第70話 罪悪感

 異界化した学園には思ったより生徒が残っている。窓に連なった大勢の視線に晒され、亘は変な汗をかいてしまった。

 あんな鰐みたいな悪魔と戦った人間なのだから、不躾な視線を向けられて当然だろう。しかし見られ慣れしていない亘にとっては過大なプレッシャーだ。体育館のイベントで人が動いてこれなのだから、もしそうでなければ脇汗が大変なことになっていたに違いない。

 現実逃避で考え事をする亘の元へと、ガルムを引き連れたチャラ夫が駆けてきた。

「兄貴、助かったっすよ。流石っすね」

「そっちは大丈夫なのか。手ひどくやられた様子だったが」

 さり気に立ち位置を変え、生徒たちの視線との間にチャラ夫を挟んでおく。やはり視線はどうにも耐えられない。

 チャラ夫だが服の所々がホツレ破れ、車にでもはねられたような状態である。しかし服の様子とは違って身体に問題はなさそうだ。しゃがみ込んだチャラ夫が、足元のガルムの頭を撫でる。

「ガルちゃんに回復してもらったんで大丈夫っすよ。兄貴も怪我してるなら回復するっすか」

「た、大した怪我はしてないから大丈夫だ」

 やりましょうか、と尻尾を振りながら見上げてくるガルムに亘は言葉を選びながら断る。なぜなら、チャラ夫の肌はテカテカしているではないか。ガルムの回復スキル『舐める』は文字通り、舐めて回復するものだ。分厚い舌でベロリと舐め回されるのは遠慮したい。

「そうかガルムは偉いなあ、それに引き換えうちの神楽ときたら……」

 契約者のピンチに遅れたとはいえ駆けつけたガルムに比べ、亘の従魔である神楽は鉄砲玉のように飛び出して行ったきりだ。きっと校内のどこかで我を忘れ銃を乱射しているに違いない。その姿を思い浮かべ情けなくなってしまった。

「そんで、怪我人の回収と治療をしておいたっす」

「そうか、それは良くやったな。それで怪我人だけだったか?」

 その言葉でチャラ夫の表情に影が差す。暗い顔で下を向いてしまった。

「志緒姉ちゃんが確認してくれたっす。鰐竜に踏まれたせいで……二人ばかり駄目だったっす。危なかった奴はガルちゃんが回復させたんで持ち直したっす……」

「そっか……」

 しんみりと呟いて校舎の方を眺めやる。

 何人かのグッタリした生徒たちが、とりあえず持ち直したケガ人らしい。擁護教員らしい人物と志緒が中心となって手当を行っているのが見えた。


 そして少し離れた場所には白厚手ビニールに包まれた人間大の何かがあった。それにすがって嗚咽する女子生徒たちの姿がある。

「俺っちが調子に乗ってなきゃ……兄貴みたいに鰐竜をグラウンドに引っ張ってれば……こんなことには……」

 同じ方向を見つめチャラ夫がぽつりと呟く。足下でガルムまでもが悲しそうに鼻を鳴らしている。自分が上手くやれば助けられたのにと罪悪感を感じているらしい。

「…………」

 亘は大きく息を吐き白布に取りすがって泣く女子生徒たちを見やる。嗚咽しながら泣き崩れる少女たちの中に、過度に泣き叫ぶ少女がいる。その姿は友人の死を悼んでいるというよりは――いかんな、と亘は目をつむった。そこから先は考えてはいけない領域だ。少しでも口にすれば、人でなしと非難されてしまう。

 もう一度大きく息を吐き、嘆くチャラ夫へと視線を戻す。

「そう自分を責めなくたっていいだろ。あの時は誰も何も出来なかったし、しようともしなかった。だったら行動した奴が一番正しいものさ」

「兄貴……」

「結果なんてどうだっていい。行動しなかった奴より、行動した奴が正しいんだ。行動せずに批判だけする奴は、ただの不平屋だ」

「…………」

 チャラ夫が虚をつかれたように亘を見つめる。捻くれたところのない純真な眼だ。そんな、その十代の少年の眼差しに見つめられ、亘が目を逸らす。流石に今の台詞は気障ったらしかったかもしれない。


