十八の話

 夜明け前に目が覚めた。

 李花はいつものように布団を畳み、同じ部屋で眠る志蓬しほに気づき、ここは今までの旅籠屋でないと思い出した。

 あの旅籠屋の人達は、どうしているだろうか。女将に恫喝され、心を殺して仕事をさせられているのだろうか。昨日の朝までの李花がそうであったように。

「李花、おはよう。朝から働くのね」

「おはようございます。志蓬おねえちゃん」

 志蓬の布団も畳もうとして、やんわりと止められた。

「李花、いいのよ、そこまでやらなくて」

「駄目です。こんなに甘えていては、私は我が儘になってしまいそうです」

「いいのよ、甘えて」

 志蓬は李花に近寄り、手をとり、優しくさする。

未明びめいから、少しだけ李花のことを聞いちゃった。李花は奉公に出てもおかしくない歳だけど、だからといって冷遇されて良いわけはない。私達を頼って、甘えてよ。そうしてくれると、私達も嬉しいから。きっと、未明もそう思っているはず」

 狸の油の効果がなくなってかさつく手は、もう冷たくない。

 李花は、はい、と頷いた。

 昨夜出くわした蜥蜴という老人のことを思い出した。知り合いにかくまってもらえただろうか。李花は蜥蜴老人の無事を密かに願った。



「おー、李花、起きたか」

「おはようございます、蓮伍れんごおにいちゃん」

「おはよう、李花」

「おはようございます、未明おにいちゃん」

 蓮伍に、未明に、頭を下げ、そのたびに頭を撫でられる。

「くそ可愛いな、李花は。一緒に洸都こうとに行くか? 饅頭いっぱい食わしてやるよ」

「あんた、いい加減になさい」

「なんだよ、志蓬。冗談だよ」

 蓮伍と志蓬のやりとりに笑ってしまうと、李花は未明に呼ばれた。

「おいで、李花」

 李花は未明の近くに寄る。

「髪を結ってあげよう」

 未明が取り出したのは、つまみ細工の桜花が咲いたかんざし。昨日の夕方に未明がつくっていたものだ。

 李花は髪を梳かれ、まとめた髪に簪を挿される。

「べっぴんさんじゃねえか。あんた、あと三年もしたら、相当な美人になるぜ」

 蓮伍に褒められたが、李花はしっくりこない。

 鏡を見ても、簪の桜花が自分からは見えないことが残念であった。



 途中から街道を逸れ、蓮伍と志蓬と別れる。

 次ぐ日に着いたのは、早咲きの桜が川面に散る里であった。

 李花は、たおやかに揺れる桜に目を奪われ、言葉が出ない。

「美しいだろう」

 未明が微笑む。

 川を往来する舟は、薄紅色に埋め尽くされそうな川面を割って滑らかに進む。

深埜しんのの里にようこそ、李花」

 金色にも銀色にも映える未明の髪に、桜花が一片ひとひら落ちる。それを取ろうと伸ばした手は、大きく柔らかい手に包まれてしまった。

「おいで、李花」

 優しい手に引かれ、桜並木を歩む。

「未明おにいちゃん」

 桜の花弁はなびらは未明の髪についたままだ。

「お花、たくさん見ましょう。夏の花も、秋の花も」

 そうだね、と未明は眩しそうに目を細めた。

「約束しよう」

「約束です」

 これからは、面を上げて花を眺められる。いつか身の丈が伸びたら、髪に絡んだ花弁を掬ってあげられる。そのときは、李花はきっと、手を引かれる子どもではない。

 李花は深く息を吸い、柔らかい光と桜花が笑む中でしっかりと歩みを進めた。



 【「桜花は一片の約束」完】

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桜花は一片の約束 紺藤 香純 @21109123

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