第5話 影
栄様は時々ため息をつく。よく母屋の東端の一番大きな切り株に座って、独り言を言っている。そんな時の栄様はとても悲しそうだ。
どれが本当の栄様なのだろう?
そして私の父親は誰なのだろう。
あの立ち聞き以来、珠子は栄様を避けるようになっていた。
「珠子、栄様嫌い」
「なんで嫌うかなぁ。昔はママ、ママってべったりだったのに。
栄様が総理大臣と大事な神託の接見してるのに『ママいないー』って大泣きするから、俺は何度も学校早退したんだぞ。
俺か栄様しか、お前泣きやませられなかったからな」
「そんなの赤ちゃんの時の話じゃない!何よ、どうせ珠子は子供よ。
栄様みたいな大人の女じゃないよ。
お兄ちゃんだって、珠子より栄様が好きなんでしょ!
だから栄様の言うこと聞いて、珠子のこと置いてイギリスに行っちゃうんだ」
悔しい、悔しい。体だけ大人と言われ、なのに栄様の決めたことに、ただ従うことしかできない子供の自分が悔しい。
お兄ちゃんだって、栄様に言われて、今日この家を出て行くのだ。
「お兄ちゃん……どうしても行っちゃうの?」
「うん、この家に僕の居場所はもうないから。でも、珠子ももう大人だ。本当のことを教えるよ。僕は秀雄父さんに似てるけど、父さんの子供じゃない。父さんの弟の子なんだ。
叶母さんが十五の時、駆け落ちした相手が冬彦と言う名の僕の本当の父親。
その時僕はもう、叶母さんのお腹にいた。二人は駆け落ちしたけど捕まって、僕の父親は、贄となって今はあそこに埋まっている」
冬樹は目の前にある御神木を指さした。
「大きくなるために、神木は栄養がいる。昔の歌にあるように、代々娘の父親は肥やしになって埋められてきた。
だからその鎮魂のためにも、栄様は僕に祠を守らせた。僕の父さんが埋められた時に、御神木の影がでて……」
そういうと冬樹は口籠もった。
でも珠子は別のことを考えていた。
「そんなら、珠子はお兄ちゃんと結婚する。」
珠子に背中にしがみつかれ、冬樹は、凍りついた。
「だって聞いたんだもの。叶お母さんは、お兄ちゃんを産んだ後、もう子供が産めない体になったって。だから珠子は、絶対お母さんの子供じゃない。
戸籍は兄妹だけどお兄ちゃんとは、お父さんもお母さんも違うんだから、血はつながってない。
珠子、このままじゃ栄様の決めた男と結婚させられちゃう。
珠子お兄ちゃんのお嫁さんになりたい! 二人で一緒に逃げようよ」
ざわり。
世界が少し暗くなった。
風もないのに、御神木が二人に向かって、のしかかる様に、枝を伸ばす。
不意に木の影が一箇所に凝り固まり、その中に首を吊った男が、回りながら揺れている。
ゆっくり、ゆっくり、顔がこちらを向いた。冬樹の顔だった。
「お兄ちゃん!」
でも、珠子は今、お兄ちゃんの後にいる。じゃぁ、あの人は誰?
木の下闇の中の、冬樹の唇が動く。
何か言っている、でも聞こえない。
「お兄ちゃんあれは何? なんて言ってるの」
「あれは御神木の影だ、木守の僕にしか聞こえない」
冬樹はひどく震えていた、珠子の体も一緒に震える。
そして――
「そうしよう」
冬樹はそう言った。
途端に影は消え、
世界は明るさを取り戻した。
「なんでもないよ、もう済んだ」
冬樹はひどく青ざめていた。
「もう母屋におかえり」
冬樹に強くそういわれ、しぶしぶ珠子は母家に帰った。
その後すぐ、冬樹は影と同じに、首を吊って死んだのだ。遺書はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます