第26話 どうやって作る

 その日は猛烈に目覚めの悪い朝だった。

「っ……」

 ガンガンする頭を押さえながら、オレは怠く重い体を起こす。起き上がる時の手に触れる感覚が妙に固い。……家の床だった。どうやら床に寝っ転がって寝ていたらしい。

 ふと横を見ると、仰向けのちょっとだらしない格好で寝ているレインがいた。

 ……こんな油断しかしていませんよという姿で寝ているのは信頼の証なのか、はたまた警戒されていないだけのか。とりあえず言えることは、『仰向け』はオレにとって目の保養でもあり毒にもなるということ。

「おい……レイン。起きろ。仕事に行く時間もうすぐだぞ」

 ゆさゆさと彼女の肩を揺する。時計はとうに九時を回ったあたり。レインがいつも出かけるらしい時間なのを思い出したのだ。

「…………。うーん……もう、飲めない」

「ん……?」

「ヒロ……飲み過ぎ、だ。そっちは自分じゃない。クローゼットだぞ」

 どんな寝言だよとは思うが……実際、オレは昨日のことをまるで覚えていない。

「あー、そっか。今日は休みか……」

 お互い今日が休みなので、昨日はたしか、オヤジが以前の礼だといってくれた酒で晩酌をしていたのだが、つい酒が進むと話が長くなってしまって……寝落ちしていたのだろう。

 というか、オレがずっと愚痴を言っていただけのような気がする。たぶん、レインは、ずっとそれを聞いてくれていた。

 はあ……。

 とはいえ、やってしまったことはしょうがない。

「とりあえず移動させるか」

 どうやってレインを持ち上げるかを数秒迷って、やっぱり定番のアレしかないかと、彼女の体の下に手を入れる。

 軽い気持ちでやったことを後悔した。

「——重っ!」

 予想外に両腕にかかった負荷に、オレは思いっきりバランスを崩す。なんとか彼女を押し潰さないようギリギリで踏みとどまったが、それでも肉体は急接近してしまう。

 こいつ、この体格でどうしてこんな重いんだよ。

 でかい胸のせい? それとも筋肉か……? ……あ、義手とかのせいか。

 失礼なことを考えてから、邪念を振り払うようにガバッと顔をあげたところで…………。

 バルコニーから顔を覗かせているアッシュと目があった。

 アッシュと……目が、あった。

「ん……ヒロ?」

 オレの真下で、ゴソゴソと動きがある。レインが目を覚ましたのだ。

「っ……また、どうし、て。上に……」

 寝起きのぼーっとした顔から一転、頬が薔薇色に染まりつつある……。

 なんで……こうなんだよ。

 口の中だけでオレは嘆いた。

 一方で、固まっていたアッシュだったが、それでもなお平静を保とうとしたみたいで、

「俺……は、良い土産を持ってきたんだが…………取り込み中だったみたいだな。出直してくるわ」

「おい待て」意外と冷静な声が出たことに、自分でも驚きつつ、「これはそういうのじゃねえ」

「いや気にすんなって。そもそも発破をかけたのは俺だしな。俺は嬉しいよ、うん。悪かったな」

 早口で捲し立てた後、ごゆっくり、と本気で立ち去ろうとしているアッシュを、今度は無理やり、物理的に止めに行った。

「んだよ、そんな怖い顔して。悪かったって言ってんだろ? それともあれか? シテるとこ見てほしいとかそういう鬼畜趣味あったの、お前?」

「もうそれでもなんでもいいから」オレは強く、念押して、「シーナさんとか他の知り合いには言うなよ……」

「…………ったく、ただの事故かよ。このラッキースケベ野郎が。つまんねえの」

 なんとなく態度で理解できたのか、口を尖らせるアッシュ。

「……どうでもいいけど、アッシュがここに来たのはなぜ?」

 そこで、いまいち状況を理解していなかっただろうレインが口を開いた。

「おう、そうだったそうだった。シーナさんがよ、二人のためにっつって食料品くれてるぞ。主に保存食だがな」

「食料品は……ありがたいけど、自分たちはそこまで食うに困っていない」

「心配なんだとよ。ヒロが飢えてないか見てきなさいって、言われたわけ」 

「そう。……あと、さっきヒロとはなんの話をしていたの?」

 空気が、凍る。

 おいおいおいおい。何お前まで気まずくなってんだ! あんな会話始めたのは誰のせいだよ、このクソ野郎が!

「んー、なんつーかな」アッシュは頭をぽりぽり掻きながら、「さすがにお前らの歳で子供ってのはちっとばかり早いと思うからな。男がちゃんと責任を持って気をつけろよ。まあ、キスくらいにしとけ」

「責任も何も、手なんか出してねえっての……」

 モラルの欠片もありゃしない。

「大丈夫。もしそうなってしまった場合は、私もちゃんと責任を持つ。……そもそも私たちはまだそういう関係ではない。だから口付けとかもまだしない」

「はは、キスなら子供とか関係ねえんだから、いくらでもやっちまえよ」

 笑って言うアッシュだったが、レインは澄ました顔で、 

「そんなことはもちろん知っている。お互いが子を望めば、いつかなんとかドリが運んで来てくれると、レイス姉に教えてもらった」

「「運んで来ねえよ馬鹿野郎!」」

 さすがにノータイムで突っ込んだ。

 二人揃って強く否定され、

「え? え……? でも……昔レイス姉に聞いたらそうだって……」

 と、明らかにポーカーフェイスに動揺が走るレイン。

 ったく、何吹き込んでくれてやがるんだよ、誰かも知らねえレイス姉! 仮にもレインって元王族だったんだよな? せめて性教育ぐらいちゃんとしておけよ!

「ぷっ、ふっ、はは! 面白えな、おい! そうかよ。ふははっ!」

 なんか転げ回りそうな勢いで、爆笑している男までいる始末。

「——じゃあ子供は、どうやって作るんというの?」

「いや、それはまあ……なあ?」

 純粋な疑問にそれこそどう伝えていいかわからないので、アッシュに助けを求めてしまう。

「なあって、そりゃもちろんセ——」

「直接すぎるんだよ、クソ野郎!」

 思わず胸ぐらを掴んで怒鳴りつける。

「痛い痛い!」

「……何をそんなに怒ってるの、ヒロ? それに……セックスは仲を深める行為のはずじゃ、」

「「そうなんだけどそうじゃない!」」

 本気で言ってるのかよって感じで、またしても突っ込む。

「ほらアッシュ、お前! レインがなんか特大の勘違いしてるじゃねえか!」

「ああん? そんなもんもともとお前が…………あー、クソ、わかったっての! どうしても知りたきゃ図書館にでも行って、専門書読めばわかんだろ!」

「…………頭いいじゃねえか、お前」

 アッシュを揺さぶっていた腕が止まる。口で説明するよりか、よっぽど良い提案だった。

「二人が知っているなら、この場で教えてくれればいいのに」

「俺の持ってる知識じゃ、ちょっと説明が難しいんだよ。本で読めば細かいとこまで書いてあるから一発でわかるぜ」

 そういうものなのか? とレインが見やってきたので、オレもそっちの方がいいと思うと伝える。

「……わかった。なら、さっそく借りに行こう」

 こうして、本日の目的が決まった。


 子供の作り方を調べるために図書館に向かうという(アッシュはどうやら気を遣って消えてくれた)、普通に生きてれば絶対にないであろう経験を得るため、迷宮街ラビリンスを抜けて市街を歩いていたオレたちは……ふと果物屋の前で立ち止まった。

「なあ、レイン。腹減らないか?」

「……たしかに。今日の朝は何も食べていないな」

 別に一食抜いたところで死にやしないが、なんとなく一日三食でないと落ち着かないのだ。育ちが良いというやつなのだろうか。

「今日はあれにしようぜ」 

 店頭に『今日のイチオシです!』と並べられた、みずみずしいリンゴを指さす。

「わかった。買ってくるからそこで待ってろ」

「おう」

 ……当然の如く、財布の紐はレインが握っているのだ。

 レインが果物屋の店主に話しかけようと、一歩踏み出したところで……。

 オレは。

 目の端に小さな女の子を捉える。

 ……周りに保護者のような大人はいない。

 女の子は、誰かに助けようとしているのか視線を彷徨わせているが、その涙を浮かべた瞳に答える者は誰もいない。

 なんつーか。どうしてこういう場面にオレは遭遇すんだ?

