13.Virtual
「【シャーデンフロイデの断末魔】、完結させたんだね」
あれから、三か月後。
僕は【SHOWCASE】の代表取締役、白縫くるみと再び対面していた。
いや、現在は株式会社【SHOWCASE】は解体し、社員だった人たちはそれぞれ【プロジェクト・エンティティ】の様々な部門に吸収されて、今、白縫さんは個人事業主となっている。
だから今回は面会の場所も立派なオフィスではなく、寂れたマンションの一室だ。
そもそも【SHOWCASE】が【プロジェクト・エンティティ】の一部だったことを思えば、会社が立ち行かなくたって路頭に迷う人など最初からいなかったのではと、今なら思う。
そんなことも気づかずに罪悪感を感じさせられたのは、場数を踏んだ大人のやり口に上手くやり込められた形だったのだろう。
ただ、実際に白縫さんはプロジェクトから切り離されているし、そして僕がゴーストライターとして活動してきたことで、被害を被った人がいることも間違いはないのだ。
例えば、僕の父のように。
「あの作品は、父のものですから。そろそろ返さないといけないと思いまして」
「ははあ、それでifルートの完結という形だったんだ」
僕が父の代わりに執筆していた【シャーデンフロイデの断末魔】は一巻から分岐したifルートだったのだけれど、そちらを先日、完結させた。それなりの反響を呼んで売れ行きも悪くないが、ifルートが完結したことで、三巻以降、ずっと保留となっていたifではない本筋の物語に今、再び注目が集まっている。
「僕が書き続けていたら、父はいつまでも自分の作品を書けないでいたでしょうから」
「私は若名くんが書いたifルートも好きだったんだけどね」
「でも、一番好きなのは一巻でしょう?」
「もちろん」
こんなことは確認するまでもない。
僕も父の書いた物語に魅せられたシャーフロキアンなのだから、言わずとも分かる。
結局、僕がゴーストライターとして物書きを続ける限り、本物を超えることはできない。【シャーデンフロイデの断末魔】の一巻を超えることができるのは、この世界で父だけなのだ。
父に限らず、僕がゴーストライターとして書いてきたものは、本物を超えることはない。超えないように書いているのだから当然なのだけれど、それでは、作品の可能性を潰していることになる。
ニュース記事となると話は変わってくるけども、それだって、檜扇衵が今回、入念な調査のうえで【ミス・ノンフィクション】の記事を書いていれば、最初から羽野が犯人だということぐらい見抜いていたのではないかという気はしている。
それもこれも、全部仮定の話に過ぎないけれど。
「それにしてもゴーストライターとして雇われていたことを公表しなかったのは、少し意外だったかな」
「何でもかんでも表に出せばいいって問題でもないですからね」
「バーチャルYoutuberと同じか、そこは」
僕は頷いて答える。
さすがに担当編集にだけは相談したのだけれど、ゴーストライター自体は業界内では暗黙の了解とされていて、むしろ僕が罪悪感を覚えないようにと心配してくれたぐらいだった。
「だからといって、ゴーストライターとしての活動を続ける気もないですけれど」
「それで今日はここに来てくれたわけだもんね」
「まだ仕事を受けると決めたわけではないですよ」
今回、白縫さんと会っているのもまた、ビジネスのためだった。
だけど今度はバーチャルYoutuberの仕事でもなければ、もちろん、ゴーストライターの仕事でもない。
「それで――羽野のほうは順調なんですか?」
「ああ、親元を離れるための手続きもちゃんと終わったよ。向こうの男は、随分と粘ったけど」
「……それは、良かったです」
今回の件で一番の危惧は、そこだった。
僕や浜風が介入できない、家庭の事情。
何とか羽野の自殺は阻止できたものの、それで結局、羽野があの最悪な環境に戻ることになるのでは意味がなかったのだし。その辺りで法的な解決手段を取れたのは、羽野の年齢と、【SHOWCASE】の解体に際して白縫さんや羽野が上位のプロジェクトから損切りされたことが関係しているらしいが。
