第2話:遺言状

 ボクの声を耳にした『ボロ雑巾』ことゾーヴァは、バッと勢いよく顔を上げ、その場ですぐさま跳ね起きる。


「貴様、ハイゼンベルクの……いやその声、まさかボイドッ!?」


 驚愕の表情を浮かべた彼が、<原初の氷>を展開せんとした瞬間――その右耳がストンと落ちる。


「ぉ、ご……ッ」


 ゾーヴァが苦悶の声を必死に噛み殺す中、ダイヤとルビーの凍てつく視線が飛ぶ。


「ボイド『様』、でしょう? 言葉には気を付けなさい」


「偉大なるボイド様に粗末な魔法を向けるな……喰い殺すぞ?」


「……っ(こ、こやつら女の分際で、なんと巨大な魔力を……ッ。儂より強い、それも遥かに……ボイドはこんな化物を二人も従えているのか……!?)」


 大翁おおおきな小翁しょうおきなになったところで、ササッと仲裁に入る。


「ま、まぁまぁ二人とも落ち着いて……。ほら、ゾーヴァが怖がっているじゃないか」


 ついでにボクも怖がってるいるしさ。


「これは出過ぎた真似を」


「大変失礼いたしました」


 ダイヤとルビーはすぐに腰を折って謝る。


 二人とも、素直でとてもいい子なんだよね。

 ……ちょっとブレーキが壊れているけど。


「一応、自己紹介をしておこう。ボクはうつろの創始者にして統治者のボイド。ゾーヴァにとっては、ハイゼンベルク家の次期当主ホロウ・フォン・ハイゼンベルク――こっちの方がしっくりくるかな?」


「そこまで身元を明かすということは、儂を逃がす気は毛頭ないのだな……」


「うん、理解が早くて助かるよ。『表の世界』のキミは、ボクが殺した。もう二度と戻ることはない」


 淡々と事実を告げた後、今の状況を簡単に説明する。


「ここは虚空界こくうかいと言ってね。ボクが創造したボクだけの世界で――」


「――知っておる。<虚空>で飛ばされた事物は、基本的に全て虚空界へ収納される。この世界において、貴様は『神』の如き存在。魔力と膂力りょりょくが大幅に強化され、もはや『無敵』とさえ言えるじゃろう」


「おー、詳しいね」


 思わずパチパチパチと拍手してしまった。


「ふん、当然だ。儂はその力を……<虚空>を追い求め、三百年と生きてきたのだからな」


「なるほど、納得」


 ボクは適当に相槌あいづちを打ちながら、<虚空渡り>を発動し、あらかじめ用意しておいた筆と巻物を取り出す。


「いきなりで悪いんだけど、ゾーヴァには『遺言状』を書いて欲しいんだ」


「はっ、なんじゃ。儂の遺産でも欲しくなっ……ぐふぉっ!?」


 突然、ルビーの強烈な蹴りが、ゾーヴァの鳩尾みぞおちえぐった。


 トーキックだ。

 爪先つまさきが入った。

 あれは痛いぞ。


(でも、どうして……? 今回はゾーヴァ、何もしてなかったじゃん……っ)


(はぁはぁ……な、なぜ、だ……!?)


 ボクとゾーヴァが揃って冷や汗を流していると、ダイヤとルビーはも当然のように述べる。


「ボイド様の問いには、二秒以内に答えなさい」


「返事は『はい』か『Yes』のどちらかだ。後、言葉遣いがなっていないぞ?」


「はぃ……申し訳、ございま、せん……っ」


 おいおい、極道はんしゃも真っ青な『鬼詰おにづめ』だよ……ッ。


「と、とりあえず……『エインズワースの家督やら財産を全てニアへ譲り渡す』、こんな感じの遺言を書いてもらえるかな?」


「はっ、承知しました……っ」


 ボクの指示を受け、ゾーヴァは大慌てで、二秒以内に動き出した。


(……ルビーの態度はまぁ、理解できる)


 彼女は龍人、良くも悪くも『龍の特性』を備えているからね。


 具体的には、①攻めっ気が強く、②群れを大切にし、③死ぬほど一途。


 ①は見た目通り、ルビーはかなりサディスティックな性格の持ち主だ。

 ②は彼女の美点で、うつろのみんなを家族みたく大切にしてくれている。

 ③は……ちょっとばかし困りモノ。

 現在、『一途』のベクトルがボクに向いており、めちゃくちゃ甘えてくるのだ。

 こうなったのはおそらく、幼い頃に虐待されていたルビーを龍の群れから救い出した、『あの事件』が原因だろう。


 まぁとにかく――龍の特性を備えたルビーが、ゾーヴァを鬼詰おにづめするのは理解できる。


(ただ、ダイヤがいつもより『チクチク』しているような……?)