 それでも結局。気づいてしまったのなら、オレの良心は見過ごすことができない。

「適当に買っといてくれ」と、レインに言い残して女の子の元に向かう。

 彼女は特に何か言及するでもなく、一個多めに買っておいてあげる、と謎のサービス精神を見せて見送ってくれた。

 そうして第一声をどうするか考えながら近づいて、

「なあ、君。どうしたんだ?」なるべく穏やかに話しかけたのだが、女の子にはビクッと驚かれてしまう。「あー、悪いな。オレは君の父さんじゃねえ。君は、迷子なっちゃったのか?」

 笑顔、笑顔、と引き攣った笑みを浮かべる努力をするオレ。

「う……うう。…………ううぅ、ひぐっ」

 急に、ポロポロと涙を流された。

「え、あ、ちょ……」

 …………ついには声をあげて、えんえんと泣き始める。

「ああ、おい。泣くなよ……。お兄ちゃんは悪い奴じゃないぞ……?」

 ど、どうすりゃ正解なんだ? レイン? そうだ、レインを呼ぼう。

 と……あたふたしながら助けを乞おうと即断した、その時——、


「————そこの変態、ライネに何してる」


 なぜだか聞き覚えのある、女性にしては低く、男性にしては高い声が響く。

 振り返ると…………さて、そこにいたのはニアだった。


 お互いを、見て。

 あ……といった感じでお互い口を開く。

 ニアの横にはもう一人、幼い少女がいて、オレとニアとの間で視線を行ったり来たりさせていたが。

「アンタ……! この前はよくも上手いこと逃げてくれたな!」

「いや別に、逃げたわけじゃねえ」

 そっと、目を逸らす。

「はあ? 連絡先すら告げない馬鹿がどこにいるんだ!」

「なっ、それこそお互い様だろうが!」

 バチバチと睨み合うが、ニアの方はふと思い出したらしい。

「……あ、というかライネ‼︎」

 ギャーギャーと目まぐるしく表情を変えるニアは、相変わらず睨みを効かせながらも、ライネと呼ばれた女の子とオレとの間に割り込み、庇うように引いていく。

 挙げ句の果てには、

「誘拐されかけたのか、いや、そうだ。こいつは変態だ。そうに違いない」

 と、ゴミを見るような目を向けられるが、ニアの横にいた少女が、そんな雰囲気をあっさりとぶち壊す——。

「ひょっとしてもしかして、この人、ニア兄ちゃんの彼女?」

「なっ、冗談! そんな風に見えるのか? こいつは今、アンタの妹に襲いかかって泣かしていた変態野郎だぞ?」

 烈火の若き勢いでニアは否定する。

「でも……私たち別に、この人がライネを襲うところなんて見てないでしょ」

「いや、それは……」

「私には、助けてくれてるように見えたけど?」

「……はいはい。わかったよ。こいつは男が好きな真性の変態だからな!」

「変態変態言うんじゃねえ! 誤解されちまうだろうが!」

 散々言われ放題。さすがに突っ込みたくもなる。

「……ん? やっぱり彼女さんなの?」

「「だから違う!」」

 奇しくも声が重なった……。

「うわっ、びっくりした。彼女さんじゃないのかぁ……。でも、珍しいね。ニア兄ちゃんが他の人と話してるのって。しかも女の子と」

「……あー、違う違う。見かけに騙されちゃダメだぞ、アイネ。なよっちい格好してるけど、こいつは立派な男だ。アレがついてる」

「え、男の人なの? かっこいいお姉さんじゃないの?」

 アイネは、ほんとにー? といった顔をして見やってくる。

「おう。これでも立派な男だぞ」

「そ、そーなんだ。じゃあ、あなたもお兄さんなんだ」

「こういう風に、格好から騙してくる不審者もいるから気をつけろ。自分の身は自分で守らなきゃダメだぞ?」

「そろそろオレを不審者扱いするのやめろよな」

「ライネが泣かされてるかもしれない状況見て、怪しまない馬鹿はいないだろ? さ、ライネ。もう落ち着いたか? この変態……おにーさんには、本当に何かされなかったか?」

 ようやく見知った顔を見て安堵したのか、えーとね、と迷子の女の子ことライネが話し始める。

 結局、たどたどしい口調の、「誰も話しかけてくれなくて、寂しくて、声をかけられて安心して泣き出してしまった」という説明がなされ。

 その姉であるアイネが、やっぱりね、と付け加えることで、容疑は晴らされた。

「……とのことなんだが」

 と、ヒロ。

「こういう大人しそうな顔の奴こそ、下手な強面より何考えてるかわかんないから怖いんだ。疑うのも仕方ない」

 と、開き直るのはニア。

「無茶苦茶言うなよ。こんなこと自分から言いたくはねえけど、こっちは親切心だったんだからな?」

 オレはたまたま見知った顔だったからいいけど、下手なおっさんが善意で助けてたりしてたら、ロクな目に遭ってねえぞ。おっさんが。

「……っ、わかってる! 助けてもらったらお礼はしろってくらいは、ちゃんと教わってるからな……。…………だから、その、……一応ありがとう。ライネを助けてくれて」

「……ああ」

 歯切れ悪いながらも途端に殊勝になるニアに、若干居心地が悪くなっていると、

「さあて。それはそれ、これはこれだ! なんでアンタがおれの誘いから逃げたかについて聞こうじゃないか」

 またしても急に転調するニアのテンションに、ちょっと引く。

 こいつさては、アッシュと同じタイプか……?

「だから逃げたわけじゃねえって。ただそっちだって何も言わなかっただろ?」

「それはアンタが、『悪い、ほんとに今日はもう時間がないからまた今度な』って、すごい勢いでまとめるから、こっちも思わず頷いちゃっただけだ。そんなの後で考えたら逃げたと思うしかないだろ?」

「たしかにそうだったかもしれねえけどさ……」

 おいおいこの際どっちが悪いんだ? 教えてくれよ、裁判官!

 ……はいるわけないのだけど、つい己の非を認めたくない気持ちが前面に出て、第三者に意見を求めたくなる。ニアも同じなようで、アイネとライネの方を見やっていた。

 真剣に何やってんだ、オレ……?

 それこそライネは小首を傾げるだけだったが、アイネはさすがお姉ちゃん。うーん、と目をつぶってきっかり五秒間。パチっと目を開く。

「ニア兄ちゃんも悪いとこあるよ」

「うぐっ!」と変な声を出すニア。

「妥当だろ」とオレは返す。

「まぁ……アイネが言うならまぁ、おれもちょっとだけ、ちょっとだけは非を認めてやる。だけどな、絶級冒険者ランク5とパーティーを組んで依頼クエストを受けるなんて、人生の幸運全てを使ってるくらいなんだぞ? そこんとこは忘れるなよ」

