番外編 第6.5話 見たかった夜空

アイトスフィア歴八三四年七ノ月七日


「……生きてる?」

「こんなところで、死ねるかよ」

 意識が……飛んでいた。

 レインと剣を交えるようになってから。もはや日常となった彼女との訓練は、始めた頃とは見違えるほどに激しくなっている。

 しかしオレの剣技は、レインと事あるごとに行った地獄のような模擬戦闘と幾度かの実戦を経てかなりの成長を遂げ、彼女と剣を交えても一方的な敗北を喫することはなくなった。

 かといって、レインと並び立てたというわけではない——。

 レインは、オレが速さに慣れていくにつれて、剣技だけでなく体術も駆使して戦うようになったからだ。圧倒的な剣術の中に織り込まれる、洗練された体術。剣だけが戦い方ではないのだと、叩き込まれた。

 それからというもの、あらゆるところを蹴りや膝の突きなどで滅多打ちにされ、その衝撃で頻繁に気を失うことが初期と変わらず多々あった。

 見ると太陽は一番高い位置に登っていた……。見事な回し蹴りでこめかみを打ち抜かれたところまでは覚えている。意識が飛んでしまった後、こうして地面に仰向けに倒れていたのだろう。今回はより打ち所が悪かったのか、思ったより長い時間気絶していたようだ。

「……だいたい、おまえはまだ剣に頼りすぎ。だから隙を突かれる。もっと細かな技術を身につけなければ、剣を失っても戦わないといけない状況では何もできない」

 と、戦闘の指南に急激に会話がシフトする。

 実体験に基づく意見なのだろうか。レインのことだから、だとしても不思議ではないが、とにかく。学ばないといけないことはまだ山ほどある……。 

「なるほどな……。次からはもっと身体全体を使うことを意識して戦ってみるぜ」

「そうするといい」これからの抱負を語るオレに対しレインは頷くが、ふと空を見上げて太陽の位置を確認すると、ほんの少し困ったといった顔をして、「……時間、か。意気込んでいるところ悪いけど、……行かないといけない場所があるから、今日はこの辺で終わり」

 もう少しだけやりたいという気持ちもあったが、こればかりは仕方ない。この訓練は、あくまでレインの厚意のもとに成り立っているのだから無理は言えない。

 ……レインは時々こうして、どこか立ち寄らないといけない場所があるようだ。一度、どこに行っているのか聞いてみたことがあるのだが曖昧にごまかされた。何か言いたくなさそうな雰囲気だったので、それ以降は深くは追求しないことにしている。

「寝てた手前、今言うのもなんだけど……忙しいのにいつもありがとな」

「そんな殊勝なこと考えてる暇があるなら、気絶しないよう意識を保つ練習でもしてほしい」

「……おう。頑張るぜ……」

 やっぱり、気にしてたのかよ。

 罪悪感がズンと降り積もる……。

「ん……おまえが間抜け面で寝てたことは腹立たしいが許す」レインは切り替えるように、言う。「でも……その代わりというか、頼みがある」

「頼み? オレにか……?」

「おまえ以外に誰がいる」

「ここまで世話かけてるんだ。オレにできることならなんでも付き合うけどさ……」

 いつかの時はヒロから誘ったが、レインから誘ってくるなんて初めてだ。

「まあ、たしかにヒロに拒否権などない。答えはどうあれ無理やり付き合ってもらうつもりだった」

「横暴すぎるな……」

「だから、今夜は予定を空けておいて」

「わかったよ。今夜だな…………って、今夜?」

 今までは、レインにも都合があることだろうと、いつもは日が暮れる前には別れていた。先日の神降臨祭では夜に会ったけれど、あれは明確な目的があったからだ。

 男女の世情に疎いオレも、周りに人がいない中で夜に落ち合うとなると、少し考えてしまう。

 そんな思考をレインはどう読み取ったのか、

「……おまえ、いま、変なことを考えたでしょ?」

「いや……別に、変な想像はして……ねえよ」

 つい、若干どもってしまう。

 レインは、スッと、まるでゴミを見るかのような目で、

「変態、だな」

「違う」

「……。まあ、いい。とにかく陽が落ちたらこの場所に来て。わかった?」

「陽が落ちたら……か」

 アッシュに、どう言い訳したものか。

「何か文句があるの?」

「いや、ねえよ……」

「じゃあ、決まり。遅れたら体のどこかを斬る」

 ……と、最終決定が下された。

 こうなってしまったら、どうしようもない。おとなしく従うだけだ。

 けれど、別に残念なことばかりではない。オレもレインといるのは嫌いじゃないし、特にイベント事もなく夜に待ち合わせというのも、なかなかどうして気になるところだが……。

 結局、何をするかはその時のお楽しみ、と。

 この場はお開きになった。


 貧民街の廃墟群を抜けた先の広場に辿り着いた頃には、太陽はとっくに東へと沈みきっており、夜の帳が訪れていた。

 一見して、そこに約束の相手の姿は見えない……が、広場の端にある寂れた家屋の窓から、ほのかに光が漏れ出ている。

 ……広場で落ち合う際、レインが家の中にいるのは珍しい。陽が落ちたら、という曖昧な集合時間だったが少々遅すぎたか。ひょっとしたら、待ちくたびれてしまったのかもしれない。

 遅れたら斬る、と彼女が強く言っていたことを思い出す。レインの怒りに触れたくはないが、待ちぼうけにさせるわけにもいかないので、現実と向き合わなくちゃならない。

 ……そういえば、レインの家の中に入るのは何気に初めてだ。というか、女の子の部屋に入ること自体が初めてである。

 …………やばい。別の意味で普通に緊張してきたぞ。

 一度、大きく深呼吸をしてから扉の前に立つ。

 こうなったら勢いで行こうと、オレは古ぼけた扉を開けた。


「ん?」

「……あ」


 ——レインは着替えの真っ最中だった。

 簡単に言うと……ほぼ全裸だった。


 今度は……今度こそは本物の女の体だ。

 ある意味で下手な男より男らしい性格のレインだが、肉体は女性らしく流麗なラインが描かれており、しなやかで美しい四肢がすらりと伸びている。これだけ綺麗な形の手足をしているのに(おそらく生身ではないとはいえ)、グローブやソックスをつけたままなのが、変に男心を刺激する。

 それに…………。


 ……やっぱりでけえな。


 声に出せるわけもなく、口の中だけで一人ごちる。

 ……レインは、確かに細身な体格だ。しかし着衣していないからこそ、よりはっきりと存在を確認できる巨大な双丘と、うっすらとした腹筋。初陣でのボディースーツ姿の時は、死にかけた動揺やらなんやらと粉塵のおかげでスルーしていたが、並外れた抜群のスタイルを持つ彼女のあられもない格好は、女慣れしてないオレにとっては扇情的すぎた。

 …………などなど、益体のないことが頭を駆け巡るが、そんな場合ではないことにも気づく。

 何か言わねえと、まずい、よな……。

「その……悪い。不注意だった。わざとじゃなくてだな」

 頭を必死に回転させて、なんとか弁解を試みるも、言葉は噛み噛みで、ありふれた言い訳しか出てこない。

 ごちそうさまでした、とかはどうだろう? ……首が飛ぶな。

 対してレインは、当初こそ驚きに軽く目を見開いていたものの、可愛らしい悲鳴をあげる……でもなく、特にその艶かしい肢体を隠すでもなく、鋭い半眼でツカツカと近づいてくる。

 …………あ。

 近づかれてようやく、彼女の体についた細かい傷跡をオレの目が捉えた。

「おまえに悪気がないのはわかっている」

「ああ……」

 彼女の声は、平坦で。視線は、冷たくて。

 オレが思わず一歩引く。それに追随するようにレインは近寄ってくる。

 と、

「だけどまあ、今のはちょっと困った」

 瞬間——衝撃がオレの顎を襲う。

 彼女の拳で脳を揺さぶられたのだと理解するのに、地面に叩きつけられてから数秒を要する。

「もう少し待っていろ」

 バタン! と、結構強めに扉が閉められる。

「やらかし、た……」

 余韻を残したまま自分とレインとを隔てる扉を眺めつつ、呟く。

 彼女の超人的な技術で、確実に急所を持っていかれたらしい。意識が遠のいていくのを感じた……。


   ***


 そして、そんな扉の向こうで少女はほんの少しばかり考えていた。

 別に、己の人生が刻み込まれた肉体に恥ずべきことはないし、唯一醜いであろう手足は隠れていたのだ。まさに誰に見られようと全くどうでもいい状況。それなのに、なぜ自分は拒絶してしまったのか。

