四 後宮の女達(二)



「素敵な耳環ですね、ねい貴妃きひ

 取り敢えずもう少し会話を試みようと、大振りで目立つ寧貴妃の耳環を指摘してみる。まあ、と彼女は笑い、耳朶に揺れる紅髄玉に触れた。

娘子じょうしがお褒めくださるなんて、光栄ですわ。年甲斐もなくみっともないかと思いますけれど、これは特に気に入っておりますのよ」

 確かに、三十代の半ばになっている女性が身に着けるには、少し可愛らしい意匠だ。だが、彼女は元々華やかな印象の人なので、そこまで違和感はない。


「まだ世太子時代の主上から頂いたものですの」

 頷いていた鈴雪りんせつに向かい、寧貴妃はそう付け加えた。


 艶やかに微笑む表情は明らかに自慢気で、勝ち誇っているかのようだった。鈴雪だけにではなく、この場にいたすべての妃嬪ひひん達に向かって。

 その言葉に頷きながらも、そうだった、と鈴雪は思う。

 寧貴妃菖香しょうこうは、十六のときに藍叡らんえいの側室として後宮に入り、それから約二十年、彼に寄り添い続けてきたのだ。その年月はここにいる誰よりも長い。

 後宮という空間では、それがすべてだ。どんなに高貴な血筋であろうと、金持ちであろうと、年が上であろうと、主である王の寵愛を得た者が最も権力を持つ。女官達も自分の仕える妃嬪を少しでも輝かせる為、王の寵を得やすくする為に尽力し、寵を得ている者に仕えられるように奔走する。

 今の寧貴妃は、嫌味なのかなんなのか、対外的には最も高位である鈴雪を立てるように見せている。しかし、後宮での本来の力関係で言えば、この席に座るのは彼女なのだ。


「娘子のお衣裳も――」

 寧貴妃の笑顔に目を向けていると、こう賢妃けんひがぽつりと口を開いた。

「主上のお見立てと、女官達が噂しておるのを耳にしました。よくお似合いですね」

 痩せ細った顔に仄暗い笑みを浮かべながら賞賛の言葉を述べると、黄賢妃は双眸を眇め、対面に座る寧貴妃を見つめる。

「落ち着いた色合いで、若さだけに頼らず、お美しさを引き立てておられる。何処ぞの浮かれ女狐とは大違いよ」

 その辛辣な言葉を寧貴妃はにんまりと笑って受け止め、口許に長い付け爪のついた手を当てて含み笑った。

「黄賢妃こそ、よくお似合いでしてよ。その青白いお顔に、白と銀鼠の衣が涼しげで――まるで幽鬼のようですこと」

 その言葉に、ぴくりと黄賢妃の柳眉が跳ねる。

「この盛夏に暑苦しい紅と金の衣を纏う気狂いよりよかろう。目にするだけで暑気中りを起こすわ」

「あら。心頭滅却すれば火もまた涼し。私達妃嬪は主上の耳目を愉しませる為にも、美しく装わねばなりませんのに、なにを仰られるのやら」

「似合うておればな」

「随分なお言葉ですこと」

「年増の若作りほど滑稽なものもあるまいて」

「たいして年も変わらぬのに、その言い様とは」

「いつまでも小娘のような装飾を好むのは構わぬが、少々己を顧みられよ。みっともない」

「そのお言葉、そっくりそのままお返ししましてよ。ご自分が陰気なのは構いませんけれど、それを増長させて、私の前に晒さないで頂きたいわ。気が滅入りそう」


 始まってしまった二人の応酬に、鈴雪はただただ驚いてしまう。

 一人の男の寵を競う間柄であるのだから、仲がいいとは決して思っていない。お互いを探り合い、牽制し合い、隙あらば足許を掬おうとしていることは知っている。しかし、こんなにも直截的に口撃し合うような環境だとは思わなかった。


 この二人のやり取りは日常的なものなのか、よう昭儀しょうぎは黙って吐息を漏らし、あん充媛じゅうえんは聞き飽きたように果物に手を伸ばしている。

 取り敢えず会話を続けようと思って、不用意に装飾品の話などを持ち出したのがよくなかったのだろう。まさかそんな何気ない言葉から、こんな醜い言い合いに至るなどと思いもしなかった。


「主上のお越しにございます」

 どう収拾すべきか、と鈴雪が僅かに眉根を寄せたとき、四阿あずまやのまわりに控えていた女官が声を上げた。

 ハッとして二人はすぐに口を噤み、席を降りると拝跪した。楊昭儀と安充媛も同様で、慣れない鈴雪だけが僅かに出遅れる。


 平服に着替えた藍叡は、日課となっている散策の時間に立ち寄ったのだろう。供の侍従や内官の姿は少なく、物々しい護衛はいないようだった。

「楽にせよ」

 五人の女達にそう命じると、藍叡はぐるりと四阿の中を見回す。

「傍を通りかかってみれば、なにやら賑やかしい声が聞こえた故、立ち寄ってみたのだが……皆、楽しんでおるか?」

「はい、主上」

 声を揃えて妃嬪達が応じると、そうか、と藍叡は頷く。

「茶菓子が足りておらぬのではないか? すぐに届けさせよう」

 藍叡の言葉に鈴雪はちょっとだけ顔を上げる。元々あまり長くこの場にいるつもりはなかったので、お茶と、少しつまめる程度の果物を用意するように言っておいただけなのだが、確かに茶菓子らしいものはなかった。

「お心遣い有難う存じます、王さ……主上」

 これは「もう少し妃嬪達と話していろ」ということだろうか、と思いながら、礼を言って頭を下げた。


「王后」

 居並ぶ妃嬪達の顔を一通り見回した藍叡は、最後に鈴雪に呼びかける。

「歓談を邪魔したところを悪いが、明日から数日、身体を空けておけ」

 その言い方に首を傾げ、瞬く。

「明日、永清君えいしんくんが訪ねて来る。迎えるのに其方も同席せよ」

「承知致しました」

「明後日の晩は、永清君の歓待の酒宴とする。其方達も全員同席せよ」

「承知致しました、主上」

 永清君――聞き覚えがある名前だが、すぐには思い出せない。部屋に戻ってから恵世けいせい玉柚ぎょくゆうに確認しよう、と頷いていると、藍叡は踵を返して四阿を出て行った。


 もしかして、わざわざこれを伝える為に立ち寄ったのだろうか、と鈴雪は思う。

 別に今すぐに必要な情報ではない。あとで聞かされてもまったく問題はない話だったと思う。それをわざわざ、妃嬪達が全員揃っているこのときに伝えに来る意味とは、いったいなんなのだろうか。

 それよりも、歓待の宴とは。なんとも迷惑な話だ。

 大勢の人々の前も、酒も苦手な鈴雪にとって、そんな席は苦痛でしかない。酒は匂いすらも好まないくらいだ。ああいう場で供される料理も好きではない。

 黙って座って、たまに少し微笑んでいればいいことなのだろうが、それもなかなかに大変なのだ。

(面倒ばかり……)

 こっそりと溜め息を零し、鈴雪は顔を顰める。

 たった二日前にこちらに戻ったばかりだというのに、夜伽、密命、朝議、今朝の青燕せいえんのことといい、既にこれだけの面倒が立て続けに起きている。一事が万事この調子だとなると、覚悟を決めて備えているとはいえ、さすがに鈴雪も参ってしまう。


 けれど、その面倒なことが続いている中でも、妃嬪達の様子を知れたこの茶会を開いた意味はあった。

 寧貴妃はやはり他の妃嬪達を見下しており、自分を後宮内では特別な存在と見ているし、恐らく他の妃嬪や女官達もそれは思っていることだろう。

 黄賢妃は王族の縁戚である所為か、気位高く、寧貴妃とは根本的に仲がよくないようだ。

 楊昭儀はその容姿に見合った物静かさで、寧貴妃と黄賢妃の諍いには加わりもしなければ仲裁もしない。きっと他のことに対しても一歩引いた態度を取っているのだろう。

 安充媛はまだ若い所為か、自分の気分で動いているようだ。まわりにへりくだったりおもねることもなく、自分のしたいように振る舞っている。たいした胆の太さだ。


(この中の誰が、子殺しなどという恐ろしいことを……?)

 一番有力に感じるのは、苛烈な性格の持ち主である寧貴妃だろう。邪魔と感じれば排除するくらいはやって退けそうだと思う。

 次は黄賢妃だ。しかし、彼女は先日自分の子を失ったばかりだ。

 楊昭儀と安充媛は、そのような恐ろしいことをするような雰囲気は感じられないが、ここは後宮である。女達が美しい笑顔の裏で、恐ろしい策を巡らす世界だ。誰がなにを行っているかわかったものではない。

 藍叡と竣祥しゅんしょうに頼まれたとはいえ、この犯人探しは、なかなかに骨が折れそうだ。



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