 そこに七海が駆けてきた。髪をなびかたせセーラー服姿はなんとも瑞々しい。青春を具現化させたらこんな姿だろう。こちらもまた、眩しい純真さがある。

「五条さん、おケガはありませんでしたか」

「大丈夫だ。まあ、一部の生徒には気の毒なことになってしまったがな」

「そうですね……」

 七海がちらりと白布をかけらた生徒に目をやったが、少し表情を曇らせただけだ。残念そうで悲しそうではあるが、それ以上ではない。

「助けられなくて、悪かったな」

「いえ、五条さんが悪いわけでないですよ」

「そうやで、避難せんかったのが悪いんや。可哀想に思うのはええけどな、そんなんで罪悪感を感じる必要はあらへんですよ」

 一足遅れて七海の友人であるエルムもやって来る。相変わらず言いにくいことをズケズケ言う。

「そんなんよりや。五条はんって、本当は凄いお人やったんですな」

「本当はってな……」

「校舎から見とりましたで! なんですかあの動き。あんなん出来る人、見たことないですわ。まるで忍者みたいやったわ」

「んっ 忍者か。まあもうすぐ忍者も来るんじゃないか」

 本当にそろそろ来てほしいものだ。

「ほんまですか! まさか五条はんも忍者なんか!」

「そんなわけないだろ」

 目を輝かせたエルムが露骨にガックリと項垂れる。どうやら亘が忍者ではないかと大いに期待していたらしい。大丈夫かこの娘、という感じだ。

「くうっ、乙女の憧れを弄ぶなんて、なんちゅう酷いお人や」

「どんな憧れなんだよ。それに誰も弄んでないだろが」

「忍者言うたら乙女の憧れやないですか。シュタタタッと現れて、手刀でズバッと首を刎ねて褌一枚で攻撃を躱すんですわ。ああっ、ニンニン言うてみて下さいよ!」

「そんな忍者なんて居ないさ。もうなんだよ、この娘は」

 亘が頭を抱えてしまった。このエルムと話していると調子が狂ってしまう。

 いったいどんな忍者を妄想しているのか、キラキラした目つきで亘へと詰め寄ってくる。なお、チャラ夫はそそくさ逃げた。 

「忍者がおらんのやったら忍者みたいなお人でもええですわ。五条はんの弟子にして下さい! 今なら朝から晩まで付っきりでお世話させて貰います! なんでしたらくノ一として手取り足取り腰取り訓練を!」

「ダ、ダメです!」

 エルムの言葉に七海が慌てて止めに入ると、暴走がピタリと止まり、ニッシッシとした顔になる。

「おんやナーナさん見せつけてくれますね。それ私の彼氏を取っちゃ嫌よっ、てことですかいな?」

「ち、違います。これは、その、五条さんが困ってるみたいでしたから」

「おやおや彼氏を庇って、あー暑い暑い」

 女の子同士でキャイキャイ言い争っているが、間に亘を挟んでやっている。

 嬉し恥ずかしの状況だ。

 こんな時にさらっと何かが言えたらいいのだが、あいにく気の利いた言葉の一つも出てこない。もっとも、もしそれが出来るようなら、ここまで彼女なしの人生ではなかっただろうが。


 やれやれと亘が頭を振っていると、横合いから険の含んだ言葉が投げかけられた。

「おいオッサン、ぼ僕の舞草から離れろ!」

「「「え?」」」

 亘たち全員が訝し気に振り向くと、痩せ気味のヒョロリとした少年を見つめた。たった三人の視線だけで、目線を下に逸らし口をへの字にする。

 どことなく見た覚えがあるが、そのへの字口で思い出した。図書室で七海にセクハラしかけた際に登場した少年だ。

 呼び捨てされた七海がちょっとだけ不快そうな声を出す。

「僕のって……あの? あなた誰ですか?」

「誰って、何言ってるんだよ。ぼ僕だよ。いつもぼ僕に話しかけてきてたくせに、やだな。ほら早くオッサンから早く離れろよ。今なら許してやるから」

「はあっ? あんた何言うてるんやバッカじゃないの。大体やな、あんたクラスの出し物も手伝わんとどこ行っとったんや。隣のクラスの奴らが怒っとったで」

「エルちゃんの知り合いでした?」

「ナーナ、あんたな……ちっとは覚えといたりや。隣のクラスの三原君やで、合同授業で一緒の班やったろ」

「あ、そうなんだ」

「…………」

 存在を認識されてなかった三原少年は絶句中で、精神的に大ダメージといった様子だ。なお、亘も身につまされ貰いダメージを受けていた。似たような経験はある。

 我に返った三原少年が顔を真っ赤にさせる。

「なっ、なんだよそれ、舞草は僕のことがす好きなんだろ。早く離れろよ。そ、そうか。そうだった、そのオッサンに弱みを握られてるんだな。僕が助けてやるから」

「うわー、あかん奴だわ、これ」

 エルムが顔をしかめると、七海は無言で亘の背後に身を隠すようにした。得体のしれない恐怖を感じているようだ。けれど、それがまた三原少年の癇に障ったらしく、ますます意味不明な理論の言葉を喚き散らしだす。


 亘は嘆息した。

 オッサンと呼んだのは許せる。弱みどうのこうの言葉も、まあ許せる。それらは、女の子に相手にされない同士同類として全て許そう。しかしだ、妄想めいた言動は放っておけない。

 相手の考えと行動を自分勝手に決めつけようとする妄想、執着めいた言動、滅茶苦茶な理屈で自分を正当化しようとする言動。典型的なストーカー気質だ。

 放っておけば、本物になって活動しかねない。そうなる前になんとかせねばならないだろう。しかし、こういった問題は難しく素人が下手に口を挟めるものでもない。早めに警察に相談すべきだろうが、相談したところで頼りにはならないのが現実だが。

 そうこうしているとエルムが腰に手をあて声を張り上げた。

「ええか、よう聞いておきなれ。この二人は付合っとるんやで」

「う、嘘だ!」

「嘘やない。ウチは聞いたで、アレもコレも済ませてとって、今日もこれからアレしに行くんや!」

「えっ、ちょっと」

 どうや、と言わんばかりのエルムを制止しようとする亘の呟きは、周囲からあがった黄色い歓声にかき消されてしまう。

 しかも、七海が頬を染め恥ずかしそうにするものだから、その言葉を疑う者は居なかった。

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