第一話の裏 : 未知との遭遇

※ オリジナルの設定(現実っぽい感じの)も入れているからね、現実と混同しては駄目です






 ――通称・MSC。(Moon Solar Carの略)。



 この日、この時、月面を唯一走っていたその月面車の外見は、屋根も窓も扉もフロントガラスすらも外されて軽量化が成された軽トラック……といったところであった。


 月面用の車(名称は、製造した会社や国によって異なる)は、地上にて使用される車とは大きく異なる点が幾つかある。


 まず、地上とは違って月面(というより、宇宙空間)には空気が無い。地上では当たり前のように使われている動力……つまり、ガソリンを始めとした、燃える事で動かす類のエンジンが使えないのである。


 故に、月面で使用される車の動力源は全て、燃焼を伴わないモノ……すなわち、太陽光。月面で使用される動力源は、太陽光を元に発電する太陽光電池が使用されている。


 何と言っても太陽光電池の利点は、故障しない(あるいは、そのものが劣化しない限り)限り、半永久的に電力を生み出してくれるという点に尽きるだろう。


 もちろん、無から有を生み出すわけではなく、太陽光というエネルギーを電力に変えているので、太陽光が届かなければ置物でしかなくなる欠点が残るわけだが……いや、話を戻そう。



 ……とにかく、だ。



 音すら何一つ伝わらない、どこまでも静寂が続く不動の月面を走り続ける、一台の月面車。通称、MSC。



 ……この日、この時。



 月面を走る唯一のその車、それを運転していたのは、だ。これで二度目の月面任務を任された宇宙服を身に纏った男、マイケル・デイビットであった。


 同乗するのは、後部座席(その見た目は、ただの荷台にしか見えないが)にて互いが向かい合うようにして腰を下ろしている宇宙服姿の人物が2名。



 1人は、マイケルの先輩に当たるベテラン宇宙飛行士の、カルロス・チャックマン。


 1人は、マイケルの同期(歳はマイケルよりも下)にあたる、ジョージ・ハードマン。



 NASAより派遣された彼らはこの日、任された任務を無事に成功させて『ホーム』(要は、月面基地)へと帰還している最中であった。


 ……任務自体は、危険は伴うが、それほど複雑な任務ではない。


 その中身は、月面より得られるデータをより正確かつクリアなモノにする為の、中継器を設置しにゆくというもので。


 要は、地上より運び込んだ中継器をMSCに乗せて運び、予め定めておいたポイントに設置し、動作確認を行い、そのついでに、行路の状態を確認するというものである。



 ――作業自体は、単純明快だ。事前に用意されたマニュアル通りに配線を繋ぎ、固定するだけで良い。



 しかし、宇宙では文字通り一つのミスがそのまま死に直結しかねない。


 なので、どんな任務であろうと彼らは全力で取り組み……作業を終えて、帰路に着いてから30分が経とうとしていた。



 ……宇宙空間は、無音だ。それはもちろん、宇宙服を身に纏っていても変わらない。



 聞こえるのは、宇宙服内にて反響する己の呼吸音と身動ぎする音(あとは、警告音など)ぐらいである。


 だから、基本的に彼らは互いの無事と安全を図る為に、通信回線を常に繋いだ状態にしてある。もちろん、互いに、だ。


 プライベート等は無いが、視覚でしか周囲の情報が得られない以上は、助かる可能性を少しでも上げる為なので……そんな状態であるわけだから。



「……静かだな」



 ポツリと、静寂の中を反響する、その言葉。本人も無意識に発したであろうその呟きは、宇宙服に内臓された高性能かつハイテクな通信機器が、きっちり拾い上げる。


 それは、何の事はない。最新の注意を払いつつも、どこか慣れを感じさせる手捌きで運転を行っていたマイケルの、他愛のない独り言であった。



 ……原則、任務中の私語は厳禁とされている。



 理由としては、私語を行う事で注意力が散漫となるからだ。思わぬ事故を招いてしまう可能性がある以上は、最低限の会話のみに努めるべし……とされている。


 ただ、実際にそれが守られているかといえば、そうでもない。


 当然の話だが、人間はロボットではない。厳しい訓練を経て宇宙に来ているとはいえ、何もかもをプログラム通りに動けというのが無理なのだ。


 実際、私語厳禁というのも頭の固い一部のお偉方やスポンサーを納得させる為の建前だ。


 最低限の会話という言い回しも、要は精神安定の意味合いを兼ねたお喋りならOKにする為のものでしかない。



「――まあ、宇宙だからな。宇宙が騒がしくなる方が、俺はゾッとするね」



 だから、マイケルの発した独り言に反応が来るのは、けっこう早かった。ちなみに、返事をしたのは3人の中では最年長であるカルロスであった。



「騒がしい宇宙って、想像出来ねえな」



 そのカルロスのお喋りに付き合ったのが、「ここじゃあ大型スピーカー千台並べたって、虫の羽音にも負けるんだぜ」この場では最年少に当たるジョージであった。



「何も、音だけで考える必要はないだろ。眩しい意味での騒がしさなら起こりえるんじゃないのか?」



 そう答えたのは、カルロスだ。


 その言葉通り、通信装置を経て彼らは地上と同じようにお喋りに興じてはいるが、服一枚ヘルメット一つを隔てた先にあるのは、静寂だ。


 騒がしさなど全く無い。有るのは、視覚情報がもたらす騒がしさだけ。


 太陽から降り注ぐ光が照らし出す白と黒と銀の大地と、何処までも広大に広がる宇宙。そして、その宇宙に至る所に点在する、はるか彼方の星々だけ。


 一見する限りでは、何とも変化の起こらない静かな場所だとだいたいの人が思うだろう。


 けれども、実際の所は違う。意外と知られていない事なのだが、月には様々な隕石が衝突し、太陽光が当たる昼間と当たらない夜間の温度差は200℃を超えるとされている。


 変化が起こっていないように感じるのは、大気が無いせいで音が伝わらないせいだ。仮に月に大気が有って音が通じるような環境であった場合、ここはずいぶんと騒がしい場所になっていることだろう。


 もちろん、あくまで仮の話だ。


 宇宙では、摩訶不思議は起こらない。起こりえるべくして起こり、法則の通りに事が運ぶ。それを身に染みて知っているからこそ……『もしも』という話は意外と盛り上がるのかもしれない。



「騒がしいと思えるぐらいに眩しいって具体的にどんな時だよ」

「そりゃあ……隕石が衝突して閃光を放った時とか?」

「それ、光を認識する前に俺たち全員が宇宙の塵になっていないか?」

「……じゃあ、近くの惑星が爆発するとか?」

「それも一緒だろ。ていうか、そうなったら月どころか地球まで粉々だから眩しいも何もないだろ」

「……考えてみたらけっこう難しいな、眩しくて騒がしいってのは」



 むむむ、と頭を悩ませるカルロスと、それに付き合うジョージ。宇宙飛行士になるだけあって、二人の地頭は相当に良い……のではあるのだが。


 何ともしょうもない事を考える……と思う人もいるだろうが、まあ仕方がない。ホーム到着までは大人しくするしかないわけだし、暇を潰せるのはこれぐらいなのだから。



「……ところで、お喋りの発端になったマイケル君。結局、君は何をどう思って静かだと思ったんだい?」



 そんな中、騒がしさ云々に対する良い答えが思いつかなかったのだろう。そういえばと言わんばかりに、事の発端へとカルロスが訪ねれば……。



「……え、あ、ごめん。何か言った?」



 ……当のマイケルは、上の空であったようだ。



「おい、マイケル」



 これには、カルロス……ではなく、彼よりも若いジョージが反応した。その声色は傍目にも怒りを滲ませたモノであり、声だけ聞けばだいたいの者が思わず顔色を変えるぐらいの迫力があった。


 そうなるのも、致し方ない。何故なら、宇宙での事故は、そのまま死に直轄しかねないからだ。


 特に、月面の光景というやつは錯覚を招きやすい。何処を見ても似たような光景かつ高低差を認識する為の建物や木々等が無いので、距離感を見誤りやすいのだ。


 深さ数十メートルのクレーターに数メートルまで近づいてようやく気付いた……ということだって、何ら珍しい話ではない。


 だからこそ、そんな苛酷な場所で上の空という不注意を行ったマイケルに対して、ジョージが怒りを臭わせるのは……正当な事であった。



「――ごめん、不注意だった」

「気を付けろ。あんたはこれで二度目の月面だろ」

「ああ、すまない。以後、気を付ける」



 とはいえ、誰にも不注意というものはある。ジョージもそれは分かっているので、それ以上この話を引っ張るようなことはしなかった。



「……しかし、珍しいな。生真面目なお前が独り言を呟くなんて……いよいよベテランとしての自覚が芽生えてきたのかな」

「茶化さないでよ、カルロス。僕だって、たまには独り言ぐらい呟くさ」

「まあ、独り言も呟きたくなるだろうよ。俺だったら、ずーっとお喋りしていただろうぜ」



 気を引き締めたのを察したのと、場の雰囲気が悪くなったのを察したのだろう。


 意図的に話題を切り替えたのがバレバレではあったが、誰もが察したうえでソレに乗っかった。



 ……ところで、和やかに私語を続ける3人だが、傍からは異様な光景に映ったことだろう。



 何せ、彼らの会話は全て、通信越しに行われているのだ。つまり、傍から見れば彼らは身動ぎ一つしていない。振り返ることも顔を上げることもせず、同じ姿勢のまま。


 運転しているマイケルは多少なり身体を動かして(ヘルメット越しに見える視界でしか外界を確認出来ないので)はいるが、荷台に腰を下ろした二人は……もう、彫刻のように身動き一つしていなかった。



 ……何とも不気味な光景だ。だがしかし、致し方ないのだ。何せ、宇宙服というのは……重いのだ。



 月の重力が地上の6分の1しかないとはいえ、宇宙服自体が相当に重い。言い換えれば、地上で身に纏えばまともに動けなくなるぐらいの重量なのだ。



 そんな状態で地上と同じようにふらふらと身体を動かしたりすれば、どうなるか?


 答えは一つ……疲労する。



 例えるなら、今の彼らは全身に重りをくくりつけているようなもので、更に言えば、内蔵したエアタンクの減りまでもが加速する。


 これがまた、無視出来ない問題なのだ。


 限りがあるとはいえ潤沢な酸素を供給できるホーム傍であればまだしも、任務でホームを離れている今は、そうではない。文字通りの生命線であり、酸素が切れたら例外なく死ぬのだ。


 もちろん、酸素の消耗だって厳密には高が知れている程度の違いでしかない。


 しかし、宇宙では何が起こるか分からない以上、その高が知れた程度で生死の境を分けてしまう……なんてのも、起こりえるわけで。


 唇だけせっせと動かして無駄口はするが、彫刻のように身動きはしない。必然的に、そんな状態になるのも……まあ、当然の結果であった。



「……ん、何だアレ?」



 そんな中で、だ。


 地球に戻ってリハビリ(地球の重力に身体を慣らす必要がある)を終えた後、まず何をしたいかというお喋りをしていた最中……唐突に違う反応を見せたのは、カルロスであった。



「――どうした?」

「一旦、車を止めてくれ。向こうの空から、何かが近づいて来ているような……そう見える」

「なんだって?」



 促されるがまま、マイケルは車を止める。


 次いで、カルロスの支持する方向へと視線を向けたマイケルたちは……宇宙の彼方より飛来してくる光に、思わず目を見開いた。



 ――隕石だ!



 そう彼らが飛来する物体を認識した、直後。それは一瞬のうちに彼方の地平にて降り立ち……瞬間、大地が削れて粉塵が舞い上がるのが見えた。



「――備えろ! 来るぞ!」



 カルロスの言葉に、マイケルたちは車にしがみ付いた……少し後。がたがたと車自体が振動したかと思えば……ものの数秒で、それは治まった。



「……どうやら、思ったより小さな隕石だったようだな。マイケル、ホームへと通信を繋いでくれ」

「――了解」



 完全に振動が止まったのを感じ取ってから、カルロスは素早く指示を出す。


 受けたマイケルは、宇宙服に内蔵されたケーブルをMSCの機器へと繋ぎ……これから戻ろうとしていたホームへと回線を繋げた。



「こちら、マイケル・デイビット。リーベル、聞こえるか?」



 ……返事が来るまで、少しばかり間を要した。ちなみに、リーベルはホームにて待機している女性である。



『――こちら、リーベル。何かあったの?』

「隕石が目視できる位置に落ちた。被害は皆無で、伝わって来た振動から考えて……エアの残量から、余裕を持って寄れる距離だ」

『――地上に指示を仰ぐわ。一旦回線を切り替えるけど、そのまま待機していて』

「了解、吉報を待つ」



 そう答えた途端、プツリと回線が途切れたのがマイケルの耳に届いた。


 とりあえず、地上のNASAに指示を仰いでいるところだと現状を二人に伝えたマイケルは。



「……何が落ちたと思う?」



 地上からの指示が通達されるまで暇なので、お喋りの続きをすることにした。



「妥当な所だと岩石が金属だろうが……宇宙船でも不時着したとか?」

「だったら、バラバラだな。減速せずに突っ込んだんだろうし、中に乗っているやつは全員即死しているだろうな」

「宇宙人なら、その程度では死なないんじゃないか?」

「……何だろうな、凄い説得力を覚えたぞ」

「仮に宇宙人だとしたら、どんな姿形をしているんだろうね……古典的(クラシック)に、イカみたいな姿をしているのかな」

「映画のエイリアンみたいにグロテスクな外見をしているかもしれないぞ」

「おいおい、それなら俺たちは好奇心に駆られて自ら入り込む、間抜けな餌になるじゃないか」

「温度差250℃以上の真空かつ苛酷な環境で動き回れる生物だったら、何処にいたっていずれは餌にされるだろ」

「そもそも、そんな強靭な生命体なら宇宙船なんて作る必要が……あるのか?」

「……一理ある」



 宇宙はロマン、宇宙人もロマン。


 あっという間に脱線しかけている二人の会話に思わず笑みを零したマイケルの耳に、『――お待たせ、指示が届いたわ』リーベルの声が届いた。



『――地上からの指示は“調査せよ”。けれども現場の判断に任せるとも言われたから、最終的には貴方達が判断しなさい』

「了解、ありがとう。それじゃあ、通信を切ってくれ」

『――了解、どうするにせよ、無事を祈っているわ』



 そう告げてすぐに、プツリと声が途絶えた。手早くケーブルを収納したマイケルは、次いで、二人へと振り返った。



「『調査せよ、ただし、最終的な判断は現場に任せる』だそうだ。どうします、僕ははっきり言って、行きたい」

「愚問だな、ここに来て知的好奇心に蓋をするやつがいると思うか? エアの余裕もあるわけだし、見に行くだけでも有意義だと思うぞ」

「癪だが、カルロスに同意だ。月面任務の最中に飛来した隕石のリアルタイム調査とか、人生何十回やっても遭遇出来ないぐらいの確率だぜ」



 ……で、お前は?



 二人は、何も言わなかった。けれども、沈黙の中に込められたその問い掛けに気付かない程、マイケルは鈍くはなくて。



「――もちろん、行くに決まっているだろ」



 ある意味では、NASAでも有名な『宇宙ヲタク』であるマイケルにとって、ここにきて尻込みする理由など……あるわけもなかった。

 





 ……。


 ……。


 …………隕石が飛来した場所は、目測にて(そういう訓練もしている)おおよそ1kmくらい先……だろうか。



 月面には目測を図る為の丁度良い建築物やら目印が無いので、誤差数十メートルはあるだろうが……それでも、MSCを使えばそこまでのモノではない。


 加えて、落ちた場所はこれまで調査して安全を確保したルートから少しばかり外れている。なので、途中から速度を落とし、何時も以上の慎重な走行を余儀なくされた。



「……おい、嘘だろ?」



 だが……しかし、その苦労も。思わず零したカルロスの呟きが示した通り……そんな苦労など宇宙の彼方にぶっ飛ぶぐらいの衝撃が、3人の胸中を駆け巡っていた。



 ――いったい何が……その答えは、一つ。



 居たのだ……そう、隕石が飛来したそのポイントの傍に、居たのだ。人類が……おそらくは人類史上初となる、地球外生命体と思わしき存在が。


 その生命体は……遠目からなのではっきりとは分からないが、人の形をしている。


 人間と同じように胴体があって、両腕があって、両足があって、頭があって……首から下の機械的(としか、3人は表現出来なかった)な部分を入れ替えれば、人間と全く区別がつかなかっただろう。


