第28話 崩れつつある日常

 強い風の日だった。

 アドベントの第四都区、迷宮街ラビリンスと呼ばれる居住区には、子供たちのために作られた公園が点在している。

 とある公園では、もう日が暮れようかという時、四人の子供たちが走り回っていた。彼らは仲睦まじく遊んでいるが、実は今日会ったばかりの面々だ。幼さからくる適応性は大人にはないもので、まさに昔ながらの友達のようである。

 ……しかし、帰宅の時間は刻々と迫っていた。

 誰が言い出したのか、そろそろ帰ろうと子供たちは公園の出入り口に向かう。「また遊ぼうね」「約束だよ」、そう言い合いながら。

 と、

 ——彼らの前に佇むは、赤いドレスの少女。

 子供たちが知る由もないが、夜の街を男連れで歩いていても違和感のない華美な服飾である。

「ねえ、君たち。ちょっといい?」

 聞くものを虜にする、妖艶な声音だった。

 少女は子供たちに、困っていることがあるから助けてほしいと語る。お礼に、甘いお菓子を食べさせてあげる、とも。

 なんだかんだで離れたくなかった子供たちは、もう少し皆と一緒にいれるということを理解すると、行こう行こうと賛成し始めた。

 でも、ちょっと聡明な眼鏡をかけた子供が言う。知らない人について行くのは危ないよ、と。

 それを聞いて、他の子供たちも迷い始める。どうしようどうしようと言い争いを始めてしまった。

 ……でも、そんな状況下だとしても、少女は笑っていた。

「じゃあ、今からお姉さんと一緒に遊ばない? そうすれば知らない人じゃなくなるでしょう?」

 それに、と少女は振り返って、

「大人がいれば、みんなまだ帰らなくていいしね」

 少女の視線の先——。

 これまたとてつもない美貌の青年が立っていた。

 柔和な感じではなく、どこか鋭い目。それでも「整っている」という言葉がふさわしい、バランスの良いパーツが揃った顔。

「やあ、よろしく」

 声も、とても優しいとは言えないものだったけれど、

「——俺は、奇術師マジシャンだ。面白いもんを見せてやるよ」

 好奇心の魔物に勝てる子供など、そうはいない。

 少女と青年の言葉を聞いて、子供たちの中で答えは決まったようだった。

 そして。

 少女が、一人一人の顔をしっかりと見て、名前を聞いていく。子供たちは、ただただ彼女の瞳に魅入られていた……。


 その晩、子供が帰ってこないと、居住区の一区画で大騒ぎが発生することとなる——。


アイトスフィア歴六三五年四ノ月二五日


 ストレンジ・ホースとの激戦の次の日、は休みだった。

 たしかにメルバ山の中腹まで走破し、激しい戦闘の数々で足腰はガタガタ。超級依頼(ランク4クエスト)達成報酬により潤沢になったことは非常にありがたかったが、それはそれとしてとにかく、疲れた。

 だから、ニアから次の合同パーティーは明後日だと聞かされた時には(なにやら例のアイネだかライネだかどっちかの妹(?)と以前からの約束があったのだそうだ)、正直、ありがたかったと言える。

 多少、暇ではあったが、図書館で借りた本を読み漁ることで、割と有意義な一日を過ごしたと言えるだろう。一日中、冒険者の墓場で働いていたレインにはちょっと申し訳なかったとはいえ……。

