第6話 おむすび三種(ごまオリーブ・ルバーブの塩煮・チーズとおかか)

 ニワトコさんは玄関先で嬉しそうに段ボール箱を開けていた。中から出てきたのは見たこともない野菜だ。セロリのような。蕗のような。ほんのりピンク。

「日本てすごいよねえ。頼んだ物が次の日配達されるとか」

 ということは、これはニワトコさんが注文したのか。


「これ、なんなんですか?」

 今までちゃんとこちらを向いていなかったらしく、顔をあげたニワトコさんは私を見るとちょっとびっくりしたように目を見開いた。

「それ、制服?」

 質問を質問で返されて、ちょっと戸惑う。でも、頷く。

「……はい」

 今日は朝から学校へ行ったのだ。ここのところ、気分も上向いていたし、行けるかな、と思ったのだけれど、学校の門の前では、もうすでに胸はドキドキするし頭はグラグラするし、足はガクガクするし。情けないったらありゃしない。

 だけど、その時には私はもう、本当ギリギリのギリギリで——カウンセリングの先生に言われたように深呼吸をして——それから職員室に電話をかけた。

「大丈夫?」

 走って出てきてくれたのは保健室の先生だった。

「あの——登校しようと思ってここまで来たんですけど」

 私は涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔になっていた。

「こわ……くて」

「うんうん。とりあえず保健室に行こうか」

 先生の手は暖かくて、そっと握られただけで、体が落ち着くのがわかった。私はまるで自分の意志のない人形のような気持ちになってあとをついていった。

「良く来たね。一人で誰にも言われないで来たって、えらい! とても頑張っているってことだよ」 

「だんだん怖くなくなるように、ゆっくり、ゆっくり前に進もうね」

 先生は何かいろいろ話しかけてくれたけれど、私の耳にはほとんど入ってこなかった。とりあえず、私がここに来たことで、「出席」と記録はしてくれるのだそうだ。

 それは嬉しかったけれど——私の胸のドキドキは治らない。ハンサムな石油王が目前にいるならまだしも、古い鉄筋コンクリートの建物が何故ここまで私をドキドキさせるのか。神さまなんとかしてください。

 保健室で午前の時間を少し過ごし、途中で休み時間に来てくれた担任の合田先生と話をして——それからお弁当の時間を待たずに、帰ってきた。



「学校に行ったんですけど、早退して——帰ってきちゃった」

 そんな、今日の朝からのドラマをうまく説明する言葉なんか、私には見つからない。だから、こんなふうにめちゃくちゃかいつまんで説明するとニワトコさんはちょっと首を傾げた。

「ふうん」

 私の顔色はあまり良くなかったのかもしれない。

「よかったら上がってって? キワコさん、今日公園のボランティアしてるから、そろそろお昼ご飯を持って行くところなんだよ。作るけど手伝ってくれる?」

 ニワトコさんはダンボール箱の中の野菜を抱えると靴を脱いで家の中に入っていく。

「あ……はい」

 私も慌てて靴を脱いだ。

「お茶をいれるよー。緑茶がいい? それともハーブティー? ほうじ茶?」

「あ、それじゃあ、ほうじ茶で」

 図々しくもリクエストすると、「了解!」と明るい声が返ってきた。



「これはルバーブっていう野菜」

「ニワトコさんが注文したんですか」

「注文はキワコさんがネットでしてくれた。俺はほら——日本語読むの下手だから」

 鼻歌を歌いながらニワトコさんはお茶を入れてくれる。

「また寒そうな顔してるね」

「——本当ですか?!」

 そういえばカウンセリングから帰ってきた後も、汗ばんでいたのに、体の中は冷えていたみたいで、ハーブティを飲んだ途端に泣きたくなった。また、あの時みたいな顔をしてるんだろうか。

「はい、どうぞ。少しぬるめにいれといたよ」

 目前に出された粉引の白の湯のみを両手で包むと、ふわっと、何かが体の中で解けるような感じがする。一口すすると、確かに体のどこかが冷えていたようで、暖かさに涙が出そうになる。

「ルバーブを食べたくなって、日本でもあるかなって思ってネットで調べたら出てきて、それからキワコさんに頼んで——キワコさんはネットで買い物したことないっていうし、僕は漢字が読めないから昨日大騒ぎをしながら注文したんだ」

「そう……」

「父親がね、この季節になるとルバーブの塩煮のおむすびをよく作ってくれたんだよ」

 ニコニコしながらニワトコさんはオリーブの瓶を手渡した。

「よかったら、種をとるの、手伝ってもらえる? 今日のおむすびは、オリーブとルバーブと、スライスチーズを考えてるんだ」

「オリーブとルバーブとスライスチーズ」

 私は繰り返した。坂井家のおむすびの定番はおかか、肉味噌、それにツナだ。肉味噌はタケシのお気に入り。私のお気に入りはおかか。

「ベーコンや生ハムも美味しいんだけどね。でもキワコさんにはちょっとヘビーかなって思って」

 ニワトコさんが付け加える。私は大慌てで両手を洗いに流しへ走った。

 どうやらイギリスには私の食べたことのないおむすびの世界があるらしい。オリーブのおむすび。イタリアの貴族が食べていそうだ。ワインかなんか持って。トレビアーンとか言って。

 「ルバーブはね、大部分は砂糖を加えて煮込んで、このタルト型に入れるつもり。デザートはルバーブクランブルタルトにしようね」

 ——どんなものだか想像もつかない。

 機嫌よく話すニワトコさんの声を聞きながら、私はオリーブの実を瓶から取り出しては種を取り外していく。

「あ、ずいぶんできたね。それじゃあ、包丁で叩いて小さく切って、そこにあるごまと混ぜて」

 ニワトコさんはルバーブを煮込みながら指示を出す。

 お鍋のコトコトいう音。坪庭からの柔らかな風。

 ふう。

 息を吐く。

 体がなんだかものすごくぎゅうぎゅうに巻かれた毛糸玉みたいな気がしている。それが、はしからするするほどけていくみたいな感じ。

「それじゃあ、おむすびにしていこう?」

 小鍋からピンク色のペースト状のものを持ってきたニワトコさんは私にサランラップを渡す。炊飯ジャーの中には炊きたての真っ白なご飯。

「ルバーブはまだ熱いから、まずはチーズからいこうね」

 サランラップにご飯を乗せて、てるてる坊主を作る要領でくるりっと回す。丸いボールのようなものができるとニワトコさんはその上に醤油を混ぜた削りぶしをのせ、4分の1に切ったスライスチーズをかぶせる。お米の熱さですぐに柔らかくなるチーズの上から海苔。

「一人一個ずつでいいかな? ユキノちゃんも食べるよね? 小さいから二個ずつでも大丈夫かな」

 ごまを混ぜたオリーブのボウルにはご飯を直接入れて、混ぜ込む。これもぎゅぎゅっと小さなおむすびに握る。

「ルバーブの塩煮ってどんな味なんですか?」

 私は尋ねる。綺麗な桜色のペーストからは味が想像つかなかった。

「酸っぱくてしょっぱいよ——味見してみる?」

 こくこくと私は頷く。ティースプーンにほんの少し乗せられたルバーブの塩煮に興味津々だったのだ。でも、一口食べてみて、私は固まった。

「ニワトコさん、これ」

「美味いでしょう?」

「美味しいですけど、これ……」


 まんま練り梅の味じゃないですか!




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