第14話 浜谷家の食卓、田中家の食卓
『不酢歩痴』
自分を悪く言った者の家に夜中現れて、壁に鼻くそのような物を付けていく妖怪。
『土人形』
土で出来た人形ではなく、土の字を模した姿勢を取っている人形。加須呉痢という尼が尿を掛けると「オボシレ……オボシレ……」などと人の言葉を喋ったという。
『口窄』
口が肛門になっている妖怪。人の声に似た屁を出すが、言葉としては成立しておらず意味はない。ただの屁である。
などなど……。
奇怪でありながらもどこか気の抜けるような妖怪や伝承が続く。
美佳は好奇心に目を輝かせているが、田中とかりんは食傷気味といった面持ちをしている。
「いやあ凄いですね。独創的で良い感じです。今の『口窄』なんかは、お尻に目がある『尻目』と対になっているみたいで楽しいです」
二人が乾いた笑い声を上げる中、美佳が嬉々として頁を捲った。
ゾッ。
かりんが自らの肩を抱き締め、田中と美佳が顔を見合わせる。
「これ……」
説明を読むまでもなく、絵を見ただけでそれが『謝無』であると何故だか理解出来てしまう。
決しておどろおどろしい絵ではない。単なる小男の立ち姿を描いたものだ。妙に頭が大きいことを除けば、普通の人間であるかのようにさえ見える。
だが、どこか順佑を想起させる小男の顔には、静かなる狂気が滲み出ていた。
人のようでありながら人ならざるモノ。人とは決して相容れぬモノ。人の心を持たぬ人型の何か。
如何にもそれらしい鬼のような顔でもしていたのであれば、ここまで人の恐怖心を煽ることはなかっただろう。
青ざめて身を寄せて来たかりんの肩に手を回し、田中は説明文を黙読した。
まさか、ね。浜谷くんはこの妖怪になってしまったんだ、なんてのは馬鹿げた妄想だ。
田中は順佑の父から聞き及んでいた半生を思い出す。
幼少期からその兆候があったという。過度に他人を妬み、自惚れが過ぎる、そんな性格であったが故に、度々揉めごとを起こしていたらしい。それでも「少し変な嫌な人」という程度に留まっていたらしいのだが、ヴーチューバーのKYOMUKINが話題になると彼の人気を羨み妬み、自分にも出来ると自惚れを深め、遂には職を捨ててお粗末な配信活動を始めたそうだ。そこからいよいよ本格的におかしくなっていったと聞いている。
そうだよな。ある日を境に突然って訳じゃないんだ。浜谷くんに似てるのは偶然に過ぎない。そもそも妖怪なんて本当に存在している訳じゃない。
田中が思案に耽っていると、柴田がその巨躯を応接室にぬっと覗かせながら言った。
「それが謝無です。そいつはね、人の心に生まれる化物なんです」
三人が何も言えずにいると、柴田が窘めるように続けた。
「あんまり見てはいかんです。目が潰れてしまう」
かりんが慌てて資料を閉じた。田中と美佳は真に受けた訳ではないながらも、もう一度資料を開いて謝無の姿を確認する気にはなれなかった。
三人は一般的な展示を軽く見て回り、丁寧に礼を述べてから郷土資料館を辞した。外はすっかり暗くなっていた。
一方浜谷家では、順佑が父親に与えられた冷凍食品をモソモソと食べていた。
「なあ。ワシはまだお前の口から何があったのか聞いてないで? 何か言うことは無いんか」
順佑は細い目で父の顔を一瞬だけ見てすぐに俯くと、蚊の鳴くような声で「ない」とだけ答えた。
父親が鼻を鳴らす。こっちは田中くんと、お前が迷惑を掛けた娘さんから全部聞いとるんやぞ。馬鹿たれが。
「マヨネズ……」
「ああ? マヨネーズ?」
「からあげ……ソソソ……」
父親はこめかみの辺りをピクピク戦慄かせながら、マヨネーズを引っ掴むようにして手にとって蓋を外した。電子レンジで温められた唐揚げの上に掲げ、苛立ちに衝き動かされて握り潰した。
ぶじゅっ!
勢い良く大量にあふれ出したマヨネーズが唐揚げを覆い隠し、食卓に酢の匂いが漂った。
先の破裂音があった為に、今しがたまでよりも静かさの際立った中、順佑は何食わぬ顔で唐揚げを頬張った。
ぬちゅ、くちゃ、くちゃ……。
「なあ、ワシはもうお前に何の期待もしとらんし、更生出来るとも思っとらんから、これは説教やないと思って聞いとけや」
順佑は父の顔を見ないように細い目を下に向け、嘴のような口元から咀嚼の音を鳴らし続けている。
「何ぼなんでもおかしい思わんのか? 四十一にもなって働きもせずに親に養われて飯食って糞して寝るだけの毎日を送る男に。一回り以上年下の娘さんに下心丸出しで近寄ってぶつくさ妄言呟いて怒られた挙句に小便漏らして逃げ帰ってくる男に。どんな女が惚れるんや? そんな狂人おらんやろ」
「……オラ……執筆活動しとるけん……」
「そんなもん……いや、ええわ。とにかくおかしいやろ。小便垂れなのは今に始まったことやないけどなあ、着替え用意してもらっといて礼も詫びも無しに当たり前の顔しとるのは何のつもりや。お前、おむつの取れん赤子とちゃうんやぞ。四十一やぞ? 四十一年生きてる赤子のバケモン抱いてあやして乳あげて喜ぶ女なんてこの世のどこにもおるわけないやろ」
くちゃくちゃくちゃ……!
