第30話 奴隷になれ!

アイトスフィア歴六三五年四ノ月某日


 夜の闇がすっかり訪れた頃、オレは、必死こいて討伐してきた戦利品(ドロップアイテム)を換金した後、ぐったりとしながら帰り道を歩いていた。

 仕事をした後だから疲れるのは当然と言えば当然なのだが、今日の討伐依頼(キルクエスト)のピーター・マウスは本当に厄介だった。

 何が悲しくて下水道なんかに潜って泥まみれにならなければいけないのか。『爽快感あふれるハンティング! ストレス解消!』などの謳い文句を面白がって受注した結果が、子犬ほどの大きさの化けネズミを追いかけ回すときたものだ。

 確実に報酬に見合ってねえと文句を言っても、規定ですからの一言で済ますギルドのお姉様方は、自分ののことを警戒しているのだと改めて分かったのが、今日の一番の報酬だったとアッシュは言った。

 そんなこんなで、シーナに用があるとやけに急いでいたアッシュと別れ、家に帰る道すがら……。

 オレは、人通りが多いとは言えない路地で、明らかに冒険者といった風貌の男たちが、何者かを囲って威圧しているのを目撃してしまう。

 ……どーすっかなぁ。

 たしかに人通りが多くないとはいえ、いないわけではない。しかし皆が、この状況に目線くらいは向けるもののスルー一択だ。

 無理もない。だいたいここは第七都区こと冒険者都区なので、こんな夜遅くに荒事に慣れていない奴が出歩いてはいけない場所なのだ。

 自分の力で切り抜けられない若輩がいるはずもなく…………、

 そこまで考えて。

 オレは馬鹿らしくなって、渦中に向かった。迷うくらいなら行っとけという話だ。

 どんな運の悪い奴が絡まれているのかを男たちの隙間から覗き見ると……身の丈に合わない深緑のロングマントを羽織った、小柄な人物だった。ちょうど死角となっているので、顔は見えない。

「おい、クソチビ。俺たちは別に何か寄越せなんて言ってるわけじゃねえんだ。なんで俺たちが女を誘うのを邪魔したのか聞いてんだよ」

「彼女は嫌がってただろう。見てればわかる」

「本人がそう言ったのか? ああ?」

「アンタたちには考える力が足りないみたいだな」

「……んだと?」

「聞こえなかったのか? 目や頭だけでなく耳まで悪いとは、救えないな」

 おいおい、何煽ってんだよ……。

 ……その後の展開が容易に想像できた。予測なんてものじゃなく、鮮明に頭に浮かんだ。

「てめぇ! いい加減にしやがれよ‼︎」

 やっぱりな……。こーいう奴らは沸点低すぎるからな。……もっとも、あんなこと言われたら誰でも腹が立つだろうけどよ。

 切れ目の男が、マントの胸ぐらを掴んで問い詰める。

 まずい、と割って入ろうと足を踏み出したところで、

 ——鮮血が走る。

 気づかぬうちにナイフが一閃しており、切れ目の男の腕から血が滴り落ちていた。

「なっ、この野郎!」

 ナイフを逆刃に握るロングマントの人物は、続け様に周りの男たちにも斬りかかる。彼らは反撃しようとするもその速さに後手後手に回るばかりで、腕だの足だのを斬り裂かれていく。

「ああ……冗談じゃねえって! ちょっと脅かそうとしただけじゃねえか! 悪かったよ、俺らの負けだ!」

 さすがは冒険者の街。一瞬で彼我の戦力差を理解したのか、尻餅をついた切れ目の男が顔を引き攣らせながら叫ぶ。……しかしその降参の声に、ナイフを振る手が止まることはない。

 瞬間的に向けられた刃が、切れ目の男に届く寸前——、

 オレがギリギリでナイフを弾く。

 ッ……重っ!

 ナイフと剣(カタナ)。質量差なんて必然のはずなのに、その小さな体躯からは考えられないほどの衝撃がオレの体を襲う。

「……っ。おい、やめとけよ。さすがに殺すことはないだろ」

 腕に全力をかけながら、必死にそれだけを伝える。

 ——と、刃が強く押し返され、瞬間的な刺突が繰り出された。

 そのあまりにも鋭すぎる太刀筋に、・無意識的に・強化魔法を発動していることに、突きを受け止めてから気づく。冷や汗が頬を伝うのを感じる……。

「こんなクズどもが死んで何が悪い。というかアンタ、誰。おれの邪魔をするな」

 そこでようやく独特な高い声とともに、暗がりでよく見えなかった顔を直視することができて。

 ————違う意味で膨大な衝撃が襲いかかる。


「 ……………………………………………………レイン?」


 だって。

 その体格に見合わない斬撃を放ってきた人物の「顔」は……あまりにもレインと似ていたのだ。

「レイン? おれは名前を聞いてるんじゃない。何者かって言ってんだ」

「……………」

 答えを返せない。頭を回すのに夢中だった。

 何より見間違えることないであろうレインの顔が、目の前にある……。赤茶けた鉄錆色の髪だけは彼女と似ても似つかないが、その顔貌は生き写しのようで。ロングマントの陰から覗くガンメタリックレッドのインナー、そして体格に見合わない長剣を背負っているという珍妙な出立ちも——この驚きの前では霞んで消える。

 世界にはそっくりな人間が三人はいるって噂を聞いたことあるが……そういうことなのか……?

 オレが硬直している間に、ロングコートの人物は剣を押し返すと、すっかり腰の引けた冒険者たちにナイフを突きつける。

 失せな、と鋭い声に哀れな子羊と化した彼らは、「化物め」という捨て台詞にしては弱気な言葉を吐いて逃げていった……。

 ……にしても、だ。

 やはり似ている。身長や体格は比べることすらおかしいが、顔の造りに関しては瓜二つと言っていい。ついつい、目を細めてジロジロと観察してしまう。

「な、何だよ……。聞いてるのか?」

 だから、先ほどまで強烈な剣気を放ってすらいた人物が若干引いていることにさえ、気付くのが遅れる。気づいても、思考の海に沈む。

 ……レインは女性らしく起伏に富んだグラマラスな肉体であるが、目の前の人物は一言で言ってしまえば華奢な体つきだ。しかし、その顔立ちと表情は、大人びて見える……。

 それでも、オレは、・つい・言ってしまった。

「……こんなところに女が一人でいると危ないぞ」

 瞬間——空気が凍ったのがわかった。

 殺気とは違う、憤怒が溢れ出してきたのも、だ。

 ロングマントの人物は、すうっと、ナイフを持った自らの腕を後ろに引くと、

「お・れ・の・ど・こ・が!」

 まずい、間違え——、

「————女に見えるんだよ……!」

 またたく間の踏み込んできて、流れるように横薙ぎに一閃。再びギリギリで回避するも、剣先が右腕をわずかにかすった。

 こいつさっきから本気でオレを——、

 斬ろうと、している。明らかに急所を狙った攻撃ではなかったので殺すつもりがないのはわかったが、それでも。人を斬るのに、なんの戸惑いもなかったのだ。

『彼』は、できる……。

 本気で戦っても勝てるかわからないくらいには、強い。

 ……だったら、もう、取れる手段は一つしかない。

「——オレが悪かった」

 その場でわざと剣を取り落とし——両手を軽く挙げる。

 もともとは、余計なことを言ったオレが悪い。殺意はなさそうだし、丸腰で無抵抗の相手に斬りかかりはしないだろうと踏んだからだ。

「……っ」

 案の定、『彼』の戦意が落ち着いてくるのを感じる。

「知り合いによく似てたんだよ。つい間違えただけで、悪気があったわけじゃない」

 と、よくよく聞けば先ほどの台詞の謝罪としてはおかしいが、その過程を一から十まで詳しく説明できるような状態じゃないので、要点だけを伝える。

「一人称がおれの女がいるか?」

「そんなの人それぞれだろ。個性を否定するんじゃねえよ。……だからだな。ジロジロ見てたのとかも、やましい気持ちがあったわけとかじゃなくて——」

「チッ、うるさいな! もういい。おれも少し大人気なかったし」

「……わかってくれて何よりだ」

 誠意が伝わったのか、はたまた毒気が抜かれたのか、とにかく少年は剣を引いてくれた。

 正直言って、彼より自分の方が年上だと思いたいが、見た目で判断してはいけないのは現状の通りだ。そこらにいる女の子よりも可愛いと言われ続ける自分の存在も十分に思い出させてくれる。

「ていうか……アンタ、おれの体格で女だって判断しただろ」

「……いや、そういうわけじゃねえけど」

「あからさますぎだ。アンタは変に体を舐め回すように見てきたからな……。新手の変態か?」

「見てたのは……癖みたいなもんだ」

 ……しっかりバレていた。人は意外に、そういう視線には敏感だとアッシュが言っていたのを思い出す。

 人をマジマジと観察してしまうのが、オレのどうしようもなく悪い癖だった。

「余計に怖いからな、その発言」

 ゴミを見るような目で見られる。が……そんな視線には結構慣れてるので、そうかもな、と返すと、彼は再びチッと舌打ちして、忌々しそうに口を開く。

「コケにされたついでだ。一つ聞きたいんだが……おれは、そんなに小さいか?」

「え……」

 すごく反応に困る質問が来た。

「だって、女に間違えるくらいなんだろ? つまり、そういうことだよな……」

 はあ、と少年がため息。ちょっと落ち込んでいる。普通に気まずい。

 うーんと、そこじゃねえんだよな。顔だよ顔。体格とかは置いといて、顔立ちが綺麗すぎるんだよ! いやまあ、「性別詐欺」とかいうあだ名つけられてるオレが言えた立場じゃないんだが。

「別に身長が全てじゃねえだろ。男の価値はそこじゃない」

 でもそんなに気になるなら、・バレにくい・ヒールブーツでも紹介してやろうか? という言葉はさすがに飲み込む。

「急に変な媚び方するな、気持ち悪い……。あ、言っとくけど服着てるから見えないだけで、筋肉もそれなりにあるぞ。ちゃんと鍛えてる」

 どうやら逆効果だったようだが、一方で少年は動きだけでなく切り替えも早いらしく、割り切った感じだった。

「で……結局アンタは何者なんだ? おれの攻撃を止めるなんて、少なくとも超級冒険者ランク1ぐらいじゃないとできないと思うが………そうなのか?」

「いや……オレはまだ中級冒険者ランク2だ」

「はあ? 中級冒険者ランク2ごときに見切れるわけないだろ。偶然は二度も続かない。くだらない嘘つくな」 

 この街の冒険者の半分は初級冒険者ランク1であり、中級冒険者ランク2ともなると箔がつき、冒険者としての格が上がるのもつい最近に体験してきた。彼が相当な自信家であることが窺える。

「オレはまだ冒険者になって日が浅いからな。ギルドがそう簡単にランクアップさせてくれないのは、冒険者ならわかるだろ?」

「…………新人ってわけ。あいつらケチだし、まぁ仕方ない部分もあるか。おれも『上』まで来るのに半年かかったし」

「……あんたほどの実力でも、中級冒険者ランク2までそんなにかかったのかよ」

 ギルドの判断基準が謎すぎる。彼はよっぽど運が悪かったらしい。

 ……だが、少年はそれを一笑に付した。

「違う違う。中級冒険者ランク2なんて一週間もかかるわけないだろ」

「は……?」

「——・絶級冒険者になるのに・、だ。功績をあげないと昇級できないなんて、ほんとばかげたシステムだ」

 絶級冒険者ランク5

 この国、この街に七人しかいない、最強の冒険者たち。

 つまり、彼には——・シーナさんと同等の力・があるということになる。

「……そりゃ、たいしたもんだな」

「どうも」本当に特に自慢する様子もなく、短く言う少年。

 ……と、それはそれとしてなんだか彼は目をなんだかギラギラさせ始めた。 

「アンタ、おれにひどいこと言ったのは自覚してるんだよな?」

「……一応は」

「それを悪かったと思ってるんだな?」

「一応は、な」

「よし! じゃあ、おれの言うことを一つ聞け。それでさっきの失礼な発言をチャラにしてやろう」

「……許してもらえたんじゃなかったのかよ」

「気が変わった。人間は気まぐれな生き物だからな。こういうときは被害者の意見が優先される。拒否権はなしだ!」

 合っているのか間違っているのかわからない持論を展開すると、ビシッと指をさしてくる。

 そういう仕草はちょっとのだが……、

 

「アンタ——おれの奴隷になれ!」


 そんな感想は次の瞬間に吹き飛んだ。

「………………………………は?」

 思わず、そんな声が漏れ出てしまう。

「なんだその間の抜けた顔は?」訝しげに目を細める少年。 

「いや……そういう趣味のやべえ奴かと思ってな……」

「おれの趣味は、刻むことと撃つことだ」

「そうかよ。だったら人様を奴隷にしようって考えがわからねえんだが」

 ……どうやら本気で自分の発言に疑問を持っていないご様子。

「安心しろ。奴隷と言っても酷いことはしない。そんな奴はクズ野郎だからな。……せいぜい依頼クエストの手伝いをしてもらうくらいだ」 

「……。……つまり、パーティーを組めと?」

「当然、パーティーは組んでもらう」 

「じゃあ、最初からそう言えよ……」

 不遜な性格の割に回りくどいんだよ。

 ……しかし、それはそれとして疑問はまだある。

「でも、なんで見ず知らずのオレなんだ?」

「——おれが認めた。少なくとも剣の腕はね。それ以外に理由が必要か?」

「はあ……なるほどな。……まあ、やるかどうかは一旦置いといて、今日はそろそろ帰らしてくれねえか? オレの帰りを待ってくれてる奴がいるんだよ」

「……恋人でも待ってるのか?」

「恋人じゃ……ねえけど。一緒に暮らしてる奴はいる」

「なんだそれ? 変な言い回しだな。どっちにしろ意外だけど……。モテそうにないのにな。おれの剣が止められた時くらい驚いた」

 それは自覚あるけれども。どっちかと言えば・男好き・されるけども。

 ……ともあれ、こういうはっきりとした物言いもレインに似ている……。

 まったく、生き別れの姉弟とかいう悲劇の物語でもあるのかよ。……本当に偶然、ただの他人の空似だろうけどな。

「そういえば、まだ名前すら言ってなかったな。オレは、キサラギ・ヒロ。ヒロの方が名前だ。……あんたは?」

 こちらから切り出すのは癪だったが、待っててもキリがないので尋ねる。

 もちろん彼は、そんな気遣いなんて気づくはずもなく——、

「ニア。ただのニアだ。家族はいるけど家名はない」

 偉そうに、名乗ったのだった。


 ………………名前だけ教えあって、ニアとの連絡先の交換や待ち合わせの約束を一切していないことにオレが気づいたのは、ログハウスが建っている丘のふもとに着いてからの話だった。

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