 そんなこんなで、さらに次の日を迎えたわけだが——。

「なんで来ねえ」

 ニアは待ち合わせの時刻になっても現れなかった。

 ……これはもうお手上げだった。

 不幸にもオレたちは即席の関係に等しいので、何か他の連絡手段を持ち合わせていたり、居住地を知っていたりはしない。

 あいつ、なんとなく、プライベートはノーセンキューって感じだったしな。

 しかも、しかもだ。

「ただでさえ、アッシュが最近付き合い悪くなってるってのに、どーしろってんだ」

 そう、アッシュの奴もなのだ。

「シーナさん絡みの案件で」、みたいなことを言ってたが、あれで彼も私生活に謎の部分が多い。

 ……ってか今気づいたけど、オレってアッシュが住んでるとこ知らねえな……。

 もっと他人に興味を持てと今の自分には言いたくなるが、とどのつまり、オレは現在一人だった。

 噛み合わねえ時は、こんなに噛み合わねえもんかよ……。別に、示し合わせたわけじゃないってのに。

「しょうがねえ、帰るか」

 一人ソロ依頼クエストを受けてもいいんじゃないかと示唆されたこともあったが……やっぱりやめておく。

 レインと、約束したからな。

 まあ、後が怖いってのもあるんだが。


アイトスフィア歴六三五年四ノ月二六日


 幸いにも、翌日は『お仕事』をすることができた。

 側から見ても、今日のヒロは活き活きしていたと思われる。

 これはオレの元来の性格なのだろうが、どうにも他人に任せて家でじっとしてるとなると、肩身が狭い。レインはむしろ、たまには休むことも大事と言ってくれているが、そっくりそのまま返すと答えると、自分は問題ない、少し働き足りないくらいだと真顔で言っていたので、諦めた。

 ともあれ、本日選んだ依頼クエストも難なく達成することはできたのだが……。

「んじゃー、また明日なー」

 まだ明らかな昼下がり。何やら今日も《用事》があるらしく、金の分配を終えたアッシュは、急ぎ気味に荷物をまとめるとオレの前から去っていき。

 ……また、空き時間ができてしまったのだった。

 気の済むまで剣を振り続ける……と言った選択肢もあるにはあるが、今日はどうにもそんな気分にならない。

 斬りたい。

 ……いや別に戦闘に狂っているとかではなく、ただ単に、誰かと、何かと、斬り結ぶことで成長できるという実感があるのだ。

 素振りは悪くない。だが、それはあくまでも己の中で想像する幻想の敵との立ち合いに等しい。

 でも、その幻想の敵は強さにならない。

 端的に言ってしまえば、ただ、自分と戦っているだけで、「高め合う」ことができない。

 過去のいつか、レインと特訓の日々を行なっていたとうのが本当だとしたら、頼み込めばまた、剣を取って教えてくれるだろうか。

 ……もっとも、その道を阻んだのが他でもないオレであるわけだが、そういう風に考えてしまうくらいには、ここ最近の自分は消化不良であるのだ。

「どのみち、一旦着替えてから考えるか」

 実は今日、仕事用のバッグを忘れてしまい、受け取った報酬をお金ですよと言わんばかりの皮袋に入れて持ち歩いている状態だ(オレの戦闘装備にポケットのようなものはない)。

 割となんでもありな街であるので、浮ついた小金持ちが仕様のない犯罪グループに狙われるということなど茶飯事。自分の舐められやすい容姿をよくわかっているヒロは、金を持ってうろつくのは芳しいとはとても思えないのであった。


 いつも通りの帰路を辿りログハウスに帰り着くと、オレはようやく息を落ち着ける。

 脱ぎ去った装備を丁寧に仕舞い込み、フレッシュな部屋着に着替え……ようとしてふと、ダイニングテーブルに詰まれた数冊の本に目が行く。

 そういえば今日が返却日だったっけか……。

 朝、準備自宅の最中にレインがそのようなことを言っていた。仕事が終わり次第返しに行く、とも。

 当然、オレも着いて行く気でいて、帰りついでになんか食べに行くかという話に落ち着いたのだが、いま冷静に考えてみると、図書館の閉館時間は午後の五時である。

 つまり普通に仕事終わりでは、間に合わない。

 ……不幸中の幸いってところか。

 たしかレインの借りた『仮面の騎士』は人気本だったらしいので、一日でも返却が遅れるのは顰蹙というものだ。

 それに、また新しい本借りてもいいしな。

 各種異形ヴァリアの細かい生態にも切り込んだ図鑑は、想像の五倍は面白くて。

 今度こそはとバッグを手にして、まだ高く陽が昇る都市に、オレは繰り出した。


 図書館の司書とは、やはりプロだ。

 お客様がどんな本を借りていようと笑顔で対応してくれる。ヒロの、それぞれ『人目についても大丈夫な方の本」の間に、『人目についたら恥ずかしい本』を隠すというささやかな抵抗が破られた時も、何一つ動じることはなかった。

 ……むしろ微笑ましい目で見られていたのは、きっと気のせいであろう。

 当初の予定通り、ついでに図鑑の続編借りてくかと、件のコーナーに向かったのだが、それらがあるはずの場所には『貸出済み』との無機質なプレートが置かれてあるだけだった。

