第3話 兎娘のビオラちゃん

「じゃあここはシンデレラのいる魔法の国で、その『時進みの水薬』とやらのせいで、僕は2019年のアメリカから、タイムスリップしちゃったっていうんですか。

 で、貴方があの有名なシャーロック・ホームズさん! 

 初代の書いた本、全部読んでます。会えるなんて光栄です。

 僕の曽祖父のジョン・ワトソンJr.(二世)が、小さい時良く遊んでもらったって言ってました。バイオリンの演奏が素晴らしかったって」


 実に115年も、時が進んでしまったらしい。彼の過去は、私には未来になるようだ。私はまだ、ジョン・ワトソンJr.に、会ったこともないのだから。


 ジョン・ワトソンの子孫と名乗るその男の子が語るには、二世の時代に一家はアメリカに移住し、カリフォルニア州在住。

 さっきまで学校の椅子に座り、ホームルームが始まるのを待っていたというのだ。


「そんな作業着を着て学校に行くのか?」


「Tシャツとデニムは、普段着ですよ。カリフォルニアは暑いから、学校もこれで行ってます。田舎なんで、制服もないしうるさく言われないんです」


 デニムパンツがゴールドラッシュの頃、アメリカの金鉱掘り向けの作業ズボンとして作られたのは知っている。

 しかし、上のTシャツとやらは夏用の下着にしか見えないし、あかんベェをした老人の顔が、真ん中に鎮座している絵柄というのは、どういうセンスなんだ?


 物言いに屈託がなく、明るい青年なのだが、身長が5フィート4インチ(164cm)そこそこで、赤毛でソバカス、細身に丸眼鏡ときては、小学校高学年にも見えてしまう。押し出しが良いとはとても言えない。ハンサムだったワトソン君には似ても似つかなかった。


「五代目ともなると、ワトソン君に似てないな」


「そうですか? 僕、お祖母ちゃん似なんです。すいません。」


 三代目は女の好みのセンスが悪かった様だ。誇り高き英国人ジョン・ブルが、すっかりあっけらかんのアメリカンになっている。時の流れは恐ろしい。

 だが今の問題は、モリアーティだった。


「彼は歳をとっていた。つまりあの時死んでおらず、何処かで生き延びていたと言うことだ。たしかに私は彼の死体をみてはいないが、いったいどうやって助かったのだろう?」


「じゃあ、確認しないと。穴兎の妖精のビオラちゃんに頼んでみましょう。王子は青い瓶の水薬で、なんとか一命を取り留めた。

 サンドリヨンなら大丈夫、大事な人質を殺したりしないでしょうし、あんなお年寄りじゃ、女の子に悪さもできないわ。

 ワトソンさんや、王子や衛兵たちを、ちゃんと元に戻すためには『時戻しの水薬』がもっと沢山いる。あのご老人がどうやってあの水薬を手に入れたのか、調べなくちゃどうにもならないもの」 


 マザーの提案に乗って、我々一行は穴兎の妖精の住む、東の森に行くことにした。

 目的地まで新たに穴を掘ってもらうためには、その妖精のご機嫌を取らなくてはならないらしい。


「でも、どの時代のどの場所にでも、自由に穴を掘って繋ぐ事ができるなんて凄いです。まるでSFに出てくるワームホール(注1)みたい。さすが魔法の国ですね」

 ジョン・ワトソンの五代目は感心しきりだった。


「エスエフとはなんだね。君の時代の概念なのか?」


「SFは、空想科学小説の略で、ホームズさんの時代で言うと、ジュール・ベルヌの『月世界旅行』みたいな感じの小説です。


 21世紀になると昔のSFはほとんど現実になっちゃってて、月に人が行ってますし、火星に人間が住む計画も進んでます。

 ホームズさんの来たのは1904年だから、アインシュタインの『相対性理論』知りませんよね。

 彼は20世紀最大の天才物理学者で、ワームホールは、アインシュタイン方程式から導き出せる解の一つ。このTシャツのプリントの人がアインシュタインです。


 僕は彼のこと尊敬してるんです。彼もバイオリンを弾くのがうまかったんですよ。でもホームズさんは、犯罪解決に役に立たないものは興味ないか。『地動説』もしらなかったんだから」(*注/原典・緋色の研究)


 このあっかんべえをしている爺さまが、天才物理学者? 品のない写真だと思ったが、それでこんなのを着てたのか。まあ外見と頭の中身は別物ではあるが……。


「だとするとマザー、そのビオラちゃんという兎は何者なんだ? 不思議の国のアリスの兎の親戚とかですかな」


「それが、よくわからないのよ。ある日突然、東の森に穴を掘ってあらわれたの。仲間を探して、世界中を旅してたんですって。

 ドワーフ三兄弟と仲良くなって、一年ほど、前にあそこに住み着いた子なの。 

 子供や、女の人は好きなんだけど、すごい男嫌いで、特にホームズさんみたいな、雄々しいタイプは」


 それはこちらのセリフだ。私も女は苦手だし、兎は雌の方が気性が荒い。

 兎のご機嫌を取ったことなど一度もない。だがワトソン君を取り戻すためだ、なんとしてでもやり遂げねば。


「あ、真っ白な兎がいる。ロップイヤーだ。あの子ですか?」


 五代目が白い塊を見つけて言った。眼鏡をかけてる割に視力がいい。

 声が聞こえたのか兎がこちらを向いた。


「目が紫色だ、スミレみたい。だからビオラちゃんか」


「夏なのに白の毛皮の白子アルビノか。おまけに耳を両方骨折してる。自然界で生きてくには不利だな」


「何言ってるんですか。生きてくには不利にも関わらず、生き残れたのは強い証拠です。だから、白は神様のお使いの色と言われて、神聖視されるんですよ。

 ちなみに兎の耳は軟骨で、骨折できません。ああいう品種なんです」


“ホームズさん、ビオラちゃんをもっと褒めて!”

 マザーが、必死に手で合図している。


「そ……そうだな。デカくて肉付きが良いし、綺麗な毛皮だ。良いうさぎのパイとスリッパが作れそうだ」


 しまった、今のは、狩の獲物ゲームの褒め方だった! 


 言うと同時に兎娘はジャンプ一閃。後ろ足で蹴って、私の鼻に赤い四本の爪の筋をつけ着地すると、兎の怒りの“足ダン”をした。


 慌てて、傷はマザーが治してくれた。


 多分前にどこかで、ハンティングされそうになったことがあるんだろう。狩りをするのはたいてい男と決まってる。だから男嫌いなのか。


「なんてこと言うんですか! こんな若くて可愛い兎のお嬢さんなのに。

 このシュッとした体見てくださいよ、顎の下に肉垂(中年太り)全然ないじゃないですか。

 それに、こんな綺麗な毛並みを見て、スリッパの元だなんて失礼にも程がある。

 ホームズさん、あなたは人間の女性の綺麗な髪を見たら『良いカツラの元だ』って言うんですか!」


「すまない。その、私は兎の知り合いが一人もいなくて。申し訳なかった」


 五代目は、動物愛護協会のメンバーらしい。

 兎娘はその言葉で機嫌を直したようだ。

 全く、この世界の常識は理解できない。自信をなくしそうだ。


 そこへすかさずマザーがたたみかけた。


「お願いビオラちゃん、サンドリヨンが大変なの。

 悪い男に捕まって、お城に閉じ込められてるの。


 王子はその男に『時進みの水薬』をかけられて、お爺さんにされてしまって、サンドリヨンを守れない。

 元に戻すための『時戻しの水薬』を手に入れるためには、どうしてもライヘンバッハの滝という所に行かなくてはならない。


 お願い、そこに通じる穴を掘ってちょうだい。貴女と同じ若い女の子がピンチなの。女同士助け合わなきゃ、そうでしょ?」


 *******

(*注1)ワームホールは、時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域で、トンネルのような抜け道。数学的仮説に基づく時空構造モデル。

 もし負のエネルギーを持つ物質が存在するならば、通過可能なワームホールはアインシュタイン方程式の解として存在し得ると言われている。(負のエネルギーの存在は実験により確認済み)時空間のワープや、タイムトラベルをも可能にすることを示した仮説。

 1957年、「ブラックホールとホワイトホールを単純に結んで、ワームホールと考えても良い」と説明された。ホワイトホールはブラックホールと違い、存在の証明はまだされていない。


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