断章 宵闇の語らい

 月夜の下で、鼻歌を口ずさみながら歩く女がいた。闇に溶けるような群青の髪は、月光に照らされてより美しく輝いている。

「月が綺麗な夜って、なんでこうロクなことが起こんないのかしら」

 シーナ・シルヴァレンにとってロクでもないこと。

 それはキサラギ・ヒロに危機が迫ることだ。

 始まりは、アッシュが宿泊先に帰ってこなくなったことだ。置き手紙には、『仲間を助けに行きます。一週間、お暇をもらいたいです』とだけ書かれてあった。こういうのは『上』に連絡してほしいとは思うのだが、シーナを通した方が融通が利くと考えたのだろう。

 シーナも一年以上、『前線』を退いていた身。いくら『最強戦力』でも肩身が狭いというのに。

 ……ともあれ、アッシュの仲間であるということはヒロの仲間であるということだ。頭を下げるのに抵抗はない。

 あとは無事を祈るだけ……のはずだったが。

 結局、気になって気になって仕方がなかった。

 そんなシーナは、居ても立っても居られなくなり、彼が暮らすログハウスで待たせてもらうことにしたのだ。

 コンコン、と。軽く戸を叩いてやれば。

「誰だ」

 くぐもった低い声が響く。

「あたしよ、あたし。ヒロの、そして貴方の親愛なる家族」

「……名前を言え」

「シーナよ」

 言うが否や、扉は開かれた。

「急に何の用だ。ヒロならいないぞ」

「知ってる。だから、帰ってくるまでちょっと、お話ししない?」

「……酒はないぞ」

 飲まないわよと言いつつ、自分の家みたいに上がっていく。別にそう広い家ではないが、完成当初に間取りを確認しただけだったので、インテリアを見るのは初めてだったのだ。

 小綺麗でシンプルな・シングル・ベッド、L字型のソファ、二人分のクローゼット。遊びと言えるのは、やけに高さのある本棚くらいか。……その他飾り気は一切なく、どちらかといえば無機質な部屋だった。

 お互い、無頓着すぎるでしょ……。

 まるで仕事人みたいな部屋だった。

 というかこの子たち、この狭っ苦しいベッドで寝てるの?

 そんなこと当然ヒロができるはずもないのだが、ベッド以外で寝るという選択肢がないシーナにとって、ソファで寝るなど考えつかない。

「あんたたち、仲良いわね」

「……? まあ、悪くはないと思う」

 と、頭に疑問符を浮かべる彼女をほくそ笑みつつ、シーナはどかっとソファに座ったが……レインは側に立ったままだ。

「座らないの?」

「他人がいるとどうにも落ち着かないのだ。……酒はないが、果汁ジュースでも絞ろう」

 と、すっかりウェイトレスが板についてしまったレイン。距離感がある意味バグっているシーナ(自覚は一応ある)が急にやってきて、戸惑っている様子だ。こんな愛らしい少女が、一師団を血霧に変えてきたとは思えない……。

 キッチンに消えていったレインではあるが、それぐらいで逃しはしない。

「今宵の戦姫ヴァルキリー……じゃなくて、プリンセス救出作戦って、あんたが焚きつけたの?」

「いや……自分はあくまで協力しただけだ。誰かに助けを求められたら絶対に逃げない、ヒロはそういう男(ひと)だと、貴女が一番知っているはずだ」

「……そう、よね。あたし自身もあんたの救出劇を見送った身だからね。なんとなくわかるわよ」

 記憶を失っても。

 それでも、変わらないもの。

「……まったくしょうがない奴だって、澄ました顔してるけど、実はあんたも心配でたまらないんでしょ。ついていけばよかったのに」

 レインがこの短時間で何度も時計に目を向けているのを、見逃すシーナではない。

「ヒロは……自分が戦うと言うと、絶対に留めてくるのだ。今回もそうだった。大抵は言うことを聞くのだが、なぜかそれだけは譲らない」

「健気な話ね。あんたの方が一〇〇倍強いとしても?」

「だとしてもだ」

「どっちも頑固じゃどうしようもないか」

 ある意味で、お似合いの二人だ。

 ……そうして話しているうちに、二つのグラスが運ばれてくる。絞られた柑橘系の匂いがするそれは、シーナが送った果物を絞ったものだろう、きっと。

 しなやかな女豹の如き手つきでグラスを手に取り、あおる。

「そんなに喉が渇いていたのなら、もう一杯入れてくるが……」

「こーいう飲み方が好きなの」シーナはよしなさいよと手を振って、「それよりね。あんたに頼みがあるの」

 声のトーンはわざと変えず、あえていつも通りに。

「……頼み、とは」

 グラスを小さく傾けていたレインの手が、止まる。

「すぐに何かしてとか、そういう話じゃないわ。でもヒロが、この国の『深部』に踏み入ってしまったことは理解しておいて。——そしていざという時、自分の手を汚すことを厭わないで」

「やはり、ヒロが挑んだ相手は貴女の『敵』なのか」

「うん、まあ、かなり『奥』に近い方かも」

 ……ヒロは存外に鈍いので気づいてないかもしれないが、当然のようにレインは、シーナが『ウラ』に関わっていることに気づいていた。

 さすが、闇で半生を過ごした女だ。

「手を汚すことについては、問題ない。もともと汚れ切った体なのだ。ヒロは自分が絶対に守る。……だから、貴方もアッシュも、死なないでほしい。ヒロが悲しむのも見たくない」

 一方のレインも、現状どこまでシーナが暗躍してるかは聞かないでおくことにした。彼らが正義なのか悪なのか、操り人形として生きてきたレインにはわからない。

 ただ、死なないで。

 それを悲しむ人が、傍にいるから。

「当然。あたしを誰だと思ってるのよ」

 艶っぽく微笑んで言うが、「ならいい」と顔色変えずに言う堅物には、サービスの無駄だった。

 これじゃあ意味ないじゃないとは思うも、胸の谷間に手を突っ込んだ。

「あと、気休めなんだけどね」

 胸から取り出したのは、手のひらに収まるサイズの卵型をした物体だ。上部に設置された通気口みたいな線の穴と、中央下部のボタン以外は特に機能もなさそうな代物。

「なんだこれは」

 レインはいちいち、なぜこんなものを胸の谷間に入れていたかなど問わない。レインもシーナほど、いやそれ以上の肉塊を胸元にぶら下げているのだ。そんな無粋なことを聞くはずがない!

