第4話 1891年5月4日・ライヘンバッハの滝

「お願いします、僕のご先祖様の命もかかってるんです」


 五代目が必死に頭を下げていた。それを見ていた兎娘は、ぴょんと、五代目の頭に飛び乗ると、こう言った。


「カワッタトコ。 ココニイキタイノ?」

 五代目の頭の中を読んだようだ。


「え、違います。ここは僕の生まれた所で、行くのは1891年の、スイスのライヘンバッハの滝って所です。そこに悪者のモリアーティ教授がいるはずなんです」


「イッタコトアル? ジャナイト バショ ワカラナイ」


 マザーと五代目が私を見た。

 

 わ、私に、兎を頭に乗っけろと言うのか?

 だが、ワトソン君を取り返すためだ、なんでもするとも!


「お願いだ、力を貸してくれ。ワトソン君は、私の一番大事な友達なんだ」

 私も、五代目の様に頭を下げた。


「ヤダ クサイ!」

 兎娘が飛び跳ねて退いた。


「あら、たしかにこの整髪料ポマード臭うわね、待って今洗うから」


 有無を言わさず、マザーが私の頭に水と石鹸をかけて洗い出す。

 全く今日は何回水を被れば良いんだ。


 兎娘は鼻をクンクンさせて、嫌そう〜な顔をしながら、私の頭に乗った。

 凄く重い、五キロじゃすまないぞ……五代目のやつよく我慢したな。


「ワカッタ」


 言うが早いか、兎娘は穴を掘り出した。小一時間ほど待った。  


「イイヨ」


 彼女の声に、我々は穴に入った。幾つか横穴とも繋がっている、気をつけねば。


 兎娘の案内でしばらく行くと、目の前にライヘンバッハの滝が渦を巻いていた。

 穴は水面スレスレで、滝壺の岸壁の横に空いていた。


「ここが、ライヘンバッハの滝ですか? すごい渦ですね。ここに落ちて助かるとは思えないんだけど」


 五代目が感極まった様にいう。

 その通りだ、私だってそう思う。だが現実は違っていたのだ。


「死体有りませんね。ここで間違い無いんですか?」


「アタマノナカ コノマウエ ダッタ、 ダカラココニシタ。 ジカンハ アッテル」ビオラちゃんが請け合ってくれたのだが……。


「もう流されてしまったのかもしれない。まずいな」

 私達は途方に暮れた。


「ビオラ サガシテクル」


 そういうと、ビオラちゃんはふわりと空に浮いて、水面ギリギリに降りた。


「ビオラちゃん飛べるの!」

 五代目が尊敬の眼差しで見る。


「ヨウセイノ トウゼン」

 そう言うと、水面近くをふわふわと飛び出した。


 その時、凄まじい嗄れ声と共に、一塊の影がビオラちゃんの真上に落ちてきた。


「モリアーティ!」

 私が叫ぶ声が滝壺にこだます。


「ホームズ!」

 モリアーティの嗄れ声が答える。


「あぶない!」

 五代目の叫び。


 避けきれず、ビオラちゃんとモリアーティはぶつかり、水飛沫とともに滝壺に沈む。


「キイイィ――――――ィ!」

 ビオラちゃんの悲鳴。

 そして水飛沫が、竜巻の様に渦を巻いて爆発し、私たちのいた穴に流れ込んできたの

 だ。


 魔法で小さくなっていた体は、あっという間に水に飲まれた。

 その渦の中、ほんの一瞬私は見たのだ。モリアーティと兎娘がどちらも分裂して、ふたつになったのを!


