第七幕 清濁併呑

 朔夜が妖力を漲らせると、才蔵は顔を顰めた。

「妖術なんぞ使わんで、男らしゅう剣で戦いや」

 低い、怒気を滲ませた声だった。そこにはかすかな侮蔑も混じっているように思う。


 応える義理などないが、この男はいざとなれば旅籠で寝ている己を闇討ちすることだってできた。己は今の今まで気づかなかったのではない。こいつは、おそらくは殺気を隠すこと自体は上手いのかも知れず、故に、気づかなかったのだ。

 多分昨日の珍騒動で、こちらを見つけたのだろうと睨む。そしてあの時は、警察がそばにいたから手を出さなかった──というのも、可能性として高い。

 とまれ、こちらが場を選ぶまで待ち、正々堂々名乗りあげるような純粋な男であることはまことであった。


 剣に関しては、きっと誠実なのだろう。

 花山の術師は、決して、卑怯者ではない。


「わかった、いいだろう。だが俺が半妖であることはどうにもできんぞ」

「構わん。そんじゃき、わしらはその程度で負けるような鍛え方はしちょらん」


 当然だが朔夜は杜佐訛りを知らない。杜佐にいったことさえないのだ。西条地域でもさらに南西の地域だからだ。

 こことは遥か遠い──けれど、なぜか何を言っているのかはわかる。ことばは、わかる。


 ──構わない。だからといって、俺たちはその程度で負けるような鍛え方はしていないからな。


 おそらく、さっきのはそう言ったに違いない。


 朔夜は低く駆け出した。狐腋の構えは、ドスを握り締め突き刺し突貫するような姿勢にも似る。

 狐が獲物に喰らいつくが如く体ごと相手に突撃し、二突ふたつき要らず、一閃突きにて心臓、水月、活殺、秘中のいずれかを抉り刺し決め手とする。


 才蔵はしかし、驚くべき反応速度で半身になるや否や、左の剣で反撃。この男は左にさえ、脇差ではなく刀を握っている。

 攻撃位置は朔夜の左肩。姿勢的に、己は今剣を右に添えている。

 咄嗟に足を捌いて宙に身を投げる。才蔵の斬撃が、湖畔の砂利に叩きつけられて砲弾めいた轟音を上げた。

 躱した──しかしコートが破れ、その下の着物と鎖帷子が裂け、皮が斬られて血が滲んでいた。


「おまん、なんちゅう動きじゃ」

「てめえこそなんて馬鹿力だよ」


 朔夜の足技、そして才蔵の剛腕、いずれも人外めいたそれ。

 すかさず才蔵が迫る。速度はそこまでではない──無論、並の連中なら容易く肉薄を許す速度だが、狐閃を皆伝している朔夜であれば、容易く振り切れるだろう。


 問題は、

 ──馬鹿力。

 これに尽きた。


シィッ!」


 才蔵の両刀が、飛び退いた朔夜の前髪を裂く。風圧でこめかみが裂かれ、血が吹いた。

 速度と間合いは朔夜が上。技量は伯仲、膂力は才蔵に軍配が上がるだろう──それも圧倒的に。


 才蔵はさらに踏み込んできた。顔には鬼気迫る殺意が漲り、その、純粋な剣気は並の剣士ならば当てられただけで身をすくめ、動けなくなるかも知れない。


 ──朔夜が扱う太刀は刃長三尺。懐に飛び込まれれば、ひたすらになぶられるだけ。

 けれども、朔夜はその弱点を克服する修行を幾度も受けている。


 才蔵が思い切りよく飛び込み刺突を放った。左剣の突きを太刀先で払い、右の、首を刈る斬撃を手首を返して愛刀を水車のごとく回し、弾き返す。

 左目に沿うようにして、太刀を上段霞に構えて才蔵の喉を狙い、突き。才蔵はかすかに首を傾け、あえて皮一枚捨て、切り掛かる。

 この、凄まじい胆力! 一歩間違えば、大動脈を掻き切られ死んでいるような捨て身の躱し方。


 朔夜は足を左へ弾くようにして捌き、右足をついと動かし体を後ろへ蹴飛ばすように反転。滑らかに半身に、重力を無視したかのごとくその場で時計回りに回転し、才蔵の突きを避けた。