 加えて、よくよく目を凝らせば……そいつは、女の顔と同じく、機械的ではあるが女の体つきをしている。


 大きく張り出した胸や尻、体つきもそのようにしか見えなくて、さらに付け加えれば、その顔は……世辞抜きで『美人』の範疇に入るであろう造形であった。



 ――しかし、人間ではない。それだけは、3人ともが同時に確証を得ていた。



 何故なら、そいつはヘルメットをしておらず、宇宙空間に生身の頭部を晒している。現在、それを可能とする技術を人類はまだ見つけ出しても生み出してはいない以上、人間でない証左であった。


 これは何も、NASAに限った話じゃない。


 何処の国もそうだし、新技術がどうとかのレベルではない。単純に、現在の科学力でそれが出来るのは、ファンタジー(漫画)の中というだけの話なのだ。


 だから、ヘルメットをしていないというその時点で……『彼女』が人間でないことを明確に証明して――っ!?



「おい、マイケル」

「ああ、分かっている」

「人形ではないが……ロボットでもなさそうだな」

「ああ、分かっている」

「……? おい、マイケル?」

「ああ、分かっている」

「何を、分かっているんだ?」

「ああ、分かっている」

「宇宙ヲタクめ、興奮し過ぎだ馬鹿野郎」



 今だ呆然としているカルロスを他所に、ジョージとマイケルは通信越しに会話をする。その視線は絶えず『彼女』へと向けられ……同時に、『彼女』もまたこちらを見ていた。



 ――そう、見ていたのだ。先ほどまで、『彼女』は確かにこちらを見ていなかったのに。



 風など存在しない宇宙において、勝手にナニカが動くなんてことは有り得ない。


 仮に何らかの要因で動いたとしても、そのまま動いて、自然に止まることはない。別の要因で止められない限り、半永久的に動き続けてしまう。


 けれども、『彼女』はそうではない。動いて、その場に止まっているのだ。


 その時点で、『彼女』は意志ある存在であることを明確に表していた。


 だからこそ……ようやく我に返ったカルロスを含め、3人は慎重な対応を迫られることとなった。


 何せ、相手は地球外生命体。首から上が人間のソレであるとはいえ、そんなのはたまたま似ていただけだろう。当然、人間の常識なんぞ知るわけもないし、そもそも友好的な性格をしているのかも分からない。


 そのうえ、宇宙空間に頭部を晒せる技術。並びに、機械的な身体……慎重になって当然だ。


 ただ、希望的観測を見出すのであれば、接近している最中に攻撃を仕掛けて来ないあたり、好戦的な宇宙人ではなさそうだが……ん?



「……二人とも、通信装置に異常が出ていないか?」



 最初に異変に気付いたのは、マイケルであった。「いきなり我に返るなよヲタク野郎」と、苛立ち紛れに反応したジョージであったが……その怒りも、すぐに困惑に取って変わった。



「……ノイズか、これは?」



 ヘルメット内の耳元辺りに内蔵されているスピーカーから聞こえて来るのは……何とも形容しがたい異音であった。


 それは、ラジオなどのチューニングが合わない時に出る音が……比較的近しい。しかし、ここは月面だ……地上のラジオの電波も、ここまでは届かない(そもそも、アンテナが向けられていない)。


 並びに、互いの通信装置に不備が生じたというのも考えにくい。機械なので前触れもなく突然壊れる可能性を否定は出来ないが、3台が同時に壊れるとなれば……限りなく0に近いだろう。



「太陽フレアの兆候は確認されていなかったよな?」

「少なくとも、この任務中には……新たに発生したのかな?」

「それなら、とっくに引き返す指示が来ているはずだ」

「そうだよな……じゃあ、さっきの隕石か?」

「MSCの通信が無事で、こっちが壊れる事の説明が付かないだろ。少なくとも、さっきの通信が何事も無く行われた辺り、それも違う」



 故に、おそらくは唯一だと思われる原因を挙げてはみたものの、即座に否定された。


 まあ、その点については誰もが『違うだろう』と思っていたから、特に思うところはなかった。


 ……となれば、だ。


 他に考えられるとしたら……自然と、3人の視線が前方の未確認生命体へと向けられる。


 言葉にこそ出さなかったが、彼らの考えていることは必然的に一致した。


 ――そう、あの未確認生命体が何かをしている、という可能性に。



「……攻撃と判断した方が良いのか?」

「いや、僕は違うと思う。今のところは誰も異常を来たしていない。少なくとも、攻撃の意図が有ってコレをしているわけではないのでは……?」

「宇宙ヲタクのお前のその発言、信じてよいのか迷うところだな」

「とはいえ、我々は丸腰にも等しい状況だ。武器といえるのはMSCに搭載してある、坂越え用のピッケルライフルに、宇宙用に開発された玩具のハンドガンが一丁……不意を突いたところで勝てると思うか?」