「わかったわかった。しばらくは一緒にパーティー組んでやるよ。それでいいだろ」

「投げやりにするな。そもそもなんでおれが下手にでなくちゃ…………まぁ、わかったんならいいけど」

 突き刺さる幼い視線に、渋々とニアは言の刃を抑えた。……なにかもうそのプライドの高さには関心しかできなかったが、とあることが気にかかる。

「……つーか、一つ気になったんだが、お前よくオレのことが初見で男ってわかったな。自慢じゃねえが、見破った奴はいなかったぞ?」

 本当に自分で言ってて悲しくもなるが、そういえば彼は出会った時から、オレが・男であることを前提として・会話していた。

「そんなの簡単だ。臭いだよ、臭い。男臭い臭い。プンプン臭ってるだろ。おれは臭いがわかるからな」

「体はちゃんと洗ってる……って言いたいとこだが、そういうわけじゃなさそうだな」

「まぁ、これは体質みたいなものだから。一度会った奴の臭いは忘れないってわけ」

 ふん、と一息。

 その人を舐め腐った態度に、世界最高に臭いって噂の煮物でも近づけてみてえ、とか考えていると……、

「随分と盛り上がって、何かあった?」 

 背後から、声。

 リンゴを詰め込んだ袋を小脇に抱えた——レインだった。

 図らずとも訪れた、邂逅。

「な……アンタ」

「……おまえは……」

 レインとニアの視線が交錯し、固まる。

 ……そりゃあ、そうだ。

 髪色や体格は違えど、同じ顔の造りをした者が鉢合わせたのだから。

「どういうこと? なんでアンタは、おれと同じ顔をしてるんだ?」

「それは、こっちの台詞」

 さすがのレインも、明らかに動揺の色が見て取れる。

「あれー! おんなじ顔が二人? でもこっちは、でっかいおっぱいがあるー! なんでなんで?」

「コラ、大きい声でそんなこと言うな」

「あいたっ!」

 コツンと叩かれて頭を抱えるアイネ。ちょっと可愛い。

 ニアがアイネに「せめて乳と呼べ」などと謎にズレた躾をしている隙に、レインの疑問がオレにぶつかる。

「ヒロ。こいつは誰? どういう関係? 事の次第によっては撫で斬る必要がある」

「怖えこと言うな。どう説明すればいいのかわかんねえが、知り合いってとこだな。……つーか、怒ってる?」

 なんだろう。いつも以上に声が凍えてる気がするのだが。

 ……と、先ほど己が叩いた幼女の頭を撫でながら、ニアが割り込んできた。

「そいつの言う通り、別に大した関係でもない。今のおれに必要な奴ではあるが」

「……! じゃあ、おまえはヒロと、その……友達なの?」

「こいつと友達? いやいやそれこそないだろ……ていうか馬鹿乳女、アンタこそ誰だよ。こいつのなんだ?」

 ひどい言いようだったが、レインは心ここに在らずといった様子で考え込むと、

「…………自分はヒロの……家族、みたいなものだ」

 ちょっと迷いつつも、ようやくそれだけを彼女は口にした。

「……姉弟には見えないが?」

「姉弟ではない。でも……家族だ」

 断言する、レイン。

「ああ、おれもそう思う。反応を見るに、恋人、ってとこだろ?」

 思いっきり指を刺してくるニアに、レインはその瞬間だけは迷うそぶりもなく、それは違う、と答える。

 ——少し、オレの中で何かが疼いた。

「……? よく、わからないけど……まぁいい。顔が似てるのも、この際偶然でいいだろう。アンタに頼むことは一つだ。——そこの女顔をしばらく借りたい」

「——ダメだ、断る」

「なっ……」その即答に、ニアは顔を引き攣らせて、「別にずっとじゃないぞ? 心配しなくても昼間だけだ」

「それでもダメだ。ヒロは自分の家族……ではないけど、大切な人だから。いくら自分と似ていたとしても、おまえには渡さない」

「あーもう、なんなんだアンタ。そいつを溺愛するのは勝手だが、多少の融通きいてくれたっていいだろ?」

「承知できない」

「うぐぐ……」

 なんだろうか。

 なんていうか、会話がズレている気がする。

「おい待てレイン。お前なんか勘違いしてねえか?」

「何を」

「ニアはただ、パーティーの勧誘をしてるだけだぞ」

「…………え?」

 やはり明らかに困惑するレイン。ああ。やっぱり勘違いしてたな。

「自分はてっきり……ヒロが告白されてるんだと」

「はあ⁉︎」先に声を上げたのはニアだった。「どこをどう見ればそんな頭お花畑みたいな思考になる!」

「だってヒロと親しげに話していたし、ヒロが必要だと言ったから……」

「なんだその理論……。というか、おれは、男、だ」

 強く、ニアが言う。

「……そう、なの?」

「みたいだぞ」

「そんな……。自分にはもう、性別がわからない……」

 レインは、本気で困っている様子。

 ……オレだって自分で言うのもなんだが、たしかにもう性別がなんなのかよくわかってない。

「とにかくだ。おい、えーと、アンタが相方にちゃんと説明してくれ」

「説明……なぁ。どう言えばいいのかわかんねえけど……」

 ニアの呆れた口調には若干同調しつつ、先日の彼との出会いを簡潔にレインに説明する……。

「……なるほど、事情は大体わかった。まあ、別にいいと思う。正直アッシュだけにヒロを任せておくのは心配だったから、仲間が増えるのはいいこと」

「アッシュって誰だ?」

 と、ニアが口を挟む。

「オレといつも組んでる奴だよ」

「……アンタ、ソロじゃなかったんだな。で、そいつは強いのか?」

「少なくとも弱くはない。なんでもできる器用な奴だよ」

「ふーん。まぁ、足を引っ張らなければそれでいいけど」ニアは大して興味もなさそうに言って、「相方も納得してくれたみたいだし、アンタも腹くくったか?」

「くくりすぎて腹が痛え」

「ならよし。さっそくだが明日の九時にギルド本部の前に来い。遅れたらアッシュとやらと一緒に刻むからそのつもりで」尊大な態度で告げたニアは、「——待たせたな。アイネ、ライネ。さっさと帰ろうか」

 うん! と幼女二人が頷く。

「じゃ、おれたちはもう帰るから。せいぜい仲良くやってろ」

「またねー!」

「あり、がと」

 そう言い残して彼らは広い通りを歩いていき。やがて角を曲がって見えなくなる。

 怒涛の展開に思わず立ちすくんでいたオレだったが……、

「とりあえず、リンゴはどう?」

 と、差し出された赤い果実を食んで、酸っぱいな、とだけ呟いた。


 図書館に到着し、入館。

 装飾が華美な二階建ての建物の中は、中央が吹き抜けになっていた。

「ここが、ものがたり図書館……」

「娯楽系の本が多いんだとよ」

 もっと大きな図書館が第二都区にあるらしいが、向こうは歴史・文化系の本が多く、研究者御用達といった感じだそうなので、ここで問題ないだろう。

「なんだか涼しい」

「ああ、寒いくらいじゃねえか?」

 冷んやりとした空気が体中に染み渡る。おそらく魔氷石によって空調設定が管理されているのだ。

「それで……子供の作り方を書いてある本はどこにあるのだろう」

「どうだろうな。『教育』のコーナーあたりかもな。あと、あんまり外で子供の作り方とか言うな」

「……? まあ、これからは気をつける。ではとりあえず、探しに行こう」

「あー、オレは適当に他のところ見てるから、レイン一人で行ってこいよ」

「……わかった。後で、貸し出しカウンターの前に集合しよう」

 言うが否や、よほど気になるのか早足で探索に行くレイン。

 作り方を知って、どういう反応すんだろ。気まずいなぁ……。

 ともあれ、先のことは後で考えるとして。

 個人的に気になっていた『生物』のコーナーに向かう。

 ……お、あったあった。

 『冒険者必携! 異形(ヴァリア)大図鑑』。

 異形(ヴァリア)を生物扱いしていいのかは知らないが、冒険者登録の際に持っておいて損はないとギルド職員からオススメされたのだ。

 その後、書店を見に行ったら思っていた三倍の値段だったので(一冊一万二〇〇〇ヴェン。現在五巻まで発売中)、泣く泣く諦めたけれど。

 ピーター・マウスのような悲劇をちょっとでも回避するためには、やはり知識を身につけておくことが重要だ。

 ……もっとも、いざ『子供の作り方』という本を持ってきたとして、それを一冊だけ彼女に貸し出し申請に行かせるのは避けたかったという意味合いの方が強いかもしれないが。

 とりあえず一巻だけを手に持ち、カウンター前でレインを待つ。

 ……一〇分は経っただろうか。二冊の本を持って、レインが帰ってきた。

「目当てのもんはあったか」

「うん、これ。『実録 赤ちゃんの作り方』だって」

「実録⁉︎ お前、もう中読んだのか⁉︎」

 なんだその危ねえタイトル!