「引き取り先の劇団でも、大丈夫そうなんですか?」
「そうだね、元々、ワケありの子どもばかりを受け入れているところだから。まにまなんて、むしろ大した問題を抱えていない部類だよ」
「……あれでもですか」
「あれでもだよ。五体満足で声も出せるんだから」
不幸比べほどくだらないこともないけれど、と白縫さんは付け足すように言う。
僕の批判的な視線に気づいたのかもしれない。
「それにまにまの問題は、きみたちが粗方解決してくれたようなものだしね」
「それに関しては、僕は何もしていませんよ」
「いいや、きみのお陰だよ――つまり、きみの責任だということだ」
白縫さんは言う。
「きみがいなければ、みずちがあんな風に配信を続けることはできなかったはずなんだから。それに、あの配信のアーカイブを見て、きみの演出にまにまが惹かれたから、こうして仕事の依頼を回すことになったわけなんだから」
「……まあ、そう言われてしまうとそうなんでしょうけれど」
反射のように否定してしまったものの、今度は素直に聞き入れる。
自分の書く文章が悪い影響を生むだけではないことは浜風に教えてもらったけれど、だからといって、良い影響が及ぼす結果に関して、無責任にいられるわけでもない。
「きみだけが背負う問題でもないけれどね。みずちのことに関しては、私の責任が大きい。だからこそ、こうして今も面倒を見続けることになっているわけだけれど」
と、白縫さんは漏らすつもりではなかった愚痴が漏れ出てしまったかのように言う。
この人が疲弊しているところを見ると、ちょっとだけ溜飲が下がるな。
浜風にも散々振り回された僕だけれど、元を正せば、全ての元凶はこの人だという気がしてならない。だからもうしばらくあいつには、好き勝手してもらっておこう。
「みずちには会っていかないのかい? 配信の準備中だけど、まだ時間はあるから呼んでこようか」
「いや、いいですよ。今日はビジネスの話で来ただけですし。それに男に会ってから生配信してるなんて、視聴者に言えないようなことは避けるべきでしょう」
「必ずしもそういうわけでもないんだけどね。ははあ、きみも存外、厄介なファンだ」
「ファン――では、ありますけど」
肯定した僕をにやけた顔で眺めながら、白縫さんは懐から取り出したメモにさっと字を書いて僕に手渡してきた。
「その住所がまにまが今世話になってる劇団の稽古場だよ」
「ありがとうございます」
「辿り着いたら、紙はシュレッダーか何かで処分するように。住所や公演の情報を記録に残さないっていうのが、あそこの座長の方針なんだ」
「随分と気難しそうな感じですけれど」
「それはそうだよ、何せあの人は、私と違って不祥事を起こしたわけでもないのに【プロジェクト・エンティティ】から追放された唯一無二の老人だからね」
「……なるほど」
記録に残らない劇団というのは、たしかに【プロジェクト・エンティティ】の名残を感じないでもないけれど。それなら十分な心構えをして訪ねていくことにしよう。
――と、気負いながら、白縫さんにもらったメモに書かれた住所に向かったものの。
「あ、鼠さん!」
まるでお遊戯会のように折り紙で作られた装飾で飾られた劇場で羽野に迎え入れられ、その緊張は一瞬でほぐれてしまった。
舞台の上では小学生ぐらいの子どもたちがダンスとも演技ともつかない不思議な動きをしている中で、客席で二人並んで座る。
「久しぶり。……ようこそ、私たちの劇団へ」
「ああ。元気そうで何よりだよ」
「えへへ。鼠さんとみずちちゃんのお陰だよ」
三か月ぶりにあった羽野は血色もよくなり、表情も明るくなっている。
一目見て解放感の分かる豹変っぷりだ。特に変わったのは、外見。
長い三つ編みをばっさりと切り落としショートカットになった羽野は、以前より健康的だ。
表情を隠す前髪も、胸元を覆い隠す後ろ髪も存在しない。
「鼠さんは? ちゃんと物語、書き続けてる?」
「……苦戦はしているよ。やっぱりオリジナルの作品を書くのは難しいね」
ゴーストを辞めてから一番苦戦しているのは、それだった。
ゴーストライターであれば、他人が書こうとしている作品、その魅力に乗じることでどんなものを書けば良いかが分かったのだけれど、個人として何か文章を書こうとすると、これが中々上手くいかない。
今まで一度たりとも自分の物語を書いてこなかったのだから、当然かもしれないが。
「でも、今日来てくれたってことは、引き受けてくれるつもりなんでしょ?」
「……正直、着いてからの行き当たりばったりで決める気だったんだけど」
期待に満ちた表情で羽野に見つめられ、目を逸らしながら僕は言う。
「でも、まあ、受けさせてもらおうかなと」
「やったあ! ははっ」
僕の返事に食い気味に、羽野は大きな声を出して笑う。その声は壇上の子どもたちにも届き、一瞬、稽古が止まってしまったものの、羽野が愉快そうに手を振ると再び始まった。
「ありがとっ、私の初めての舞台は絶対……鼠さんが書いた脚本がいいなって思ってたから」
羽野は今にも飛びついてくるかのような勢いで喜んでいる。
一体、何がこんなに羽野に気に入られるきっかけになったのかは、未だに僕はよく分かっていないのだけれど。以前、浜風からは「まにまちゃんに代わる、新しい依存先に選ばれたんじゃないの?」なんて揶揄していた――僕が浜風みずちをそれなりに上手く演出したのを見て、僕を頼れば、まにまちゃんをより精密に表現できるんじゃないかと思われているのかもしれない。
だとすれば、とんだ誤解もいいところだが。
だけどもし本当にそうなのだとしたら、その期待には応えなければならない。
それが僕の書き物が与えた良い影響の、責任を取るということだ。
「そしたらお爺ちゃんにも伝えてくるねっ」
座席を飛び出し、舞台の裏にいるお爺ちゃん――座長の元へ羽野は駆けだした。
その背中を見ながら、僕は思う。
僕は責任を取らなければいけないが、劇団で彼女が上手くやれているのはきっと僕の影響なんかじゃなくて、彼女の努力のお陰だろう。
まにまちゃんをよりはっきりと、表現したい。
羽野の引き取り先に関しては、白縫さんの采配ではなく、羽野の強い希望により決められている。演技の練習をしたい。表現の幅を広げたい。そんな風に彼女は白縫さんに相談をしたらしい。
羽野に都合の良い引き取り先があったのは、白縫さんのネットワークの広さ故ではあるけれど、彼女が自分から希望しなければ、羽野はもっと無難な施設に入っていたはずだ。
だけどあいつは平坦で普通な日常よりも、困難で厳しい異常を求めた。
その芯の強さはやはりバーチャルYoutuber波乃まにまらしさであり――そして、不幸な人生から逃げずに戦うことを選んだ羽野まにまらしさでもある。
稽古場の裏から、怒号が響く――。
それが座長の声だったと分かったのは、半泣きになりながら客席に戻ってきた羽野の姿を見たからだった。
「ぶええ、鼠さん……」
「どうした?」
「お爺ちゃん、鼠さんの台本を使うの、承諾してくれなかった……」
許可取ってなかったのかよ。
新米の劇団員が勝手に台本を依頼していたら、怒られるに決まっているだろうに……。
「お前はまだ発声も身体の使い方もダメなんだから、他所様のホンで演じられる技量がないだろうって……」
しかも怒られ方も理に適っている。小説には小説の、演劇には演劇の物語の書き方があり、僕は当然演劇台本には精通していないから、その辺りの調整は団員側の技量任せになってしまう。依頼を受けることにはしたが、その調整をどうするべきかは僕の中でも課題だった。
そしたらやっぱり、依頼は僕の方から断るべきか――そう迷っていたところで。
「だけどね、鼠さん。お爺ちゃんも、最近は感情表現は上手くなったって褒めてくれるんだ」
そんな風に嬉しそうに笑う羽野に、打ち砕かれる。
――何にもできないから、私なのに。
そう自虐していた羽野は、前を向いて成長し始めている。
「……この後、稽古、見て行ってもいいかな」
「うん? ……うん、もちろん良いと思うけど」
「僕も演劇向けの台本に寄せられるようにしてみるからさ。それで完成した台本を持って、一緒にお爺ちゃんに認めてもらおうぜ」
あの羽野でさえ変わろうとしているのだから、そのきっかけを作った僕が停滞しているわけにはいかない。
「それは辞めたほうがいいんじゃないかな。お爺ちゃん、男の子には普通に暴力振るうし……」
覚悟を決めた僕を萎えさせるようなことを言う羽野。
それはさすがに冗談だと思いたいのだが……。
「でも鼠さんがそう言ってくれるなら、心強いよ」
そんな話を経て、午後十九時前。
劇団の稽古を見学し終え、僕はマンションへと帰った。
帰宅してすぐにパソコンを起動し、Youtubeにアクセスする。
そして迷うことなく、浜風みずちの生配信の待機場のページを開いた。
浜風は今も、バーチャルYoutuberとして活動している。
浜風が羽野を探すために始めたあの配信以降――とある遊びが世界中で流行り始めた。
『ノンフィクション・チャレンジ』と呼ばれるそれは、生配信の最中に五分間、誰からもコメントをされずに過ごすことができたらクリアという内容で、バーチャル、リアルを問わない多くのYoutuberが挑戦しては失敗するという、一種のバズを起こしている。
本来ならそれは有名な配信者になればなるほど難しく、逆に、無名の配信者であれば簡単に達成できるようなものなのだけれど、そのチャレンジを達成させないようにするためだけに、過疎化している配信にアクセスしてはコメントを残す視聴者もいるぐらいだ。
そのチャレンジの流行により、浜風みずちを含む【ミス・ノンフィクション】の問題はあやふやなまま流されることになり――今日に至るまで浜風は、あの日にした配信以上のことを一切説明しないまま、活動を続けている。
それどころかあいつは自分がムーブメントの中心になっている『NFチャレンジ』についても一度も触れたことがない。
今の浜風みずちは週に数回の配信で、毎回毎回、まったく新しい逸話を残しながら活動している、最も注目されるバーチャルYoutuberになりつつある。
――結局のところ、バーチャルYoutuberというのはキャラクターである。
2Dもしくは3Dのキャラクターグラフィックを用い、実際にそのキャラクターが動画投稿や生放送を行っているような演出を行うYoutuberであり、キャラクターが実在しないということは視聴者の暗黙の了解とされている。
そして彼女たちのキャラクターは様々な設定がなされているがその輪郭は曖昧で、それを演者たちが出すコンテンツで補強していくのが、実在のYoutuberと異なる楽しみ方の一つだ。
ただしその輪郭は、演者が不甲斐なければ視聴者たちの間で勝手に解釈され、好きなように固められてしまう。想像の余地を楽しむコンテンツであるが故に、配信者が気を抜けばキャラクターの操舵権は簡単に自身の手元から離れてしまう。
だから配信者は常に自分のキャラクターの主導権を奪われないよう、視聴者の想像を超えて、視聴者を満足させる配信を続けなければならない。
あんたたちが考える私より、私が見せる私のほうが面白いでしょ? と、視聴者たちに言い続けられるような人間じゃなければ、バーチャルYoutuberは務まらないのかもしれない。
思考を停止した生易しい界隈だなんて、とんだ勘違いもいいところだった。
自身のアイデンティティを賭けた存在の奪い合い――それが浜風が再び身を投じた環境なのだけれど、彼女はその中で、誰よりも生き生きと活動を続けていた。
誰の想像も軽々と飛び越える、奔放で破天荒なバーチャルYoutuberとして。
さて、今日の浜風みずちはどんな配信をしてくれるのだろう。
カウントダウンと共に始まった配信の画面は真っ暗で、BGMもない無音の中で、聞き慣れた声が響く。
『よく来たわね、あんたたち。今日はあんたたちに、手伝ってほしいことがあるの――』
V アシキ @ashiki_books
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます