第4話:羞恥プレイ

 継承式が終わると同時、参列していた貴族たちは我先にと移動を始め、あっという間に長蛇の列ができあがった。

 新当主となったニアの前に――ではなく、ボクの母レイラの前に。


「ご機嫌うるわしゅうレイラ様、お会いできて光栄でございます!」


「お体は大丈夫なのでしょうか……? 当家は薬師の家系でして、お近付きの印にどうぞこちらを、最高位のポーションでございます」


「ハイゼンベルクきょうは、いらっしゃらないのですね。是非一度ご挨拶をと思ったのですが……」


 極悪貴族だとか、王国の暗部やみだとか、禁忌存在アンタッチャブルだとか、ちまたでは散々いろいろ言われているけれど……。


 実のところ、うちと懇意こんいにしたがる貴族は多い。

 結局、力ある者のところには、そのおこぼれを狙ういやしい奴等が集まってくるのだ。


「ふふっ、お心遣いありがとうございます」


 柔らかい笑顔を浮かべた母は、矢継ぎ早の挨拶と質問に対して、無難な受け答え返しつつ――ほんの一瞬、こちらへ視線を送ってきた。

 どうやら「先にニアのところへ行っておいて」ということらしい。


 ボクは目礼もくれいを返し、ニアが休んでいるであろう化粧室へ向かい、コンコンコンとノックする。


「俺だ」


「ホロウ? どうぞ、入ってちょうだい」


 扉を開けるとそこには、椅子に腰掛けたニアが目を丸くしていた。


「なんだ、俺の顔に何か付いているのか?」


「いえ……あなた、ノックが出来たのね。てっきり蹴破けやぶって入ってくるものかと……」


「……お前、俺のことをなんだと思っているんだ?」


 ボクの怠惰傲慢はあくまで演技。

 それに人様の家の扉を蹴破ったりなんか……いや、原作ホロウはよくしていたな……。


「ふふっ、冗談よ冗談」


 ニアは柔らかく微笑みながら、パタパタと右手を振った。


「ありがとうホロウ、本当に……とても嬉しかったわ」


 多分、ボクが率先して拍手したことを言っているのだろう。

 別にお礼を言われるようなことでもないので、「ふん」と鼻を鳴らして、適当にお茶を濁すことにした。


「でもまさか、ここまで強い反発があるなんて、夢にも思っていなかったなぁ……。みんな小さい頃から、私のことを『次期当主』だって言ってくれていたのに……。いざそのときになったら、目の色を変えて攻撃してくるんだもん。びっくりしちゃった」


 ニアはどこか遠いところを見つめながら、小さくしかし重いため息を零した。


「ホロウの指示がなかったら、きっとこんな冷静に動けなかったと思う。……またあなたに助けられちゃったわね」


「あぁ、しっかりと恩義を感じろ」


「ふふっ、相変わらず口が悪いわね。でも……あなたの裏表のない言葉が、今はとても安心できるわ」


 ニアはそう言って、はかなげに微笑んだ。


(これは……けっこう弱っているな)


 親族一同から人格否定の集中砲火を浴び、はりむしろの中で慣れない喪主もしゅを務め、誰にも祝福されずに次期当主となる。

 十五歳の少女が経験するには、中々にヘビーなモノだ。

 むしろ「よく頑張った」と言えるだろう。


(メインルートの攻略において、ニアが持つエインズワースの力は有用だ。彼女には今後も、ボクのためにしっかりと働いてもらわなくちゃ困る)


 仕方がない。

 ここは一つ、フォローを入れておくとしよう。


「まぁ、そう気を落とすな。家督かとく争いなど、どこもこんなものだ」


「ハイゼンベルク家も……?」


生憎あいにく、うちは俺一人だ。いくつか分家のようなものもあるにはあるが……。万が一にも、邪魔しようものなら……なぁ?」


 ボクは手のひらの上に漆黒の虚空を発生させ、それをグシャリと握り潰した。


「あ、あー……うん……私、今の話は聞かなかったことにするわね」


 ニアはそう言って、困り顔で苦笑した。


「今は敵だらけかもしれんが、所詮この世は結果が全てだ。お前はエインズワースを継ぎ、絶大な地位と権力を手にした。これを上手く使い、反対勢力を黙らせていけばいい。四大貴族の力があれば、有象無象の貴族なぞ、軽く捻れるだろう」


