第29話 

 4. 東の淵で産まれた子


 誰が悪かったわけでもないのに、どうして不幸と言うものは起こるのか、五つ窪みには分かりません。それは誰に聞いても分からないことでした。


 ――心を一つにして、私の名前を呼びなさい。願いは叶うだろう。

 それで全て“良し”とされよう――


 あの人の名前が知りたい、正しい願いを知りたい、それ以外に不幸をなくす方法は無い。

 五つ窪みは、黒様のやり遂げられなかったことを、成し遂げようと決心していました。

 でも、それは一人ではできない事なのです。そしてまだ冬を起こしていない五つ窪みには許されていないことでした。


 東の淵に花を投げ入れて五つ窪みが帰ろうとした時、突然星も月も消えて、闇が世界を包みました。


 ひとかけらの光もない闇でした。五つ窪みは、自分が生まれた時を思い出しました。

「誰か産まれるんだ、何も見えない。松明を持ってくるんだった、これじゃ、うっかりすると、世界の果てに落ちてしまう」


 動くに動けず、五つ窪みが立ち往生していると、すぐ近くから泣き声が聞こえました。

 昔の自分のように、あの人を呼んでいます。金色に輝く心の溶けた涙が揺れるのが見えます。


「誰かいるの?」

 声をかけると、涙の光が慌ててこっちに走ってこようとしました。


「キャーッ」

 悲鳴とともに、淵に向かって光が放物線を描きました。落ちたのです!

 でも途中で止まって、振り子のように揺れています。どうやら取っ手が、木の枝に絡まってくれたようです。金色の涙が淵に流れ落ち、なおも悲鳴と涙の雫が湧き続けていました。


「待って、動かないで、落ちちゃうから。僕がそっちに行くよ」

 五つ窪みは、体で探りながら進み、柵にぶつかりました。そしてすぐ横に、一本の松の木があるのが触って分りました。


 五つ窪みはいつもの習慣で、薪を束ねる蔓を体に巻いていましたから、それで自分の取っ手と松の木を繋ぎ、泣いている産まれたての方へ、身をかがめてゆっくり這っていきました。

「僕のこと見える?」

「うん、見える。金色に光って綺麗」

「綺麗ね……今大変なんだけどなあ」

 自分も昔、こんなだったんだなと思う五つ窪みでした。


「いい? 蔓をそっちに投げるから、取手に繋いで。しっかりだよ、引っ張り上げるからね」蔓の端に生まれたての子の取手が結えられました。

 その蔓の先は、松の横枝に掛けてあり、その先は五つ窪みの取っ手に結えてあります。

「繋いだ? 持ち上げるよ、ゆっくり、ゆっくり……」

 五つ窪みの体が回転し、取っ手がゆっくり蔓を巻き上げていきます。

 小さな光が少しずつ上がって、柵に寄りかかって斜めに傾いだ五つ窪みの体の縁近くまで上がってきました。


「わあ、暖かそう」

 産まれたての子供は、そう言って五つ窪みを覗き込み、中に入ろうとしました。

「ちょっと待って、バランスが崩れる!」

 動いた弾みに、寄り掛かっていた柵が音を立てて壊れ、五つ窪みは空中に投げ出されてしまったのです! 



 とっさに、柵の蔦を掴んで落ちるのだけは免れました。

 蔓を二重にしておいて良かった。でも、中ぶらりんです。


「面白かったあ」

 産まれたての子が五つ窪みの中で笑いました。ちゃっかり入っていたのです。

 

「そうだね、危ないから朝が来るまで、このままじっとしていようね」

 産まれたてって本当に……鋼の苦労が初めてわかった五つ窪みでした。




 5. 産まれたては知りたがり


「君の産涙残ってる?」

「みんな下のほうに溢れちゃった」

「やっぱり。十六夜さんに確認して欲しかったのになぁ」


「十六夜さんて何?」

「“何”じゃなくて“誰”。元、踊り子姉さん。今は怪我してお休みしてる」


「踊り子って誰?」

「今度は“誰”じゃなくて、“何”。まだ難しいか。お城に住んでて、踊りを踊って生きてる人達のことだよ。凄く綺麗なんだ」


「綺麗なの? 私もなりたい!」

「どうかなー、向いてる人と向いてない人がいるから。僕なんかは大きすぎて駄目なんだ」


「私大きい?」

「いや、小さい方じゃないかな? 僕に簡単に入れたし。白様よりは大きいけど」


「白様って誰?」

「あ、今度は合ってる。世界で一番お年寄りのカップ、すごく優しいんだ。踊りも教えてくれるから見て貰えばいいよ」

「わーい楽しみ」


「あのね……君を作ってくれた人の事を覚えてる?」

「うん。さっきまで一緒だったのに、私のこと置いてどこかに行っちゃった。だから泣いてたの。あの人どこに行ったの?」

「わからない。僕も知りたいんだ」


「ねえ、あなたの名前は何?」

「五つ窪み。体に五つ丸い窪みがあるから」


「“決して冷えないカップ”じゃないの? あの人が言ったの、そういう名前の友達が待ってるよって」


「残念だけど、違うみたいだよ。君の名前は……まだないよね」

「あの人がつけてくれた名前があったのに、泣いてたら忘れちゃった。あの人の名前も分かんなくなったの。なんで」


「みんなそうなんだ。いつまでもあの人の事ばかり考えてたら、他の人を好きになれないからだって聞いてるよ」


 五つ窪みは、昔の自分が鋼に聞いたことを答えながら、この子もこれから怖い事にたくさん出会うのだろうなぁと思いました。でも、同じ位楽しいこともあるのだと知っていれば、辛い現実も乗り越えやすいのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る