第24話 分たれた姉妹《Divided sisters》



 とある王国の、とある王宮。

 そのとある一室で。


 ふーっ、ふーっ、と。

 荒い息をしながら、掛け物がはけられた寝台に横たわる「王妃」。その傍では手袋をした「侍女」が、息を荒げる彼女の体を支えていた。


「ううっ……ゔうゔぅ」


「頑張ってください、奥様! もう少しです。頭、頭見えてます!」


「うゔゔっ……。ああっ!」


 痛ましい喘ぎ声が絶え間なく続くこと数分……。

 王妃の声が落ち着いたと同時、の生命の始まりの声が上がった。


「おめでとうございます。お子様方は、無事に産まれましたよ」


「…………。そう……。よかった……。よかったわ、ありがとう。ありがとう」


 いえ、いえと、侍女は赤子らを綺麗にして、母となった王妃の前に差し出す。


「お名前は決めていらっしゃるのですか」


「……あの人は、子供の名前なんて興味がないだろうから、私がつけたいのだけどね……」


 自らに卑劣な暴力を振るう伴侶に、一瞬だけ苦い顔をする女性。しかし一転して赤子たちを見つめる目はどこまでも優しく、うるいを帯びている。


「でも、こんなの初めてだから迷っちゃって」


 そう、本来ならば夫婦同士、立場も地位も関係なく、普通の家族の在り方であれば、二人で決めるもの。


「…………この子たち、の名前は———よ。……ちょっと、単純すぎたかしら?」


「いえ。とても素敵なお名前です」


 その答えを聞いて安心したかのように息をつく女性。

 双子の名前ではなく、ただ一つの名前。まるで全てを託すように。

 それだけを呟いて、彼女の呼吸が浅くなる。


「お妃様……? お妃様……‼︎」


 反応しなくなった女性を見て、侍女は慌てて人を呼ぶ。

 もともと体が強くない上にの女性が、多産をするのはやはり無理があった。今まで意識を保っていたこと自体が奇跡だ。

 お妃様、お妃様、と侍女は必死に呼びかけるが、その目から光が消えかけている。


 ———。


 再び、赤子の名前を呼んだ、女性。

 力無い微笑みを浮かべて、口ずさむ。


 何度も、何度も、何度も、何度も……。


 そして王妃は、双子供を産み落としたのち、あっさりと息を引き取った。


 名前のない双子は、互いが互いを知らない。

 ただ、「親」の意のままに、無機質に効率的に育てられる。

 侍女は子供たちの観測者でしかなかった。干渉はできない。歪な成長をただ見守るのみ。

 同じ「顔」をした、同じ「名前」の双子は、それぞれの力に目覚めていく。

 自らの役割、定められた運命を全うする形で。

 五歳、六歳。

 たったそれだけの時分で、人を取り止めもなく殺せてしまうような、そんな。

 でも、片方は虫すら殺せないような子だった。

 全く同じ顔で、感情が掠れているはずなのに。

 その在り方を、なぜだろう。侍女はとても慈しく思った。


「おい、お前。この出来損ないをお前に任せる。そいつに陽の光を浴びさせてはならん」


 ただ、その子はついに、見限られた。

 才能はある。才能はあるはずなのに、優しいだけで叶わない。


「方法は問わない。絶対に表に出すな」


 殺せ。


「全て、お前に任せる」


 殺せ。


「いいか。絶対だ」


 殺せと。


 「親」が言うのか。


 認めない。認められなかった。

 頷いて頷いて、歯を噛み砕くくらいに感情を抑える。

 床に転がった己の娘へ、「主」はただの一瞥もせずに去っていった。


 ——雨が降る。


 侍女は、今まで持ち得たものの中で一番大事な宝物を強く優しく抱えて、足早に亜の白を後にする。

 王宮を出る手段を彼女は知っていた。当然だ。何十年と仕えてきたのだ。地下の迷宮は目を瞑っていても散策できる。


「行きましょう、……。——」


 託された名前を忘れるわけじゃない。忘れさせてはいけない。母の愛も、姉妹の絆も、本物。

 けれど、この子だけ、この愛おしい子だけは「反対」の人生を。

 ゆっくりと、そしてしっかりと。

 侍女は歩を進める。

 彼女は、二度と振り返らない。




 ——雨が降る日のことだった。



アイトスフィア歴六三五年四ノ月一七日



 冒険者の国——都市国家アドベント。

 その中枢である首都アドベントの、とある小高い丘の上に建つ古ぼけた一軒のログハウス。広大な街の中でも、いっそう朝の静けさが漂うこの小屋で——オレは目を覚ました。

 なんだか、いつもより深く眠っていた気がする。妙に目覚めがいい。……よってすぐに、何かがのしかかるような違和感に気づいた。

 恐る恐る視線を下に向けると……鈍く輝くような金の髪をした震えるほどの美貌を持つ少女が、オレの胸に顔をうずめて眠っていた。彼女の特大の胸の起伏は、潰れるようにして存在感を主張していると同時に、とてつもなく良い香りが漂ってくる。


「どわっ……‼︎」


 思わず声をあげ、ずり上がるように飛び起きる。


「ん……」


 珍奇な悲鳴とその衝撃のせいか、可愛らしい声が聞こえるとともに、少女——レインがゆっくりと目を開け、その碧眼をのぞかせた。まさに寝起きという感じで、手袋の外れた鈍く黒光りする義手でまぶたをちょっと擦りながら、明らかに無防備な寝巻き(というか、ただの大きめのワイシャツ。スカートを履いていたはずなのだがなぜか脱げている)の裾を整えると……。


「どう、したの? そんな素っ頓狂な顔をあげて……。ッ……まさか、また記憶を失くしたの?」


 本気で心配した顔をしているレイン。


「縁起でもないこと言うな。お前はレイン。オレはヒロ。ちゃんと覚えてるから心配すんな」


「……ならいい。これ以上、心配をかけるのは許さない」


 今は冗談交じりの話にできるが、当時はそれどころじゃない。


 ——そう、オレは記憶喪失になった。


 記憶がなくなったと言っても、歩き方や食事の取り方、世の中の常識的なことに関しては、特に困ったことはない。自分が剣を取って戦えるということも自覚している。

 ただ、「思い出」だけがごっそりと抜け落ちている——。

 本来知っていなければならないはずの記憶。両親との記憶。友人との記憶。そして、目の前のレインの記憶。

 あらゆる人々との関わりを、オレは全て忘れていた。

 率直に言って……怖かった。

 自分自身は確かに生きている。だけど、生きてきた記憶おもいではない。漠然とした知識だけが残る、の人間となった。


 でも、そんな絶望的な状況の中で、自分を肯定してくれた女の子がいたのだ。


 あの、雨の日。

 治療院の病室で、レインと「再会」した日に。

 オレはある「嘘」をついた。

 自分の名前すらもわからなかったくせに。

 自分を偽ろうと決意した。

 結局、自覚なき癖でバレてしまったけれど、レインはそれを笑って許して……再び笑ってくれた。

 目覚めて間もない、考えなければいけないことがたくさんある状況。記憶を失ったことによる、自身に対する不安、恐怖。

 その全てを、彼女の笑顔は吹き飛ばしてくれたのだ。


 ……とまあ、電撃的な出会いから始まったものの、それから先は特別なにかあったわけでもなく、記憶を失う以前の「知り合い」の優しさにも助けられて、とりあえずの衣食住が確保された生活を送っている。

 …………それはもとよりとして。

こうして同じ空間で朝を迎えたことからわかるように、オレとレインは一緒に暮らしている。

 例の「知り合い」の勧めもあり、あれよあれよという間に同居することになったが……やっぱり年頃の男女だ。今みたくちょっとした触れ合いも刺激的に感じる。

 経済事情により部屋にベッドは一つだけ。レインは、「別に、私は一緒に寝ても構わない……」とか言っていたけど(それでも若干恥ずかしがっていたけれど)、そんな難易度の高いことはヒロにはとても無理だった。

 レインのことは嫌いじゃない。

 どっちかと言えば「好き」の部類には入ると思う。

 けど……まだ彼女を「恋人」として受け入れようとは思えない。

 思い、きれない。

 男らしくないとは自分でも思うが、結局は、失われた記憶の中にあるはずのレインへの愛情が、どうしてもからだ。一欠片もだ。

 そんな状態でレインを受け入れて演技をする覚悟を一度はしたものの、真実を知られている今となってすら中途半端に彼女を欺くのは、さすがに失礼だとも思う。

 とりあえず現状では、横に寝転ぶと狭っ苦しいソファーをベッド代わりにしてでも、貞潔を心がけた。レインも特に無理強いはしなかった……のだが、なんで今こうなっているのだろうか?

 レインも、ふと状況に気づいたのかガバッと起き上がると、


「…………それはそうと、なぜヒロが自分と一緒に寝ている?」


 え、えぇ……そう来るのかよ。


「いや、オレじゃなくてお前が——」


「……ま、まさか。その、そんな……」段々と、しかしレインの頬が紅潮し始める。「そういう、ことがしたいのなら……はっきりと言ってほしい。いやっ、別に、ヒロが嫌だからというわけじゃない。ただ、ちゃんと言葉にしてほしいだけで——」


「落ち着け、おい!」相手が興奮していると、かえって自分は落ち着くんだなと悟りつつ、「違う、逆だ。よく見ろ……」


 ……レインは周りを見渡してハッとしている。


「自分は……寝ぼけていた?」


「知らねえよ……」


 疑問形で首を傾げられても困る。

 ……ちくしょう、いちいち可愛らしいな。


 レインは寝ぼけていたと言っているが、ベッドとソファーの位置関係は、並行ではなくL字型に並んでおり、さらにソファーの前にはテーブルも置いてある。どうなったらここまでたどり着くのかなんて、むしろオレの方が聞きたい(彼女の寝相の悪さが絶望的なのは知っているが、これはあまりにも、だ)。

 しばらく思案していたレインだったが、彼女は目をパチパチとさせると、……理解した、と言い、顔を隠すようにすくっと起き上がる。

 最近ようやくわかってきたことなのだが、レインは表情こそあまり変わらないものの、内心では結構感情が豊かっぽい。だから、わかりやすく顔に出るのはレアだ。その理由をいちいち聞こうとは思わないが、だったのだろう。

 つい、オレは苦笑いしてしまった。


「……それで、ヒロ。今日もギルドに行くの?」


 一度大きく伸びをしたレインは、全く別のことを尋ねる。ごまかしたい時は無理やり別の方向へ話を持っていく。これも彼女の得意な手段だ。


「ああ。オレが働かないと、レインのバイト代だけじゃ食ってけないからな」


「お前が戦ってる姿は見たくない、とか言い出したのはどこの誰」


 ギラリと咎められる。


「冗談だよ。……レインは今日、休みだっけか?」 


「そう。働きすぎだから休めと、店長が」


 レインは、街ではそこそこ有名な酒場で店員として働いていた。彼女いわく、あそこの店長は女性に弱いから、お給金はそれなり、とのこと。だが一人だけならともかく、二人の生活を考えれば限界はある。「知り合い」にはこれ以上の迷惑はかけたくないし、レインも基本的にはそれを嫌がる。

 彼女は日頃、酒場の店員として。オレはこの街の代名詞ともいえる冒険者稼業を営み、どうにかこうにか日々を生き抜いていた……。 


 冒険者。

 人呼んで冒険者アドベンチャー

 この国の「ギルド」で発行された資格ライセンスがないと就けない立派な職業であり(もっとも取得自体は言語が通じさえすれば余裕らしいが)、命の危険があるものの、手っ取り早く稼ぐならこれを置いて他にないというほどの、ハイリスクハイリターンな仕事だ。

 それでも……いや、だからこそ。

 レインを、冒険者にはさせなかった。

 かつて彼女が、とある小国の「死神しにがみ」と呼ばれた存在だということは聞いている。

 力の代償として、手足が腐り落ちてしまったことも。

 にわかには信じがたい話だが、かような嘘をつく意味もない。……実際、本能ではその「現実」を理解しているのだろう。なんとなく、彼女が言ってることを信じるのに抵抗はなくて。

 そんなレインに、かたや記憶喪失の病人が偉そうな口を叩けたものじゃないが、たとえどれだけ彼女が強かろうと、傷つく姿は見たくなかった。


 レインには、ただ笑っていてほしかった。

 

「そっか。じゃあ、ゆっくり休んどけよ」


「もちろんそのつもり。それはそうと……ヒロ、時間を気にした方がいい」


「げ、もうこんな時間……」


 レインの言葉に、ふと立てかけられた時計を見やると、もう六時を半分も回っている。


「それこそ今日の稼ぎがなくなる。早く準備して」


 唯一のパーティーメンバーとの待ち合わせ時刻は、七時。ここから落ち合う場所には走っても四〇分以上はかかる。

 こうしちゃいられねえと、急いで身支度を整え……さあ行こうかと玄関に向かおうとすると、


「今日は帰りを楽しみにしていて」


 どこか得意げにレインは言い放った。


「……なんだよ? 実は本日のギルドの営業はお休みです〜、みたいな情報が来てたりするのか?」


「雨が降ろうが、槍が降ろうが、彼らが休みなく働いているのは、冒険者のヒロがよく知っているはずだけど。自分が言いたいのは……今日の夕飯を楽しみにしていろということだ」 


「夕飯って……何か美味しいものでも食べにいくってことか?」


「違う。……久々に自分が食事を作ると言っている」


「……あー、なるほど……」


 レインの食事……か。


「存分に腕を振るおう」


 オレの逡巡とは対照的に、レインはただでさえ大きい胸を張りながら手を当てていて。 

 ……言っちゃあなんだが、ここに住み始めた当初は、彼女の料理の腕は壊滅的だった。

 レインが初めて手料理を振舞ってくれた際、一口だけ食べて言葉を失ったオレを見て、彼女も自らの料理を口にしたが、数回にわたり咀嚼したあと、「しばらく食事はヒロが作ってほしい」とだけ告げて、一人で黙々と「料理(?)」を片付け始めた(もちろん手伝ったが)。その時のレインの眦には、若干の涙が滲んでいた。そんぐらいやばかったのだ、要は。


「食べられるものにしてくれよ? うちには食材を粗末にできる余裕なんてないんだから」


「……できれば、過去のことは忘れてほしい。あれから店で調理の練習をしたから、心配しなくて大丈夫。ヒロは無事に帰ってくることだけを考えれてればいい」


「わかってるって。楽しみにしとくよ」


 言う。

 と、レインは、それでいいといった顔をして。


「ならいい。——いってらっしゃい」


「おう、行ってくる」 


 ちょっと乱暴だけど心地よい言葉に背中を押され、オレは部屋を後にした。


 …………ちなみにレインの料理の腕は、彼女の言う通り必死の練習の甲斐あり、「なんとか食べられるレベル」までは上達したはずなので、家に帰ると異臭が立ち込めているということは、さすがにない。

 ないが……ただ、それだけだ。


 見た目は美味しいそうなんだがなぁ……。


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