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友人に似てる

作中に出てくる登場人物に、友人の影が重なる時がたまにある。
そして、ごく稀に作者の息づかいが、友人の雰囲気と重なって、まるでその友人が私に話しかけているかのように、ごく自然と胸に入り浸る時がある。
そういう時、ここ数年会っていないその友人と久しぶりに会った気になって、黙って話を聞く幸せをかみ締め、心地の良さに酔ったりする。
でも、決してそれは私の友人ではない。
私は、会ったこともない作者の文章に友人の姿を勝手に想像し、読んでいるだけ。
実際の友人に連絡入れろよ。とは思う。
でも、Twitterで生存は互いに確認済みだろうし、近況もなんとなく分かる。長い付き合いの友人に改めて連絡を入れると「何事か」と思われる。
いや、私がこまめに連絡しないからいけないんだろうけど、良い意味でも悪い意味でも「何事か」がないと話さないし、それ以外の付き合い方が私には分からない。学生の時から、ずっとそうで大人になったから突然そうなった訳ではない。そういう距離感を了承済みで今でも付き合ってくれていると思う。

改めて考えてみると、人生の半分、その友人と付き合ってる。これからは友人と付き合っている年数の方が出会う前よりも長く生きていくことになる。幸せだな。
遠方になったのは、完全に私の仕事の都合で、友人らは地元に残っている。そちらへ帰れば、きっと居心地が良くて仕事帰りにご飯でも気楽に誘えると思うのだが、今のご時世それは叶わない。それ以前に、遠方だからできないのだけど…。
実家も引っ越して、生まれ故郷へなかなか帰ることが出来ない。仕事も友人たちのいる地元で探すつもりだったのが、コロナとバッティングし、しぶしぶ実家に…なんの思い入れもない場所に身を寄せている。
現実的に地元へ帰れるのはいつになるのか分からない。それは、コロナのせいだけでなく、私の精神状態、収入の問題でもある。
仕事で地元を離れた期間、新たに人間関係を構築しなくてはならなかった時分。
自分を蔑ろにしていたあの頃。ツケが回って、今の自分。ある意味ご時世が、自身を省みることを強要してくれてるんじゃないかと思うことがある。

友人たちがポツポツと結婚しだしてきた。遊びに誘っても少しずつ、叶うことが難しくなって、これからもっとその数は増えていくだろう。
独り身の、この貴重なかけがえのない(ともに遊べる)時をどうか、これ以上短くさせないでくれ。
そう思いながら、生きている。

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