「ええ加減目ぇ覚ませ? お前がろくでもないんはもうええし、いくつになっても下品なのもしゃあない。けどな、お前に惚れる女なんておらん。せめてそれだけは覚えておけや。な?」
くちゃくちゃっくちゃっ!!
田中のせいだで!! 田中の! アンチの! オラは何も悪くないだで! オラなんも悪いことしてないだで! にゃあしゃんはオラのガチ恋! アイドルがファンに愛想良くしない方がおかしいだで! SNSでもオラに返事しないし! アンチが! 田中が! 何か吹き込んでるだで! 田中! オラは田中を絶対に許さないだで!
順佑が逆恨みによる憎悪を滾らせる中、当の田中は暢気な顔で飯を食っていた。
「うんまあ~い! やっぱかりんってオムレツ焼くの上手いよなあ。店で出そうぜ~」
「嫌。たまに失敗しちゃうし」
「そうか? かりんのオムライス絶対に人気出ると思うんだけどな」
「……食べて欲しいのは」
その、と口ごもりながら、何度かちらちらと田中の顔を見上げる。田中はかりんの様子には気付かず、スープに口を付けた。
「トマトスープも美味いなあ。ん……にんじんがハートの形に切ってあるのも可愛くて良いな」
「っ! み、見ないでよ! 馬鹿!」
色合いが似ているから幾つかその形にしてもバレることはないだろうと、こっそり仕込んだものだった。
「馬鹿ってなんだよ、自分で切ったんだろ? あ、もしかして練習中だったのか?」
まったく。どこまで機微に疎いのだろうか。それとも演技なのだろうか。ヤキモキとしつつ、かりんは「あの」と切り出す。
「お兄ちゃんってさ、猫屋敷さんみたいな人がタイプ?」
「へ? 美佳ちゃん? うーん。可愛いとは思うけど、タイプって訳じゃないかな。そもそも俺、タイプとかそういうの無いし」
「ふうん。でも初対面なのに車出してあげてた」
「それは成り行きって奴だよ。どした?」
「別に。私も猫屋敷さんみたいに華があった方がお兄ちゃんも嬉しいのかなと思って」
「俺、かりんが隣に居てくれてもう十分嬉しいよ。派手とか地味とか関係ない。かりんは、ずっと俺の傍にいてくれて、支えてくれている大切な女の子だから」
かりんは声にならない声を上げ、真っ赤になって俯いた。
「……馬鹿。すぐに恥ずいこと言うんだから」
「かりんはすぐに照れるよな」
「それはお兄ちゃんが……」
そう言い掛けたかりんが、すぐにまた黙って俯いた。存外に優しい微笑を浮かべた田中の顔を直視することも、照れ隠しの悪態を吐くことも出来なかった。
こちらに微笑ましい小さな幸せあれば、あちらに修羅の地獄あり。
悲喜交々も人の世の常。
順佑は手の中の地獄を見つめながら不満げに唇を尖らせていた。
元より設定のとっ散らかった駄文は、その日の気分や真っ当な指摘に対する逆上などを反映させた改悪が繰り返され、より支離滅裂で醜悪極まりない業の結晶めいた呪詛そのものへとなっていた。
あらすじにはこれでもかと「実体験に基づく」ことを喧伝、強調する文言が並んでいる。
肝心の内容は「オラのアンチの田中の超能力の洗脳で、オラのガチ恋のアイドルのにゃあしゃがおかしくなってしまったが、オラの愛の歌の奇跡の力で救い出してオラがキスされる! それを配信する! 洗脳に気付かずオラを悪者扱いした女共は自らオラの奴隷を宣言し、父親は間違いに気付いて泣きながらオラに謝り続け、優しいオラは執筆活動のアシスタントに雇ってやった! 第二部へ続く!」というものだ。
『終わってる』
『唯一本当のことを書いていた失禁シーン書き直すなよ、順佑』
『はようぶち込んでやれや(何処にとは言わない)』
『自業自得だろ。性根がひん曲がってますよ』
『痛い子』
『頭おかしなりそう』
『現実と空想の区別が付かない業人が利用して良いとはサイトの規約に書いてないぞ』
『俺は田中を洗脳して女装させたい。それにしても悪い奴だなあ、圭平』
『キモい上に文章も稚拙。0点』
などと言ったコメントが付けられている。
アンチが!! 田中が!! みんな田中のせいだで! オラ悪くない! 悪くないだで!
順佑は上唇を吸いながら、まさしく現実と妄想の区別が付いていないような思考で田中へ責任転嫁する。
SNSを開き、またアンチが嫉妬で俺を攻撃して作家をやめさせようとしている。人を傷つけるのはやめましょう。といった旨の文章を投稿した。
まずは己の行動を顧みろ、としか言いようの無い順佑の投稿に対し、何処とも知れぬ場所で、真っ白な髪の女が恍惚とした表情でうっとりと「素敵」と呟いている。当の順佑すら知らぬ何処かで、業が連鎖反応を起こしつつあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます