単語をご存知でしょうか?

     おそらく知らないと思うので説明いたします。ゲイリブとは「Gay liberation」の略で、意味的には「ゲイ解放運動」を指します。日本ではLGBTへの理解を得るために表立って活動する人たちのことを指し示します。要するに宮山様の言う「声の大きな偽善者」を生み出すために活動を行う人たちです。

     このゲイリブですが、同性愛者が生きやすい世界を創ろうという活動にも関わらず、実は同性愛者からの評判はすこぶる悪いです。インターネットで調べてみればすぐに分かります。

     なぜ評判が悪いのかはほぼ宮山様の言及した通りで、ノイジーなマイノリティはマジョリティを刺激し、その関係を悪化させるという現実を肌で理解しているからです。一言で言うと「余計なことするな」に集約されます。また全員が全員そうだとは言いませんがゲイリブの方々は「全てのLGBTがカムアウトをしてありのままに生きられる世界が理想」という思想が強く、カムアウトせずとも社会と上手く折り合いをつけて生きている人たち(カノホモ作中で言うとマコトさん)を強く否定する傾向があることも反感を買っています。

     そういうわけで仲間であるはずの同性愛者からもゲイリブがより対立を深めると認識されている現状もあり、宮山様の言う「仰々しく相互理解を求めようとする活動が逆に軋轢を生む」という意見には同意できます。

     ですが僕はゲイリブの活動は一概に否定されるようなものではないとも思っています。ここが賛同しかねる点です。

     正直なところ、僕は「人間」は信じていますが「世間」は信じていません。ゲイリブの活動が無くなれば異性愛者とLGBTは肩書きなく人と人として接することが出来るかと言われたら、そんなことはないと考えています。世の中は放っておけばマジョリティに都合よく進むように出来ています。まずは「世間」がマイノリティにそっぽを向き、やがては「世間」に影響された「人間」がそっぽを向く。必ずそのような流れになるのです。その抑止力としてゲイリブの活動は必要だと僕は考えており、同胞に忌み嫌われながらも活動を続ける彼らを尊敬している面すらあります。

     マジョリティにはマジョリティの中で派閥があり、マイノリティにはマイノリティの中で派閥があります。多様性を認めるというのはその派閥すらも認めるということです。派閥の一部を大上段に構えて批難する行為は「ホモは人として欠陥品だから死ね」という考え方と本質的に何ら変わることはないでしょう。「声の大きな偽善者」に心救われるLGBTも世の中にはたくさんいるのです。理解してくれて嬉しい。そう思う人たちも確かに存在するのです。

     別に迎合しろと言っているわけではありません。僕にだって色々な人が行う色々な活動に一個人として気に入る気に入らないはあります。譲れない意見がぶつかれば戦うこともあるでしょう。ですがそれはあくまで個人の感じ方の問題であり、そこに善悪や正誤の概念を持ち込むつもりはありません。「主観的に見てそこは譲れない」ということはあっても「客観的に見てこうあるべきだ」と言うつもりはないのです。

     作中でケイトさんはこう言いました。

     「国や世間が認めている認めていないって、あんまり関係ないわよ。どこに居ても自分を認めている人はHappyだし、自分を認めていない人はStressを溜めている」

     そしてこうも言いました。

     「もちろん、周りが認めてくれるから自分を認められるCaseもあるし、Familyの話もあるから、どこも一緒とは言わない」

     ここから読み手が何を感じ取るかは自由です。「やっぱり国や世間なんて関係ないよな」と思ってもいいし、「それでも国や世間は大事だよな」と思っていい。ただどちら側に振れたにせよ、きっと小説を読んだ後に思い描く理想像が「純くんが前を向いて生きる姿」であるというのは共通している。どのようにそれを実現するかは個々のポリシーの話です。

     そうやって個人個人が持つポリシーを越えた心の深いところに直接働きかけ、様々な考えを持った人間の意思を様々な考えを持ったまま束ねることが出来る。それこそが小説の、創作の力なのではないかと、僕は思います。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する