「……うん、そうね、そうよね! 立派な当主になって、みんなに認めてもらえるように頑張るわ!」


 こういう明るく前向きなところは、彼女の素晴らしい美点だ。

 一緒にいるだけで、なんかこう……活力が湧いてくる。

 この辺りは『さすがヒロイン』と言ったところか。


「ところでホロウ、あの遺言状って――」


「――前にも言ったと思うが、詮索はなしだ」


「むぅ……ケチ」


「ケチじゃない」


 すっかり元気になったニアとそんな冗談を交わしていると、背後の扉がノックされた。


「レイラ・トア・ハイゼンベルクです。こちらに、うちのホロウがお邪魔しておりませんか?」


「あっ、ど、どうぞ、お入りください!」


 ニアは大慌てで立ち上がり、背筋をピンと伸ばした。


 扉がゆっくりと開き、母が入室するや否や、ニアはすぐに挨拶を述べる。


「は、初めまして、ハイゼンベルク公爵夫人。私はエインズワース家十二代当主、ニア・レ・エインズワースと申します」


 彼女は傍目はためからわかるくらい緊張していた。


 一方の母は、落ち着き払った様子で穏やかに微笑む。


 レイラ・トア・ハイゼンベルク、38歳。

 身長は170センチで、真紅の長髪と美しくも優しい顔立ちが特徴の――『美魔女びまじょ』だ。

 母の容姿はどう見ても38歳のそれじゃない、普通に20代前半で通用するだろう。

 彼女はかつて『最速の剣聖』と呼ばれ、原作でもトップクラスの剣術スキルと圧倒的な膂力りょりょくを誇る。

 ただ……その甘さゆえに天喰そらぐいに敗れ、つい最近まで床にしていた。


(ニアと母、二人の地位はほぼ同じだけど……さすがに『歴』が違い過ぎるか)


 片や新当主に就任したばかりの少女。

 片や悪名高きハイゼンベルク家で、長きにわたって権勢を振るう夫人。


 ニアが気を張るのも、無理のない話だ。


「ふふっ、私のことはレイラでいいわよ。その代わり、ニアさんと呼ばせてもらっても?」


「えっあっ、は、はい! よろしくお願いします、えっと……レイラ、さん……?」


 ニアが恐る恐る砕けた形で呼ぶと、


「うん、よろしくねニアさん」


 母はそう言って、満足そうに頷いた。


 簡単な自己紹介が済んだところで、ニアは居住まいを正し――綺麗なお辞儀をする。


「改めまして、此度このたびは継承式の見届け人となっていただき、本当にありがとうございました。なんとお礼を申し上げたらよいのか、感謝の言葉もございません」


「いいのいいの、気にしないでちょうだい。うちの可愛いホロウに頼まれたら、断ることなんてできないわ」


「ホロウが……?」


「えぇ。『友人が困っているので、手を貸していただけませんか?』って、私に頼んでくれたの」


「そうだったんですか(ふふっ、ホロウってば、やっぱり捻くれてるなぁ。でも私、あなたのそういう優しいところが――)」


 ニアの熱を帯びた視線を軽く受け流しつつ、母に抗議の意思を示す。


「……母上?」


「もう、そんな目でお母さんを睨まないでよ」


 彼女は冗談めかしてパタパタと手を振った後、複雑な表情を浮かべて、ニアに語り掛ける。


「実は私、天喰そらぐいの呪いを受けて、最近までずっと寝た切り状態でね? ホロウには、親らしいことを何もしてあげられなくて……。目が覚めたらこんなに大きくなってるし、一人でなんでもできちゃうから、全然甘えてくれなくて寂しかったの」


「レイラさん……」


「でも、そんなこの子が今回初めて、私を頼ってくれたの! もうお母さん、嬉しくて嬉しくてっ! ダフネスに公務を丸投げして、無理矢理スケジュールを開けちゃった!」


 あー……なるほど。

 最近、父が病的に働き詰めだったのは、母の仕事を肩代わりしていたからか。

 愛妻家あいさいかの彼らしい行動だ。


「そうだったんですね。ハイゼンベルク卿にも、どうかお礼を伝えてください(レイラさん、あの・・極悪貴族の夫人だから、どんなに怖い人なんだろうと思ったけど……。明るくて楽しげで優しそう。ホロウとはちょっと似てないかも……?)」


 ニアがそんな返事をすると同時、コンコンコンとノックが鳴った。


「オルヴィン・ダンケルトでございます」


「うちの執事長よ。入れてもらっても?」


「あっはい、どうぞお入りください」


 ニアの許可を受け、オルヴィンさんが入室した。


「お疲れ様。ごめんなさいね、面倒な後処理を任せちゃって」


「いえ、どうかお気になさらず。――それよりも奥様、此度こたび沙汰さた如何様いかようになさいますか?」


 オルヴィンさんの意味深な問いを受け、母の眼が途端に鋭く尖る。


「うーん、そうねぇ……。わざわざこの晴れの舞台に喪服もふくで参列したネック男爵家と、継承式のときに悪口を吹聴ふいちょうしていたテーラー子爵家と、最後まで拍手をしなかったベーレンドルフ伯爵家。この三家との関係は、今日限りで終わりにしてちょうだい」