 どうやら、異形ヴァリアの図鑑も人気本だったようだ。司書が言うには、五巻全てを借りない人の方が珍しいとのこと(つまり一巻だけ借りる奇特な方は珍しいというわけらしい)。増刷すればいいんじゃないですかと伝えると、複本はすでにしておりますが、それでも借りられる方が多いのです。詳しくお調べになりたいのであれば、ギルド本部の資料館を訪ねられてはいかがですか、ともっともなことを言われた。

 したがって、本日のオレの予定は、いよいよなくなってしまった。

 今は、いっそギルドの酒場とかで即席のパーティーでも探してみようかと、頭を捻らせて騒々しい道を歩いている最中で。

「……ん?」

 と、雑多な人混みの中に、どうにも見覚えのある姿が混じっていた。

 あのちっちゃいロングマントは……。

 先日、先々日と、パーティーの約束をすっぽかしてくださった少年——ニアだ。

「おいニア、お前」

 小走りにかけたオレは、ちょこまかずんずんと歩く彼の横に並び立つ。

 が、

 無視。悲しいくらいに無視。

「聞いてんのか?」

 視界に入っているはずなのに、入っていない。なので、目の前で手を振ってやると、ようやくニアの瞳がオレを認識した。

「……アンタか」

「え……」

 と同時に。

 彼のロングマントの内側が(外もそれなりだとはいえ)戦場を駆け回ったのかというほどズタボロになっていることに…………気づいた。

 顔に目立った傷はない。ただ、体周りがボロボロ。ギラギラと赤く輝いているはずのインナーの上には、雑に包帯が巻かれていた。

「ああ、そういえばパーティーを組んでたんだったな。行けなくて悪い。いろいろあって無理だった。文句を言いに来たんなら聞いてやるからさっさと言え」

「……っ」

 粗暴で、上から目線なのは変わらない。変わらないのだが……どこかおかしい。

 ニアほど表情がコロコロ変わる人間をオレはそう多く知らないので、そのニアがこうにも感情表現に乏しいと、頭の端々に浮かんでは消えていた文句の一つも、言う気にはならない。

「お前、何があったんだよ?」

「何が? 何がって、ちょっと喧嘩してただけだ」

「喧嘩ぁ?」

「そう。相手が重火器や爆発物を使うなんてこの街では珍しくもないだろ?」ニアは薄い笑みを浮かべつつ、「だから、ちょっと汚れてしまうのは当然なわけ」

「じゃ、せめて着替えるかなんかしろよ。目立って仕方ねえだろ」

 すでに数十歩一緒に歩いているだけで、奇異の視線が集まっているのがわかる。

「ってか、思いっきり包帯から血が滲んでんじゃねえか。しかも取れかかってるし……」

「血ぃ?」

「右腕の包帯がな。にしても……こんな怪我するほどの喧嘩って、お前」

「んなもん、舐めてりゃ治る。気にすんな」

「猫か! こっちは気になるんだよ、ったく。ちょっと見せてみろ」

 手首周りの包帯を、自分一人で巻き直すのは難しいだろうからと手助けしようとしたのだが……、


「——触るな!」


「……っ」

 痛烈に、差し出した手を弾かれる。もはや反射的とも呼べる速度に、オレとしても驚く。ニアは庇うように右腕を抱き寄せると、……気色悪いだろ、と言った。

 怪我見るのに関係ねえだろうがとは思うが、この少年が自分を超えるほどに頑固な性格であることは、ここ数日で身に染みている。

「……それで、結果は?」

 よって、別の方向で話を広げることにする。

「結果?」

 眉をほんのわずかに上げる彼に、オレはおいおいと。

「喧嘩の結果だよ。お前とまともに喧嘩できる奴がどれだけいるのか知らねえけど」

「結果は……そうだな。勝負はいきなり始まった。卑劣にも不意打ちだ。奇襲は確かに完璧に成功して、身につけているものはオシャカになった。しかし最強の七人である絶級冒険者ランク5は伊達じゃない。

