第八幕 そして、海の郷へ

 蓮池宿まで残すところ一里である。

 既に、岡田才蔵の襲撃からは一夜明けていた。朔夜と銀乃はあれから吹子宿に行き、何食わぬ顔で湯屋へ行って旅籠に泊まった。

 因果な生き方をしていれば、応報に出くわすもの。人を殺めるものはいつかそのような者に狙われるし、人を愛し助けるものは、いつか愛され助けられるだろう。

 故に朔夜たちにとっては才蔵の襲撃、それ自体は雨に降られたような感覚でしかなく、警戒こそして交代で見張りこそしたが、しっかりと睡眠もとっていた。


「うちが寝てるお前から刀盗るとか思わんのか」


 さらさらとした小雨が降っていた。二人は菅笠をして凌いでいる。


「霧島と稲尾の顔に泥を塗るようには思えないが?」

「……そらそうやけど。お前、お人好しがすぎるで」

「ひとにあるまじき……いや、違うな。……己に背いて生きるよりはマシだ」


 朔夜は前を睨む。ここからいったん、大曲がりである。才蔵の雇い主が二の矢三の矢を用意していることを考慮すれば、絶好の襲撃場所はそこだ。

 そして案の定、


 朔夜は駆け出した。銀乃は鎖鎌を手にし、軽く振り飛ばした分銅で横の草むらから突貫してきた男の槍を巻き取り、綱引きに持ち込む。


「銀乃、そいつは任せる!」

「ああ!」


 前方に一人。

 朔夜は目を細めた。あれは、──徳河式長銃か。

 単発で後装式の、金属薬莢を用いるものだろう。仕組みは概ね大砲と同じだが、それを個人で携行できる大きさにしたものである。要するに鉄砲だ。


 火縄式の頃は雨になれば火縄はもちろん火薬も湿気って使い物にならなかったが、今の鉄砲は雨天でも撃てるのが厄介である。

 だが、

(玉遊びなら慣れている。撃ってみろサンピン)


 朔夜は目を細める。これは狐閃の奥義ではない。狐の血筋ゆえの、眼術、瞳術ともいえるもの。

 ──視えた。


 朔夜が顔を左へ振った瞬間、銃声がし、弾丸が掠め過ぎ去る。

 風さえ置き去りにする鉄砲玉を避けるという、怪物めいた曲芸。

 相手は驚き、慌ててボルトを引いて排莢、次の薬莢を込めようとするが。


「オン・キリカク・ソワカ──〈鎖蛇〉。殺すな」


 紙筒から顕現した、鎖の胴体を持つ青大将が地を泳ぎ、敵に飛びかかった。

 そいつはすぐに装填を諦めてライフルを構え直し、銃剣で〈鎖蛇〉を追い払おうとする。判断はいいが、〈鎖蛇〉はぐにゃりと突きを交わし、払われる剣先を滑って避けると、男の足首に噛み付く。


「ぎあっ!」


 後ろでは銀乃が槍を巻き取って己の身に相手を引き寄せると、その顔貌に拳骨を叩き込んで大地に沈めていた。

 槍の間合いの相手に、引き寄せて殴りつける──発想が如何にも妖怪的である。結局最後にものを言うのは肉体であり、最たるものが拳だ。


 朔夜は縛り上げられた男に、刺刀を押し当てつつ低く問う。


「誰が音頭取りだ」

「俺たちにもわかんねえ」朔夜は刃をすう、と押し付ける。「まっ、まて、本当だ! 二重三重と介して依頼してるらしいんだ! 俺たちも金の出どころを知りたくて聞いたが、し、知ったら、命はないと……」

「ち」


 おそらくだが──才蔵は違うのだろう。あいつは何かを知っているようだった。

 こいつらとは別の依頼──と考えるにはできすぎている。同じ雇い主と見ていい。問題は、なぜ己たちを狙うのかだ。


「俺を殺して誰が得をする」

「み、見逃してくれるか。したら、ひとつ聞いた噂を教えてやる」

「約束する。火湖花山之尊様にかけてな」

「……公家らしい。平晏京の」

「なに……? 密偵を始末しろ、その護衛もろとも、という依頼か」

「いや、明瞭にあんたたちを名指しし、人相書を見せられたよ。あんたは特にわかりやすい、軍服を着た写真を見せられた」


     〓

 

 蓮池宿の中心近くにある旅籠、蓮屋にて夕飯をとっていた。

 ニジマスの塩焼きと、しじみ汁に、ふわふわ卵という一寸可愛らしい名前のふわりと焼かれた卵。

 これは定家卵とも言われ、溶いた卵にしじみの貝一杯ほどの豆の粉を入れ、細かく泡立つまで溶き、せいろで蒸すものだ。

 朔夜の好物である。銀乃はこのふわっとしつつ、ほのかに甘いふわふわ卵に驚いていた。

 飯をかき込んで、朔夜はむぐむぐとよく噛み、飲み込む。


「公家が依頼人というなら、国脱けした銀乃を狙い、護衛である俺も排除せよ、ってのが成り立ったが……」

「人相書に写真やろ。しかも軍隊の証明写真や」

「内通者がいる。多分、攘祓派が噛んでいるな」


 六年前、京洛で起きた人斬り事件──玉兎事件。あれ以来、天海郷は極めてきな臭い。

「神社での参拝は、静かに終わった。ということは、俺の決断に意を唱えられるつもりはないのだろう」


 ついさっき、二人は火湖神社にて参拝を済ませ、占ってもらった。

「海へ向かい、勇士集いて災渦祓うべし」


 それが、全てを語っていた。

 つまるところ、天海郷にて志を同じくする仲間と災渦に備えろ、そして、討てということだ。

 朔夜もその気だった。喧嘩を売られたら脇に置くのが花山の民。けれど朔夜は、根っからの武闘派である。それは、軍隊暮らしなど関係ない。生来のもので、普段は穏やかだが一線を越えられると、朔夜は烈火の如く怒る。


 ──いや、それこそ花山の男児、稲葉の男の血筋やも知れぬ。


「俺には子供はいないが、兄貴や姉貴にはもう子供がいる。類が及んだら、先祖に合わす顔がない」

「うちもや。祖父じじ様、母様、父様にも……皆に顔向けできひんようになったら、おしまいや。……うちのことを信用できんのはわかるが、」

「いや、この後に及んでそんなことは言わない。……俺と天海郷に行くぞ」


 朔夜は言った。銀乃が、力強く頷いた。




 火の暦三月六日。この日、花山郷にて徒党ができた。

 一人は穢獣けだもの祓いの妖術師、稲葉朔夜。もう一人は隠密のくの一、霧島銀乃。

 奇しくもその徒党は、山岳郷を旅立った獣狩と神使の目的地と行先を同じくし、そしておそらくは、その志もまた近しいものであった。


 ──ときに、去年には西郷時盛の乱を経験した天海郷は、大きなうねりの予兆を見せ始めていた……。

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