 たとえば素肌を女子が見られた際は、その男を引っ叩くのが作法だと書かれた物語があった。だから実践してみたのかとも思うが。……本当のところは、咄嗟のことだったのでわからない。

「まったく、ばかなことを」

 でも、不思議と間違っているとは感じなかったし、何故だが羞恥心のようなものがあったのは事実なので、これは正しい行動であったと思うことした。

 …………それにしても、ちょっと強くやりすぎたかもしれない。


   ***


「……、……て」

「…………」

「……いい加減起きて、ヒロ」

 レインの声が聞こえた。ゆっくりとまぶたを開く。

 けど……そこはまだ闇の中だった。顔に伝わる、妙な感触。

 なんだ? 目を塞がれているのか……?

 それに、ヒロが寝転ぶのは硬く冷たい土……のはずだったが、下に布のようなものが敷かれているらしく寝心地はそこまで悪くない。

「レイン……?」

「本当によく眠っていた」

「ああ……おかげさまで」

 だんだんと意識が覚醒し始める。殴り飛ばされて、すっかり気絶してしまったことを思い出す。

「なんでまた、目を?」

「動かないで」

 とりあえず起き上がろうとしたところを鋭く静止され、頭を押し戻される。

「ッ……どういう状況だ……?」

「こちらにもいろいろと事情がある」

 意味不明すぎるし、怖すぎるが……事情と言われたら一つしか思い当たらない。

「……さっきのこと、やっぱ怒ってるのか?」

「怒ってない」

「本当に?」

「少し殴り足りないだけ」

 怒ってるじゃねえか、と心の中だけで呟く。……ちなみに、さっきのパンチは普通に痛かった。合金のような一撃だった。

「本当に悪い。その、体のこと、たださっきも言ったけど、わざと覗いたわけじゃなくてだな……」

「いい。冷静に考えれば事故だとわかる」

 おまえみたいな小心者が覗きなどするわけないからな、とレイン。

「ただ、ノックも知らないというのはいただけない。さすがの自分も常識だと思っていたが、おまえの田舎では教わらなかったの?」

「オレの村の奴らは、みんなが家族みたいなもんだったからな。正直、ノックどころか勝手に家の中に入ってたぞ」

 なるほど、一抹の悲劇の原因はあっけなく暴かれた。

「危機管理が雑すぎる……。……ヒロの田舎は危ないな」

「平和な村だったからな……。犯罪なんて無縁だったよ」

 村では、誰がやったかなんてすぐわかるということもあったが、家主が家の鍵などかけていなくとも特に誰も気にしなかった。

 優しい人たちばかりで、父の後を追って戦争に向かおうとした際も、同郷とはいえ他人事なのに必死に引き留めようとしてくれたぐらいだ。

「まあ、それくらい平和ボケした生活も悪くないかもしれない」

 当然、レインの顔は見えなかったが、なんとなく彼女が微笑んでいるような気がした。けど、そのなんともいえない儚げな声とともに聞くと、それが一概にプラスの感情とは思えないのが気にかかったが……。

「……で、オレはいつまでこうしてなきゃいけねえんだ?」

 目隠しされて動きを封じられてるって、側から見ればヤバい状況だろ、これ。

 ……今にも処刑されそうなイメージしか出てこない。

「そう急がない。

「もうすぐってなんだよ。何か始まるのか?」

 まさか、こんなところに劇団がやってくるわけでもあるまいし、一体何が?

「…………」

「おーい? どうした?」

「………………」

 反応なしかよ? 無視はないだろ、無視は!