 だから、取り出されたもの自体に興味がいくのは自然なこと。

「これはね、肉声反応する防犯用グッズよ。普通は紐を引っ張ったりするタイプが多いんだけど、これは合言葉に反応するようにできてるの。起動させたら、あたしの携帯念話に連絡が来るようになってる」

「なるほど。肝心の合言葉は?」

「お姉ちゃん助けて」

「は?」

 レインはつい、間抜けな声を出してしまった。

「お姉ちゃん助けて、よ。それが合言葉」

「…………わかった。お姉ちゃん助けて、だな」

 ようやく事態を飲み込み、素直にレインは頷く。

 この女は意味もなく戯けたことを言うのが好きなのだと、短い付き合いでも知っているのだ。

「あたしも忙しい身だけれど、……それが発動した時だけは、何を置いても駆けつけると約束するわ」

「それはわかった。が……意味など必要ないとはいえ、もっと他の合言葉はなかったのか?」

「もう取り消しはできないわよ」

「……そうか」

 レインはめんどくさくなって、深く突っ込まないことにした。

 と、

 シーナの胸元が青白く発光し、振動する。

「あら、誰かしら」まるでポケットみたいに胸元を利用するシーナは、携帯念話を取り出して耳に当てる。「もしもーし」

 最初、適当だったシーナの表情が、段々と真剣味を帯び始める。

「ええ……、なんですって⁉︎ 腹に風穴⁉︎ ちょっと大丈夫なんでしょうね⁉︎」

 いつもの余裕を放って荒ぶり出した艶女をレインは澄ました顔で見つめていたが、内心では気が気ではない。すでにいつでも動ける心持ちであった。

「……なら、いいわ。とりあえず今から行くから。え、定時報告? そんなのアッシュがやってくれてるわよ。じゃ、後でね」

「今回は、遅れを取らないぞ」と、シーナが会話を終える頃にはレインはすでに上着を羽織っていた。

「準備がいいこと。——行くわよ」

 白黒の衣服をはためかせ、颯爽とログハウスを出て行くシーナ。

 レインもすぐさま後に続く。

「ねえ、烈風かぜに乗っていくつもりなんだけど、本気出しちゃっても大丈夫?」

「問題ない」

 まったく迷うことのない返答に。

「最高」

 シーナは軽くレインを抱きかかえると、夜の風に流れていった——。


 その光景を、は視ていた。

 首都アドベントの端から端までを見渡せる性能の望遠鏡を使えば、人間一人の表情でさえ容易に見て取れる。

 王は、『烈風の魔女ブラスト・ウィッチ』シーナ・シルヴァレンが動いたとの報告を側近から受けた。かの魔女には十分な心の傷を与えたつもりだったが、調子を取り戻してきたらしい。

 彼女を観察していたのはあくまで気分だ。

 別に、いちいち監視するほどの存在でもない。本当に邪魔になれば、少し手間はかかるだろうけど消せる、そんな存在。

 ただ、『形の上では』この国で二番目に強い人間である。

 広報、名声、しがらみ。まだまだ利用価値はある。

 ……実際にそんな代替が利く女よりも、王は『もう一人』に注目していた。

「ようやく見つけた……」

 まったく、こんなところにいたとは。いくら国外を探してもいないはずである。

 灯台下は闇というわけだ。

戦姫ヴァルキリーの写鏡、いや、逆か……」

 どっちが上か下かは、大した問題じゃない。

 流れる『血』こそが重要。

「俺の感だと、彼女が本命かな」

 そろそろマッドから戦姫の実験データが送られてきてもいいはずだが……また夢中になりすぎて忘れている可能性も十分にある。

 ……と、傍のモニターに馴染みのある顔が映った。

「どうした、ペトラ?」

『お休み中のところ失礼致します。ブーストマン計画の経過について、緊急でお耳に入れたいことが』

「なんだ、『また』トラブルでも起きたのか」

『被験体Bが何者かによって奪取されました』

「……! ついさっきか?」

『はい。先ほど、マッド様ご本人から連絡がありました。大変、落ち込んでおられます』

「奴のメンタルはどうでもいい。必要データは取れたのか、それが重要だ」

『これだけは伝えてほしいと仰られていました。『彼女はちゃんと悪魔の血をついでるよ』と」

「———。そうか、やはり……間違っていなかったか」

 画面に映る女の言葉を聞いて、口が裂けるような笑みを浮かべた王。

『被験体Bについてはどう致しましょう。必要に迫られれば我らで追跡・捕縛しますが……』

「いや、別にいい。目的を果たした以上、逃す理由もないが捕らえておく理由もない。……それにもう、『事が済んだ』後なら、そいつの命は吹けば飛ぶ」

『承知いたしました。それでは、失礼いたします。——良い夜を』

 プツン。

 映像は途切れた。

 アドベント主城最上階。王の間でくつろぐ儚げな美少年は、宙に伸ばした手を強く、握りしめる。

「会いたいな、レイン」

 ——アドベントの『闇』は、さらに加速する。

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