第65話 なぜか謝りたくなる
「ナーナ、朝からお疲れさんやったな。後は任しときなれ」
髪をポニーテール風にした活動的な雰囲気の少女がやって来ると、気安い様子で七海へと話しかける。どこか悪戯っぽそうな、物事を面白がるような笑顔だ。
「あっ、エルちゃん。ごめんね、後はお願いね。夕方には戻って片付け手伝うから」
「ええて、ええて、気にせんでええて。どうせナーナがおらんくなれば、お客さんも減るやろ。後は楽なもんやて」
「私なんて居ても居なくても別に変わらないと思うよ」
どうやら七海と仲が良いらしい。これまで格別仲の良い相手の居なかった亘は羨ましい思いで、キャイキャイと女の子らしく騒く様子を横目に眺めた。
「はいはいっとな。まあ約束やから気にせんと自由に回りなれや……と言いつつ、そっちの人、私なんてどうですやろ。脱ぐのもOKやで」
「……はい?」
怪しい言葉遣いの少女が服を脱ぐような真似をするものだから、亘はどう返事をしたものか困ってしまう。後ろに居るチャラ夫のように、興奮した息遣いで鼻息を荒くできたらどんなに良いだろうか。
「ナーナの所属事務所の人やないの? ウチ、金房エルム言います。ナーナとは親友なんやで」
どうやら亘のことを、芸能関係事務所の人間でスカウトか何かで学園祭に来ていると勘違いしているらしい。
確かに両者の関係性など他に思いつかないだろう。一体誰が異界で悪魔と戦う仲間だと思うだろうか。
「どうも、五条です。自分はただの一般人で、芸能関係とは全く関係ないですよ」
「俺っちは長谷部祐二「チャラ夫」じゃないっす! とにかく彼女募集中なんでよろしくっす」
「はあ芸能関係の人やないんですか。そら残念」
エルムはさして残念そうでもなく笑っている。どうやら元から軽口なのだったのだろう。いちいち相手にしない方が良いタイプらしい。
「ははあ、五条はんとチャラ夫君ですか。ほんで? チャラ夫君が彼女募集中なら、五条はんがナーナの彼氏なんか?」
辺りの雰囲気がざわつく様子に亘は戦慄した。どうやら、このエルムという少女は普通は聞かない部分をガンガン踏み込んでくるタイプのようだ。
エルムはワクワクした顔で見つめてくる。そして、刺すような視線が幾つも亘へと集中しており、その中には何故か七海の視線まで含まれていた。どうやら皆が返答を待っているらしい。
亘は緊張のあまり胃が痛くなってきた。
しかし、ここで七海に迷惑をかけるわけにはいかないだろう。こんなオッサンが彼氏なんて噂されたら、迷惑なのは分かっている。こんなことが切っ掛けで嫌われたくはない。
「いや単なる知り合いだ」
「なんや、そうなんですか?」
「あのね君ね。冗談を言うのはいいけれど、友達が迷惑するような冗談は止めた方がいい。色恋沙汰に興味がある年頃といっても、言って良い冗談と悪い冗談があるんだから」
「そらすんません。そんならナーナ頑張りや。はいはい、皆様。お仕事やろかー」
エルムは軽くウインクをして引き返していくと、手を叩きながら他の連中を作業に戻していく。それによって、他の面々の興味も移っていった。
ホッと息をついて亘は笑った。
「まったく。困ったもんだな。はははっ」
「…………」
だが七海は咎めるような目で見つめてくるではないか。
「あれ? どうした」
「……いいえ。別になんでもありません」
「そ、そう? だったらいいけどさ」
亘はたじろぎ、何故か謝りたくなる気分にさせられる。バツの悪い気分でいると、チャラ夫が声をひそめて話しかけてきた。男同士後ろを向いてヒソヒソ話だ。
(兄貴、早く謝るっす)
(なんでだよ。何か悪いこと言ったか?)