 ——勝負は一方的な結果だった」

 ぺらぺらと、喧嘩の末を語るニアだったが、どうにも感情が乗っておらず、平坦な声音だ。

 内容を聞くに勝つのは勝ったのだろう。並大抵の重火器を使ったくらいで、あの研ぎ澄まされた戦い方をこなす『戦姫ヴァルキリー』とやらに勝てるとは思えない。

 ——それこそ彼を倒すには、絶級冒険者ランク5を引っ張ってくる必要があるだろう。

 ただ、ニアからしてみればいくら奇襲とはいえ傷を負ったこと自体が腹立たしいのだろう。だからこその不機嫌。

 ……子供かよ、ったく。

 負けず嫌いも甚だしい話だった。

 血の気の多いニアのこと、前例もあるのでやりすぎてないかが心配である。

「喧嘩相手、生きてんだろうな……?」

「当然、生きてる」

「ならいいけどよ」

 しかし、いったい何を思ってその喧嘩相手はニアを襲おうなどと思ったのか。たしかにムカつくクソガキといってもまあ大半が納得してくれるだろう彼だが、向こうは向こうで明らかに「ちょっとした恨み」を超えてる。

 一応『仲間』として聞いてはみたいが、それこそかなりのプライベート。実際に、絶級冒険者ランク5の力をもって撃退したようであるし、ここは自制するが。

 ……とはいえ、放っておけない部分もある。

「まあ、さっきも言ったけど格好が目立つから、せめて前のボタンは留めろ」

「変な目を向けられることには慣れてるからな。気づかなかった。留めればいいんだろ、留めれば」

 ニアは投げやりに、忌々しいと言わんばかりに吐き出す。言ったからには止めようとしたのだろうが、ボタンを留めようとした段階で、ポロッと外れて地に落ちてしまった。

 これには言い出したオレも気まずくなってしまい、

「お前、ほんとに大丈夫か?」

「……さすがに少し疲れたけど、アンタに心配されるほど落ちぶれてない」

 隙さえあれば噛み付いてくるのはいつも通り。でもそこには、千切れてしまった布を雑に縫い直したような歪さがあって。

「そんな大口が叩けるなら、問題ないとは思うけどよ……。オレたちは一応は仲間だろ。なんかあるのなら、話聞くくらいはいくらでもするぞ」

 かつて、初めての討伐依頼キルクエストに挑む時、密かに不安がるオレの緊張をほぐしてくれたアッシュのように、言ってみる。

 と——、

「は……」ようやく、表情が薄かったニアの顔が和らいで、「仲間って、調子に乗りすぎだ、ばか。アンタとあの茶髪は、おれの『奴隷』と言っただろ」

 ようやく、そこには.いつもと同じようにいたずらな笑みを浮かべた少年がいた。

 少年は、でも、と。

「もう大丈夫だ。いい加減、機嫌は直す。だから……アンタはこれ以上余計なことを言わなくていい。わかったか?」

 怪我のしていない左手の指を突き出し、有無を言わすまいと問うてくる。

 ——やっぱり、こいつは、素直じゃない。

 オレはそう思いつつも、わかった、ご主人様、と言ってやった。

「よろしい」はっきりした声でニアは言って、「……にしても、このボロボロさは言われたら気になるな。お気に入りだったのに……新しいのを買いに行かないと……」

 さっそく、ワイルドになってしまっている自分の服を見やっていた。奇抜すぎる己の服装にようやく恥じらいの感情が戻ったようだ。

「おう、そうしろそうしろ」

「んじゃ、おれはもう帰るから。明日の依頼クエストには……一応行くつもりだ。前と同じ時間で集合でいいな?」

「それでいい。とにかく連絡取れないのが問題だっただけだからな」

「そうか。じゃあな」

 とにかく本当に疲れた様子だったので、ちゃんと来いよ、とか変に声をかけることもできず、なんとなく黙ってその後ろ姿を見届けていると……ピタッとニアの動きが止まった。そのまましばらくの間、立ちずさんでいる。

 ……?

 声をかけようとすると、ガバッと振り返った。こちらもこちらで見ていたので目が合ってしまい、思わずドキリとする。

 後ろ姿を目で追ってたのはマズかったか……?

 オレのしょうもない杞憂をよそに、大した反応をするでもなくため息をついたニアは、なぜかツカツカと戻ってくる。

「どうした?」 

「昼食」

 ニアはそれだけ言った。

「は……?」

 昼食? いきなり何を……。

 …………もしかしてオレに奢れと?