 そのまま独楽の如く回って、足払いをかける。

 才蔵は驚きつつも、跳び、宙に踊った彼はそれこそが狙いだと悟った。


「恨むなよ」


 素早く、太刀を打ち下ろした。

 才蔵は悲鳴一つあげず──両断された左腕を睨みつける。


「くそ……油断こそしちょらん……正々堂々やって、ほいでわしの負けかえ」

「ひやひやしたよ。ただ、俺を術頼りのうらなりと思うのはやめろ。花山の術師は、術をとられても強いぞ」

ぼんと全てがそうか」

「……煽る気はないが、今のはよくわからなかったが……きっと……全員、そうだ。俺たちは何かしら武技を叩き込まれ、戦う者としての心構えを学ぶ」


 才蔵は腕を押さえつつ、しかし、なぜか逃げようとしない。


「はよわしをぼし斬れ! 情けのう死に様なんぞ、晒しちょうないぜよ!」

「断る。勝負はついた」

ぼたくる捨ておく気か! わやにする馬鹿にする男じゃ!」

「だから俺は武士って連中が嫌いなんだよ。華やかな死に様じゃなくて、無様な生き様で勝負しろ。……命を捨てるために戦うような奴の血を、俺の愛刀に吸わせたくねえ」


 才蔵はぐ、と黙った。

やりすえられたん完敗したことは認める。じゃけんど、認めん……わしが、こんなひょうげたふざけたような男に、情けかけらちょるなぞ……」


 才蔵は己の左腕と、そして、その手が握る刀を捨ておき、立ち上がった。

「おまんを斬るんはわしじゃ。わしをわやにしたこと、後悔させたるき」


 左腕を押さえ、才蔵は走り去っていった。


「昨日今日で変な奴らに絡まれる……厄年かよ」

「二十九は厄やないやろ。……それよりええんか」

「真っ直ぐだった。凄く。……俺には斬れない」


 朔夜はそう言って、太刀の血糊を懐紙で拭い、鞘に納めた。それから才蔵の腕は穴を掘って埋めておき、置き土産の刀を拾い、晒しを撒いて腰に挟んでおいた。

 銀乃が胴乱から薬と針、糸を取り出した。どうやら医術も修めているようだ。朔夜も軍人だったので、多少はできるが、その手つきは滑らかで澱みなかった。


「飯にしよう。くたびれた……」

「そうしよか」


 二人はほとりに石で囲いを作り、火を起こすと湯を沸かし始める。そこに味噌を吸わせて乾燥させている芋がら縄を切って入れた。

 次第に味噌が溶け出して、即席の味噌汁になる。これは、戦国にも食された歴とした陣中食である。現在、火の時代八七八年の座卓の治世においては、保存食として重宝されていた。


「あの足技、楓様を思い出すわ」

「ああ……狐の歩法だな」


 稲尾狐閃流は、稲尾柊が千年前に創出した極めて古い武術である。

 狐の歩法は柊が編み出した奥義の一つであり、回避、踏み込み、競争に使う。その修行法は野山でひたすら走り回るというもの。

 当代の稲尾楓、そしてその子供たちもそうらしいが、彼女らは幼い頃から野山で遊び、その中で自然とこの奥義を身につける。

 稲尾一族にとっては基本のキ、と言えるようなものにすぎない。


「妖怪の武術は人間が扱うにはきつい。半妖の俺でさえ、体得できた奥義はこの歩法と、あと一つだけだ」

「二つ持っとるだけでえらいこっちゃで。人間でさえ、傑物と言われるようなのが血反吐吐いて一個や」


 神仏の武術は、人を慮ったものが多い。故に、人間でもまだ──扱える。

 しかし、本気で「妖の血をたぎらせた流派」は、人間が修めるにはあまりにも困難で、よしんば体得したとて、それを使い続ければ、寿命を縮める。

 稲尾狐閃流はその筆頭と言えるだろう。


 そろそろ頃合いだろうか。


「できたな」

 二人は味噌汁を、持参していた鉄の椀によそって、手を合わせた。

「いただきます」


 味噌汁はよい味加減である。具が、芋がらだけなのはちと寂しい気もしたが、旅の最中に食う飯としては上等だろう。

 竹の皮の中には丸々大きな握り飯が、各々三つ。それから沢庵和尚が考えたといわれるたくあん漬けに、梅干し。


 銀乃は梅干しを口に入れて「うぉぉお……これは酸っぱい」と顔を窄めている。

 朔夜も思わず十歳は老け込みそうなくらいの顔で、酸っぱさを味わっていた。

 握り飯は白飯と雑穀のそれで、漬物で塩分を取るからと、これ自体の塩味は薄い。


 と、茂みから狐が現れた。

 二人はその狐を手招く。

 すると、狐はぼん、と煙を上げて少女に化けた。


「あと、えと、にぐり、めし。くらさい」

「ええよ。そっちの兄ちゃんからも貰い」

「ほら。味噌汁は? 漬物もあるぞ」

「ほしい!」


 野良の妖怪だろう。

 狐少女は味噌汁を啜って、握り飯をむしゃりと食べ、漬物を食うと、やはり顔をしかめた。


 妖怪は決して──とは、言い切れぬものだが、皆が恐ろしいことをするわけではない。それは人も同じだ。

 どちらも善悪入り乱れており、そして、

 朔夜はさっき、容赦なく一人の兵法者の腕を奪った。そして軍にいた頃、穢獣を祓う後詰めとは建前で、実戦に駆り出された彼は軍令で大勢を殺している。

 話を聞く限り、銀乃は暗殺をしている。それも、一人や二人ではない。


 けれどもこのように少女に施しをし、時に、困っている誰かを助ける。


 才蔵があのあとどうなるかはわからない。

 だが──何か、いいきっかけを掴んでくれれば、それはこの上ない行幸であるように思えるのだ。

 真っ直ぐな目をしていた。そして、真っ直ぐすぎるくらいに愚直だ。


 だからこそ──道を踏み外した時にその憎しみが向かう先を己だけにするよう、朔夜はあえて腕を奪ったのだった。

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