「いや、まだ見ていない。立ち読みはマナー違反だから」

「そ、そうか。で、もう一冊はなんだ?」

 これ以上は触れないようにして、もう片方の本が何かを尋ねる。

「これは英雄譚——自分が昔好きだった『仮面の騎士』という作品だ。懐かしかったので、つい手に取ってしまった」

「へえ。タイトルを聞くに、騎士様の物語か。女の子はそういうの好きそうだよな」

「男でもハマる面白さだと思う。人気作だし、すでに一冊借りられていたから危なかった」

「そりゃたしかに人気作だ。まあ、英雄譚は好きだし、レインが読み終わったらオレも読んでいいか?」

「もちろん。むしろ読んでほしい。物語をまた一緒に語り合いたい」

 嬉しそうに勧めてくるレイン。

 ……。

 また、と彼女は言った。

 そういえば、過去のオレも英雄譚が好きだったってアッシュが言ってたな……。

「……っ、すまない。ヒロが困ることを言った」

 物憂げな顔が出てしまったのだろうか。何か察した彼女は謝ってくる。

「いいって、そんなこと。借りるの決まったんなら、とっとと借りてこようぜ」

「そう、しよう。ヒロの本も貸して。私が一緒に借りてくる」

「おう。頼む」

 なんだかなー、と思いつつ。

 ちょっと焦ったような彼女の背中を見送った。


 陽は、頂点に登りきっていない。つまり、昼食にはまだ早い時間帯ということである。

 ようやく慣れてきた涼しい空間から抜け出たオレとレインは、喫茶店に赴き、そのテラスで紅茶を飲みながらくつろいでいた(レインが同僚から割引券をもらったとのこと)。

 特に他の用事があるわけでもないので、すぐに帰ってもよかったのだが、どうせここまで出てきたんなら昼食も食べていこうと相成ったわけだ。

 その昼食までの時間潰しとして、借りてきた本を読んでいるわけだが……。

 正直言って。異形ヴァリアの習性なんてものは、欠片も頭に入ってきやしなかった。

 それもそのはず。レインが『例の本』を堂々と目をかっぽじって読んでいるからだ。

 そっちは帰ってからにしようぜというオレの意見は、『気になって仕方がない』というキラッキラに輝かしいレインの瞳に封殺された。

「なるほど……そういう、こと」

 深い口調でレインは言った。

「知りたいことは、わかったか?」

 恐る恐る、尋ねる。

「ああ。まさか性行為によって子供ができるだなんて……少し、ショック」

「お、おう。まあ、人体は複雑だからな。……って、お前そのせ……は知ってたのか?」

「あまりばかにしないで。それぐらいは知っている」

 なんだと……。知識の振れ幅がわからん。

 …………それはそれとして、気になることが、ひとつ。

「じゃあ、その、経験があったりするのか?」

「…………」少し、彼女の口は開いたが、音は発せられない。「……」

「レイン……?」

 無言に、かなり気まずくなる。明らかに余計なこと聞いたな……と後悔していると——。

 くふふっ、とレインは笑った。

「まったく、女の子にそんなことを聞くなんて、ヒロは最低だ」

「……すまん」

「いいよ。教えてあげふ。性行為等の訓練は特別受けてないから、自分に経験はない」

「そう、かよ」

「だいたい自分を見てれば、わかるだろう。……こう見えて恥ずかしいという感情も、ある」

 かすかに目線を逸らすその様には、たしかに恥じらいというものがこもっていて。

「安心した?」

 聞かれ、

「違えよ。ただ……世間知らずのお前が変な男に騙されてなかったか気になっただけだ」

「世間知らずに関しては、あなたに言われたくない」

「うっ……」

 今のオレには、ぐうの音も出ない正論だった。

 どうしようもなくなって、仕方なく手持ち無沙汰に紅茶をすすっていると……、


「——レインちゃん。子供が欲しいの?」


 底抜けに、明るい声。視界に入るは、キューティクルなメイド服。

