五の話

 女将は大袈裟に溜息をつく。

「お客様、あたしが言うのもあれですが」

 女将は床に膝をつき、正座する。

 言葉遣いは雑だが、客商売ということもあり、女将は客の前では所作が丁寧だ。

「こいつは使い物になりゃしませんよ。いつも怠けることしか考えていませんし、そのくせ誰よりも飯を食う。お客様が損をするだけです」

 李花は未明に抱きしめられたまま、おそるおそる少しだけ女将を見る。女将は未明をまっすぐ見るが、李花を見てやしない。

 未明は李花の頭を撫で、ゆるりと首を横に振る。

「損得ではありません。李花が良いんです」

 ぎり、と歯の鳴る音が、李花の耳にも入った。女将が奥歯を噛みしめる音が、相当大きく聞こえた。

「だったら、好きにすればようござんす。こんなのがいなくなれば、あたし達だって幸せです」

 女将は膝を浮かせ、立ち上がる。

 きびすを返した女将に、未明は声をかける。

「せめて、この子を名で呼んであげられませんか」

 女将は足を止めるが、振り返ることもしない。

「そいつの名なんか、知らないね。そもそも、名があることも知らないよ」

 静かに、だが凍てついた口調は、李花の心臓しんのぞうに鋭く刺さった。



 女将が開けたままの襖から柔らかな光が入り、部屋を明るくする。

 未明は李花の頭に手をやり、肩口に顔をうずめさせようとする。

「泣きなさい」

 幼子をあやすように、未明は李花の背中を撫でる。

「きみは、泣いて、悔しがって、声を上げる必要がある。自分を押し殺してはならないよ」

 未明は李花を抱き上げ、立ち上がる。

 李花は体が小さいとはいえ、齢十二だ。抱き上げられるほどに小さいわけではない。それなのに、未明は軽々と李花を抱き上げてしまう。

 いい歳してなんて、恥ずかしい。それなのに、こうしていたい。もしも親がいたならば、幼い頃にこうしてもらっていたのかもしれない。

 女将に罵られることに慣れてしまい、悔しいとも悲しいとも思わない。しかし、最後の一言は氷柱つららで刺されたように痛みを感じた。

 息を深く吐くと、目頭が熱くなった。抱き上げられる心地良さに身を委ね、言葉の傷が癒さされるような気がして、李花は未明に身を預けた。

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