「はっ、承知しました」


「私、ああいうイジメ染みた行為が大嫌いなのよね。当家のあずかる場で、あんな幼稚な真似は許せない。思い返すだけでも虫唾むしずが走るわ」


「えぇ、ただちに手配いたします」


 オルヴィンさんは深々と頭を下げ、音もなく化粧室を後にした。


 母は基本的に明るくて優しくて、貴族・平民の別なく接する、太陽のような人だけど……。

 とにかく曲がったことが大嫌いで、イジメのような真似は絶対に許さない。


(うちに睨まれたとあれば、あの三家さんけはもう……駄目だろうなぁ……)


 貴族の社会は、死ぬほど気を遣う。

 誰がどこの家の夜会に出席したとか、誰がどこの家と懇意こんいにしているとか、誰がどこの家と揉めているとか……そういう『家と家の関係』に耳と神経を研ぎ澄ませている。

 平たく言えば、病的な・・・レベルで・・・・空気を読む・・・・・のだ。


 ネック男爵家とテーラー子爵家とベーレンドルフ伯爵家が、ハイゼンベルク家の不興ふきょうを買った。

 この情報はすぐに王国の上流社会を駆け巡り、その三家と付き合いのある貴族たちは、蜘蛛の子を散らしたように去って行くだろう。

 彼らは政治的に経済的に社会的に、あらゆる形で『孤立』する。

 政治の場での発言力を失い、商取引を結んでもらえず、社交の場にも誘われず、完全に腫物はれもの扱い。

 こうなってはもうおしまいだ、どうやっても没落は避けられない。


(なんというか……どんまい)


 因果応報、つまらない嫌がらせをするからそうなるのだ。


 ボクが呆れ混じりにため息をつくと、


(ぜ、前言撤回……っ。この容赦のなさは間違いなく、ホロウのお母さんだ……ッ)


 何故かニアは、カタカタカタと震えていた。


「ところでニアさん、うちのホロウとは、どこまで進んだのかしら?」


「……えっ……?」


「もう、とぼけないでちょうだい。『お付き合い』、しているんでしょう?」


「い、いえいえ! そんな、まだ・・ですよ、まだ・・……あ゛っ」


 ニアがうっかり失言を零し、母はニンマリと口角をあげる。


「……『まだ』? あなた今、まだって言ったわよね? まだということはつまり……その気があるのね!?」


「そ、それは、その……っ」


 顔を真っ赤にしたニアは、伏し目がちにこちらを見つめた。


 いや……派手に自爆しておいて、助けを求められても困る。

 自分でなんとかしてくれ。


「それで、ホロウのどこが気に入ったの? 顔が凄く格好いいところ? ビックリするぐらい強いところ? とんでもなく頭が切れるところ? 実はああ見えて優しいところ?」


 矢継ぎ早に繰り出される四択の問いに対し、ニアは自分の答えをポソリと述べる。


「や、優しいところ、です……」


 その瞬間、


「あ、あなた……っ」


 母の顔がピシりと固まった。


「ぃよくわかってるじゃないっ! そうなのよ! あの子はちょっと口が悪いから、誤解されがちなんだけど、根はとっっっても優しい子なの!」


 おそらくそれが、『正解』だったのだろう。


 母はかつてないほど上機嫌となる。


「ねねっ、二人はどこまで進んでるの? チューはした?」


 ……おいニア、わかっているよな?

 これ以上、母にエサを与えるんじゃないぞ?

 嘘も方便、エインズワース家の当主として、それぐらいの柔軟性は持っているよな?


 しかし、ボクの思いもむなしく……。


「……はぃ……っ」


 馬鹿真面目で嘘のつけないニアは、耳まで真っ赤に染めてコクリと頷き……母は「きゃーっ!?」っと大喜び。


「えっ、どっちから!? やっぱりうちの子から……。いや、その反応はもしかして……ニアさんから!?」


「私の方から、迫る、形で……っ」


「まぁ、大胆ねぇ! でも私、そういう子は大好きよ!」


 母は子どものように「きゃっきゃ」と騒ぎ、ニアは目をグルグルと回している。


(……アレはもう駄目だ、助からん)


 可哀想に。

 ポンコツゆえの自爆とはいえ……まさか当主就任の晴れの日に、こんな『羞恥プレイ』を受けるとは、夢にも思っていなかっただろう。


「ホロウ、お母さんこれから『未来のお嫁さん候補』とランチに行くけれど、あなたはどうする?」


「いえ、自分は遠慮しておきます」


「そっ。それじゃ行きましょうかニアさん、今日は楽しいお昼になるわよー!」


 母はニアの左手をがっしりと掴み、意気揚々と出口へ向かう。


 すれ違い様、ニアは必死にこちらへ右手を伸ばしてきた。


「お願いホロウ、助けてぇ……っ」


「諦めろ、こういう付き合いもまた当主の務めだ」


「そ、そんなぁ……っ」


 そうしてニアは、元気溌剌げんきはつらつとした母によって、仔牛こうしよろしく引かれていった。


 まぁ、なんだ……強く生きてくれ。

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