第6話 ドワーフ+18・19・20・21世紀人類+宇宙兎

「あら、ホームズさんは料理が上手なの?」(*注1)

 マザーが、意外そうに聞いた。


「ああ。母が早くに死んだので、兄のマイクロフトと一緒に良く作ってたんだ。しかしなんで君はそんなことを知ってるんだ?」


「あいつ、ホームズさんのことなんでも調べてたから。女が苦手で、バイオリンの演奏がうまいって言ってた」

 若いモリアーティが答えた。


「あいつ? さっきから他人みたいに言うな。もう一人の自分なのに」


「じゃあ何て呼べばいいのさ、“未来の俺”とか? やだよ、俺あんな風になりたくないよ。でもなっちゃうのかなー、やだなぁ」


 確かに突きつけられた未来が自分の望まないもので、おまけに逃げられないと知ったら、人間はそれを認める気になれないだろう。

 モリアーティだって生まれた時から犯罪王だったわけではないのだ。


「キッチンと大食堂は、階段を上ったあの二階のバルコニー側の部屋なの。だからあそこにいたのだとしたら、若いモリアーティさんの言ってる事は理にかなってるわ」


 頭がクラクラした。敵に戦い方を教えてもらってるのだ。信用できるのか? だが、若く無表情なモリアーティからは、不思議に嘘の匂いがしないのだ。


「私は信じるわ」


 マザーは言った。女の勘はあなどれない、私も一応(仮)信じることにしよう。


「もう一つ問題があります。モリアーティ君と、ビオラちゃんをどうやって元に戻すかです。僕、魔法のことはよくわからないけど、マザー、時間って水に溶けるんですか?」


「魔法の解釈では、水はあらゆるものを溶かし込む力があるの。ビオラちゃんが魔法の根源なら、意識、無意識は問わずに大体オーラのある範囲くらいなら、水はその波動を受けて変化すると思うわよ」


「そうですか。僕の考えでは『時進みの水薬』が+の時間なら、『時戻しの水薬』は-の時間。それならこの二つを混ぜたら±0で安定する。だから子供のビオラちゃんが、おばあちゃんになったビオラちゃんのそばに行けば、くっついて元に戻ると思うんです。あくまで仮説ですが」


 五代目の発言に私は驚愕した。


「おい、そんな数学の足し算みたいなことで良いものなのか?」


「いいんです。ホームズさん言ってたでしょう?『ありえないものを一つ一つ消していけば、残ったものがどんなにありそうもない事でも、真実であるはずだ』って。

 事件の外見が奇異に見えれば見えるほど、その本質は意外に単純なものだったりします。ビオラちゃんとモリアーティ君が、二人になっちゃったこの現象、『量子もつれ』って言う現象に似てるんです」


「量子もつれ? 初めて聞くが、どういうものなんだ」


「量子というのは、世界最小のエネルギーの単位、世界最小の物質、素粒子とほぼ同じです。宇宙はある時、ビッグバンで始まり、その時生まれた素粒子で全ての物質宇宙はできたんです。でもその量は、ギューッと縮めたら、全宇宙でリンゴ一個くらいの量だそうです。そのくらい素粒子は小さくて、素粒子から見たら、宇宙はスカスカなんです」