 カルロスのその言葉に、二人は……無理だ、と声を揃えた。


 実際のところは不明だが、技術力に差があるのは想像するまでもない。というか、地球外生命体と戦争にでもなったら……止めよう、考えると怖くなる。



「……とにかく、まずは挨拶だ。相手に敵意が無い以上は、僕たちは友達になれることを彼女に示さなければならない」



 変わらず立ち尽くしている『彼女』の前にMSCを停めたマイケルは、そう告げて月面へと降り立つ。「あ、おい、待て!」気づいた二人が慌てて後を追い掛けようとするも、マイケルの方が位置的にも早かった。




「こんにちは。僕はNASAというアメリカの宇宙ステーションに所属している宇宙飛行士の、マイケル・デイビットだ」


「僕はね、宇宙が好きなんだ。何時か、宇宙人と会って話がしたいと夢見ていたんだ。それが今日、叶って僕はとても嬉しいよ」


「君が僕たちを警戒する気持ちは分かる。でも、僕は君を傷つけるつもりも敵意を向けたいとも思わない」


「少しばかりでいい、今だけでもいい。僕とお話をしてくれないか? 君は何処から来て、どのような目的でここにいるんだい?」




 言葉は通じていないと思っていいだろう。そもそも、宇宙空間である以上、言語という名の音声を利用したコミュニケーションは、無意味だ。


 それでも、けれども、同時に思うのだ。


 相手は、宇宙人だ。ならば、もしかしたら……こちらの言語を瞬時に解析し、翻訳し、魔法のような技術を既に確立しているのでは、と。


 故に、マイケルは普段通りに話しかけた。


 同僚に話し掛けるような、何時もの調子で……まあ、ちょこっとばかり早口だったり声色が上ずっていたりしているのは……御愛嬌というやつだろう。


 その思惑は、果たして成功したのか。マイケルにはそれを知る術はなかったが、とりあえずは……何もしてこない。


 一歩ずつ、距離を縮めているのに何一つ攻撃は仕掛けて来ない。


 隠れもしないし、逃げもしない。表情こそ変わらないから分からないけれども、とにかく、このまま――えっ?



「――っ!?」



 ぴしっ、と。嫌な音をマイケルが耳にした、その瞬間。外界と隔てているヘルメットのフェイスカバーに、幾つもの亀裂が走って――しゅう、とエアが外に漏れる音がし始めた。


 悲鳴を――上げると同時に、異常を知らせるアラーム音がヘルメット内を反響する。「え、エアが!?」反射的に顔を押さえて蹲ったマイケルは……不思議と、死の恐怖を感じなかった。


 それよりも、ずっと強く、重く、激しくマイケルの胸中を抉ったのは……悲しみ。そう、マイケルは、命の危機よりもずっと、それが悲しかった。



 何故なら、マイケルにとって宇宙とは……宇宙人とは、あこがれの存在であったからだ。



 今でも時々茶化されることはあるが、どうしようもない。


 だって、マイケルが宇宙飛行士を目指した理由は、何時か本物の宇宙人と会って、お話がしたいという……ただ、それだけであったから。


 おかげで、色々と小馬鹿にされることの多い少年時代であった。


 ジュニアスクールの時なら、話が合う友達がいっぱい居た。けれども年齢が上がるに連れて、彼ら彼女らは卒業していった。マイケルだけは、変わらずそこにいた。


 だから、周りはマイケルを『何時までも子供で夢見がちな坊や』として扱った。でも、マイケルは変わらずそこにいた。


 そうしていると、何時しかマイケルに向けられる眼差しは二つに分かれた。



 一つは、『ナード(ヲタク)だけど本気で宇宙を目指しているナード』


 もう一つは、『何時までも現実に目を向けないモテないナードくん』



 この二つだ。割合としては、圧倒的に後者が多かった。


 夢を目指しているマイケルは特に苦痛を覚えることはなかったが、ガールフレンドが一人も出来ず、頭の良い宇宙ヲタクとして小馬鹿にされたのは……まあいい。


 そんなマイケルにとって、今の状況は……只々悲しい出来事でしかなかった。


 何か誤解を招いてしまったのか。それとも、始めから敵対するつもりだったのか。攻撃の理由は、幾ら考えたところで答えなど出るわけもない。


 それでも、マイケルは考えることしか出来なかった。己の不用意な選択が、夢を遠ざけてしまったという事実が……只々辛くて堪らなかった。



「――馬鹿野郎! 何時までも蹲っているな!」



 その言葉に、マイケルはハッと我に返る。振り返れば、『テープ』を片手にジョージが傍まで来ていた。


 この『テープ』とは、宇宙用に開発された特殊なテープだ。その用途は何らかの要因で宇宙服等が破れた場合に、エア漏れを防ぐ為に貼り付けて使用する。



 ……もちろん、用途は宇宙服だけではない。



 フェイスカバーのヒビ割れによるエア漏れを塞ぐのにも使用する事が出来る。無音の中で無色透明なソレを伸ばしたジョージは、ぺりぺりと……慎重な手付きでヒビに貼り付け始めた。


 原始的なやり方だが、宇宙空間ではジェル状の接着剤などは使えない。宇宙服を纏っている今は分かり辛いが、太陽光の熱気は瞬く間に100℃に達する程に強いからだ。


 もちろん、この『テープ』もそう長くはもたない。あくまで、応急処置なだけ。漏れ出るエアの量を減らすだけであって、今も微量ではあるが漏れ続けていた。



「最新のカバーフィルムを使っていて良かったな。去年までのやつだったら内側から弾けて、今頃お前は全身の血液が沸騰して死んでいたぞ」

「ぎ、技術の進歩に感謝……」

「後で地上にお礼を言っておけよ……で、どうだ? 見える範囲は抑えたが、計器に変化は出ているか?」

「……微量ではあるけど、エアは漏れ続けているみたいだ。今すぐどうこうなるわけじゃないけど、想定よりも早く戻らないと駄目みたいだ」



 尋ねられて、マイケルはそう答えると、ペタペタと、何重にも貼り付けたフィルムの具合を確かめるようにカバーに触れる。



「……何とか、大丈夫そうだ」



 とりあえずは、これで動けるようにはなった。その確信を得たマイケルは、ジョージにお礼を告げようと顔を上げた――その時。



 ――うわあ!



 マイケルの……いや、違う。マイケルだけではなく、ジョージの通信にも同じ音声が入って来た。その声の持ち主は……カルロスだ!


 反射的に振り返った二人が目にしたのは、ふわりと宙へと浮き上がって……次いで、尻餅をついたカルロスの姿であった。


 まさか、攻撃された……いや、違う。


 よく見れば、その手にはハンドガンがある。仰向けに転がりはしたが、すぐに身体を起こした……攻撃を受けたにしては、負傷の跡も見られない。


 というか、攻撃するも何も、だ。


 当の『彼女』自身が、どこか困惑した様子でカルロスを見つめていた。無表情ながらも感情は豊かなようなのか、それがマイケルにもよく……待て。



 ――困惑、だと?



 幾つもの亀裂とテープ越しに見える『彼女』を見つめていたマイケルは、ヘルメットの中で思わず驚きに大声を上げ……そして、想定していた中でもかなり悪い状況であることを理解した。


 何故なら、困惑するということは……積極的な敵意を持っていないことの表れだからだ。


 その点だけなら、まだ良かった。だが、怒りではなく困惑するということは、同時に、こちらの攻撃を攻撃だと認識していないということ。


 つまり、こちらの武器では絶対に倒せない相手であるということの証左であって……それを改めて示すかのように、ジョージは所持していたピッケルライフルを『彼女』に放った。



 ――だが、放たれたピッケルは『彼女』に当たらなかった。そうなる前に、『彼女』が掴み取ったからだ。



 それだけで……マイケルは理解した。


 宇宙空間でも自由に動けるよう目指している自分たちと、宇宙空間でも生きられる『彼女』とでは、やはり、根本的な差が有り過ぎ――あっ。



 ――もはやこれまでと思ったのだろうか。驚くことに、道具が通じないことを理解したジョージが、『彼女』に向かって殴りかかっていく。



 それは、もはやヤケクソでしかなかった。いや、実際にヤケクソなのだろう。


 幸いにも『彼女』にその気はないようで、反撃はせずにされるがままのようであった……と。


 唐突に、ジョージが体勢を崩した。


 顔面から、地面へと向かう。地球の6分の1の重力とはいえ、宇宙服そのものの重さは相当だ。そのうえ、けして身動きしやすいわけでは――このままでは、最悪ジョージのフェイスカバーが破損してしまう。


 最悪の事態を想起したマイケルが、反射的にジョージへと手を伸ばした――が、それよりも早く。地面に顔面をぶつける前に、その身体を受け止めた者がいた。



(――ジョージを、守った!?)



 そう、守ったのは他でもない。今しがたまでこちらから一方的に攻撃を仕掛け続けた『彼女』が、わざわざジョージを抱き抱えるようにして受け止めたのだ。


 そこに、攻撃の意志は全く見られなかった。いや、むしろ逆だ。


 まるで、手の掛かるワガママな坊やを宥めるかのように、その手は優しくジョージの後頭部へと回される。『――ど、な、なんだ!?』困惑しているのが通信を通して伝わって来た。


 ジョージの気持ちは痛い程分かる。と、同時に、ジョージも状況を理解したようだ。抵抗らしい抵抗は止めて、機嫌を損ねないように大人しくしている……と。


 不意に、『彼女』の瞳がマイケルを捉えた。その事実に、思わずマイケルは肩をびくつかせた……その、直後。



(――な、なんだ?)



 マイケルの耳が拾ったのは、先ほども起こったノイズであった。



(くそ、さっきの事で通信がイカレタのか?)



 まさか、このタイミングで故障するとは。エアを失っただけでなく、ヘルメットも破損。これで通信装置まで故障とは……そう毒づきながら……待て、ノイズだと?




 ……。


 ……。


 …………本当に、故障しているのか?



 それは、マイケル自身にも上手く説明出来ない感覚であった。


 直感……というやつなのかは定かではないが、脳裏を過る推測によって高鳴り始めた鼓動を深呼吸で抑えながら……傍の二人に尋ねた。



「カルロス、ジョージ。そのままでいいから聞いてくれ……二人とも、通信にノイズが混じっているか?」

「……ああ、ノイズがある。会話出来ない程じゃないがな」

「こっちもだ。くそ、この状態でまたコレかよ……」



 尻餅を付いたままのカルロスも、抱き抱えられたままのジョージも、同じ症状に見舞われている。


 まただ、また、3台の通信装置が同時に不調を起こして……あっ。


 ……ノイズが、止まった。


 前触れもなく、突然。スイッチを切ったかのように、ピタリとノイズが止まった。「二人とも、今はどう?」もしやと思って二人に尋ねてみれば、二人からもノイズがたった今止まった事を教えられた。


 ノイズが始まるのが同時に起こって、止まる時も同時に止まった……と、思ったら、またノイズが起こった。


 念のため二人にも聞けば、先ほどと同じくノイズが始まったと答えた。



(……まさか、これは)



 その瞬間……マイケルは確信を得たのを理解した。と、同時に……涙が出そうになるぐらいに嬉しくなった



(ノイズではなく、『彼女』の言葉……ノイズは、通信機器が辛うじて拾えている言葉の断片なのか!?)



