19. 今までとは違う(3)

 王都から東へ。

 ドゥワイアンヌを越えて更に東、北の山脈から流れてきた河の流れに沿って、線路は続く。

 ベルテール王国の東の果て、ブランドブールまで。



「本当に果てなのね」

 駅の歩廊ホームから見渡して、クロエは思わず呟いた。

 王都に勝るとも劣らぬ、堅牢な煉瓦造りの駅舎を通り抜けた線路、鉄の轍と枕木の列は、その数百メートル先で途切れている。

 その代わり横に逸れていく別のレールがいくつもあり、そこを走る客車は漏れなく車庫へと吸い込まれていっていた。

「クロエは、鉄道の終点を初めて見たの?」

 後ろに立ったジェレミーが笑う。

 苦笑いで振り仰いだ。

「王都も、ドゥワイアンヌも…… 途中駅ですもの」

「そうだったね」

 さらに笑って、彼は線路の向こうを指差した。

「僕はね――ここを終点にしたくないんだ。もっと東に線路を延ばしていってみたいんだよ」

 指差す先には、風が抜ける草原。

 広大な平原プレンヌ・メルヴェイユーズだ。

「この先はベルテール王国の土地じゃないですよ?」

 瞬いて、問うと。

「王国の、世界の端を誰が決めたっていうんだい?」

 ジェレミーは首を傾げた。

「この広い土地を全て畑に出来たら、人が住めるようになったら、と想像できないかい?」

 クロエはもう一度瞬いて、線路の向こうへと顔を向けた。

「世界が広がれは広がるほど、王国は豊かになると思うんだ。だから、僕は、この先に人が行けるようにしたい。物が運べるようにしたい」

 ジェレミーが微笑む。

「すごい――素敵ですね」

 クロエが言うと、ジェレミーはくすっと口の端を上げた。

「クロエも、学園を卒業したら僕の会社で働いてみるかい?」

「ええ!?」

 思わず声を上げる。すると、後ろで誰かが咳をした。

 次いで、痛い、とジェレミーが叫ぶ。

「ジェリー、お話が長いわ」

 翡翠色のボンネットを被ったブリジットが頬を膨らませて立っている。

「だからって、脚を蹴らないでくれるかなぁ……」

 まなじりを擦って、ジェレミーが呟く。

「なあ。リュシーもそう思うだろう?」

 肩に一つ、両手に一つずつ、合わせて三つの旅行鞄を持っていた、外套姿のリュシアンは、眉一つ動かさずに首を傾げた。

「そうかい…… リュシーもブリジットの味方か」

 はあ、と溜め息を吐いて、ジェレミーは背筋を伸ばした。

「改めて――遠路はるばるようこそ、ブランドブールへ」

 クロエの右手を取って、ジェレミーは軽く口づけてきた。

「歓迎するよ、クロエ嬢」

「ジェレミー様も来てたんですね」

 熱を持った顔を見られまいと横を向きながら問うと、彼は朗らかに言い放った。

「三人そろっていないとヘソを曲げる人がいるのでね」

 それから、リュシアンの荷物をひょいと取り上げる。

「ほら、お客様をご案内して」

 無表情のまま立ち尽くすリュシアンに、片目をつむって見せる。

「君が案内エスコートするんだよ、リュシー」

 すたすたと歩き去っていく背中を、ブリジットが走って追いかけていく。

「ええっと……」

 どうしよう、と立ち止まったままの人を見る。

 リュシアンは頭を振ってから振り向いて、左手を差し出してきた。

 そこに右手を乗せる。

 温もりが伝わってくる。

 ゆっくりと、引かれるままに歩く。


 素朴な馬車で揺られた先が、ブランドブール侯爵家の屋敷だった。

「広い」

 思わず唸る。

 クロエの実家が五つ入ってもまだ余裕があるかもしれない敷地だ。

 玄関を入ると、奥からばたばたと紺色のお仕着せが走って来る。

「戻ったよ、オデット」

 ジェレミーが呼ぶと。

「はいはい只今ぁ…… ぬああああああ!」

 メイドは、ずてん、と転んだ。

、転んだの」

「すみませーん! 裾踏んじゃって!」

 瞬いて。彼女が町屋敷タウンハウスでも見かけたメイドだと思い出す。

 ブリジットも分かったらしい。

「オデット。貴女には走るのを止めてって前から言っているじゃない」

「すみませんお嬢様! 気をつけます!」

 うん、と頷いて。ブリジットは肩を竦めた。

「あなた、町屋敷勤めじゃなかったの?」

「ええっと! 若旦那様に、ご旅行のお手伝いをするように仰せつかったので!」

「そう……」

 ふるふる首を振って。ブリジットは隣に立つジェレミーを見上げた。

「なんであの子を連れてきたの。もっとしっかりした人いるのに」

「まあ、いいじゃないか」

 ジェレミーは鷹揚に笑っていたけれど。旅行鞄を運ぶ従僕についていく途中にも、オデットは転んでいた。

 裏返るスカートの裾からそっと目を逸らす。

 そうして見向いた方向から別の足音が近づいてきた。硬い革靴が床を打つ音だ。

 三つ揃いを着た、背の高い男性が走ってきている。

 目の端を光らせて、ジェレミーは飛び退った。

 え、と呟いている間に後ろに引かれる。リュシアンだ。クロエはひょいっと彼の背後に回される。

 玄関ホールの真ん中に残ったのはブリジットだけだ。その彼女に向かって、紳士は両腕を広げる。

「おかえりブリジット! 私の小さな天使!」

 掻き抱こうとして、かわされた。

 顔から床に倒れ込む。

「ぐえええ!」

 叫びが収まってから、ブリジットはその横に膝をついた。

「ただいま戻りましたわ、お父様」

 底冷えのする声に、よろめく。リュシアンがそっと肩を抱いてくれた。

「お変わりなくて、何よりです」

 言葉を続けるブリジットの瞳は、氷のようだ。

「お兄様もお帰りですわ。それと、お客様がおいでですの」

「ああ、ああ。そうだったな」

 むくっと起き上がって。順に顔を見て。

「おかえり、リュシー。ジェリーもお疲れ様」

 にっこりと、笑った。

「そして、初めまして、クロエ嬢。お話はかねがね」

 淡くなった蜂蜜色の髪、青い瞳。紛うことなく三人の父だ。クロエの右手をさり気なく持ち上げて口づけを落とす、その仕草もそっくりだ。

「さあ、入ってくれ。お茶にしよう」

 大きな出窓のある応接室へ、今度は、落ち着いた佇まいのメイドがワゴンを押してきてくれた。

「このお茶も、港から鉄道で運ばれてきたものだよ」

 ジルベールという名の侯爵は、おっとりと笑う。

 それから、クロエにドゥワイアンヌの梨と鉄道の乗り心地について問うてきた。のんびりとした話しぶりに肩の力が抜けて。

 そうこうしているうちに、リュシアンとジェレミーが出て行った。

「そうそう。卒業試験の話も伺っているよ。敷設や流通についての資料はジェリーが用意したのだろう?」

「お借りしてます。とても助かってます」

「それは良かった」

 侯爵はふふっと息を零した。

「私からの提案はね。資料を見るのも良いが、線路の先も見てきたらどうか、だよ」

「線路の先?」

 先にブリジットが首をひねる。クロエは唾を飲み込んだ。

「……何処まで線路が延ばせるかということですか?」

 そろり問うと、頷かれる。

「リュシーが今、出かける準備をしているはずなんだ。行ってきたまえ」

 柔らかく背中を押されて、先ほど潜った玄関へ。

 正面では、葦毛の馬とリュシアンが待っていた。

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