(知んないっすよ。でも、なんかヤバイ雰囲気っす)
揃って振り向き七海を見る。
それはニコニコとした笑顔だが、確かにその中にヤバイと表現される何かを感じてしまう。多分気のせいではない。
その答えを見つけるより先に、七海が視線をチャラ夫へと向ける。
「ねえチャラ夫くん」
「はっ、はいっ! なんでございましょうか!」
「もう行ってもいいですよ。五条さんは、これから私と一緒に二人で学園祭を回るんですよ」
「イエスマム! 失礼しやしたっす!」
「お、おい」
すたこら駆け去っていくチャラ夫の姿は、脱兎の如くといった言葉が相応しい。声をかけた亘のことなど一瞥もしない薄情さで、人ごみの中を縫うようにして姿を消してしまった。
「じゃあ行きましょうか」
七海が亘の横に並ぶ。
ニッコリ微笑みかけてくる顔の中には、先程感じた何かは欠片もない。いつもの優しい七海だった。
◆◆◆
学園祭というものは、普通の祭りに輪をかけたぐらい賑やかだ。恐らく一生の中で一番楽しい祭に違いない。そんな楽しい祭に、箸が転んでもおかしい年頃がひしめき合い、全力で祭りを楽しんでいるのだ。
ポスター展示や飲食物の販売などの前を通りかかると、売り子をする生徒が声を張り上げる。七海の友達関係で呼びこまれてしまい、肉まんやらかき氷などを半ば無理やり買わされてしまった。
七海は上機嫌で、いろいろな説明をしてくれる。それは教室の話であったり、授業の話であったり、または友人の話であったりと様々だ。嬉しそうにゆっくりと話す様子に亘もほっこりしていた。
「あっ、写真部の展示ですね」
「販売もしているのか……これはなかなか……」
その中で写真部の写真販売が目を引いた。売られているのは女子生徒のもので、水泳や体育、中には階段下の明らかに盗撮としか思えない際どい角度のものもある。亘が買おうか迷っていると、七海に睨まれてしまった。
「五条さん?」
「いやいや、なんでもない。はははっ」
「さあ次に行きますよ」
七海に手を引かれ、学園祭をまわっていく。
沢山の出し物があり、科学部では怪しげな科学実験もどきが行われ、生物部は金魚を救えと金魚すくいをやっている。園芸部は家庭科部とコラボし、食べられる雑草の試食会、演劇部はドタバタ劇を演じていた。
静かなのは教師による進学相談コーナーぐらいだが、その真横で黒魔術研究会が『この門を通る者、一切の望みを捨てよ』と意味深な看板を出していた。
どこもかしこもお祭り騒ぎだ。
そこに混ざれるのは、同じ若者ぐらいに違いない。亘のような年齢には居づらいもので、おまけに元の性格からして賑やかな場所が苦手だ。段々と疲れてしまう。かてて加えて、七海と一緒にいると何かと視線を向けられてしまい気疲れは倍増だった。
疲れ気味になった亘を七海が気遣う。
「どこかで休憩しましょうか?」
「ああ、できればそうしたいな。少し人酔いしたかな。静かな場所があると嬉しいな」
「それなら、良い場所があります。人の来ない休憩場所です」
そのまま七海に手を引かれて歩いていくと、少しずつ生徒の数が減っていった。
途中でチラッとチャラ夫の姿を見かけたが、話し掛ける女子生徒にぷいっとソッポを向かれていたので、きっと帰る頃には意気消沈に違いない。
「到着です」
七海が手で示してみせたのは図書室だった。
入口に『休憩所』と張り紙されているが、中には誰も居ない。お祭り騒ぎの教室から離れているせいもあるが、若くて元気溢れる生徒諸君には休憩なんて必要ないのだろう。
図書室に入りドアを閉めると喧騒が一際遠のいた。辺りには図書室独特の古びた本の発する匂いが漂い、それが気を落ちつかせてくれる。
亘はようやく一息つくことが出来る思いだ。
「ふう。確かに良い場所だ」
「良かったです。静かでいいですよね」
「こういう場所の方が落ち着くのは歳のせいかね。図書室か……懐かしいな。学生の頃はよく入り浸ってたもんだ」
通っていた学校の図書室など、おぼろげな記憶でしかない。でも、どこも大差ないだろう。受付カウンターがあって丸テーブルの閲覧スペースとなって、その向こうに蔵書の棚が立ち並んでいる。地震が来たら恐そうなぐらい、大量の蔵書があった。
七海が楽しそうに両手を広げてみせる。
「私も図書室にはよく来るんですよ。実は一年生の頃は図書委員をやってました」
「ほう、そうか。自分は図書委員まではやらなかったな。はははっ」
