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近條愁羽の怖談ノート1(一部抜粋)

山の中のスタンドミラー

 明保野町(あけぼのちょう)とは国道一号線を挟んで向かい側に広がる小玄町(おぐろちょう)に「八幡山」という山がある。明保野町の秋葉山のように住宅街のど真ん中に位置する里山で、近所の住人からは”裏山”と呼ばれて親しまれている。山頂に公園などもあり、ランナーや高齢者の散歩の道にもなっている。そんな八幡山でも、あまり人が近づかない道というものはある。
 会社に出勤する前に八幡山の遊歩道を走ることを日課にしているYさんから聞いた話。
 Yさんは、山の南側の八幡神社の脇から延びる整備された山道から入り、山頂の公園を経由して山の東側の自分のアパートのそばに至る遊歩道へと出る山道を下るのがいつものコースだ。
 季節は夏だった。登って降りて往復でも30分程度しかないこの山にすっかり慣れていたYさんは、その朝はいつもと違う道を通ってみようと思った。この山は北西の方角にも山道があるようだというのは、先日、朝とはいえ暑かった日に山頂の公園で水分補給して休んだ時には気づいていた。Yさんのアパートからは山の北側に沿ってぐるっとまわることになるが、Yさんはいつもより少し早めに出ていつもとは反対方向に道を走り出した。
 いつもと違う景色が流れて新鮮な気分になったYさんは、これから何日かおきにこちらの道を走っても良いかもなという気持ちになった。山の北側は石垣になっており、石垣に沿って緑色のフェンスが続く。スマホの地図で確認するとこの辺に道があるはずなんだけどなと探しながら走っていると、それはあった。
 小さな鳥居が入り口に立っている。しかしそこから山の斜面に沿って延びる山道は藪が伸び放題になっており、明らかに人が立ち入ってない雰囲気だった。Yさんは少し躊躇したが、GPSで確認すると、少し湾曲してはいるが道は山頂の公園に続いているので問題はないだろうと思い、鳥居をくぐって山道に分け入った。
 夏とはいえ、朝の6時前はあまり虫もいない。早起きの蝶などが夜露を求めて花の間を飛び回るのを眺めながら、Yさんは走っていた。足は常に伸びた草を蹴りながらだったが、獣道のように細いが一応道は途切れずに斜面を登っていく。走りやすいかといえばそんなことはないが、やはり新鮮な気分の方がまさって悪い気分ではなかった。10分ほど走って、そろそ山頂かなと思っていると前方に少し広い丘が見えてきて、そこに木で組まれた休憩所が設置してあった。穴こそ空いてはいないがボロボロに朽ちた屋根がまず見えてきた。長いことメンテナンスされていないのだろうか。少しスピードを緩めてその木組みの休憩所の目の前に到達すると、テーブルと椅子も朽ちていた。しかし、それよりも目を引いたのはそのテーブルに置いてあったものだ。
 スタンドミラーが置いてあったのだ。山の緑色と茶色の中に異質すぎる赤いプラスティックのハート型の安物のミラー。鏡の部分は、ちょうど椅子に座ったときに顔が映るような45度くらいに傾けられていて、Yさんの立つ位置からは青い夏の空と白い雲を映している。まるで誰かがそこに座ってその鏡を覗き込むのを待つように、それは今きた道の方に向けて置いてあった。
 誰が何のために置いた?何かのまじない?でも何であんなハート型の安っぽいミラーなんだ?考えれば考えるほどそれは不気味に思えてきた。そのミラー部分は曇りもなくきれいな状態だったのが余計に異様さを感じさせた。
 Yさんは考えるのをやめ、そのミラーを直視しないように慎重に休憩所の脇を通り過ぎると、山頂の方に延びる道に向けて走り出した。後ろを振り返りそうになったが、もしあの鏡が今度はこちらに向いていたらと想像して怖くなり振り返らなかった。獣道のような山道は無事に山頂の公園の西側にたどり着き、見慣れた景色に安堵を覚えたという。
「若者のいたずらだったんですかね。でもね、何となく、すごく覗きたくなったんですよ。何が映るんだろうって。今思うと、自分の顔に決まってるだろって思うんだけど、あの時は”何が映るんだろう”って思ったんですよ。それが怖くて」
 それからもYさんは八幡山を走っているが、あのミラーは未だにそこにあるという。

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