その5:理想くらいあります

 親衛隊といえど、全員がいつもベルナデットに張り付いているわけではない。外出時ならば警戒も強めるが、ここは王城の中だ。

 そばにいる騎士が終始ピリピリしていてはベルナデットの気も休まらない。

 ……などと言い訳してサボっているわけではない。本当に。


「アンリはさぁ、結婚するならどんな人がいいの?」


 今もベルナデットが不在の部屋で、居残り組のアンリエットとニノンはひそひそと内緒話をしていた。他の親衛隊はもちろんベルナデットの身辺警護についている。

 掃除は女官や侍女の仕事だ。手持ち無沙汰だからといってアンリエットたちがその仕事を奪うわけにもいかない。主不在とはいえ、その間に部屋に侵入して悪さをしでかす人間がいないとも言い切れない。

 そんなわけで居残りの騎士は必要だが、しかしその仕事はけっこう退屈だ。

「もちろん筋肉ムキムキじゃない人」

 アンリエットが即答すると、ニノンは呆れたように「知ってるよそれは」と言った。

 恋愛話において、想定する相手が恋人ではなく結婚相手というのはこの年頃の貴族の娘としてはおかしな話ではない。

「でもさ、それじゃあ文官とかがいいの?」

 追加の問いに、アンリエットは言葉に詰まる。

 筋肉が嫌いだ、と答えるとたいてい返ってくる問いは同じだ。それならば、痩せている男がいいのか、と。

「いや……あまりひ弱でもちょっと……あたしより弱いのは嫌だなぁ」

 アンリエットには男性に頼りたい守られたいという欲はあまりないけれど、頼られたいわけでも守りたいわけでもない。

 理想なのは、共に背を預け戦うことができることだ。

「アンリより強い人だったらさ……アンリも多少の筋肉は耐えなきゃ無理じゃない?」

「うっ」

(矛盾してるのはわかっているんですけどねー!)

 筋肉ダルマは嫌だ。でも、弱い男も嫌だ。

 アンリエットは騎士なのだ。やはり、強さには憧れる。強くなりたいと思う。

(うう、でも筋肉……! 筋肉怖い……!)

「あとは背が高い人がいいとかさ。身分も少しは気になるところだよね」

 騎士の家系といえど、これでもファビウス家は伯爵家のひとつだ。近年は身分差の結婚もあるが、依然として障害が多いことには変わらない。

「身分は、まぁ近いほうが面倒はないのかなぁ。背は別に気にしないけど。あたしより背の低い男の人ってそんなにいないし」

 アンリエットの身長は一般的な女性の平均と同じくらいだ。高すぎず、低すぎず。アンリエットより背の低い男性を探すのは少し難しいだろう。

「なるほど? つまりアンリは筋肉質ではなくて、でも弱くはなくて、背に関しては自分より高ければそれでいいって感じ?」

「おおむね……? なんでそんなこと細かく聞いてくるの?」

 ニノンがいくら恋バナが好きとはいえ、人の好みをここまで掘り下げる必要があるだろうか。

「んー? 条件が合う人がいれば紹介しようかと。顔は? 男らしいとか、セクシーな感じとか」

「男っぽすぎなくて、むしろ中性的で綺麗めな人がいい」

 たとえにあがったタイプが好きではなかったので、つい反射的にきっぱりと好みのタイプを答えてしまった。

「けっこう好みはっきりしてるんじゃない。ご両親にもちゃんと言っておけば面倒なことにならないんじゃないの?」

「う、それはそうかもしれないけど……」

 筋肉馬鹿の親に筋肉とは真逆の人が好きなんですと言って理解してもらえるだろうか。

「それに、なんかアンリの好みって……」

 ニノンが何か言いかけたところで、ちょうど親衛隊の隊長が部屋に戻ってきた。


「二人とも! おしゃべりばかりしてない!」


 アンリエットとニノンはやば、と慌てて姿勢を正す。

「アンリエット、この書類を騎士団の事務局まで持って行ってくれる?」

 おしゃべりしていたことへのお説教はないようだが、当然仕事は与えられる。暇をしていたくらいなのでちょうどいい。

「事務局ですね」

「ええ、お願いね」


 騎士団の事務局までは遠い。

 足早にアンリエットが歩いていると、大荷物を抱えた男性がよたよたとふらついていた。

 騎士の制服ではないということは、文官だろう。

「大丈夫ですか?」

 駆け寄って声をかけると、男性は分厚い本と束ねられた書類を重そうに抱えている。

「え、ああすみません。荷物が思ったより重くて」

「どこまでですか? 手伝いますよ」

 ひょいと男性が抱えていた半分をアンリエットが持ち上げる。軽くはないが、この程度で音を上げるほど重くもない。

「ありがとうございます、騎士団事務局までなんですが」

「なんだ、あたしと行先が同じですね。もう少し持ちますよ」

 事務局まではまだ距離がある。体力が尽きかけているのか、依然としてふらついている男性からさらに半分荷物を受け取る。

 文官のように細くてひょろりとした男性にはまったく苦手意識はないので、こうして穏便に会話することができるのはいいのだが。

 しかし。

(やっぱり、これっぽっちもときめかないんだよね……)

