第181話 育ち盛り

 マクスウェルにより、急遽計画された校外学習により、俺たち四年生はアレクマール剣王国へ向かう事になった。

 旅行の周知と参加者の募集、そして旅行の準備があるので、それまで一か月程度の時間がかかるらしい。


 一か月も経つと、もう七月。例によって水練の授業も始まり、最近特に性差の出てきたクラスメイト達の肢体を目にする羽目になる。

 そしてその視線は、俺にも向かってくることになる。

 特にこの時期、男子の視線に色が混じってきているので、正直気持ち悪い。


「まさか俺がこんな視線に晒されるなんて……」


 水練場の遊水池でざっぱざっぱと水を掻き分けながら、俺はそんな事を考える。

 三十メートル近い距離を泳ぎ切るのは、俺の体力では少々厳しいが、水に入った瞬間気絶してた入学当時を考えると、格段の進歩である。

 それに水の中だと視線に晒されずに済む上に、余計な事を忘れられるので、むしろ外より気が晴れる。


「おー、ニコルちゃんも結構泳げるようになったわね」


 泳ぎ切った先で、コルティナが俺を出迎えてくれた。

 寿命が長めの猫人族だけあって、四十が間近な年齢にもかかわらず、その肢体は実に若々しい。

 露出の多い水着姿だと、眼福極まる。


「って、それだと男子と変わらないじゃない」

「ん? さすがにそこまでは無理なんじゃないかなぁ?」


 俺は自身の視線について述べたのだが、コルティナは俺の水泳技術の事だと思ったらしい。

 この年齢になってくると、男女で運動能力にも差が出てくるので、男子の方がわずかに速く泳げるようになってきていた。

 もちろん、糸を使って筋力強化すれば、それに負けない速度で泳ぐ事ができるのだが……いや、むしろ全身を糸で操る訓練になるか?

 次泳ぐ時は、水で見えなくなるような糸を使って試してみよう。


「ふぅ」


 水から上がり、髪を纏めていた帽子を脱ぎ棄て、タオルを取る。

 早く水を拭かないと、体が冷えてしまうからだ。

 帽子から長く伸ばした髪が流れ落ち、身体に纏わりつく。その感覚が妙に不快だった。


 滴る水滴を用意しておいたタオルで拭き取っていく。ごしごしとこするのではなく、丁寧に押さえるように。そうしないと髪質が傷むと、フィニアにしつこく言われている。

 森の中のじっとりとした空気に、照り付ける太陽が重なり、蒸し暑さが襲い掛かってきた。


「この時期って、立ってるだけで体力消費しちゃうね」

「いやー、ニコルちゃんのそれは、それが理由じゃないと思うんだけど」


 水から上がった俺の足は、疲労でプルプル震えていた。体力不足はやはり如何ともしがたい。

 しかも少し肌が赤くなってきている。日焼けに対してもかなり弱い。今夜の風呂は沁みるかもしれないな。


「これでも大分マシになってきてるし!」

「うんうん。昔は水に入っただけでクラゲみたいに浮かんでたものね?」

「これも成長期の成果」

「そうね。水着も二回買い替えたものねぇ」


 入学当初から俺の身長は三十センチばかり伸びていた。水着も相応に用意する必要があったため、何度か街に買い出しに行く羽目になった。

 『羽目になった』というのは、その度にコルティナとフィニアに着せ替え人形にさせられたからである。

 水着を買いに行ったはずなのに、なぜかドレスを着せられたのは少しばかり困る。店の人も困った顔をしていた。


「じゃあ、元気なニコルちゃんはもう一本行っとこうか?」

「……まあ、いいけど」


 もう一本泳ぐのはさすがにきついが、好奇の視線に晒される方がつらい。

 水から上がった俺に向かって、男子どころか女子の視線まで飛んできている。思わずどこかおかしなところがあるのかと、自身の身体を見下ろしたくらいだ。

 平坦な胸、筋肉の付かない手足、真珠のような輝きを放つ爪、赤ん坊のように水を弾く、張りのある肌。


「うぬぅ……」


 くそう、どう見てもお子様じゃないか。隣に立つコルティナの色気ある肢体と比べると、悲しくなってくる。

 彼女は競技用の水着に身を包み、細身ながらも女性をしっかりと感じさせるスタイルを惜し気も無く晒していた。

 俺が男のままだったら、間違いなく興奮を覚えていたところだ。いや、今でも興奮は覚えるが、それが『表』に出る事はない。俺の愛棒は……もういないのだ。


「コルティナ、嫌み?」

「なんでそうなるのよ?」


 呆れたように返してくる彼女から逃げるように、俺は遊水池の縁に立つ。

 ひょっとすると、男子生徒は俺じゃなくコルティナを見ていたのかもしれない。きっとそうだ。そういう事にしておこう。


「じゃあ、いってくる」

「え、ほんとに? 気を付けなさいよ。ニコルちゃん、そろそろ体力が限界でしょ」

「なんでそこで驚くの……」


 そう聞き返してくるところを見ると、俺に『もう一本行っとけ』と言ったのは冗談交じりだったのか。

 俺はコルティナに一言返した後、もう一度水の中に飛び込んだのだった。


 

   ◇◆◇◆◇



 勢いよく遊水池に飛び込んでいくニコルを見て、コルティナは大きく溜め息を吐いた。

 あれは、どれだけ自覚を持っているのだろうか、と。


 彼女はこの三年――いや、四年目に入るが、コルティナの元で大きく成長していた。

 手足はスラリと伸び、体付きも丸みを帯びて艶やかさを増している。

 水泳用に髪を纏める帽子を取った時など、青銀の髪がまるでシャワーのように体に纏わりつき、女性である彼女ですら生唾を飲み込んだ程だ。

 男子生徒が食い入るように彼女を見つめていても、多少は仕方のない事だと、コルティナも納得している。


 しかし彼女ニコルにその自覚はない。

 自身が平均以上の容姿を持っているという自覚はあっても、それが早くも傾国の美姫に匹敵する美貌だとは思ってもいない。

 無防備で、明け透けで、まるで少年のような気安さで接して来る。

 それがどれほどの勘違いを周囲に撒き散らしているのか、把握していなかった。


「もうちょっと、自覚を持たせた方がいいんだけどなぁ」


 無論、通り一遍の授業は受けさせている。

 十歳にもなれば性教育の時間もある。ニコルもそれを受けてはいたが、いかにも生臭い物を見るかのような態度で、興味は低そうだった。

 おそらくはマリアとライエルが――おまけでフィニアも――大事に、丁寧に、箱入り娘に育てたせいで、性関係に潔癖な性格に育ってしまったが故の過ちだろう。

 いや、多感な時期は自分が育てていたのだから、自分のミスか。


 コルティナはそう考え、勢いよく川を泳ぐニコルに視線をやる。

 そこには少女とは思えぬほど綺麗なフォームで水を掻き分ける姿がある。

 それを見ながら、しかし意識は別の方向へと向かった。


 周囲で休息をとる男子生徒も、まるで美しい花を見つめるかのように、ニコルを眺めていた。

 否、男子だけではない。女子の大半も、憧憬の篭った視線を送っている。

 この魔術学院で、彼女は呆れるほどに注目を集める存在になっていた。自覚が無いのは本人だけである。


「もっと自分が『美少女である』って自覚を持たせないと、トラブルに巻き込まれちゃうわね」


 うんうんと頷き、腕を組むコルティナ。

 そこへ生徒の切羽詰まった声が飛んできた。


「コルティナ先生! ニコルちゃんが! また浮かんでる!?」


 ハッとして視線を戻すと、意識を外した一瞬でニコルは溺れ、クラゲのように漂っていた。

 やはり彼女の体力で五十メートルはきつかったようだ。

 コルティナは慌てたように水に飛び込み、救難に向かったのである。



  ◇◆◇◆◇

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