5-15 同郷
「――はぁ、はぁ……っ! くそっ、まだ追いかけてきてやがる!」
「走れ走れ走れー!」
安倍くんに続いて小林くんが、後方をちらりと見るなり叫び声をあげた。
無理もない、なんせ今、僕らは大量の思念体魔物に追いかけられているのだ。
道を埋め尽くさんばかりに大量に発生しているそれらを、いちいち相手にしていてはキリがない。
リンダール姉妹もわざわざ戦う気にならないのか、涼しい顔をして僕と並走している。
まぁ、僕に関して言えば『
実際に走ろうものなら、僕だけが置いていかれるに違いない。
……って言っても、僕はあれだけの魔物がいたところでスルーされるのがオチなので、残念ながら緊迫感には欠けているのも否めないけれども。
「このままじゃ埒が明かないぞ!」
「もう少し進めば階段だ! あそこなら一気に囲まれる事もない!」
「なるほど! 冴えてるな、暁人!」
「普通に考えればそれが妥当だもの。気がつかない方がおかしいわ」
「そもそもそれを言うのなら、最初からさっさと階段に向かっていればこんな状況には陥っていなかったと思うわ」
「やめたげて、二人共。それは当然と言えば当然だし、僕もそう思わない訳じゃないけれども、あの二人は今この状況になってようやくまともな答えに辿り着いたんだから。生温かく見守ってあげよう」
「それフォローじゃねぇからっ!」
リンダール姉妹の冷静過ぎる指摘にフォローを入れたつもりが、何故か僕の言葉は安倍くんのお気に召さなかったらしい。解せない。
思念体が湧き出す瞬間、一瞬前兆とも言えるような黒い霧の集合体が生まれる傾向がある。
それを見てさえいれば、接敵せずに走り抜ける事も可能だった訳だ。
僕としては安倍くん達のレベル上げにもなるだろうからという点と、リンダール姉妹に渡していた〈魔操糸手甲〉の具合を見る為にも、戦うという選択肢は決して悪いものではないとも思っていたのだけれど……そうも言っていられなくなった。
僕らより先に進んでいるとされる何者かの存在がある以上、敵の数は多い。
正直言って魔物をいちいち相手にしていたら、まだまだ奥に行かなければならないのに時間がかかり過ぎてしょうがないのである。
そんな訳で、僕らが取った選択は――逃げるという一手。
さっさと駆け抜けてしまう、という身も蓋もない方法であった。
リンダール姉妹にとってはこのやり方が自然というか、こうした方がいちいち戦わなくて済むので、〈魔操糸手甲〉の調子さえ見てしまえばこれで良かったらしい。
「――見えた! 階段だ!」
安倍くんの言う通り、前方にはそれらしい場所が見えていた。
まっすぐそれに向かう僕らを他所に、安倍くんは小林くんと向き合ってお互いに頷き合うと――滑るように足を止めて追いかけてくる魔物達へと振り返る。
「悠! ここから先は俺らにゃキツい! 俺らがここであの魔物達を処分すっから、お前はリンダール姉妹と一緒に行け!」
「あ、うん。じゃあね」
決死の覚悟よろしく語る二人にあっさりと答えて手を振ると、「……そこはもうちょっと心配してくれてもいいんじゃないか……」とぼやきながら安倍くんと小林くんが腑に落ちないとでも言いたげな表情を浮かべた。
いや、うん。
確かに映画や漫画だったら、俺を置いて先に行けみたいな場面に見えるかもしれないけれども、囲まれさえしなければあの二人が負ける事はないだろう事ぐらい想像できる。
残念ながら僕はそんな状況に酔いしれるタイプでもないのだ。
僕とリンダール姉妹は決死の防衛――っぽい何か――をする安倍くんと小林くんを追い抜く形で、巨大な穴へと飛び込んだ。
円柱状に開いた大きな穴は、壁面に階段を設けてあるらしい。
覗き込んだだけでは薄暗さも相俟って底が見えないけれど、僕は空を飛べる『
ああいう動き、僕もやりたい。
できるはずないけれども。
結構な距離を降下して、しばらくしてようやく地面が見えてきて二人が着地する。
その横で滞空状態を維持しながら辺りを見回すと、再び奥へと続くらしい道が見える。
どうもあの先が次の目的地になるらしい。
「ここから先って、魔物が強くなるの?」
「えぇ、そうね。だいぶ強くなるわ」
「ここから先はあの二人がいても邪魔なだけだわ。ちょうど良かったんじゃないかしら」
「二人共、安倍くん達に対して結構辛辣だよね」
なんとなくそんな言葉を口にしたら、お前が言うなみたいな目で二人が僕を見てきた。
「えぇ、そうね。だって私達はあの二人が嫌いだもの」
「えぇ、そうよ。あの二人、ユウに対して馴れ馴れしくて嫌いだわ」
「僕に対して?」