 何故なら、『彼女』はやはり攻撃の意志がなかったからだ。


 最初から、『彼女』なりにコミュニケーションを取ろうとしていたのだということが……分かったから。


 だから……マイケルもそれに倣うことにした。


 けれども……言語では駄目だということにはすぐに気づいた。


 回線をオープンにしたから、『彼女』もこちらの声が聞こえているはずだが……どうにも、反応が鈍い。


 想像するまでもなく、こちらの言語を言語として認識出来ていないのだろう。


 それを察したマイケルは、しばし視線をさ迷わせた後……おもむろに、ジェスチャーを始めた。



「おいマイケル、何をやって……?」

「『彼女』は僕たちとコミュニケーションを取ろうとしている。言葉は通じていないけど、僕たちを意志ある存在だと認識出来ているみたいなんだ」

「なんだって?」

「とにかく、ジョージを放して貰えるようにジェスチャーをする。たぶん、それで伝わるはずだ」

「伝わるって、相手は未知の異星人だぞ」

「困惑する気持ちは分かるけれども、話は後だ。『彼女』とは……対話が出来るはずなんだ」



 困惑しているカルロスをその言葉で黙らせたマイケルは、とにかく伝われと念じながら何度も何度もジェスチャーを……ジョージを放すようなジェスチャーを送り続ける。


 何度も、何度も、何度も。


 表情というか反応が薄いから伝わっているのかは分からない。けれども、それでも、マイケルは信じた……きっと、伝わるはずだと。



「――通じた!」



 その甲斐あってか、それとも別の理由なのかは定かではないが……『彼女』は、ジョージを放してくれた。「おいおいマジかよ……」驚嘆するカルロスの声が聞こえ、少し後から……ジョージが戻ってきた。



「二人とも、とにかくコレで分かっただろう。少なくとも、現時点で『彼女』は敵じゃない。何とか、『彼女』とコミュニケーションを取るんだ」

「コミュニケーションと言われても……どうするんだ?」

「言葉が通じない以上、身振り手振りでやるしかないだろう。とにかく、僕たちが敵じゃない事を『彼女』に伝えないと!」



 マイケルのその言葉に、カルロスとジョージも……そうだなと頷いた。


 何せ、相手は地球外生命体。今はまだ敵意を向けて来ていないとはいえ、これまで一度として友好的な対応を互いに取ってはいない。


 先ほどのヘルメット破損の件だって、その後に追撃がない事から攻撃でなかったのは明白。


 つまり、こちらの不注意によって起こった、不測の事態でしかない。


 客観的に見れば、勝手に事故を起こした相手が逆ギレして攻撃してきたといった感じだろうか……やはり、このままでは駄目だ。


 そう判断した3人は、とにかく思い思いの動きで、自分たちは貴女に敵意を持っていないということをアピールした。



 マイケルは自分の両手を握り合わせ、まるで互いが握手しているかのような動きを。


 ジョージは自分を抱き締め、あるいは腕を広げて誰かを迎え入れるかのような動きを。


 カルロスは手を振ったり、ハートマークを手で作ったり、声に出したりといった動きを。



 とにかく、少しでも伝わってくれればと考えながら、何度も何度も彼らはジェスチャーをし続け……だが、しかし。



「……駄目だ、通じていないぞ。ジョージ、お前のソレが悪いんじゃないのか?」

「うるせえよ、それを言うならお前のソレは何だよ」



 薄々分かってはいたが、そんなに簡単に事は運ばないようだ。


 ポツリと零したカルロスの言葉通り、『彼女』はいまいちマイケルたちの想いを理解していないようであった。


 辛うじて……本当に辛うじてではあるが、コミュニケーションを取ろうとしているというのは、『彼女』の方も理解はしてくれたようだ。


 けれども、肝心のその先が伝わらない。


 今も、マイケルたち3人の動きを順々に真似しているだけで、そこから情報を得ているようには見えなかった。



「……おいマイケル。お前、エアの残量は後どれくらいだ?」

「それを今になって聞くのかい、カルロス」

「今聞かなかったら、何時聞くんだよ……で、どうなんだ?」

「……ノーコメント」



 そのうえ……ここに来て、無視出来ない由々しき問題が発生した。


 その問題とは、単にマイケルのエア残量であった。先ほどの破損により生じたエアの大量流出。そして、今も続いているエア漏れ……このエア漏れが何よりも優先しなければならない。