 彼女は決してサディストじゃない。

『極めて重い』という点に目をつぶれば、極々普通の優しい女の子だ。


(うーん……あっ、そういうことか)


 ちょっと考えてみたところ、すぐにピンと来た。


 うつろみやへ来る直前、ダイヤには軽く情報共有を済ませてある。


【――っというわけで、このボロ雑巾は本当に悪い奴なんだよ】


【……そう、救いようのないゴミなのね……】


 ゾーヴァは重病の子どもたちを集め、非人道的な実験に使った・・・

『不浄の紋章』を持つ虚の面々は、邪悪な人間の手によって、非人道的な実験に使われ・・・てきた・・・


 ダイヤにとって、ゾーヴァは最もみ嫌う人種であり――きっとその思いが、攻撃的な態度に出ているのだろう。


 ボクがそんなことを考えている間にも、ゾーヴァはすらすらと筆を走らせ、あっという間に遺言状が完成。


「ぼ、ボイド様、こちらでいかがでしょう……?」


「どれどれ……うん、いいね」


 要約すれば『エインズワースの家督・資産・全権を我が孫娘ニア・レ・エインズワースに継承する』という感じだ。

 後はこの遺言状をエインズワースの屋敷にこっそり置いてくれば、あの家の財産は全てニアに引き継がれる。


(ふふっ、これで四大貴族エインズワースは、ボクの手に落ちたも同然……!)


 ニアは決して嘘をつかない高潔こうけつなヒロインであり、昨晩『一生を懸けて恩を返す』と誓った。

 ボクが望めば、エインズワースの財産も研究データも既得権益も、文字通り『全て』を差し出すだろう。


(この調子で四大貴族を支配下に置いていく路線、けっこう『アリ』かもしれないな……)


 貴族派閥を取りまとめることができれば、クライン王国の半分を掌握したことになる。


(いやでも……メインルートの進行的に、残り二つの家を支配するのは、ちょっと無理が出ないか? 第一章を完璧にクリアした今、下手に欲を出して、せっかく築いた優位性を失いたくない。『世界の修正力』によって、多少の妨害は受けたものの、『主人公モブ化計画』も順調に進んでいるし……。ここは堅実な手を打ち続けて、王選に備えるのが正着せいちゃくなんじゃ――)


 ボクが今後のルート分岐ぶんきについて思考を回していると、ゾーヴァが恐る恐るといった風に声をあげた。


「ボイド様……発言の許可をいただけますか?」


「いいよ」


「儂は……いえ、私はこの後どうなるのでしょうか……?」


 うん、やっぱりそこが気になるよね。


「ゾーヴァのやってきたことって、普通に考えてかなりエグイからさ。別にあそこでサクッと殺してもよかったんだけど……。キミには『三百年の叡智えいち』がある。それを無駄にするのは、さすがにもったいないと思ってね」


 単純な知識量で言えば、彼は作中でもトップクラス。

 これをそのままほうむり去るのは、ちょっと躊躇ためらわれた。


「ボクは今、趣味と実益を兼ねて『ボイドタウン』という街を作っていてね。最近は人口も増えて、食料自給率も向上して、とってもいい感じなんだけど……。一つだけ、困ったことがあるんだ」


「なんでしょう……?」


「凶悪な犯罪者ばかりを拉致……ゴホン、誘致しているせいか、住人の属性カラーが『肉体派』に偏っているんだよ。せっかく作った『研究開発工場』も、きちんと稼働できるか不安が残る」


 ボイドタウンの住人で『頭脳派』と呼べるのは、盗賊団の頭領で元魔法省勤めのグラードとガルザック地下監獄で捕まえた大魔教団なんちゃら支部の副長イグヴァぐらいのもの。

 そういう意味でも、生粋きっすいの研究職であるゾーヴァは貴重な人材だ。


「そこで――キミには特別に『工場長』のポストを用意した」


「……こう、じょうちょう……?」


 ポカンと口を開けるゾーヴァへ、ダイヤとルビーの厳しい視線が降り注ぐ。


「「喜びなさい」」


「あ、あああ、ありがとうございます……っ。恐悦至極きょうえつしごくの至りです……!」


 ゾーヴァは両手を揉みこすりながら、びた笑みを浮かべる。


(くそ、実に腹立たしいことだが、今は大人しくボイドに従うほかない……っ。しかし……くくくっ、儂の『執念』を甘く見たな小僧? この体は<原初の氷>により、老化を凍結しておる! つまり儂には、『無限の時間』があるのじゃ!)