「なんだよ。絶級冒険者ランク5様とあろうものが、服を買い揃えたら一文無しになるってのか?」

 苦肉の返答に、ニアは首をふるふると振ると——、

「…………アンタに、昼食をおごってやる」

「は…………?」

 まったくどうして、

 この少年は、突飛なことを言い出すのが好きなのだろうか。


「やっぱりお前、調子悪いだろ。治療院行った方がいいんじゃねえか?」

「ばか言うな。他意はない。あーもう、説明するとだな……」

 今日は本来、アイネとライネを連れて食べに行く予定だった。でも、あの子たちに急な『予定』ができたんだ。

 じゃないと、誰がアンタなんて誘うかっての、と。

 ニアは偉そうに説明した。

「誰かと食べるつもりだったのに、一人なのは落ち着かないからな。だからだよ。それにおれは、一日三食ちゃんと食べるって決めてる」

「そりゃ真面目なことで」

「で、行くのか、行かないのか?」

 顔をずいっと突き出すようにして問いかけてくるニア。

 彼のいつもの言動を見る限り、なんか裏がありそうで正直怖いのだけど、有無を言わせぬ迫力と同時に、妙に陰りのある表情が気にかかって。

「じゃあ、せっかくだから……ご馳走になろうか」

「そ、ならさっさと行くぞ」

 レインもどうせ仕事だし、昼飯は適当なものを露店で買うつもりだったから、まあいいだろう、と。

 目的地も言わずに歩き出すニアを追いながら、オレはどこか懐かしい感じがするのを不思議に思っていた。


 向かった先は第四都区の比較的繁華な地域。やはり行き先は決めていたみたいで、ここでいいだろ、と家族向けのカジュアルな料理店に入った。

 いらっしゃいませー、と業務用の声が響き渡る(一部店員がギョッとしてニアを見ていたが、ご愛嬌だ)。

 昼時であるからして混雑しており、目まぐるしく従業員が動き回っている。すぐに案内してもらえそうにない雰囲気であったが、首尾良く一組の家族連れが席を立ったため、ものの数十秒で席に落ち着くことができた。

 どうせ奢ってもらうならと比較的高めのハンバーグステーキセットを注文したが、さすがは絶級冒険者ランク5、眉ひとつ動かすことはなかった。

 ……んなケチくさいこと言うなら、いちいち誘ったりはしてこないだろうけど。

 それでも、いちゃもんをつけてこられても大して不思議ではないだろうというのが、オレが抱いているニアへの印象だ。

 こいつは逆に数分間も何にするかを迷っていたが、結局は同じセットを頼むことに落ち着いた。

「……そういや、アンタ。なんであんなとこうろついてたんだ?」

 香ばしい匂いが運ばれてくる前に、頬杖をつきながらニアは尋ねた。

「図書館で借りた本の返却日が今日だった。アッシュは午前中で帰りやがったし、空いた時間にってわけだ」

「その帰り道ってわけか……。たまたまだったんだな」

「ったり前だろ」

「いやなに、てっきり忠犬は主人を探していたのかと」

「そもそも連絡先知らねえから、ああなったんだろうが」

 ……と、まあ、当たり障りない会話で、それなりに盛り上がった。

 店内はやはり家族連れや同年代くらいの少年少女が多く、雑踏の声でオレたちの会話も掻き消えていたが、それはつまり溶け込めているということである。

 会話が微妙に途切れたちょうどいいタイミングで、鉄板に乗せられたハンバーグステーキセットが到着した。肉汁の香りに鼻腔を刺激されたヒロたちは、すぐに食らい付き、しばらくは舌鼓を打つ……。

