その10:なんでもひとつ、願い事を

 ベルナデットの誕生日が近づくにつれ、アンリエットの周囲はよりいっそう慌ただしくなる。ベルナデットがこのエヴラール王国で過ごす最後の誕生日だ。祝う側にはかなり力が入っている。

 その誕生日を目前として、アンリエットは早めにプレゼントを持ってきた。当日には渡す暇なんてないし、たとえ前日でもおそらくベルナデット本人やアンリエットは忙しいだろう。

 何より、『なんでもひとつ願いを叶える』ためには早めに渡して願いを考えてもらったほうがいい。願いを叶えるまでがプレゼントなのだから。

(願いを叶える前にお別れになんかなったら、笑えないしね)

 タイムリミットがあるのだから、早め早めの行動をしておかねば。去年のようにすぐ願いが決まるかどうかはベルナデット次第だし、簡単に叶えられる願いごとではないかもしれない。

 業務中に私的なプレゼントを渡すのもどうかと思って、アンリエットはその日の仕事が終わるまでプレゼントをしっかりと懐にしまっておいた。


「ベルナデット様」

 仕事の引き継ぎも終えたところで、ベルナデットに声をかける。ちょうど彼女も一息ついていたところだった。

「あら、アンリ。お疲れ様。どうかした?」

 顔を上げアンリエットを見つめるベルナデットに、アンリエットは少し照れ臭そうに懐からプレゼントを取り出す。

「これ、早いですけど、プレゼントです。……おめでとうございます」

 アンリエットがベルナデットへ差し出したのは本当に小さな包みだ。

 しかしベルナデットは、うれしそうに頬を緩ませる。その笑顔は年相応の女の子で、アンリエットはベルナデットのこういう顔が好きだ。

「ありがとう。開けてみてもいいかしら?」

「もちろん、どうぞ」

 ベルナデットで大切そうにプレゼントを受け取ると、包装紙さえ破かないようにと丁寧に開ける。

 中にはリボンと紙切れしかない。人によってはなんだこれはと怒り出しそうなプレゼントに、ベルナデットは目を細めた。いとおしむように『なんでもひとつ願いを叶える券』とリボンを撫でる。

「うれしい」

 吐き出された声は、しっとりと甘く、喜びを滲ませていて、アンリエットはほっと胸をなで下ろした。

「正直ね、アンリなら今年もこれをくれるんじゃないかしらって期待していたのよ」

 去年よりも丁寧に細工を施した『なんでもひとつ願いを叶える券』を見てベルナデットが笑う。

 ふふ、とアンリエットは少し誇らしげに口を開く。

「あたししかプレゼントできないとっておきのものですから」

 去年のアンリエットのプレゼントの噂を聞きつけて誰かが真似たとしても、そこに透けて見える下心にベルナデットは顔を歪めるだろう。同じものをまたプレゼントして喜んでもらえるのは、世界でただ一人、アンリエットだけだ。

「もう一つのプレゼントは綺麗なリボンね。アンリが選んでくれたのかしら?」

 緑色のリボンを撫でながらベルナデットに問いかけられる。はいそうです、と嘘をついてしまえばいいものの、馬鹿正直なアンリエットはそんなことできなかった。

「えっ……えーと、実は、その、セルジュ様にアドバイスをいただきまして」

「ふふ、やっぱり。アンリが選んだにしてはロマンチックすぎると思ったの。あなたの瞳の色ね」

(なんにも言ってないのにそんなことまでバレるんだなぁ……)

 瞳の色、というチョイスは高等テクニックだと思ったのだが、どうやらアンリエット以外の人にとってはそうでもないらしい。アンリエットにはとても思いつかない発想だったのだが。

 ベルナデットもアンリエットがそんな発想にいたるとは思わなかったのだろう。だとすればアンリエットらしくないと感じるのは至極当然のことだった。

「アンリの瞳の色、わたくしは好きよ。だからとてもうれしいわ」

「あたしはベルナデット様の瞳の色のほうが好きですよ」

 ベルナデットの瞳は澄んだ青空と同じ色をしている。晴れやかで凛としていて、宝石のように綺麗な目だ。

「ふふ、それはわたくしではなくてセルジュに言ってあげるべきね」

(なんでそこでセルジュ様……?)

 と思ってすぐに、セルジュからもらったリボンを思い出してアンリエットは赤くなった。それに目敏くベルナデットが気づく。

「あら、何か進展があったのかしら?」

「な、何もないですよ! そもそもセルジュ様は友人ですし! 最近は全然会ってないですし!」

 進展も何も、二人で出かけた日以降はまともに会ってもいないのだ。大慌てで否定するアンリエットに、ベルナデットは意地悪そうに微笑んだ。

「わたくしはセルジュのことだとは言っていないのだけど」

「うう!?」

 ハメられた!? とアンリエットは目を白黒とさせて言葉に詰まる。

(いやでも、さっきまでセルジュ様の名前が出ていたし! それにつられただけっていうか……!)

 誰が聞いているわけでもないのに頭の中で言い訳を繰り返して、アンリエットは顔を真っ赤にしている。

「まぁ、問い詰めるのは今度にしましょうか。ねぇアンリ。『お願い』してもいいかしら?」

 プレゼントの券を持ち上げて、ベルナデットがいたずらっぽく微笑む。『なんでもひとつ願いを叶える券』をもらえるのではと期待していた、ということはアンリエットにお願いしたいことがあったということだ。

「もちろん。あたしに出来ることなら、なんでもどうぞ」

 まかせてください、と願い事を聞く前からどんと胸を叩いて気合を見せるアンリエットに、ベルナデットは「ふふ」と微笑んだ。

 手招きをされ、他の騎士や侍女たちには聞かれたくない願いなのだろうかとアンリエットはベルナデットのそばに歩み寄る。

 ベルナデットはアンリエットの耳元に唇を寄せて、小さな小さな声で、けれどはっきりと意思のある声で願いを告げた。


「わたくしを、お忍びで城下の街へ連れて行ってほしいの」


 驚いて声を上げなかったことを褒めて欲しい。

 実際は驚きのあまり言葉が出てこなかったからなのだが、ここで城下と一言でもアンリエットが声に出していたら、ベルナデットの願いは無残にも散ってしまうところだった。

「……えーと、それはあたしに出来る範囲のことですかね……?」

 王女様をお忍びで連れ出す、というのはなかなか難易度が高い。ましてベルナデットはまもなく嫁ぐ身で、その警護はより厳しくなっているというのに。

「あら、これくらいのことが出来ない者をわたくしの騎士にした覚えはないわ?」


 出来なくてもやれ。


 ……と丁寧な言葉で脅迫しているようなものではないだろうか、とアンリエットは唸った。

「早めに伝えたのはいろいろと準備に時間がかかるかもしれないと思ったからよ? わたくしのやさしさは伝わっていないのかしら?」

 確かにこんなことを当日に突然言われても実現は不可能だ。事前に言ってくれたおかげで、アンリエットの悩みも増えるが計画するための時間も増える。

(……なんでも願いを叶える券、だもんね)

 ベルナデットの願いは、ただ城下に行ってみたいなんてものではないはずだ。きっと、彼女の中で譲れない思いがあるのだろう。

 そうでなければ、アンリエットに無茶をさせてまでこんなことを望むとは思えない。

「わかりました! ベルナデット様の願いはあたしが絶対に叶えます!」

 腹を括ったアンリエットは潔かった。

 どうせこのままでは騎士を続けることすらできるか怪しいのだから、万が一バレて責任を問われてもアンリエットには問題ない。

 滅多に自分の願いを口にしないベルナデットだから、誕生日くらいは我儘になっていい。そう思って渡したプレゼントだ。女に二言はない。

「当日じゃなくて、翌日とかになっちゃいますけど……それはかまいませんか?」

「もちろん。当日は忙しいもの」

「なら、あとはあたしにまかせてください!」

 気合十分のアンリエットを見て、ベルナデットはふふ、と目を細めた。

 急いで準備しなければとアンリエットは急いで退室して、頭の中で計画を練る。

 お忍びというのだから、他の誰かに協力してもらうわけにはいかない。アンリエット一人で計画し、準備し、そして実行に移さなければ。


(まるでお姫様を攫う王子様だなぁ)


 お姫様よりはお似合いの役か、とアンリエットは笑った。


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