 ついていけない……私の頭もスカスカだ。


「続けますね。この素粒子には変わった性質があって、二つが出会うと互いに影響しあって、必ず逆向きになるんです。

 片方が+ならもう片方は-、負の電荷を持つ電子と、正の電荷を持つ陽電子の回る方向も、右回りと、左回りで反対。

 二つの回転スピード、角運動量の和も±0になります。

 これが『量子もつれ』と言われる現象で、どんなに離れてもこの繋がりの関係は消えないんです。


 僕の時代の研究に、真空中で陽子を光の速度近くまで加速して炭素に当て、素粒子を発生させるという実験があるんです。

 モリアーティ教授とビオラちゃんも、光ほどじゃないけど、かなりの速さでぶつかった。そして、正反対の二つになった。似てると思いませんか?」


「君凄いね、僕より年下なのに。21世紀では、こんな難しいこと学校で習うの?」

 若いモリアーティがため息とともに言った。


「モリアーティ君いくつなの?」


「17歳、大学入ったばかり」


「同い年だ! 僕はアメリカの高校の4年生。授業ではやらないけど、学校のクラブ活動は物理部。僕の知識なんて、ネットや本の受けうりのただのオタクだよ。


 でも、僕の尊敬するアインシュタインは本当に凄いんだ。

 従来のニュートン力学の、光の電磁気理論との矛盾を、時間と空間の理論を導入することで、発展的に克服することに成功した。

『質量とエネルギーは等価である』『光の速度は一定である』『重力で光が曲がる』『重力は空間の曲がりから生まれる』

 宇宙が無から始まる『ビックバン』、素粒子物理学における『統一場理論』まで、現代物理学の全ての基本と言っていいアインシュタイン方程式を作ったんだから」



「すげー、あのニュートンを超えちゃったのか。ニュートン力学の齟齬の解明は、おれがするつもりだったのにな。クソ、先越されちゃった」



 そうか、モリアーティ教授の論文は、「二項定理」のほかに「小惑星の力学」(*注2)もあった。宇宙物理の方も興味の対象だったのか。



「特に僕が好きなのは、『重力が巨大になれば、光すら脱出できない重力が無限大になる、特異点がある』としたブラックホール論なんだ。

 多くの学者は、『光さえ吸い込んで抜け出せない、宇宙に開いた黒い重力の穴。そんなものありえない』と言った。アインシュタイン本人でさえもそれは数学上の話で、現実にはありえないと思ってたんだ。


 でも1965年、ペンローズが『質量が太陽の30倍以上の恒星が死ぬ時、重力収縮を起こし、原子も陽子も電子も潰れて中性子になり、ついにはそれも潰れて、最後にブラックホールになる』事を証明した。


 そして1990年代に、銀河の中心の電波観測や、恒星運動の長期観測から、多くの銀河の中心には、太陽質量の数百万から数十億倍の大質量のブラックホールがあると確認された。

 そして2019年4月10日、遂に6000万光年先の事象の地平面の輪郭、重力による赤方偏移で、赤い光のドーナツみたいな形のブラックホール・シャドウを、直接写真撮影に成功したんだ。


 アインシュタイン方程式の解の一つに、全てを吸い込むブラックホールの対として、全てを吐き出すホワイトホールの存在があり、これを繋げたワームホール(*注/3章・参照)が次の宇宙を生むビックバンなのかもしれないと言う仮説もあるんだ。

 今の宇宙が、ワームホールを通って、次々と子供や孫宇宙を産んでいくと言う説を唱えてる人もいる。


 今は、ホワイトホールはないと世界中の科学者が言っているけど、ブラックホールだってあったんだよ、あるかもしれないじゃないか。いつかこれを見つけるのが僕の夢なんだ」



「ナンデモ スイコンジャウ アナ ナラ ビオラ イッタコト アルヨ」

 兎娘が、Tシャツから出てきた。


「ナカマノ ニオイガ スルホウニ、 ドンドン アナヲ ホッテタラ デチャッタノ。

 デモ ナカマハ イナクテ カエロウト シタラ、 ビオラノ ホッタアナカラ クロイアナノ ナカミガ ナガレデテキテ、 ビックリ シテ ニゲタ」


「じゃあビオラちゃんは、ブラック・ホールに行って帰ってきたの?」


「タブン」


 *******

(*注1)「四つの署名」で「カキに雷鳥が一つがい、少しはマシな白ワインを用意しました。ワトソン君はまだ1度も、僕の料理の腕を味わったことがないだろう」とある。

「独身貴族」で「冷たい山鴫一つがい、雉一羽、フォアグラのパイが一皿、それにクモの巣だらけの年代物の酒が数本」を振る舞っている。


(*注2)アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会2/終局的犯罪』1972年参照。




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