 んー……なんかゾーヴァの顔、悪いことを考えていそうだなぁ。


(貴様の<虚空>を研究し尽くし、いつの日かその魔法因子を奪ってやる! そのときは、楽に死ねると思うなよ。脚から順に腰・胴体・腕と凍らせ、最後は首だけを残し……貴様が『殺してくれ』と懇願するほどの地獄を見せてやる! あぁ、心配はいらぬぞ? こっちの女二人は、いい顔と体をしておる。愛玩動物として、しっかり可愛がってやろう!)


 下手なことをされても面倒だし、ここは一つ釘を刺しておいた方がよさそうだ。


「……ちなみになんだけどさぁ……」


「は、はい……なんでしょう?」


「間違っても、『謀反むほんを起こそう』だなんて、馬鹿なことは考えちゃ駄目だよ? この虚空界は、ボクのお腹の中だ。ちょっと意識を集中すれば、ゾーヴァの全てを把握することができる。キミの現在地・今している行動・会話の内容、文字通り『全て』ね」


「……っ」


 ゾーヴァはハッと息を呑んだ。


「万が一にも『反抗的なナニカ』が発覚した場合――『仲良しの家』に入ってもらう」


「な、仲良しの家……?」


「平たく言うと『懲罰房』だね」


「……ッ」


 ゾーヴァの額から、ツーッと汗が垂れ落ちた。

 この反応……やっぱり何か悪いことを考えていたっぽいね。


「ルビー、どう見える?」


「……このボロ雑巾の中には、『並々ならぬ邪心』が渦巻いております。恐れながら、一度しっかりと教育を施し、身の程をわきまえさせるべきかと」


 龍人の眼は鋭く、あらゆる事物の本質・・を見抜く。

 簡単に言えば、『超高精度なウソ発見器』だ。

 ちなみにこの特殊なスキルは、両者の間に『大きな魔力の差』がある場合のみ有効。


 つまり、ボクや他の五獄ごごくの面々には機能せず、プライバシーはちゃんと守られている。


(ルビーがこう言うのなら、きっとゾーヴァはよからぬことを考えていたんだろう)


 実際、さっきの悪い顔と焦った態度は、ボクの目から見てもかなり怪しかった。


(まぁ……原作ロンゾルキアでも、ゾーヴァは本当にしつこいキャラだからね)


『野心』と『執念』と『復讐心』の塊。

 己が目的を果たすためならば、あらゆる一切を踏み台にする邪悪。

 それがゾーヴァ・レ・エインズワースという男だ。

 この辺りの細かいキャラ設定は、原作ロンゾルキアを忠実に再現されているらしい。


 ボクが「どうしたものか」と考えていると、ルビーがとある提案を口にする。


「ボイド様、このボロ雑巾の教育、私に任せていただけないでしょうか?」


「あー……うん、あんまりやり過ぎないようにね?」


「はっ、お任せください」


 彼女は深々と頭を下げた後、ゾーヴァの首襟くびえりを乱雑に掴み、そのままズルズルズルと引きり歩く。


「なっ、何を……!?」


「黙って付いてきなさい。お前にはしつけが必要だ」


 それから三日三晩、広大な虚空界にゾーヴァの悲鳴が木霊こだましたらしい。

 ボクはその間、表の世界でメインルートの攻略にいそしんでいたから、そんなことは全然知らなかったんだけどね。


 そうして次にボイドタウンで会ったとき、


「あっゾーヴァ、ちょうどよかった。実はちょっとお願いしたいことがあって――」


「――おぉ、これはこれはボイド様! えぇ、えぇ、なんなりと御命令ください! このゾーヴァ、貴方様のためならば、犬馬けんばろういといませぬぞ!」


「あっ、うん……ありがと」


 かつての『大翁おおおきな』の姿は、もはや影も形もなかった……。

 その眼は気持ち悪いぐらいキラッキラッで、瞳の中に星のようなモノが浮いている。

 彼はもう……完全に調教済みだった。


 うーん……誰もここまでやれとは言ってないんだよなぁ……っ。

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