 だが次の瞬間、我々は水に飲まれ、ものすごい速さで穴を流され、東の森の入った穴から吐き出され、同時に体は元の大きさに戻った。


「みんな無事?」

 マザーが杖で水を振り払い、咳込みながら叫んでいた。


「なんとか」


 五代目も私のそばで気がついて、メガネを探している。

 穴の近くに、兎娘と、モリアーティも倒れていた。


「ビオラちゃんだいじょうぶ?」


 五代目がぐったりした兎娘を抱き上げようとして、悲鳴を上げた。


「わあっ、なんだこれ――!」


「どうした?」


 慌てて私が駆け寄ると、なんと、五代目の両手にちぎれた様な背広の袖口だけが出現していたのだ。

 そしてバランスの悪い、大きな両手のその左手の薬指には、ワトソンの結婚指輪が光っていた! そして兎娘は、私達の目の前でゆっくりと小さくなっていく。


「まずい! マザー、ビオラちゃんの周りの水を集めて。私の家でやったみたいに」


「え、はい」

 慌ててマザーは水を杖の先に集めて、大きな水玉を作った。

 すると兎娘の縮むのは止まった。


「これ、どういう事なんです、ホームズさん」

 五代目がオロオロした声で言った。


「探していたものが見つかったのさ。マザー、貴女が今杖の先に掲げているのが『時戻しの水薬』なんです」


 あの水ができたのは、我々があの場所に、ビオラちゃんを連れて行ったからだったのだ。


「ハクション」

 五代目がくしゃみをした。忘れてた、マザーと兎娘以外はまだびしょ濡れなのだ。


「マザー。すまないが、体を乾かしてもらえないか、もう夕暮れだ、寒くなって来た」


「そ、それがね。今この杖下ろすと、水をぶちまけちゃうのよ。そしたらこの辺全部、時が戻っちゃうじゃない。何か器に入れて、仕舞いたいんだけど、でも……」


「そうか『時戻しの水薬』、入れると器が作られる前の状態に戻るから、入れられないんだ」


「そうなのよ、これ、すごく重いの。そろそろ手が痺れて来てる。どうしましょう」


 マザーは半ベソになっている。どうしましょうって、どうすれば……そうだ!


「あの青い瓶、あれはどこで、手に入れました?」


「アンデルさんの靴屋。あの家は、昔ユグノーの貴族の持ち物で、宗教戦争を避ける為に、家と家財道具をみんな売り払って、イギリスに逃げたんですって。

 それを、家ごと買ってずっと大事に使ってるから、あの家の物は古いものが多いのよ。

 家財道具は売ったけど、カトリック教徒に壊されるのは忍びないからって、その時船に先祖の墓石を乗せていったとか聞いた。

 ファーガソンとかいうイギリスのプロテスタントの親戚を頼ったそうよ」


 ファーガソン? サンドリヨンの落ちたあの階段は、墓石製だったのか。変なとこで繋がるもんだ。


「まだ推測だが、五代目を見る限りあの水薬は、だいたい百二十年前後の時間を、戻したり進めたりする様だ。

 ペロー童話が世に出たのは1703年、この世界は多分その頃を基準にできている。だから120年以上経った品なら、時が戻ってもあの青い瓶の様にそのまま存在できるはず。アンデルさんに頼んで、持って来て貰えば良い」


「それがアンデルさん、今日はドワーフのホルンテおとつっあんと一緒に、靴を売りにドイツにいって留守なの。

 連絡しようにも、この杖を下ろさないことには次の魔法を使えないし……そうだ! 五代目、わたしのエプロンの紐を外して。それでドワーフ達を呼ぶわ」


「それが、自分の手じゃないから、うまく動かせなくて」


「ホームズさん!」


「す、すまない、ご婦人の服の構造はよく分からなくて……どの紐を解くんだ?」


「俺がやります」


「あ、ありがとうご親切に。……て、あなたモリアーティなの‼︎」

 そこにいたずぶ濡れのモリアーティは、どう見ても二十歳前にしか見えなかった。


「解けましたよ。これどうするんです?」


「右の方の紐を、等間隔に3個結び目を作るの。できたら、わたしに渡して」


「できました。どうぞ」


 若いモリアーティが、マザーにエプロンを渡すのを私はポカンと見ていた。

 嘘だろ、親切なモリアーティだって? だが不思議なくらい、彼から悪意は感じられなかった。


 マザーが結び目のあるエプロンの紐で地面を打つと、地面が割れて、三人のドワーフのピフ、パフ、ポリトリーが現れたが、モリアーティを見ると悲鳴を上げて引っ込んだ。


「あれ? 違うよ」

 ピフが、ちょっと頭を出す。


「でも同じ服だよ、顔似てる」

 パフが目の下まで顔を出す。


「でもずっと若いよ、違う人だよ。ねえマザー?」

 ポリトリーが出て来た。


「うん……多分ね」

 マザーの声が困っていた。

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