腐った果実は、罪の味。

  • ★★★ Excellent!!!

どうも、名も無き愛され姫です。
愛する――それはこの世のあらゆる生命を肯定することであり、つまり、愛されるとは生命を肯定されることなのです。
では、我々の生命を肯定するものはなんなのでしょうか?

それは世界であり、神であり、そして大いなる自然です。

私は本作『梔子青の足』からそのことを感じ取り、そして、自身がこの惑星にあまねく存在する愛され姫のひとつであることを思い出したのです。


梔子青の足。
美しくも奇妙な題名を与えられたこの作品では、山中に住まう一家を中心に、季節とともに移ろいゆく生命が生々しく、幻想的に、つぶさに、そして大胆に描かれています。

天瀑を有する山はある種の神域で、そこに暮らす一家も神に近い存在だと考えられます。
そんな神々(あるいは魔物)のもとに、麓からその土地の青年――つまり“人間”が婿入りすることで、かれらの異質さが螺鈿の青貝のように光を放つのです。

主な語り手である春峰は戦役で山を降りるものの、人間となって死ぬことができずに帰郷します。
春峰の妹である青浪は愛され姫でありながら同時に愛を与えることのできる、奔放な生命を抱く傲慢な神です。
かれらの母の玉蘭も、下女の丹も、彼女の息子である梔子もまた――。

一方で、青浪の婿として一家に迎えられた深玉は人間です。
かれは青浪と交わり、家族の一員になり、神になることができるのでしょうか。
流れゆく生命たちを愛することはできるのでしょうか。

一家を取り巻く景色は、生命は、ゆるやかに、どこかめまぐるしく変化してゆきます。
熟れた果実は甘いにおいを放ちながら腐ってゆき、苦い土にかえってゆく。
土から新芽が出て、花が咲いて、再び実を成す。
一家のだれかが死んで、だれかの胎に新しいいのちが宿る。
かれらの罪が、邪悪が、あぶくのように浮かびあがり、けれど罰が結実することはなく――。

最後の一行まで気を抜くことができません。
けれど、先が気になって読み進めるのではなく、一瞬一瞬に心奪われているうちに結末へと辿り着いている――まるで谷川の激流のような物語です。

……“足を滑らせたら最後、どことも知れぬ場所まで遠く流されてしまうような”。
それこそが生きるということであり、愛されるということなのでしょう。

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