 重い荷物を持ってあげる、と言葉にすれば恋の始まりに相応しいシチュエーションなのだが、なんせ荷物を持っているのはアンリエットのほうだ。

「すみません、女性に手伝っていただいてしまって」

「いえいえ、困った時はお互い様じゃないですか」

 女に重いものを持たせるなんて、とは思わないが、やはり自分より腕力の劣る男性は恋愛対象にならない。

 騎士として人の役に立つことは誇らしい。しかしその誇らしさと恋愛は繋がらない。

 世の中うまくいかないもんだなぁ、と内心で苦笑しながらアンリエットは男性と雑談しながら事務局へ向かうのだった。




 アンリエットが気持ちよく人助けをして数日。

 相変わらずアンリエットはいつもの東屋で昼食を食べていたが、その間セルジュはやってこなかった。

 毎日会う約束をしているわけではないし、とアンリエットと特に気にしていなかった。むしろ平穏だと安心していたのだが、油断した頃にセルジュはやってきた。

「久しぶりですね」

「そ、そうですね」

 久々にセルジュの顔を見るのはなかなか心臓に悪い。筋肉に囲まれて育ったアンリエットは、美形に対して免疫がないのだ。

「もう少し頻繁に来るつもりだったんですが」

 なかなかそうもいきませんね、とセルジュが苦笑する。

「やっぱり第一騎士団はお忙しいんですか?」

「ええ、まぁそれなりに。あなたも王女の輿入れが決まってからは忙しいのでは?」

「いえ、忙しいのは侍女の皆さんくらいで。あたしはそれほどでもないですよ」

 持参していく品の選別であったり、普段からベルナデットをよりうつくしく愛らしくするためにあれこれと手を尽くしている侍女たちは近頃より気合いを入れている。

 アンリエットは仕事はそんな様子を見守りながら警護することであって、口出しすることもない。時折ベルナデットの気晴らしのためにおしゃべりに付き合うくらいだろうか。

 そうですか、と答えながらセルジュは持参してきた昼食を食べ始める。

 沈黙。

 居心地の悪いものではないが、それでもセルジュとの会話が途切れるというのは珍しい気がした。こうなるまで気づかなかったが、セルジュとは何かと話が尽きず話してばかりだったのだ。

 いつもどんなことを話していたっけ、とアンリエットが話題を探し始めたところでセルジュが口を開いた。

「……アンリエットは……その、親しい男性がいるんですか?」

「え? いませんけど?」

 何を突然言い出すんだ、とアンリエットは目を丸くしながらも即答だった。

「この間、あなたが男性と話しているのを見たものですから」

「人違いではなく?」

「まさか。見間違えたりしませんよ」

 今度はセルジュが即答だった。

 そこでふと、自分の髪の派手さをすっかり忘れていたアンリエットは、ポニーテールにしている髪の端を持ち上げて笑う。赤い髪は鮮やかな夕日と同じ色で、ここまではっきりとした赤はなかなか珍しい色だ。

「あたしの髪、目立ちますしね。でも最近男性と話す機会なんて、セルジュ様くらいしか……あ、この間事務局に行く途中で人助けはしました!」

 文官の男性の手伝いをしたのはつい先日のことだ。

「人助け?」

「文官の男性が荷物抱えてふらふらしていたので手伝ったんです。その時のことかもしれないですね」

「ああ、なるほど……」

 アンリエットのここ数日の記憶にはそれ以外で男性と長々と一緒にいたことはない。ほんの一言二言話す程度では、セルジュが見かけるなんてこともないだろう。

「……その、やはりああいう男性が好みなんですか?」

 言葉を探るように問いかけられ、アンリエットは思わず笑ってしまった。

(ニノンにも同じこと聞かれたばっかりだなぁ)

「セルジュ様までそんなこと聞くんですか? そりゃあ確かに筋肉は嫌いだし苦手ですけど、あたしよりひ弱な男性はちょっと嫌ですよ」

「……そうですか」

 どこかほっとした表情でセルジュが呟く。

「ところでアンリエット。次の休日はいつですか?」

 一転して明るくなったセルジュが、今度はスケジュールを訊ねてきた。

 アンリエットはサンドイッチを食べながら「ええと」と頭の中で予定を思い返した。

「休みですか? 明後日ですけど……」

 今日のセルジュはなんだか少し変だなぁ、と思いながらアンリエットは律儀に答えた。

「奇遇ですね、俺もです。ちなみに何か予定があったりしますか?」

「はい、城下で買い物をするつもりでした」

 今度の休みには必ず、と思っていた予定なのでそれはすぐに答えられる。

「買い物?」

「ベルナデット様のお誕生日がもうすぐですから、プレゼントを買いに行きたいんです」

 来年の誕生日にはもうベルナデットはこの国にいない。アンリエットが祝えるのは今年までだ。だからこそ、プレゼントは喜んでもらえるものを選びたい。

「それはいいですね。ご一緒してもいいですか?」

(……ご一緒?)

 聞き間違いだろうかとセルジュの顔を見るが、彼はアンリエットを見つめて返答を待っている。

「え、あ、あの、でもつまらないと思いますよ?」

 アンリエットの買い物に付き合ってもセルジュは退屈だろう。せっかくの休みなのだからもっと有効に使うべきだと思うのだが。

「それは行ってみなければわかりませんし」

「そう、ですけど……」

「アンリエットが嫌なら、諦めますが」

 寂しそうな顔でそう言われてしまうと、善良なアンリエットは拒めるはずもない。良心がちくちくと痛む。

「いえ、嫌なわけでは……」

「では決まりですね」

 にっこり。

 有無を言わせぬ笑顔には見覚えがある。

「すみません、今日はもう行かないと。明後日、楽しみにしてますね」

(え)

 アンリエットが口を挟む暇などまったくなかった。どうやらいつの間にか、セルジュに丸め込まれてしまったらしい。


「あ、あれぇ……?」


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