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重いのが好きな性分

ありとあらゆるものに手を出しまくる私だが、その中でも飽きもせず永遠としているのがアニメオタクだ。
アニメオタク、というのは少々語弊があるが、四六時中二次元のジャンルにお熱なものだから、世間一般様から見れば、まあそうなるだろう。
きらら系からジャンプ、マガジン、ボニータ、リボンからマーガレット、花とゆめ、守備範囲の漫画のレーベルは数えたらキリがないし、アニメもバトルから恋愛、歴史ものから現代物、BLGLなんでもござれの守備範囲世界一周の女だ。
そんな作品の中でも、私の人生を狂わせたな、と思う作品は軒並み重いシナリオで有名だ。
まず私がこんなに二次元に浸かるようになった一番のきっかけは、魔法少女まどか☆マギカだ。
もとよりどれみちゃん、セーラームーン、CCさくらで人生狂わされてきた魔法少女大好き人間だ。当時はまだ若かったこともあり、深夜放送の意味を全くわかっていなかった。テレビ欄を覗いていたら、たまたま魔法少女の文字をみつけて、面白そうだな、と思ったのが全ての始まりだった。
あれから何年経っただろう。そこからはもう雪崩のように、転げ落ちていった。
極めつけはPSYCHO-PASSだ。ここで私は人生ではじめて「推しが死ぬ」ことを経験する。
今まで読んできた漫画で好きだったキャラが死ぬことはあった。けれど、その時はまだ「推し」という概念が自分の中で成熟する前だったため、傷はそこまで深くはならなかったのだ。
死んだ私の推しは、縢秀星という。
理不尽な世界の圧力からこの世から消された私の推し。彼の人生の終焉をみてしまった私は、文字通り2週間寝込んだ。
そこからだ、なぜか私の好きになるキャラは、高確率で死ぬようになった。最近は死んでこそ推しは輝くとまで、思い始めている。
人は死に際が美しい、というが、まさにその通りだと思う。
死ぬ瞬間こそその人の人生の全てがそこに集約され、その人という人格が明るみに出る。
だから、私の各作品ではキャラクターの死に際は、その人の全てだと思っている。どんなキャラでも、そこは手を抜きたくない。
今書いている「夜の子」だが、最初こそはこんなにバタバタ人が死ぬが、それ以降の話は全くもって平和な時間がしばらく続く。
そのつもりだ。
今まで培われてきた私の脳が、主人公を追い込め、と叫ぶ。
だいぶ追い込んでいるが、それでもまだ足りないと言う。
畜生な人間だな、と思うが、それを楽しんでいる自分もまた事実。
物語がどうころがっていくのか、自分で書くくせに一番楽しみだ。

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