 件の男の娘森人(エルフ)——レンが、興味津々といった感じでレインの手元を覗き込んでいた……。

「……レンがどうしてここに?」

 大した驚いた様子もなく、レインは尋ねる。

「じゃーん! これだよ、これ! リン姉ちゃんからもらったでしょ?」

 さて、それは喫茶店の割引券だった。

「もらった」と、レイン。

「休みの日だし、僕もお姉ちゃんと一杯飲みに来たんだよ。いや〜、みんな考えることは同じなんだねえ、うん」

「……仲良い姉弟だよな」

 思わず、心の声を漏らしてしまうと、

「そりゃあ、『双子』だからね。! そ・れ・よ・り・も、君とレインちゃんの仲の方が気になるんだけど⁉︎」

「落ち着け落ち着け」

 相変わらずテンション高えな、こいつ……。

 オレは彼の鼻息が荒さに少し引いてしまう。

 と、レインがちょいちょいっと、

「ねえ。彼女たちとヒロはいつ知り合った?」

「あー、前にちょっとな」

「前? それはいつだ?」

「いつ? えーと、いつだったっけ……って、どうでもいいだろそんなこと」

「どうでもよくない」

「はあ?」

「あ、そうだ! レインちゃん。一回だけでいいからヒロくんを女装させてみていい? 絶対に似合うとかじゃなくて、もう女の子になれると思うからさ!」

「その話は後。で、どうなの? ヒロ」

「お願い、ヒロくん! 一回だけでいいからちょっとその髪を弄らせて——」

 限界が来た。

「だーっ! お前ら、いっぺんに喋るんじゃねえ! オレがそんな器用な人間に見えんのか!」

「うわっ、びっくりした……」「……っ」

 大袈裟なリアクションのレンと、目をパチクリとさせるレイン。

 まずどっちを対処するか瞬間的に思考に入った直後——、

「コラ‼︎ レン、何をしてるんです!」

 聞き覚えがあるけれど、聞き慣れない声が。

 案の定、リンが『姉』の顔をしてズカズカと近づいてきた(プライベートであるはずなのに、彼女もやはりメイド服姿だった)。

「どうして……どうしてあなたは空気を読むということができないんですか?」

「あ、あれ〜? リン姉ちゃん、なんで怒ってるのさ」

「なんでも何もありません! 男女の仲睦まじい空間に第三者が入るなんて言語道断です!」

「別に邪魔したわけじゃ……」

「言い訳無用!」

「う……はい」

 ショボンとするレン。悔しいがとてもいじらしい。

「ごめんなさい、レイン。うちの弟が………………本当に、大事なお話をしているときに邪魔してしまって」

 ……なぜか、リンの目線がレインの手元の本を見た途端固まった気がするが、気にしたらダメだ。

「それは構わない。だが、リンはヒロといつ知り合ったのだ?」

「ええと、確か三週間ほど前に、キサラギさんがお店に挨拶に来てくれたんですよ。その時は直接お話ししてはないんですが……そうですよね、キサラギさん?」

「ああ、そうだった。間違いねえ」

 助け舟に迷わず首肯する。

「わざわざ律儀ですよね。だから、レイン。心配しなくてもお店の女の子とは何もありませんから大丈夫だと思いますよ?」

「そう、……教えてくれて助かった」

「いえいえ」営業スマイルだかなんだかわからないような微笑を浮かべているリンは、「……あ、キサラギさん! アッシュさんによろしく伝えておいてくださいね。いつでも待ってます、って」

「伝えとくよ」

「ありがとうございます! それでは、失礼しますね。ほら、レン。行きましょう」

「わかったよ〜。じゃあ、またね、お二人さん。お幸せに〜!」

 と……、半ば強引に、森人エルフの姉弟は去っていった。

「ほんと、変わった姉弟だぜ……」

 アクの強い知り合いがいると、ほとほと気疲れする。

 一方で、あなた周りには、どうして女が多い……、とレインは呟いていた。

 知らん。少なくともオレのせいじゃねえ。

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