第19話 玉、誘拐さる

 魅雲医院に運び込まれた光希はすぐさまオペの運びとなった。

 延べ八時間にも及ぶ手術の末、手術室から出てきた御手洗療みたらいりょうという雪女の執刀医が、マスクと手袋を外しながら言った。


「一命は取り留めました。ですがしばらく入院させておいてください。絶対安静です」


 付き添いの燈真と、そして伊予は胸を撫で下ろした。隣でソワソワしていた竜胆は、ようやく落ち着きを取り戻してベンチに座り込む。


「容体が安定したら退魔局附属病院に移しますが、しばらくはうちで預かります。今は移動させるだけでダメージになりかねません。……まず間違いなく、妖怪でなければ危なかったです。それから、漆宮君の発見があと一秒でも遅れていれば……回復は見込めなかったでしょう」


 御手洗はそう言って、手を洗う。冷徹そうな顔だが、相当緊張していたのか汗をかいていた。青白い肌が、熱で紅潮して赤らんでいる。

 村民にとって魅雲医院は頼れる町医者だ。特に御手洗は腕がいい、当代きっての名医であり名院長である。クールな外見に比して非常に患者思いで、信頼も厚い。


「見舞いは後日お願いします。今日は休ませてあげてください」


 患者を思えばこそ、身内にはときに冷たい言葉を投げかけるのもまた彼女の特徴だ。

 燈真はどうにか一目でも見たかったが、伊予は「わかりました。光希君をお願いします」と言って、頭を下げる。燈真と竜胆も頭を下げた。

 そうして三人は、夜も更けた村を、車で家に帰るのだった。


×


 後日、高校に登校した燈真は心ここに在らずの状態で授業を受けていた。二回指されたが呆然としていて受け答えができず、先生から「尾張が心配なのはわかるが切り替えろ」と厳しく注意され、雄途から「光希なら大丈夫だって」と心配され、昼休みもぼうっとしていると椿姫からは「飯くらい食べなさい」と叱責された。

 自分が集中できていない状態なのはわかっているが、人生で初めてできた親友が峠を彷徨っているのに呑気にしているのは何か違う気がして、やけにソワソワした気分が抜けなかった。

 結局放課後も、信号機には気を付けていたが電柱にぶつかりそうになったりして、結構危なかった。

 帰路の途中、携帯が震えた。

 メールだ。差出人は万里恵。


「光希君、目覚ましたって」


 燈真の意識が急速に、それまで頭に覆い被さっていたモヤを切り払い、現実がはっきりと像を結んだ。

 慌てて魅雲医院に足を向け、燈真は走り出していた。


 魅雲医院の景色をはっきりとイメージして路地を進むと、それは目に見えてすぐに現れた。

 もともと大通りに面しているので村に来たばかりのものでも迷わないが、イメージした方がたどり着くのが早い。燈真は病院に駆け込み、ナースセンターに来意を告げた。

 受付のナースは燈真のことを知っていた。光希が運び込まれた際付き添いでそばにいた燈真を見ていたからだ。彼女は「三〇二号室になります。お静かにお願いしますね」というと、燈真にエレベーターを差し示した。

 しかしちょうど上に上がってしまったエレベーターを待つのがもどかしかった燈真は隣の階段を使って駆け上がる。三階に上がって、走らないように、だが早歩きで三〇二号室に向かった。

 ノックすると、「どうぞ」と声がした。


「光希」

「よお、早えな」


 彼は伊予が剥いた梨を爪楊枝で刺しているところだった。それをぱくついて、起こしたベッドに頭を預けて穏やかに呼吸をする。


「明々後日には退院できる見てーだけど、実戦復帰はまだすんなってさ。傷開くらしいし。まあ妖力治癒してもらってばっかだと命の重みがわからなくなるっていうし、俺はちょっと休憩させてもらうぜ」

「ああ。お前の分は俺が働くから気にすんな。痛みはまだあるか?」

「動くと少し痛いかな。まあでも、あんな重症でもすぐこうやって喋れるくらいなのは御の字だろ」


 むしろあれだけ血まみれになって、三日で退院できるのが不思議だ。妖怪という存在が持つ優秀な生命力と、医者の腕が良かったからだろう。

 妖怪の強靭な肉体は、怪我の治りも早い。もともと彼らは妖力を蓄え、それによって寿命を克服してしまうほどの存在だ。大陸には万年生きる妖怪もいるほどである。

 つまり、老化というプロセスを引き起こすテロメアを修復することが可能であり、その分多少無茶な細胞分裂を誘発させて肉体を治癒させることが可能だとされていた。人間がそんなことをすれば、治癒した分だけ老化が進むという考え方でいいわけである。急速な肉体の回復は、妖怪にしかできない芸当だ。


「光希」


 ノックもせず、雄途が入ってきた。彼は息を切らせ、額に汗を浮かべている。


「よお。お疲れだな」

「冗談ばっか言いやがって、心配したんだぜ」

「悪い。でも、大丈夫。しばらく安静にしてねえとまずいが、命に別条はねえってよ」

「ならいいけどよ……ノート、見せてやるから学校の方気にすんな」

「助かるわ、提出物出さねえと単位貰えねえからな! いでで……」


 伊予が「無理しないの」と起き上がった光希を寝かせた。

 そこへ、コンコンとノック。入ってきたのは椿姫にチッカ、万里恵だ。心音はどうしたんだろう。それは、光希も疑問だったらしい。


「心音は?」

「万里恵と入れ替わりで菘を見てもらってる。よっぽど大丈夫だと思うけど、今は呪術師が村にいるからね」

「そうだ、それで思い出した。……あいつらの狙い、椿姫だぜ」


 光希は今際の際でクーが言い残した発言を、そのまま燈真たちに伝えた。


『姐さんが稲尾椿姫を殺し、兄貴がやりおおせる』


「私をってところはわかるけど、兄貴がやりおおせるってなに? 何をする気なの?」

「そこまではわかんねえ。さっきブルーノさんに電話で伝えたら、なんかやけに慌ててさ……どうしたんだろ」

「胡乱ね」


 万里恵が顎に手を当てた。


「菘ちゃんの安全を第一にした方がいいかも。竜胆君は家だからまだいいけど、やっぱり私菘ちゃんのところに――」


 そこへ、椿姫の携帯へ電話がかかってきた。

 一同に、嫌な予感がよぎった。

 椿姫は恐る恐る携帯を見た。発信者は霧島心音。


「どうしたの、心音」


 震える声で、心音は言った。


「菘ちゃん、菘ちゃんを……菘ちゃんを奪われた!」


×


 午後五時半。場所は稲尾家の居間。

 心音は項垂れた様子でことのあらましを話した。

 村の子供達と菘が遊んでいる様子を見守っていた心音は、強い妖気を感じて子供たちの前に立ち塞がった。そいつは何の脈絡もなく嵐のように現れて心音を鎧袖一触すると、他の子供達を無視して菘だけを抱え、北西に去っていったという。ある、一枚の紙を置いて。

 そこには「北西の廃堂にて待つ」と記してあった。


「……心音、あんたに大怪我なくて良かったわ。菘は大丈夫。絶対に私たちが助け出す」


 椿姫の妖気が穏やかな湖面のように凪ぐのを、燈真は感じた。そして、それが彼女が本気で怒った証であると、静かに悟る。

 怒りの発露は様々だ。言動が荒々しくなるもの、涙になって溢れてしまうもの、むっつりと押し黙るもの。椿姫は静かに、ただ静かに鋭い切れ味の刃のように怒りを研ぎ澄ますのだと知った。


「冷静になれよ椿姫。これは明らかに罠だ。まして敵はお主を殺すと言っておるのだぞ。退魔局に任せるという手もある」

「菘を攫われて他人に任せるなんてのは絶対にあり得ない。私が救い出す。……もちろん、私一匹で挑んでも返り討ちになるのはわかってる。だから万里恵と燈真にも来てもらう」


 万里恵は力強く頷いた。


「妹を殴られた借りがあるわ。……落とし前はつけてもらう」

「俺もだ。菘を取り戻す。それに、光希をやったやつの一派なら尚更だ」


 柊は頷いた。病院にいる伊予と念話でやりとりしたのだろう。ややあって口を開いた。


「退魔局には妾から連絡を入れておく。行ってこい。菘を連れて、帰ってこい」


 こうして、今ここに菘奪還のための戦いの火蓋が斬って落とされるのだった――。

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