三の話

 隙間風が肌を刺す。

 寒いね、と未明びめいは歌うように呟いた。

「李花、おいで」

 低く柔らかく耳に馴染む声に引きずられそうになり、李花は寸前で我に返った。

 何もしない、というようなことは言われた。しかし、おいで、の解釈には限りがある。

 ひとつは、かいなに収められること。もうひとつは、寝床を共にすること。

「一日働いて、疲れただろう。せめて今だけでも、眠りなさい」

 未明は李花を抱え、布団に横になった。

 客用の柔らかい枕に頭を預け、掛布団で足先から肩まで覆われると、急激な眠気に襲われた。

 瞳が、とろんと重くなる。

「ねえ、李花」

 こんなときに、未明の声は耳に毒だ。心地良くて、一層の眠気を誘われる。

「いつから旅籠屋ここにいるの」

 五つの頃です。

 そう答えたつもりだが、紅をさされた唇は思うように動かない。

「ご両親は」

 わかりません。

「ちゃんと食べているの」

 食べております。

「疲れた顔をしているよ」

 平気です。

「つらかったね」

 布団の中で手を握られる。荒れてざらつく李花の手は、大きくなめらかな未明の手にさすられる。温かい手だと、李花は思った。ずっと、こうしていたい。

 李花に両親の記憶はない。生まれた年は覚えていて、故郷の訛りもある。しかし、故郷は知らない。李花に帰るところは、無い。誰かから優しくされた覚えも、一切ない。

 お願い。もう少しだけ。

 李花は未明の手を握り、眠りの波に身をゆだねた。

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