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⑧淀川戦記~一騎当千編~

 淀川大は更衣室で検査着に着替えることにした。

 検査着の種類は二種類。青と白。各サイズで分けて棚に置いてある。青のS、M、L、LL、3L、4L。白のS、M、L、LL、3L、4L。縦に捉えれば、Sの青と白、Mの……究極のマトリックス表である。

 ところが、Lは青しかなく、LL以上は白しかない。どういうことか。すると、淀川のゴーストが囁いた。

 なんか、白は、やだ。

 淀川大は青を選択した。サイズ的にはLしかない。よし、丁度いい。これにしよう。

 淀川大は更衣室から出てきた。

 膝の少し下で裾が足を締め付けたまま、ふくらはぎを掴みきれていないズボン。肩の縫い目が鎖骨の上に乗っていて、袖がチビTみたいになった上着。着物か甚平のように前合わせの部分は首の根元で重なり、腰の横で結ばれるはずの紐が胸筋の横で結ばれている。

―1回着た検査着は戻さないでください。―

 更衣室の張り紙には、そう書いてあった。確かに、衛生上はその通りであろう。さすがは病院併設の検診センターだ。徹底している。

 だが、しかし!

 これのどこがLサイズなのか。どこの国の基準のLなんだ!

 でも、着ちゃった以上は仕方ない。
 真面目な淀川大は、そのツンツルテンの検査着のまま、更衣室から出てきたのだ。耐えろ、淀川! たかが数時間のことだ!

 淀川大は幅の広い廊下に並べられた待合椅子の列へと向かった。顔を横に向け、他の受診者や看護師さんたちの視線を確認することなく、少しだけ廊下の端に近いところを早足で歩く。
 そのまま、廊下の突き当りに近い、最後列の端の椅子に座った。

 やはり、平日の午前となれば、待合椅子の埋めているのも、ほとんどが女性だ。待合席が全体的に何となくキラキラとしている。

 男性の受診者と女性の受診者には違いがある。男性は淀川のように全員が手ぶらだが、女性は何かしらのバッグないし袋を持っている。まあ、髪留めとか、手鏡とか、いろいろと小道具を持参するのかもしれない。あとはスマホ。男性は検査着のポケットにインして終わりだが、女性はポケットに物を入れて持ち歩く事に慣れていないのか、皆バッグに入れているようだ。

 検査着の色も違う。座って最初の頃は、女子は私服のままか?と思ったほど、検査着のバリエーションが豊富なのだ。まず、全員、ズボンと上着の色が違う。男性は青か白の上下一色だが、女性は黒のズボンにクリーム色の上着、紫のズボンにグレーの上着、茶色のズボンにエメラルドグリーンの上着、白のズボンに黄色の上着と、様々だ。きっと、更衣室の中で、どれにしようかしら、ええと私はブルベだからあ……などとチョイスする楽しみを与えることも意図されているのだろう。視界に入る待合席は、まるで花畑のように色鮮やかである。

 淀川が眼福に顔をほころばせていると、座っている席の背後のドアが開き、中から出てきた女性の看護師さんが番号で次の受診者を呼び出した。
「ごひゃくじゅう……」

 な、なに? 早い! 淀川大の受診者番号は510である。もう呼ばれたか。ここに座って一分も経っていないぞ。

 淀川大は素早く腰を上げた。

「……さんばん。513番の方」

 なんだ、違うのか。紛らわしい。

 淀川大は腰を降ろした。前の方で立ち上がって振り返った若い女性が、私に怪訝そうな視線を送りながら横を通り過ぎていく。

 俺か? 俺が悪いのか? 変な所で一拍空ける看護師さんがいけないのでは。俺は負けじと、その女性に視線を返しながら、腕組みをした。

「ごひゃくじゅう……」

 淀川大は腰を上げた。

「……よんばん。514番の方」

 またか。なぜ一の位の前で一拍空けるかな。510番かと思うじゃん!一気に最後まで言え!

 淀川大は椅子に座り直し、今度は脚を組んだ。横を通り過ぎる女性が、少しきつめの視線を淀川に飛ばしてから、後ろの検査室に入っていく。

 なんで? そんなに一緒に立ち上がったのが嫌か。俺は座り直したのだから、いいだろう。銭湯に持参したシャンプーを隣の人に間違って使われた時みたいな顔するな。確かにこの番号は、今はあなただけのものかもしれないが、どうせ一時的な整理番号なんだから、そんなに執着しなくても……

「ごひゃくじゅう……」

 淀川大は立ち上がる。ちなみに180㎝(後ほど判明した身長は178㎝でした(T-T))。

「……ななばん。517番の方」

 わざとやっているだろう。それとも俺の反射神経を試しているのか。まさか、これも検診の一種か。そんな馬鹿な。

 淀川大は片笑んだ顔を左右に振ると、腰回りの埃を払うふりをして、ゆっくりと椅子に腰を戻した。左胸の下の辺りのポケット(本来は腰骨の前あたりに位置するはずのポケット)からスマートフォンを取り出し、SNSのチェックでもしようかと画面を起動させる。横を通っていく517番さんは、きりッとした顔で、キッと淀川を睨んでから通り過ぎていった。

 そんなに睨まなくてもいいだろうに。ちょっと酷いのではないかい?

 美人に睨まれると余計に凹む淀川大は、スマートフォンを握ったまま振り返り、検査室に入るその女性の背中に視線を投げた。
 その時、その先から予期せぬものが目に飛び込んできた。
 彼女が入っていき、中から閉めたドアの上の表札には、こう記されていた。

 マンモグラフィ検査

 ツンツルテン検査着の淀川大は、固まった。これは、イカン。それまでの修行の成果を最大限に発揮して、可能な限り気配を消しつつ、この場を静かに立ち去らねば……。
 向こうから声が聞こえる。

「ごひゃくじゅう……」

 もう引っ掛からんぞ。俺が今こうして既に立ち上がっているのは、周りに気付かれないよう、シレっと席を移動するためだ。こんな所に座っていたら只の変態扱いされて……

「……510番の方あ。居ませんか。お名前をお呼びしまーす。ヨドカワ様、ヨドカワヒロシ様あ。いらっしゃいませんかあ」
「はーい、私です」

 淀川大は高く上げた手を大きく振りながら、遠くの看護師に声を飛ばした。
 視界の下方のお花畑が一斉に振り返り、女性特有の攻撃対象を確認しました的な視線を一斉に送ってくる。淀川大の鼓動は急激に早くなった。このまま過呼吸で死にそうだ。

 名前まで公開されて、視線で処刑か。この後は体調の問診のはずだ。いったい、今の俺から何を聞き取るというのだ!

 淀川大は、また廊下の端の方に顔を向けながら、少しだけ端の方に近いところを、仕舞いにくい所に位置してしまっているポケットにスマートフォンを押し込みながら、問診室の方へと早足で歩いていった。

《つづく》

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