 只でさえ、任務後だからエアを消耗した後だった。予備のエアタンクを合わせても、気付けばマイケルだけが、ホームまでギリギリ持つかどうかの瀬戸際になっていた。



「――おい!」



 当然、カルロスは激怒した。ここは、地球ではない。水面へ顔を出せば良いだけの、息を長く止めればいいなんて軽い話ではないのだ。


 それも当然、マイケルだって分かっているはずだ。タイムリミットを過ぎても助かるだなんてのは、ハリウッドの中だけの話であると……なのに。



「分かっている、分かっているんだよ。でも、夢だったんだ。僕は今、夢を叶えているんだ! お願いだカルロス! もう少し、もう少しだけ――ああ、行かないでくれ!」



 マイケルは一歩も引かなかった。と、同時に、マイケルの悲鳴染みた呼びかけに思わず視線を向ければ……いつの間にか、『彼女』がこちらに背を向けていた。


 奇しくも、それが原因だった。


 こちらの状況を察したからなのか、あるいは別の理由か……何処かへ行こうとする夢を前にして、マイケルはエアの残量も頭から吹っ飛んだようだった。


 只でさえギリギリだというのに、大きく身振り手振りで『彼女』を引き留めようと必死になっている。


 そのおかげで、『彼女』は再び興味を持ってくれはしたようだが……その分だけ、余計にエアを消耗してゆく。



「こんなチャンス、人生を何十回と繰り返したところで訪れないんだ……頼む、頼むから、もう少しだけやらせてくれ……頼む、カルロス、ジョージ……!」



 その、通信越しに伝わる真剣な想いに……カルロスだけでなく、ジョージもまた、思わず伸ばし掛けた手を止めた。



「……死んでしまったら夢も糞もねえだろ! 宇宙の隣人との交流はおしまいだ……ジョージ、手伝え。引きずってでも戻るぞ」

「……アイアイサー」



 だが……止めたのは僅か数秒の事だった。


 カルロスとて、夢を求めて宇宙にやってきた身だ。マイケルほどのヲタクでないとはいえ、宇宙に焦がれて様々な雑誌を買い集めた思い出はある。


 だからこそ、命を賭して夢の続きに猛進しようとするマイケルの気持ちも、よく分かった。


 だが……だが、しかし。


 分かったとしても、はいそうですかと認めるわけには、カルロスとていかなかったのだ。そして、それはジョージも同じ気持ちであり、同じ決断を下したカルロスの指示に……従った。


 もちろん……という言い方は違うだろうが、マイケルは抵抗しようとした。


 しかし、相手は二人。おまけに、単純な腕力はジョージの方が上だ。


 必然的に、マイケルが出来る抵抗など高が知れており、そのままマイケルはMSCへと引きずり戻され――る、はずだった。



 ――あっ、と声を上げる間もなかった。



 やはり、『彼女』は宇宙人であった。3人とは比べ物にならないぐらいにスムーズに、かつ素早く接近してきた『彼女』は……腰の辺りからチューブのような何かを伸ばすと――それを、マイケルへと刺したのだ。


 いや……正確には刺したというより、差し込んだのだ。宇宙服に取り付けられた、外部よりエアを供給することが出来る供給口へ。


 これには、傍の二人だけではない。当のマイケルが一番驚いた。


 突如起こった想像外の事態に、3人は思わずその場で互いの視線を見合わせる事しか出来なかった。



「……こ、これは!?」



 だが、結果的にはそれが良かった。



「エアメーター(酸素残量のメーター)が上昇していく……まさか、エアを精製して補充してくれているのか?」

「――そ、それは本当なのか!?」



 思わずといった調子で声を荒げたカルロスとジョージの二人に、「ああ、数値がどんどん上昇していっている」マイケルははっきりとそう答えた。


 ……マイケルたちが見に纏っている宇宙服内部には、エアフィルターと呼ばれている特殊なフィルターと循環装置が内蔵されている。


 これらは何らかの要因で循環装置に不具合が生じて、循環するエアに異常な変化が現れた際に効果を発揮し、検知してくれる特殊な代物である。


 つまり、言い換えれば……循環するエアに不純物……例えば、何らかのガスが混入した場合など、このフィルターと循環装置がそれを検知し、装着者に教えてくれるというわけだ。


 それらが異常を検知しないということは……つまり、送られているのは紛れもなく酸素……それも、人間が使用出来るように濃度が調節されたモノに他ならなかった。



 ……。


 ……。


 …………気配で、『彼女』が離れたのがマイケルには分かった。見れば、『彼女』は先ほどと同じく見上げている。



 ……。


 ……。


 …………今度は、離れようとはしない。これは……もしかしたら、僕の反応を待っているのだろうか?



「……君のおかげで助かったよ。ありがとう、君は命の恩人だ」



 とりあえず、まずはお礼の言葉を……そんな調子で、マイケルは『彼女』にお礼を述べる。


 すると、分かっているのかいないのか……『彼女』は僅かばかりに頷くと、再び……マイケルを見上げた。



 ……ああ、そうか。



 それを見たマイケルは……どうにか『彼女』の気を引こうと様々な言葉を投げかけていたが……止めた。


 その代わり、マイケルがしたのは……『彼女』と目線を合わせる事。膝を付いて、『彼女』と同じ目線になったマイケルは、そうしてから改めて。



「僕の名は、マイケル。マイケル・デイビットだ……君の名は?」



 肩書も何もかもを捨てて、己の名を告げた。


 ……その、直後。前触れもなく、『彼女』の両手がマイケルのヘルメットを掴んだ。


 あまりに突然の事に、思わずマイケルは面食らった。だが、この驚きも



『……てぃな。わた、し……てぃ、な……わたし、てぃな……』



 直後に、通信装置越しに響いた……『彼女』のモノと思わしき声によって、掻き消されてしまった。


 自分を指差し、己を指差し、自分を指差し、己を指差し。


 交互に行われるその動きは紛れもない……先ほどマイケルたちがやった、ジェスチャーそのもの。



「てぃな……てぃな……ティナ? 君は、ティナというのかい?」



 逸る気持ちを抑えながら、マイケルがそう尋ねれば、『彼女』はまたもや僅かに頷き……そして。



 ――人間と同じように、微かに笑ったのであった。






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