第二幕 玉兎を喰らう

 岡田才蔵は闇医者に頼んで縫合してもらった腕に、直に備え付けるような形で仕込み杖を取り付けていた。

 血を失い過ぎている。そう諌められたが、才蔵は「とっとと、くっつけたらええ」とだけ言い、金を放った。稲葉朔夜と霧島銀乃を暗殺するための前金百円、その全額である。

 さすがに闇医者も百円の魔力には抗えず、さっさと仕込み杖を取り付けた。


「もしわしのことをばらしよったら、首がのうなっとるき……気ぃつけえや」

 と脅し、その場を去った。


 傍目には、才蔵の左腕はものを引っ掛けるためのかぎ指がついたように見えるが、素早く何かに引っ掛けて抜けば、刀が顔を出すという仕掛けであった。


 己を斬らぬあの甘ったれた男を、何故、と思わぬ日はなかった。

 毎夜、月を見上げ、考える。

 何故生かされたのかと。なぜ、己なのかと。


 郷士という下の下、最低の武士の家に生まれた。もはや武士とは扱われぬ。いっそ、犬か猫、それどころか鼠のような扱いでさえあり、日々、己は怒り、悶え、苦しんだ。

 友がカラクリ技術を学ぶといい、杜佐を抜けると言い出した。己も、ここにいては腐ると自覚して、そうした。


 いくつかのことを経て、自分は京洛で暗躍する人斬りとなった。反妖怪を掲げる

 しかし。

 あるとき、己が使い捨てられることを知った。

 だから、──かつての仲間を斬り捨て、遁走したのである。


 国許にも、新たな土地にも居場所はない。何をしても上手くいかぬ。やることなすことが空回り、気づけば全てが水の泡と消えつつある。


 ──この、忌まれた己に、まだ生きるだけの価値があるのか。


 夜道を歩いていた。場所は、地元で天海郷などと呼ばれる、東雲国しののめのくにである。京洛という街を歩き、その落ち着いた碁盤の目になっている街並みを見る。あの頃と変わっていない。

 このように同じような、理路整然と並ぶ風景というのは記憶するのが少々難儀であった。だが、全てが一切合切同じではない。微妙な違い、わかりやすい違いを記憶して街を覚え、


 すとん。

 と、背後から。

 何かがぶつかってきた。


「あ……が──」


 視線を胸に落とす。

 刃が、胸から生えている。それは一瞬で引き戻された。

 痛みはない。ただ、熱い塊が込み上げて喉をせり上がり、ぼこりと口から溢れた。うつ伏せに倒れ、どうにか首と目を動かす。

 震える手足を必死に掻いて、天を向いた。月が見える。


「僕に気づけなかった?」


 ぬる、と月夜に白い狐が見えた──丸い月を喰らうように。

 いや、ちがう。狐じゃない。化け狐、妖狐の青年だ。

 目には何の感情もない。形のいい鼻は、血の匂いを嗅ぎ楽しむようにひくりとゆれる。


「痛い?」


 口が、割ったざくろのように歪んでいた。

 人形のように端正な顔だが──どうしたってそれは、到底……違う。 


「なんじゃ……おまん……が──、かい……じゅう。か……」


 青年は突き殺した才蔵を切先で軽く突いて、死んだことを確認すると、遺髪を切り取った。

 そうして何食わぬ顔で血を払い、鞘に納めて歩き去る。


 ──稲尾竜胆。

 しかし、そうと名乗って、信じるものが果たしてどれだけいよう。

 初陣を経て、斬って、斬って、斬りまくった。この地で己に勝ちうる剣客なぞもういない。つまらないから、とりあえず怪しいやつと強そうなやつを斬ることにした。肉と骨を斬り断つ感触を忘れると、鈍る、と思った。


 身にまとうのは、無邪気すぎるほどの狂気。ぬるっとした殺意は、なぜか、影のように滑り込んできてまるで気づけない。

 顔立ちは美麗なままだが、もはや、女でさえ彼を見ただけで恐れ、近寄らない。声を上げたとしてもそれは、

 恐怖の引き攣ったような、掠れ声。

 であった。


 なにより、かつては三本に過ぎなかった尾は、わずか十年足らずで八本にまで増えていた。


 稲尾竜胆な成ったのだ。

 ──怪獣に。ただ存在するだけで、悪意も善意もなく、蹂躙する異形に。

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