魔法の国のシャーロック・ホームズ・修正版

源公子

プロローグ・片方靴の依頼人

第1話 名前をなくした女

 それは、ホームズが探偵の仕事から、身を引く直前の事件だった。

 クリスマスも近づいたある日、僕はホームズのいるベーカー街221Bをおとずれていた。


「どうやら、面白そうな事件が飛び込んで来そうだぞ。

 ほら、あそこに見えるのは、きっと僕の依頼人だよ。でなきゃ僕の目は節穴だ」


 この時、ホームズは椅子から立って、半分ほど開いたブラインドの間から、ロンドンの街を見下ろしていた。

 私もホームズの肩越しから、のぞいてみると、通りの向こう側の歩道に、小柄な女が立っていた。

 落ち着きのないためらうような態度でこちらの窓を見上げていたが、意を決した様に道を渡り、呼び鈴の紐を引いた。


 やがてノックの音がして、金ボタンの制服を着た給仕の少年が入ってきて

「ミス・メアリー・ファーガスンがおいでです」と、とりついだ。



 ◇



 ミス・メアリーは女と言うより、まだ少女だった。

 キレイな水色の瞳の、はっとする様な美しい顔は、ひどく緊張して、怯えた小鳥のように見えた。


 ホームズは、その女を部屋に通し、ドアを閉めた。

 そしてコートを受け取ると、肘掛け椅子に座るよう促した。

 女は、ぎこちない足取りで椅子によると、言われるまま座った。


「ようこそ。私が、シャーロック・ホームズです、こちらは、友人のワトソン。 

 遠くから列車で来られておつかれでしょう」


「どして、列車で来たわかりますか?」


 Hの音の抜ける、フランス訛りの英語で女は言った。


「左の手袋の手のひらに、往復切符の帰りの半券があるのを、みたんですよ。

 失礼ですが、“メアリー・ファーガスン”と言う名前は、本名ではないのではありませんか?」

 ホームズが言った。


「どうして分かったですか!」

 ミス・メアリーは、驚いて叫んだ。


「コートにも、バッグにも、手袋にも、M・Fのイニシャルの刺繍が付いてるのに、どれもサイズが大きすぎる。

 特に、靴は大きすぎるのを、つま先に詰め物をして、履いてますね?  

 歩きがぎこちないし、つま先の折れる位置が、大きさに対して後方過ぎます。

 持ち物全てが借り物のようにみえる。

 だから、イニシャルに合わせた、別人の名前を名乗っているのかもしれないと思い、お聞きしたのです」


 ミス・メアリーは、茫然としていた。



 僕はホームズが、前に言っていたことをおもいだした。

「いつの場合でも、人に会ったら、まず手に注意する事だよ、ワトソン君。

 次に袖口、ズボンの膝、靴だ。小さな事柄を見落とさないでそれを基に推理すれば、普通の人をビックリさせるような事になるのさ」



「その通りです、私、外出するのに良い服もってません。

 この服も靴も、勤め先のホテルの奥様の娘さんの物です。

 名前も、娘さんのもの借りてます。私、本当の名前無くしました。

 忘れてしまったです」

 女の顔がくもった。


「名前を無くしたとは、それはお困りでしょう。お話願えますか」


「私、まだ、英語うまくしゃべれません。聞くの大丈夫。

 だから警察の人に、手紙書いてもらいました。読んで下さい」


 そう言うと、女は手紙を差し出した。


「サウサンプトンシャーのコベントリー巡査部長の紹介状だ」

 ホームズが言った。


「ああ、ソア橋事件の」


「私、相談する人、ありません。だから、ここ来ました。

 ホームズさん、困ってる人の相談、乗ってくださる聞いて。

 誰よりも、信頼できる聞きました」

 女は必死な目で訴えた。


「コベントリー巡査部長が、私の事を大げさに語って、期待を抱かせすぎてるんじゃないかと、気になりますが、とりあえず読ませて頂きます」


 一通り読み終わると、ホームズが言った。


「手紙で、大体のところはわかりました。

 ですができれば貴女の言葉で、確認させてください。ゆっくりで結構です。

 よろしいですか?」

 ホームズは、両手の指先を突き合わせた。ホームズが考える時の癖だ。


 ミス・メアリーは話し出した。


「私、サウサンプトンの“チェッカーズ”言うホテルで、働いてます。

 十七世紀にフランスからきた貴族のため、建てられたとても大きな建物。

 階段の石は、フランスから取り寄せた特別だと聞いてます。

 玄関はとても古くて、両翼は新しく建て増しして、チューダー式の煙突付いてます。

 良いとこです。農場主の旦那様がなくなって、奥様がホテルに直したそうです。


 私、今年のイースターの後に、その階段の一番下に倒れてました。

 灰まみれのボロボロの服着て、右足にだけ靴履いてたそうです。

 左足の靴は、探したけど有りませんでした。これがその靴です」


 そういうと、ミス・メアリーは、バッグから靴を片方だけ取り出した。


 カーマイン・レッドの小さなハイヒールの革靴で、白貂の毛皮の縁取りがついていた。


「頭から血出てて、気がついた時名前もなにもわからず、フランス語しかしゃべれませんでした。着ていた服はあんまりボロボロのなので、捨てられてました。

 その時奥様は、“まるで私のひいお祖母様の着ていた様な型の古い服だった”といってました。

 奥さま、フランス語話すので、お側で働かせてもらって、ミス・メアリーの名前もらいました。奥様の亡くなられたお嬢様の名前です。

 服も、お嬢様のもらいました。可愛がってもらいました。英語少し話せるようになってから、ホテルで働きだしました」














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