「……にしても図書館かぁ。おれも一時期は世話になったな……」

 そう、ポツリと呟くニア。

「意外だな。お前、本なんて読むのかよ」

「あん?」ねめつけるような視線を向けたニアは、「どういう意味かな」

「まんまだよ。読書を楽しむタイプには見えねえ」

「お生憎様」チロっとニアは舌を出して、「読書は習慣づいてる」

「だから、意外だって話だろ。どんな本読んでんだ?」

 問いに、ちょっとニアは考え込んで……、「…………ジャンルでいえば……童話、あたりだな。最近読んだので言えば、『仮面の騎士』という作品だ。知ってるか?」

 その題名には、ピンとくるものがあった。

「あー、いや。知ってるも何も、さっきオレが返しに行った本の内の一冊だからな」

「ほう? 珍しいこともあるもんだな」

「借りたのはレインの方だけど、オレも読んだぜ。ありきたりっちゃ、ありきたりだけど、熱くなれる物語だよな」

『仮面の騎士』。

 題名から察せられる通り、仮面を被った騎士(ナイト)が主人公だ。悪い奴に連れ去られてしまった姫(プリンセス)を、颯爽と駆けつけて救うお話。

 ——陳腐で、使い古された、物語。

「こういう話にハマる気持ちは、正直オレ、わかるぜ」

 王道の物語は、面白いから王道なのだ。

「ハマるってのは、ちょっと違うな。どっちかといえば勉強のためだ」

「勉強? 読書が?」

 それこそ、内容なんて、あってないようなお話なのに。

「ああ。勉強だ。おれは読み書きが不得意だからな。最初から大人が読むようなもんを読んでも頭に入ってこない。これくらいの児童書の方がちょうどいいんだよ」

 ——オレが、甘かった。

 あっさりと語られた事実は、自分の浅慮さと視野の狭さを否応でも突きつけられる。……そもそもヒロ自身、気が付いたら文字が書ける状態だったという感じなので、何も言えるわけがないのに。

「読み書き、か。まあ、地域によっては学習施設がなかったりするかもだしな」

 不自由なく生きていく分に必要最低限なスキルを身につけていることに、「顔しか知らない」両親に感謝しなければなるまい。

「…………喋りすぎた。忘れろ」

 一方で、明らかに余計なことを喋ったと苦々しそうに頭をかきながら、顔を逸らすニア。

「無理言うな。でも……児童書や童話だっていろいろあるのに、こういう英雄譚が好みなのは男なんだよな。やっぱり、憧れが大きいのかもな」

「そりゃあ、男ならこっちだろ。絶対にこっちの方がかっこいいし、

 一転、笑ったように同調するニアは、男らしい、を強調する。

 ……こうやって腰を落ち着けて会話をしてみると、今までと異なる人物像も見えてくるものだ。

 最初は急に斬りかかってくるやばい奴……いや本当に危ない人物だという印象しかなかった。が、幼い子供しまいから信頼されてることと言い、なんだかんだで礼儀を重んじることと言い、プライドが下手な山よりも高いことを除けば普通の人なのかも、と思えた。


 腹を満たしたオレたちは、特に居座る理由もないので速やかに店から出る(料金は占めて五〇〇〇〇ヴェンなり。肉のせいか、クソ高かった)。

 どちらかが話題をするわけでもないので沈黙が続いていたが、ふと、ニアが重い口を開いた。

「なあ、明日の依頼クエストなんだが、実はもう既に決めてあるんだ」

「へえ。もう取ってきたってわけか」

「いや、正確には……時にアンタ、最近この街で子供の行方不明が多発してるのを知ってるか?」

「ん? あー、そういやギルドの職員が話題にしたのを聞いたな。たしかまだ誰も見つかってないとか……って、それがどうした?」

「その人探しが、明日の依頼クエストだ」

 平坦に、ニアは言う。

「はあ。そりゃ親からすれば溜まったもんじゃねえだろうし、そういう依頼クエストも来るだろうな」ヒロはなるほどなと適当に頷いていたが、「…………つーかお前、そういうタマじゃねえだろ。まさかアイネ……だったか? あの子たちが行方不明になったってんじゃないだろうな」

 予定がどうのという話は聞いているものの、時系列が、繋がる。

 が、

「それは違う」

 即答。声にも、表情にも、変化はない。

 そこだけが妙に気にかかるが……まあ、かような嘘をつく意味もない。

「……ただ、アイネたちくらいの年齢の子が連れ去られてるのも事実だ。そんなクソ野郎共をぶっ潰すのは当然だけど、まずは子供たちの保護が優先……そうだろ?」

「違いねえ」

「はっきり言って、報奨金がそう多くあるわけじゃないから、『仕事』としての効率は悪い。せいぜい配分は……初級冒険者ランク1あたりの額だ」

 一気に言葉を捲し立てるニアは、……だから、と。

「その、それでも……アンタらは、受けてくれるのか」

 徐々に声のボリュームが下がっていく彼に…………ヒロは。

「……っ」

 思わず吹き出してしまう。

「な、アンタ! 何がおかしい! ああ⁉︎ 子供を探すことのどこがおかしい⁉︎」

「いや、違うっての。今お前、どういう顔してんのかわかってんのかよ」

「顔……?」

「まあわかんねえだろうけどさ。塩らしい顔してたぞ、お前。そもそも、奴隷だとか散々言ってる奴に命令じゃなくてお願いとか、そりゃ笑うだろ」

 目を逸らしたり、言い詰まったり、普段の傲慢さがかけらもない。

「な……だって、しかし……」

「とにかく捜索の依頼クエストはやるよ。報酬はあれだが、場合が場合だしな。アッシュも別に文句言わねえだろうし」

 これが赤の他人であったのであれば、正直迷ったかもしれない。行方不明になった子供の親の心境は推して知るべしだろうが、それでも他人事の域を出ない。同情はするが、するだけだ。

 でも、そんな打算的な感情を抜きに、他人のために働きたいと言った奴がいた。

 そしてそれは、この街で最も力を持つ七人の一人で、さらに言えば自分の仲間だ。

 手を貸すのに、これ以上の理由がいるのだろうか。

「……言ったぞ。二言はないな」

 自分の中ですぐに折り合いをつけたらしく、もうニアが動じることはなかった。

「当たり前だ。……ちなみに何人集まりそうなんだ?」

「おれが聞いた限りでは、当事者の親を含め五〇人余りらしい。……ついでに言えば、いなくなった子供は二一人だ」 

 関係者が加わるのは当然として、同志が少なくとも数人はいる規模だ。

「そこそこ心強い数だな」

「行方不明者の捜索は、時間との勝負だ。一般的に言われている制限時間リミットは三日。だが……中には一週間近く経っている子もいる」

 ギルドで聞いた話をオレも思い出すが……特に身代金目的のような事件でもないらしい。

「とにかく、見つけてやらねえとな」

「そういうことだ」

 たとえどれだけ残酷な結末が予想できたとしても、諦める理由にはなり得ない。

「さーて」ニアは切り替えるように首を捻りながら、「これからどうする。まだ陽は高いし依頼クエストでも受けるか? 簡単なものならあるかもしれないぞ」

「あー、今日はもういい。オレも考えてたけど、久々に自己鍛錬で自分を追い込むことにする」

「追い込む……何をするんだ?」

「素振りだ。正確には、敵がいるつもりで斬る練習って感じだが」

「へえ……」ニアは興味深そうに、「何かを斬った方が成長は早いと思うけど」

「実戦は時として基礎を忘れちまう。いろいろあんだよ、秘剣の練習もしたいしな」

「秘剣……? ……まぁいい。今日はおれも時間が空いている。自己鍛錬とやらに付き合ってやろう」

 不敵に笑って宣言するニア。

「……疲れたんじゃなかったのかよ」

「腹一杯食べたら疲れが取れた。アンタとは鍛え方が違うんだよ、鍛え方が」

「はあ……別に構わねえけど、ただ剣を振ってるだけだぞ?」

「何言ってる。せっかくおれがいるんだ。戦えばいいだろ。その秘剣とやらをおれが受けてやる。これも『主人』の務めだ」

「だから、実戦と目的が違うって…………あー、もういいや。めんどくせえ」

 こういった言葉が出てくるからにはいつもの調子に戻ったのだろうが、それはそれでムカつくというのがオレの本音だった。

 こいつ極端なんだよなぁ、情緒が。

「でもよ、実力が揃ってねえんだから、勝負になるのか怪しいぞ」

「大丈夫だ。アンタはおれの剣を受け止めることができた。この事実だけで、おれにとっては十分だ。最低限の『勝負』にはなる」さて、そうと決まれば、とニアは身を翻しながら言って、「模擬戦をするのに適した『店』を知ってる。馴染みの武器屋だが、試用部屋があるんだ。いくらでも暴れられるぞ」

 そうと決まってねえ、とは思いつつも。

 すでに走り出しているニアを、ため息をつきながら追いかけた……。


 結果から言ってしまえば……ボコボコにされた。

 前は反応できただろうと聞かれて、強化魔法によるものだったと説明するも。

 つまらないな、鍛え直してやる。

 そう言って目が本気マジになったニアと、結局は一日中斬り結んだ。

 ——果てなき鍛錬を終えて夜遅くに帰った後、レインには割と本気で怒られたのだが、それはまた別のお話。

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