「レイン?」

 さすがに耐えかねて、己の目を塞ぐレインの手に触れる。

「……っ。うぅん、すまない。一瞬、ヒロのことを忘れていた」

 そこでようやくオレの存在を思い出したらしいレインは、あっけらかんとそう言った。

「この状況でどう忘れるんだよ。今、何が起きてんだ?」

。自分で確かめればいい」

 そう言うやいなや、再び押し返されるようにレインの手が離れた。小さくうめきつつ、ぼやけた視界に焦点を合わせる。

 その、先では——、


 まるで——星が降ってくるようだった。


「……!」

 いや、まさに

 圧倒的な輝きを放つ流星が尾を引いて、空の向こうに流れてゆく。

 近い……。遠い彼方のはずなのに、空がこんなに近くに見えるのは初めてだった。

 幻想的。

 夜の王都を覆う闇の中で、輝きながら落ちゆく星々。

 実際、本当に驚いた時には、人は何も喋れないらしい。美しい空を、食い入るように……ただひたすらに見つめ続けるしかできない。

 いいこと。

 それは、この光景を見ることだったのだ。

 ——本当に、いいことだった。

 レインが時間にうるさかったのも納得がいく。うろ覚えの知識しかないが、このような天体現象は特定の時間帯にしか現れないものだったはず。

 そして、貧民街を抜けた先にあるこの丘を遮るものは、何もない。夜空を眺めるに、ここほど適したところは王都にはないだろう。

「ペルシア流星群」レインは、この光景の名を語る。「天文学者たちの間では、そう呼ばれているそう。九年周期ごとで、この時期に観測できるらしい」

「随分と詳しいんだな。天体現象の時間予測なんて簡単にはできないだろ」

「きちんと街の図書館で調べたから。本当にこの時間に観れるのか不安だったけど……天文学者もばかにできない」

「まったく。すげえよな、ほんと」

 何かに打ち込み続けることの尊さ、大変さは、オレも知っている。

 つい、うんうんと相槌を打ちつついると……ズキリと、頭の中で何かが疼いた。

 ……夜空をかける星々。

 遠い忘却の彼方にある、わずかな記憶。いつも見る夢と入り混じる何か。連れられていったのは、儚げな顔をした——。

「なんか、見たことある……?」

 星だけじゃない。女の子が、女の子が……。

「……ひょっとして…………何か、思い出したの?」

「ん……いや、思い出したっていうか……とても懐かしい感じがするんだ」

 確かな既視感はある……が、結局その正体は朧げで。

「…………はあ……。おまえはどうしようもない……」

「どうしようもないって、ひでえな……」

「別に……ばかに何を言っても無駄だと、よくわかった」失望したというようにレインは深くため息を漏らす。

「なんだよ、それ……」

 だってしょうがない。

 昔会った女の子の記憶……なんてそんな恥ずかしいこと言えねえだろ。

 口を尖らせる彼女に、曖昧な言葉しか返せない。

「……まったく情緒がないということ。男なら気の利く台詞のひとつでも言ってみてもいいはず」

 いきなりのとんでもない無茶振り。

 いったいどんなキャラがお望みなんだ? ……鈍感な奴に情緒がないとか言われたくねえよ。

「…………夜空の星よりお前の方が綺麗だよ——とか?」

「そういうのは少し、気持ち悪いからやめてほしい」

 ひでえ……。ばっさり過ぎるぜ。

 オレだって、こんなキザな台詞が似合ってないことぐらいわかっている。正直、何を言えば正解なのかわからないというのもあるが。

「まあ——」レインは声色を変えると、体を起こす。「それはともかくとして」

 いつになく、訓練時とはまた違った不思議な雰囲気を醸し出している。

「少し、話を聞いてほしい」

 彼女は、妙に平坦な声で、そう言った。

「……? いいけど」

 オレが了承すると、レインはやっぱり平坦に語り出した。

「……おまえも、ずっと疑問に思っていただろう? ——自分がどうして戦っているのか」

「それは……思ってた」

 ……当たり前だ。こんなうら若き少女が、傭兵という命の危険を伴う職に就いていたり、義手をしていたりに疑問を抱かない人間はいないだろう。

「……今は詳しく教えることはできないんだけど、話す時が来たら——必ず話すから。だから、もう少し待っててくれ」

「もう、少し……」

「ああ——いつか、必ず」

 声はともかく、いつになく緊張した雰囲気で話すレイン。

「……ずっと気にしてたのか?」

 滅多に見れないその状況に、つい苦笑し、余計な口が出てしまう。これはオレのちょっと悪い癖かもしれない。自覚している分、余計に。

 え? と、言わんばかりにレインの顔に疑問符が浮かんでいる。

「いや、普段は威圧的なくせして、隠し事とか気にするタイプなんだなと思って」

「……違う。そんなことはない」

 レインは珍しく、そしてわかりやすく動揺する。いつもはクールだが、どうやら一定のポイントでは打たれ弱くもあるらしい。そのポイントはおそらく……「人との関係」だ。

「でも、すごく落ち着かない顔してたぞ」

「うるさい……。ただ、自分は少しばかり人付き合いが苦手で……」ぽつぽつと、彼女は自分の短所について口を開く。「だから、せっかく気の許せる相手に隠し事はしたくないと思っただけ」

 どことなく伏した目でレインは言う。隠し事に罪悪感を感じるのはわからないでもない。

 でも——、

「……それは違うぜ、レイン」

「……え?」

 レインがどうしていまさらになって、このことを告げたのか。その真意を掴む。

「例えばだけどさ。——隠し事って、したらダメなのか?」

「……していいことでは、ないと思う」

「確かに嘘はよくないけど、話したら相手が傷つくから黙っている……とか、いろんな嘘があるだろ。秘密を打ち明けることすべてが正しいことだなんて、オレは思わねえ」

 そんな息苦しさを覚える人間関係なんて、まっぴらごめんだ。

「だから、話したいと思った時に話してくれればいいってことだ」

「…………たまにはヒロも、もっともらしいことを言う」

 少しだけ言葉に詰まりつつ、口元を綻ばすレイン。

「オレが言っても説得力はないんだけどな。あくまで、オレはそう思うってだけだ」

 アッシュに対して、オレがどれだけの『嘘』をついてきたかなど数えきれない。おそらく逆も然りで、それでもヒロにとってアッシュは一番の友達だ。そのことに変わりはないのだから。

「まあ、たしかに説得力はない。……でも、少しだけど気は楽になった。その…………ありがとう」

 軽く礼を言いながら、今やすっかり落ち着いた夜空をレインは再び見上げた。

 そんな彼女の顔を改めて見やる。整った顔立ち。艶やかな金色の髪。一〇〇人いれば一〇〇人とも美しいと答える——オレが勝手に思っているだけだが——容姿だ。

 さっき彼女は、『気の許せる相手』とオレを評した。その言葉自体に、友人以上の意味合いがないことは理解しているつもりだ。

 でも、どことなく物寂しさを覚えた。

 ……。オレは、レインにどう思われたいんだ?

 根本的な問題で思考に沈んでいると……、

 何を見ている、という声が聞こえた。

 なんでもねえよ、と慌てて視線をそらす。

 が、

「…………ねえ」レインは鈴のような声音で、「今日は、楽しかった?」

 そんな問いかけは、愚問だった。

「——最高だった。お世辞抜きで、あんな綺麗な光景を見たのは初めてだ」

「なら、自分も手間をかけた甲斐があった」

「こんないい場所を知ってるってことは……前にも見たことあるのか?」

 彼女から聞いた周期と照らし合わせれば……ちょうど一〇年前。

 そういえば、父と王都に旅行に来たのもその時ぐらいだったか。さっきの違和感は、過去にも一度見たことあるが故のものだったのかもしれない。だとすれば、過去の自分を殴りたいぐらいだ。なんで、こんな素晴らしい光景を忘れているんだ馬鹿野郎‼︎ と。

「……ああ。一〇年前にも、自分は同じ彗星をこの場所で見た」

「それでここまでしてくれるなんて、よっぽど気に入ってたんだな」

「少し……違う。もちろん自分も彗星は綺麗だとは思うし、もう一度見たいとは思ったけど……他にも一応意味はあった」

「意味?」

 するとレインは、オレを見もせずにあっさりと言った。


「あの時は一人だったから。——次は、誰かと一緒に見たいと思った」


 とんでもない殺し文句。

 やっぱり……その顔は反則だろ。

 自分では気づいていないのだろうけれど、レインはうっすらと微笑んでいたのだ。それだけでオレは嬉しくて。

 ただの気まぐれだと、彼女は言った。

 それが本当なのかどうかはわからないけれど。


 オレにとって——この夜は特別になった。

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