まぁ確かに、彼らにとっては旧友というか、同じ境遇にいる人間同士の親しさみたいなものがあるのは間違いない。
もっとも、僕が僕であって、“同じクラスにいた高槻 悠”ではない事については語っていないし、それはどうでもいいとして。
「私達は認めていないわ」
「えぇ、そうよ。あの二人、なんだか薄っぺらいもの」
「薄っぺらい、ねぇ」
ファルム王国でやらかした事を考えると、どうにもそれを否定できなかったりするのは事実だ。
二人が得た【
その結果として増長してしまったのは事実だし、そのまま捕まって改心したと考えられるのも事実だ。けれども、彼らにはどうにも信念とか、そういう確固としたものがあるようには見えない。
魔族側に入ったのは、偶然にもゼフさんという知己を得たおかげだ。
僕はともかく、他のみんなと一緒に行動しようとしなかったのは、二人がやらかした一件に対して直接謝罪していないからであり――それは裏を返せば、二人がまだ真正面から向き合っていないとも取れる。
細野さんあたりはそういった二人の感情をなんとなく見抜いているからこそ、あの二人を未だに許していない傾向もあった。
もちろん、女子陣にとっては許し難い行いをしてしまったのだから、それなりに責められるだろうし、そこから逃げたい気持ちは分からなくもないけれども。
僕は僕で謝罪されたけれど、あれは僕から逃げられなくなってしまって、それでようやく腹を括った部分というのも少なからずあるだろう。
「ねぇ、ユウ」
「ん?」
「あなたはあの二人を信頼できるの?」
リンダール姉妹の視線は、真剣そのもの。
決して自分達とは相容れないから拒絶する為に問いかけている訳じゃなくて、ただただ純粋に、僕の答えが聞きたいから問いかけてきたのだろう。
「信頼できるか、と言えば――まぁ信頼はできないんじゃないかな」
「え?」
「僕らは確かに同郷ではあるけれど、だからって何も特別な信頼関係を築いていた訳じゃないからね」
学校という、行って当たり前とでも言うような環境に押し込められて、偶然にも同じクラスに所属していただけ。
顔を知っていればそれが友達で、仲間で、信頼できるかと訊ねられれば――それでイエスと答えられるのは余程のお人好しか、それこそ薄っぺらい答えでしかないだろう。
だから僕は、あの二人に全てを共有するつもりもなかったし、一線を引いた関係しか守るつもりもなかった。
ただ、それだけの話なのだから。
もしもあの二人と敵として対峙する事になったとしても、それはそれで仕方ないとも思える程度でしかない。
そんな考えで答える僕の答えは、どうやら二人にとっては納得できるものだったらしい。
二人は何やらほっと胸を撫で下ろすような仕草をしてみせた。
「……なら、ユウ。あなたは――」
エメリが何かを問いかけようとした――ちょうど、その時であった。
「――やっと来ましたのね! お待ちしておりましたわ!」
目の前の通路の奥から響いてきた、何やら高飛車さを思わせるような物言い。
高い声がやたらと反響して、軽くうるさい。
声の方向へと振り向くと、そこに立っているツインテール少女。
薄い青い髪が周囲の淡い光で染まって、やたらと際立って見えている。
勝ち気さを思わせる釣り上がった双眸を僕に向けるなり――少女は堂々と宣言した。
「あなたがユウですのね! あのエキドナお姉様を倒したという勇者!」
「そうだけど……」
「わたくしは『氷』のヴィルマですわ! お姉様を倒したというあなたに――!」
すわ襲いかかってくるのかと身構える僕の前に、僕を守ろうとするかのようにリンダール姉妹が一歩踏み出る。
しかし少女――ヴィルマは、そんなリンダール姉妹にも臆さずに言い放った。
「――わたくしを罵っていただきたいんですの!」
「変態ですね。おかえりください」
「はぅ……っ!」
思わず、というか反射的に出た言葉にヴィルマが胸を押さえながらオーバーに仰け反った。
……そういえば、ヴィヘムから一度聞いた事があったような。
エキドナを敬愛しているらしい『氷』のヴィルマには注意しろ、彼女は被虐趣味がある、と。
しまった……。
あの子、僕とはある意味相性が最悪じゃないか。
今の一言にさえ恍惚とした笑みを浮かべてしまっている辺り、どう見てもヴィルマは悦んでいるようにしか見えない。
「ふ、ふふふふ、いいですわ……ッ! お姉様のように、蔑み嘲るような微笑を湛えながら弄ぶような一言とはまた違う……! 活力のない死んだ目で、路傍の石を眺めるような目をしながら、かつ鋭い一言をわざわざ意識もせずに紡いでみせる逸材……! 無意識下に告げるあの言い回しは、余程日頃から冷たい言葉を口にしなければ出て来たりはしないはずですわ……!」
