第38話 失格

 オレが目を覚ますと、眼前には見知った天井が映し出されていた。

 何か薬を打たれているのか、体が非常にだる重い。腹部がズキズキと鈍く痛いので、傷跡のせいでないことは確かだった。

 というか、

「痛ぇ……」

 意識がはっきりしたことで、鈍痛を最大限に実感してしまう。かといって起き上がることもできないのだから溜まったものではない。

「ジェーンさん……はいないのか」

 キョロキョロと見回すが、変な口調の陽気なお姉さんの姿はどこにもなかった。

 このまま耐えておけとは、酷な話である。どうにかして連絡を……と踏ん張るが、薬の力には敵わなかった。

 たしかマスイ? とか言ってたっけ

「病人は大人しく寝とけ」

「……⁉︎」

 聞き覚えのある声に飛び起きる(勢いで目を開く)。

「正面だ」 

 ギリギリ、見えた。

 不貞腐れたような表情のニアが、椅子にもたれかかる形でオレを眺めていた。いつものコート姿ではなく、自分と同じ碧い病衣だ。……胸の起伏は……ないに等しかったが。

「……ニア? そんなところで、何を?」

「暇潰し」

「暇潰し……か」

「そうだ」

 答えながら立ち上がって、オレの横へとニアは移動してくる。

「そのけったいな首の動きを見るに、起き上がれないのか?」

 そして、変な笑みを浮かべた。

「見ての通り。前にも体験したけど、痺れで全然体が動かねえ」

「ったく、情けない奴だな。こういうのは気の持ちようだ。強い意志で、ほら!」

「言ってること無茶苦茶じゃねえか! んなこと言ったって、起き上がらねえもんは起き上がらねえよ」

 指の感触さえ曖昧になってしまっているのだ。

「じゃあ、手を貸してやろう」

 と、いつの間に取り出したのかニアの手には、人間の体を開く時——『手術』ともいうらしい——に使うような小さな刃物が握られていた。

 なぜそんな物騒なもんを、と問いかける前に、薄く肉を切り裂く狂気がオレの足元に振り下ろされる。

「おわああぁっ!」

 オレは醜い叫び声をあげて、たっぷり三秒間経ってから、自分がベッドのヘッドボードへ張り付いているのを認識した。

「な? できただろ?」

「っ、何考えてんだテメェは!」

「目覚ましの手伝い」

 オレの気勢を涼しい顔でニアは流して、ベッドの下中央——おそらく足があった場所を割るど真ん中から刃物を抜いて、器用に手元でくるくる。

「ジェーンさんに怒られても知らねーぞ……」

 あの凄腕治癒術師、腕は確かだが銭には非常にがめつい。以前厄介になった時から、身にも財布にも沁みている。

「入院費用はとっくに全額、前払い済みだ。二人分……というより、主にアンタの分をな」

「そりゃまた準備のいいことで」

「状況が状況だ。当然だろう」

「……ってことは、お前はとりあえず無事なんだな」

 こうまでいつもの調子を取り戻しているということは。

「まぁな」

 小さく。無理やり流すような感じで。

 素直な言葉が出てこないところはどこまでも「彼」らしい。

「そっちこそ、ぶっ倒れたことは頭から飛んじまってるようだな」

「ぶっ倒れって……まずい。記憶にねえな」

「どこまで覚えてる?」

「屋敷を脱出して、それで、お前の家まで送り届けたとこくらいか」

「なら正常だ。人ん家の軒先で倒れたこと以外はな」

 どうやら今回は無事、記憶を持ち越せたらしい。

 よかった。もっともあの後、狂気のセカンドステージなんて始まっていようものならオレの体は持たなかっただろうが。

「にしても、ジェーンさんとお前に繋がりがあったとはな」

 おかげでより適切な処置ができたことであろうと思ったが、

「あるわけないだろう。近場の治療院に運ぼうとしたところを、あのスカした茶髪が掠め取ってったんだ。『殺す気か』、ってな」

 どうしようもないという感じの声をしたニアだが、こちらとしては肝の冷える話だ。それだけやばい状態だったのだろう。自分で思っていたよりも。

「ま、結果的に生きてるんだからいいか。二人ともな」

 そう。無事に、五体満足に帰ってこれた。

 それだけでも今は、喜ぶべきだ。

「結果ね……。結果結果、豚のクソ計画の顛末について、話とくか」

「ブーストマン計画ってやつか。……っ、そういえば地下に閉じ込められてたっていう子供たちはどうなったんだ?」

「じゃあまず、そこから話そうか」ニアは弄んでいた刃物をピタリと止めて、「あの屋敷にいた金髪の女って言って、アンタわかるか?」

「ああ、派手なドレスの女だろ?」

「そうだ。アイツとアンタの親友が、地下でかち合ったらしい」

「そういやたしかにアッシュも、そいつを知ってる風だったな」

「で、子供たちをどうしたって聞いたら、なんとまぁ、全員親元へ送り返したと答えたんだと。実際に屋敷を出た後、確認したそうだが、二一人、一人残らず帰ってきたってよ」

「……、わけわかんねーな」

「当時の記憶を失っている以外は心身に異常もないみたいだし……、おれが言うのもなんだが——なんのための計画だったんだか」

 わざわざ彼女たち自身が計画用の子供たちを攫っていたという。

 いくら守護者(アテネポリス)を丸め込んでいたとはいえ、一定のリスクは付き纏うはず。そのリスクを冒してまで捉えた子供たち(サンプル)をあっさり手放すとは、わからない。

『地獄にも花が咲いてたってだけだ』

 アッシュは確か、そう言っていた。

 良心の呵責か。罪滅ぼしか。それとも単純に命惜しさか。

 幻想投影クリエイターを助けにきたことといい、一概に悪と断ずることもないのかもしれない。

「でもまぁ、計画が全面凍結したことは間違いない。実験協力の報酬とアフターフォローは一切ないが、バラバラにされずに済んだことを今は喜ぶべきかな」

「ということはニアも……あー、メア、だったか? メアの体にも、なんの異常もなかったってことだよな?」

「……そうだ。そう聞いてる」

「何か変なことをされたとかは?」

「覚えてる限りでは、特にないらしい。強いて言えば、血液を多めに取られたとは言ってたが……まぁ、ヤブ治癒術師からオールグリーンが出てるから、大丈夫だろう」

 律儀に答えながらも他人事風な態度に、つい笑ってしまいそうになる。

 今、『彼』の顔色はどうなってるのだろうか。明後日の方向を向いているのでわからないのだけど。

「メアには一つ、謝らなきゃいけないことがあるんだけど、伝えといてくれるか。殴っちまってすまんって」

「殴った?」

「いやほら、アイネを運んでる時、ちょっと揉めたろ。お互い殴り合いになって……」

「え、あー……、そういえばそれも聞いたな。急に殴ってきたとか言ってた」

「そう、それ。直接言えたら良かったんだけどな」

「……そんなにメアに会いたいのか」

 ニアが、消え入りそうな声で呟く。

「会いたいというか、いろいろ不躾なことしたし一度……って、ニア?」

 と、話の途中で自然に部屋を出て行こうとしている。

「た……たまたま、じゃなくて、メアもこの治療院で治療を受けてる。そうまで会いたいなら、合わせてやるよ」

「ちょ……」

 返事は、無機質な扉の開閉音だった。

 相変わらず話聞かねえ奴だな……。メアの方とは、どう話せばいいかわからんのに。

 待つこと数分……。ガチャリ。

「お見舞いってやつに来たわよ」

 今度は、『少女』がやってきた。

 先ほどの『少年』と顔から服装まで一緒だが、纏う雰囲気は全く違う。それはそうとして不思議なのが、胸元に変化があることだ。

 突っ込めないけど、気にはなる。

「なによ……だらしなく口開けちゃって。アンタが会いたいっていうから、わざわざ来てあげたんだからねっ」

 ズンズンと近づいてくる少女の足取りは、言葉とは裏腹に軽い。

「にしても暑いわね、ここ。陽が差してるし、窓開けるわよ」

「いいぜ」

 しかし、どこまでもふざけた作劇だ。

 けど、オレも道化を演じたことのある身。舞台に上がるのも一興だった。

 両開きの窓が開くと、外の空気がいっぺんに流れ込んでくる。風が強い日だったのか、病衣をめくり上がらせるほどに。

 オレの視界に、柔肌に彩られた墨が、一瞬だけ映る。

「……見えた?」

 振り返りつつ、はだけた病衣を整える「彼女」。なんでもない風だが、今まで肌を晒すことを拒否し続けていたことが全てを物語っている。

「ほんの少しだけ」オレは正直に答えた。

「まぁ、一回見られてるし、何回見られたところで一緒よね。もうちょっとの辛抱だし、いいわ」風で流れる髪に『彼女』は手をやって、「で、兄ぃから聞いたけど、どうしても私に話したいことがあるって?」

「一応、殴ったのを謝っとこうと思ってな。喧嘩だっていえば、お互い様だけど」

「それがわかってて、なんでアンタは謝るのよ。……私の性別のせいってんじゃないでしょうね」

「違えよ。あれは自分のことしか考えていないオレの、八つ当たりだったんだ。半分も年下のアイネに諭されて、ようやく気づいた。だから、『ごめん』だ」

「なんかよくわからないけど、アイネは賢いのは同意。『メアという妹がいる』、ってことにも、気づいてたみたいだし」

「はっ……そこまで気づいてたのか、あの子」

「知っていた、よ。ついでにその両親もね。やっぱダメね、家族に隠し事は」

 家名はないと言っていたはずなのに、「家族」という言葉を使っている「彼女」。

 やはりどこまでも素直ではないのだ。もしくは遠慮か。

 どっちにしろ羨ましいな、とは思う。

「こんなこと言う義理はないけど、大事にしろよ。家族。オレもちょっと話しただけだけど、すっげえ良い人たちだった」

「ほんと、アンタに言われるまでもない……むしろ、こっちが言ってやりたいわよ。あんな、無茶な戦いして……普通に死んでもおかしくなかったんだから」

 オレの体に残った傷は、治すどころか消せてしまうものだ。

 偶然、幸運、治癒術師の腕によってか、元より綺麗になったぐらいである。

 けど、それは命があったから。傷は戻せても命は戻せない。


『生きとるんやったら、どうにかしたる。完璧に元へ戻したるわ。——でもな、魂を受け止める器が壊れてしもたら、もう終わりなんや』


 ——目が覚めた時、ジェーンから聞いた言葉は。

 この世の誰もが知っていて、実感する時には遅すぎる話だった。

「アンタの友達だか家族だか知らないけど、あの馬鹿乳女。ここまで運んできたアンタを、血相変えて奪い取ってったんだから。生きてて良かった〜、ってね」

 自分の胸部をさておき、『彼女』の中でその呼び方は決定しているらしい。

「そう考えると、謝らないといけない人はいっぱいいるな……」

「……ねえ。これ、聞いていいのか微妙なとこなんだけどさ、アンタの親って、もう亡くなってるのよね」

「ん……ああ、レインから聞いたりしたか?」

「まぁね、そしてもう一つ質問。アンタの苗字、『キサラギ』っていうのね?」

「そうだけど」

「で、……父親の名前がカイト」

 ああ、とオレは頷く。

「…………はぁ。偶然ほど怖いものはないわね」

 軽く天井を仰ぎ見て、メアは言う。

 心から面白くてたまらないと、そんな顔で。

「知り合いだったのか?」

「そうねー、アンタに言うのはおかしな話なんだけど、あたしのお父さんって感じかな」

「……はあ?」

 戸惑うオレに、『彼女』は『過去』を話してくれた。

 なんだかいろいろと省かれてそうな部分はあったけれど、父との出会い、そして彼の死に様について、知りうる限りを語ってくれたのだ。

 ほかの誰でもない、アンタだけは知っておくべきよ、と。

「だからね、あの溟海アクアは元はと言えばアンタのものなの。あたしは預かってただけで、手順は違ったかもしれないけど、ちゃんと元鞘に戻ったのよ」

「あの剣が、母さんの……」

 もはや名前でしか知らない存在になった、両親。

「剣」と「技」で繋がっている父親に対して、母親は本当に空白の存在だ。全くもって、思い入れというものがない。

 でも、興味がないわけじゃないのだ。

 ただ、昔使っていただけの武器だとしても、それは紛れもなく母の形見なわけで——。

「ようやく荷運びから解放、ってね」

 めちゃくちゃな嘘だったけれど、「彼女」は、なんだか晴れた気分だった。

「にしても、ちっちゃい癖に豪快な人だったわよねー。腹が減ったら剣が振れねえとか言って、三食ばかばか食べてたし」

「……なんかすっげえ、懐かしく感じる言葉だな」

 オレからすれば。

 どこか遠く、霞がかかっているのだけど、そんな言葉を聞いた気がする。

 とてもとても、よく耳にしていた。

「変な言い回しね。アンタにとっても思い出深いんでしょ?」

「…………いや、まあ……、お前には言ってもいいか」

 今度は、オレが語る番だった。

 レインとの出会い。ノールエスト国王の暴虐。戦争の終結。

 そして記憶の、喪失。

 多くは語れないけど、だからこそ全部。

「そんな秘密、私なんかに聞かせてよかったの?」

「オレも、お前の秘密を知っちまったからな。お互い様だろ」

「ひ、秘密なんかないわよ。どれよ」

「さあ、な。オレの思い込みかもしれないし、気にすんな」

「……、誰かにバラしたらどうなるか、わかってんでしょうね」

「言わない。約束する。なんのことかわからないけど。それよりもさ、『オレたちの父さん』のこと、もっと聞かせてくれよ」

「ったく……私の話は、結構長いわよ?」

「いいぜ。茶菓子は奮発してやる」

 レインが腐るほど持ってきたしな、と。

 お互いの間で……小さく笑いが起こる。

 こんな普通に笑い合える日常が帰ってきたのが、嬉しい。きっと今、オレたちの中にあるものは一緒だ。

「ねえ」ひどく整った流麗な眼が、オレを見据えて、「しつこいかもしれないけど、もう一度聞かせなさい」

『彼女』はスッと息を吸って。


「——ニアを助けてくれたのは、なんで?」


 その言葉にちょっとだけ考えはしたが。

「仲間だから」

 同じことを、やっぱりオレは言った。

「そ」

 予想していたし、的な声を出した『彼女』だったが、どことなく不機嫌になったような気がした。何か別の言葉を期待していた、みたいな。

 オレが言葉を重ねる前に、唇に人差し指が突きつけられる。

「そーいえば、兄貴が、アンタに伝えときたいことがあるって言ってたわね」

 思い出した風に、わざとらしく——『彼女』は言った。






「——アンタ、奴隷失格だってさ」






Fin

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