頬をかきながら、しみじみと呟く。亘が図書室に入り浸っていた理由は、単に教室に居たくなかったからだ。イジメられこそしなかったが、格別仲が良い相手もいない。話しかければ返事はあるが、さりとて誰かが話しかけてくることもない。そんな感じだ。
今の職場でも似た様な状況だと気づくと自虐的気分で笑ってしまう。
「あの……学園祭はどうですか? もしかして、ご迷惑でしたか?」
「そんなことないさ。久しぶりに賑やかな場所に来んで、疲れたのは事実だよ。でも、なんだか若い者から元気を分けて貰った気分だ」
「それなんだか、お年寄りみたいなセリフですよ。ふふふっ」
「違いないな、はははっ」
亘は笑いながら窓際に近寄ると、腰ほどの高さの手すりに軽くもたれてみせた。隣に七海が来て並ぶ。
「あ、見てくださいよ。チャラ夫君が走ってますね。誰かに追いかけられてるみたい」
亘が肩越しに外を見ると、確かに後ろを何度も振り返り必死に走るチャラ夫の姿があった。
「あいつ……何やってんだか。これでも一応注意はしてたのにな。騒動を起こすと七海に迷惑がかかるのに、すまんな」
「そんなの構いませんよ……でもですね、こうして静かな場所から賑やかな場所を眺めるのって、ちょっと楽しいですよね」
七海は両手を手すりに載せ、背伸びするようにつま先立ちになる。そうして中庭の様子を眺めクスクス笑っている。
外を見ていた亘は、そのまま七海へと視線を向けた。
「…………」
楽しそうな少女の横顔にハッと胸を突かれる。眩しくて鮮烈な若さだ。
その若さに感化され一瞬で気分が学生時代に戻される。黒い学生服に履き潰した上履き。今よりもう少し背が低く、髪の量も多かった自分。
でも、その頃から女の子と縁はなかった。楽しそうにじゃれ合うクラスの女子を見て、せめて喋ってみたいなとか、手を繋いでみたいなとか願っていた。何も起きず、何もできずに終わってしまった時代に夢みた幾つものことを思い出す。
今日はその幾つかが叶った。この可愛らしい少女といっぱい喋って手を繋いだのだ。目の前にある艶やかな黒髪へと、我知らず手が伸ばしていく。
――ガタリッ。
物音で我に返る。
たちまち学生服姿の亘は背広姿の三十五歳へと戻ってしまう。伸ばしかけていた手に気づき、慌てて引っ込めた。動悸の収まらない胸を押さえ反省することしきりだ。
完全に学園祭の開放的な雰囲気に流されていた。
七海の髪に手を伸ばしていたが、その誘惑のまま触っていたら大変なことだったろう。セクハラして嫌われるどころではない。学園祭の図書室で女子生徒にセクハラと、新聞沙汰になるところだった。
そんな亘だが、向かいの校舎の窓ガラスが鏡のようであることに気づいていない。そして七海が一瞬だけ不満そうな顔をしたことにも。
書架の間からゾロペタと床を擦る音が聞こえてきた。
現れたのは痩せてヒョロリとした男子生徒だ。陰気な顔に見えるが、それは顔立ちというより表情のせいだろう。眉を寄せた上目遣いをしており、への字をした口は世の中の全てが面白くないと言い出しそうだ。
パーソロジー、つまり人相科学という言葉がある。亘にその知識はないが、これまで多くの人間に出会い自分なりに培った経験がある。そこから目の前の男子生徒が、神経質で細かな面倒臭い性格だと類推できた。
「…………っぁぃ」
近付いて来た男子生徒が小声で呟く。どうやら、声が擦れて上手く言葉にならなかったらしい。顔を赤くするとそのまま足早に去っていった。
何を言おうとしたかは分からない。ただ去り際に亘に向かって、わざわざ顔をしかめてみせる。それは、もっと幼い子供じみた仕草だ。
自分のしでかそうとしたセクハラを責められているようで亘はバツの悪い気分になってしまう。
「騒いでたのが悪かったのかな」
「そんなことありませんよ。それに、今日の図書室は休憩場所になってますから大丈夫です。大騒ぎしなければ大丈夫ですよ。ほら、ちゃんと書いてありますから」
いつになく不機嫌な七海が近くのホワイトボードを指さす。確かに『私語OK、大騒ぎOUT、飲食厳禁、恋愛禁止。図書委員会より』と記されている。
「まあいいか。別のことで怒ってたかもしれないな、うん」
亘は頷きながら陰気な男子生徒に感謝した。もしあのままでいたら、セクハラしていたかもしれない。そうなれば、今頃大変なことになっていただろう。
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