なんだろう、この薄っすらと感じる気持ち悪さは。
被虐趣味協会のソムリエ資格でも存在しているんだろうか。
妙な言い回しはやめてもらいたいんだけど。
「あぁっ、あの目! 今まさに、心の底から罵倒されているに違いありませんわ……!」
だめだ、あれは。なんともできない。
僕がどんな目を向けたって悦ぶ方向に変換する未来しか見えない。
「ねぇ、二人共。あれ、どうにかしてくれないかな。なんだか勝手に悦に浸られてて困るんだけども。というか何を言っても悦びそうな気しかしないんだけども」
「アレは私達にも無理だわ。実力で黙らせようとしても悦ぶだけだもの」
「アレは私達も関わり合いたくないわ。何をしても悦ぶんだもの」
……言われてみれば、リンダール姉妹も結構嗜虐的な一言を口にする傾向があるし、そう考えると二人にとっても相性が悪いって事かな。
なんだか凄く厄介な敵と出会った気がしてならない。
それにしても、やっぱり僕らより先に出向いてきていた人がいたって事か。
目的は……今のあの恍惚とした感じを見る限りだと、本当に僕と接触したくてやって来たと考えるべきなんだろうか。
割りと本気で警戒していただけに、本気でイラッとしそうだよ。
それを顔に出しただけで悦びそうだから手に負えないけれども。
見れば、リンダール姉妹――というかエメリが、ずいぶんと不機嫌そうにヴィルマを睨みつけている。
その視線を受けてもなお恍惚としている辺り、本当に厄介な存在である。
「ねぇ、ヴィルマ。邪魔しにきたなら今回ばかりは本気で殺すわよ」
「そうね、ヴィルマ。ユウは陛下に頼まれてここに来ているわ。邪魔をするのなら、今回ばかりは冗談じゃ済まされないわ」
エミリの警告とも取れる一言に、苛立ちを隠そうともしないエメリが続く。
さすがにヴィルマもこのままでは困ると判断したのか、我に返って一つ咳払いしてみせた。
「い、いえ、失礼致しましたわ。わたくしとしても、確かにエキドナお姉様を同好の士としたユウに興味はあったのは事実ですのよ。でも、こうしてこんな所にまでやって来る事になったのは、ある意味不本意ではあるのですわ」
「不本意? どういう……――ッ!」
訝しげに問いかける僕の言葉を遮るように、脳内にどこか気の抜ける効果音が鳴り響いた。
――『【
さっきから魔物に襲われ、僕の中で眠るように隠れていたミミルが光となって飛び出て姿を現すなり、僕の目の前にログウィンドウを浮かべてみせた。
けれど――ミミルの表情はいつものドヤ顔なんかじゃない。
唐突過ぎる変化に、明らかに警戒の色を強くさせている。
僕もまた、この異常事態を看過できるはずもなかった。
突然言葉を区切った僕らに反応すらしないヴィルマと、リンダール姉妹。
彼女達自身が、突如として身動ぎ一つしなくなってしまったのだから。
――【眠りの刻】。
恐らく時間を止めているらしいそれの影響だと考えるのが無難なところだろう。
何よりこの状況に対して、僕はすでにリンダール姉妹から聞かされていた。
「……〈十魔将〉の最強――エヴァレス……」
「――その名前はこちらの世界でついた名前。あなたにその名で呼んで欲しくない」
一切動こうともしないヴィルマとリンダール姉妹の隣を、悠然と歩きながら語りかけてくる少女の言葉に――僕は思わず言葉を失った。
こちらの世界なんて言い回しをするとなれば、それは間違いなく僕らと同じ――異世界からやってきた存在、という事なのだろう。
まさか僕ら以外にそんな存在がいるなんて――とは思わなかった。
なにせリュート・ナツメという初代勇者の存在がある以上、僕らの世界とこの世界はどういう訳か繋がっているような傾向があると考える方が、いっそ自然だったからだ。
何かを問いかけるよりも早く、エヴァレスは――僕の目の前へと歩み寄り、僕の顔に向かって無防備に両手を差し出して、頬に手を触れた。
そこでようやく、僕は我に返ったらしい。
同じ世界からやって来た相手であるらしいエヴァレスの言葉に動揺していた。
一切の殺気だとか敵意だとか、そういったものを感じさせない動きだったから、というのもあっただろう。
頬に触れられ、慌てて咄嗟に動き出す事さえできなかったのは――――
「……会いたかった、高槻くん……ッ!」
――――黒い瞳に浮かぶ、涙を見たからだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます