十二の話

「あんた、何やってるのよ」

 男の頭を女人が、ぺちんと叩いた。

「すみません。うちの人が騒がせて」

 女人は周囲に謝り、それがきっかけとなり、人の輪が徐々に消えてゆく。

「いえ、俺こそ、すみませんでした」

 未明びめいは女人に謝ってから、李花の姿を探す。

「おいで、李花」

 ぽつんと取り残された李花は、半裸のままの未明に抱き上げられた。

 男の人の裸に触っちゃう。気ばかりいて動けない李花は、そこで意識を失った。



 ふみゃっ、と間抜けな声を上げて意識を取り戻したとき、李花は誰かに背負われていた。女人の背中だとわかり、安堵する。

「気がついたみたいね」

 前から話しかけられ、李花は、はい、と答えた。

「すみません、下ります」

 李花が卒倒したせいで足止めを食わせるはめになってしまったのかもしれない。時間がないから李花を背負って先を急いでいるのかもしれない。しかし、李花の焦りは杞憂に終わった。

「もうちょっとだけ、おんぶさせて」

 女人の声がはずむ。

「本当に軽いのね。“おにいちゃん”が軽々とだっこしていたのも納得だわ」

 その“おにいちゃん”は、女人の隣を歩きながら、申し訳なさそうに李花の顔をうかがう。着物はきちんと着直しており、李花は少しだけ安堵した。それが伝わり、“おにいちゃん”未明も表情を緩める。

「あの、嬢ちゃん」

 真冬の朝を彷彿させる冷たい声が割り込んだ。未明と取っ組み合いをした男だ。

「悪いことをしちまったね。見たくないものを見せちまった」

 李花は小さく首を横に振って否定するが、本当だよ、と女人が言う。

幼気いたいけな女の子の前で脱いで取っ組み合いをするなんて、恥ずかしいったらありゃしない。あんた、もう二十七なんだから」

 悪い、と男は謝るように手を合わせる。

「俺は蓮伍れんご。こちらは、妻の志蓬しほ。ここで会ったのも何かの縁だから、同行させてもらっているよ」

 蓮伍様と志蓬様、と李花が名を呼ぶと、蓮伍が、堅いな、と眉根を寄せた。

「おにいちゃんとおばちゃんで良いよ」

「おじちゃんとおねえちゃんで良いわよ」

 志蓬が訂正するが、蓮伍が調子良く肩をすくめる。

「二十二なのに、おねえちゃんと呼ばせるのかよ、おばちゃんよ」

「女の歳をばらさないでよ、おじちゃん」

「その定義でいくと、俺もおじちゃんなんだけど」

 未明が口を挟むと、蓮伍と志蓬の夫婦は口をつぐんだ。歩みも止まり、若干気まずい空気になる。

「ええと」

 何か言わなくちゃ。李花が焦ると、志蓬は李花を下ろしてくれた。

「蓮伍おにいちゃんと、志蓬おねえちゃんと」

 蓮伍と志蓬が破顔する。

「それと、未明おにいちゃん」

 未明は薄茶色の瞳を見開き、やがて穏やかに細める。

 こそばゆくて、李花は頬が熱くなるのがわかった。誰かをこんな風に親しく呼んだことなど、今までなかったのだ。

「おいで、李花」

 未明に手を差し出され、李花はその手をつなぐ。

 紅色の強い早咲きの桜が、川べりの道を華やかに染める。

 途中で小ぶりな饅頭を買い、花見がてら足を休め、冗談に花を咲かせ、一行は次の宿に向かう。

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