4-14 魔導結界設置作業、始動
「――んじゃ、まずは仕込むポイントを割り出したコイツを見てくれや」
王都内にある大きな工房の一角。
アイゼンさんが黒板に張り出した地図を見せながら集まった人達に向かって声をかけた途端、ざわりと動揺の声が広がった。
やれ「無茶じゃないか」とか「こんなのを本当にやるのか」などという声が聞こえてくる。
そんな声を一蹴してみせたのは、アイゼンさんの古い友人であるという、浅黒い肌に筋骨隆々の肉体をした壮齢の男性――ランドルフさんの分厚い拳が木で造られた机を殴りつける強烈な音だった。
「ゴチャゴチャ騒ぐんじゃねぇ! テメェらの常識なんざ捨てろってんだ!」
一喝されて、静けさが戻る。
キーンと耳鳴りする程の大きな声に顔を顰めつつ、僕は改めて居並ぶ面々の顔を見回していた。
今日から始まる、【
今、アイゼンさんの横で僕とは違って無表情を貫いている、金色の髪を団子状に纏め、眼鏡をかけた冷たい印象を受ける若い女性――エルメンヒルデさんである。
実はあの人、中立派の重鎮でもあるハイデンヒルト伯爵家を担う女伯爵でもあり、今回の設置には親国王派や親貴族派の介入は不和を生みかねないという事で選抜された人だ。
付け加えると、エルメンヒルデさんはエルナさんとは幼少期から友好関係を築いていた女性なのだそうで、年の頃もそんなにエルナさんと離れていない。
さすがは女伯爵とでも言うべきか、こんな状況でも一切動揺しているようには……――あれ、なんか怯えてる……?
すすっとエルメンヒルデさんはアイゼンさんからも離れ、さりげなく離れた位置に立っていた僕に近寄ってきて、小さく安堵の息を漏らしているように見える。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だと思いますけど」
「こ、怖がってなんて――ッ! オホン、怖がってなんておりませんわ。むしろこれは、そう、これから携わる大きな仕事を前に、武者震いしているのですと断言致しますわ」
「あ、そうですか、大変ですね」
「そ、そこはせめて、信じたフリぐらいしてくれても宜しいのではないかしら……!」
ランドルフさんが大きな声で説明する横でのちょっとした短いやり取りで確信する。
どうもこのエルメンヒルデさん、見た目の割に鉄面皮といったタイプではないらしい。
「ユウさんユウさん」
「なに?」
「あの頭って、剃ってるからツルツルなんですよね? 毛根が死滅したとかじゃないんですよね?」
「そうだね。とりあえず黙ろうね、ポンコツリティさん」
「オブラートですらないですっ!?」
一方で逆側、僕の隣に護衛役として立っていたポンコツさんは相変わらずのポンコツっぷりを発揮してくれているようである。
そんな僕らのやり取りを横で聞いていただけあってか、エルメンヒルデさんはようやく落ち着きを取り戻したらしく、僕に小声で声をかけてきた。
「それにしても、この状況下でよく結界の設置を引き受けましたね」
エルメンヒルデさんがそう言うのも当然だ。
実際、王都内の器物損壊事件は未だに未解決なままで、そちらの解析だって遅々として進んでいない。
元々の予定では事件解決後まではやらないつもりだったんだけど……。
「そうも言ってられなくなってしまったんですよね」
あの〈星詠み〉が動いていて、しかも僕らの存在に気が付いて接触してきた以上、調べ物はリンデさんに任せて僕は【
その為にリンデさんに魔導具を渡したんだけれど――リンデさんはあの後、赤崎くんと加藤くんが魔導書でスキルを増やして感激した瞬間、「黙れ」とでも言いたげに射殺さんばかりの視線を投げかけたり、声をかけても出て来なかったりで色々大変だった。
まぁ、しばらくは任せよう。
あの調子なら色々と情報を見つけてくれるに違いない。
いずれにせよ、ラティクスのように魔族が暗躍するのは、決して放っておく訳にはいかないしね。やれるだけの事はやっておかないと、僕だって枕を高くして寝ていられない。
「――で、そっちのちっこいのが今回の結界を発案した、勇者の一人であるユウだ」
僕より背が低いアイゼンさんに言われるのはなんだか腑に落ちない。
ともあれ紹介されたので、僕もアイゼンさんとランドルフさんの前へと歩み出て、協力してくれる王都の職人達を見回した。
なんかあの赤毛の若い女の人、僕の事をすっごい睨んでくるんだけど……目を合わせないようにしておこう。
「どうも。ご紹介に与りました、アイゼンさんよりは背が高いユウです」
「種族の違いだろうが!?」
「あはは、細かい事は気にしない方がいいですよ。小さい、ですよ」
「おぉいっ!? おめぇさんの方が圧倒的に気にしてんだろう!?」
アイゼンさんも小さい事を気にする性格だね、まったく。
そんなのだから背が伸びないんじゃないかな。
「今回の設置についてですが、みなさんには僕が指示した魔導記号を、指示した位置に施してもらいたいと思っています」
「はっ、アンタの指示なんか聞けるかってんだ――」
「快くご協力いただけて幸いです。では、細かい指示はランドルフさんからお願いします」
「聞けよッ!?」
……あれ?
なんかみんな、「こいつマジか?」みたいな顔してこっちを見てるような気がするけど……まぁ見慣れない魔導陣だからかな。
うん、困惑するのもしょうがないね。
「おい、アイゼン。アイツ、マジで言ってんのか?」
「……相変わらずだな。アイツは都合が悪い事は聞かないし、答えようともしねぇからな。追求しようとしても柳に風ってヤツだ」
「……タチ悪ぃな」
「そりゃそうだ。なんせザーレ商会のゼーレの旦那が気に入ったぐれぇだからな」
「おいおい、あの偏屈爺さんがかよ。優秀なだけじゃ、あの爺さんは気に入ったりしねぇぞ?」
「そういうヤツなんだよ、アイツは」
何やら話し込んでいるアイゼンさんとランドルフさんを他所に、赤毛の強気な少女が僕の目の前へとやって来た。
――なので、僕はすっと後方に下がってランドルフさんを間に挟むように移動した。
「おう。どうしたよ、ハンナ」
「ら、ランドルフさんに話があるんじゃなくて、アタシが用があんのはそっちのちっさいのだ!」
「ちっさい……アイゼンさん、呼んでますよ」
「おめぇさんの事だろ!? つかまだ気にしてやがんのか!?」
「あはは、気にしてませんって。小さくないですし」
「……おう。まぁどうでもいいから相手してやれ。魔導技師は職人だ、納得いかねぇってんじゃ腕を振るおうってわけにゃいかねーぞ」
そうまで言われると、相手しなくちゃいけないのかな。
そんな事を思っていると、赤毛の女性――ハンナさんは、僕の前までやってくるなり腰に手を当てた。
冬を迎えたっていうのに、茶色い革のジャケットの下の白いシャツが胸元を強調するかのように開けられていて、なんだか視線のやり場に困る。
「アタシはランドルフさんの弟子、ハンナだ!」
「そうですか、よろしくお願いします」
「へ? あ、うん……――じゃないっ! アンタの腕を知らないのに指示に従うつもりなんてないって言いたいのさ! そうだろ、みんな!」
「まぁハンナ嬢の言う事にゃ一理あるな。アイゼンの旦那もランドルフの旦那も俺らぁ尊敬してる。だからこそ指示に従うのだって吝かじゃあねぇさ。けどよ、そっちの坊主は知らねぇしな」
ハンナさんの一言に、他の職人達が熱を伝播させるように声をあげ始めた。
もちろんこういった状況を想定してなかった訳じゃない。でも、それを使うかどうしたものかと逡巡している間に、エルメンヒルデさんが涼やかな声で「よろしいですか?」と声をあげた。
さすがに女伯爵さんの一声に歯向かう訳にはいかないと考えただろう職人達が、熱をゆっくりと冷ましていくかのように声を小さくさせていった。
がんばれ、エルメンヒルデさん。
あなたの声が震えている事には気付かないふりをしておくから。
「今回の依頼は、女王陛下からの直接の依頼であり、ユウ様はその代表者ですわ。そんなユウ様の指示に従わないというのは、女王陛下の指示を無視するという形になります。その覚悟があっての反論でしょうか?」
確かにそれは正論なのだけれど、だからと言ってこの状況でそれを口にするのは……――――
「だったらなんだってんだい? 不服でも従えってのかい?」
「え……?」
――やっぱり、ハンナさんは頭では分かっているとしても、それを納得できるかどうかと言われれば、話は別だ。
それは頭で考えるようなエルメンヒルデさんにとっても予想だにしていない反論だったのか、エルメンヒルデさんの動きが固まってしまう。
それに気を良くしたのはハンナさん達だ。
ここぞとばかりに強く、罵声にすら変わりかねない勢いで声を荒らげようとする職人達を前に、僕はミミルに合図を出しつつリティさんに頷きを送れば、リティさんも力強く頷いた。
即座に右手に
「【
刹那、部屋の中を誰もの目が眩む程の眩い光が埋め尽くした。
「な、何よ、今の!」
「ぐおぉぉぉッ、目、目が……ッ!」
顔を背けて更に瞼を閉じていた僕以外、全員が目をぎゅっと瞑りながら声をあげている。
「うぅ、眩しいです……!」
「……ねぇ、リティさん。僕、いざという時はこれ使うって言ったよね? というか使う前にも合図飛ばしたら、頷いてたよね?」
「え、えっと、その、どれぐらい眩しいのかなって……」
「……そっか、うん」
なんだか最近、リティさんのあまりのポンコツぶりを少し温かい目で見られるようになってきたあたり、僕も少しは大人になったのかもしれない。
ともあれ、未だに目を瞑っている全員を尻目に、今の内にウラヌスを通してウィンドウを展開。
刻印済みの魔法石を部屋の数カ所にばら撒き終えたミミルが、敬礼をしながら設置を終えたという報告をしてきたタイミングで、僕は左手を地面について――【
「――こ、今度はなんだッ!?」
魔宝石と魔宝石を繋いでいき、形成されていく魔法陣。
そのまま一つの陣を完成させると同時に、地面から光の鞭が伸びて、その場にいる職人の人達を拘束し、縛り上げた。
視界が回復したと思えば、誰もが一様に縛られているような状態に陥ったのだ。混乱の声は当然あがるけれど、そんなものにいちいち耳を貸すつもりはなく、僕はにっこりと笑みを浮かべた。
「これが僕の実力です。何か異論はありますか?」
「ふ、フザけんじゃないよ! いきなり不意打ちみたいな真似――!」
「効力増加」
「うぐ……ッ、か、身体から力が……!」
文句をいの一番に口にしたハンナさんの一言を合図に、吸い上げる魔力の量をさらに上昇させつつ、表情を一切崩さず僕は再び口を開いた。
「これが僕の実力です。何か異論はありますか?」
「こ、こんな真似して、許されると――」
「効力増加」
「く……ッ!」
「――これが僕の実力です。何か異論、ありますか?」
さすがに何度も、一切言葉を変えずに、相も変わらぬ満面の笑みを浮かべた僕に反論する気は失せたのか、ハンナさんは何やら目を大きく見開いた後、顔面を蒼白にしてコクコクと頷いた。
魔力の供給を解いたと同時に、拘束を解かれた職人達がその場に崩折れる。
「いやぁ、平和に納得してもらえたようで何よりです」
「……おい、アイゼン。アイツ……」
「言うんじゃねぇよ。俺だって正直ちょっと引いてる」
何かこそこそと喋る中、僕は一番近くにいて、一番声を大きく反論を口にしていたハンナさんに歩み寄り、にっこりと笑みを浮かべて和解の証に握手を求めて手を伸ばし――「ひ……ッ、く、くるな!」と何やら悍ましい怪物でも見るかのような凄い勢いで後ずさられた。
「どうしたんですか、いきなり。和解の証に握手をしようと思っただけですよ」
「ふ、フザ――いや、本気で、正気で言ってんのか……!?」
「はい? 正気どころか真剣なぐらいですけど。もしあのままヒートアップするようだったら、もっと色々試し……手を打たなきゃいけないところでしたけれど、平和的に解決したんですから、何よりじゃないですか」
おかしなハンナさんを他所に、予め何かしら強引な方法を使う可能性を示唆してあっただけあって、アイゼンさんとランドルフさんは僕を見てびくっと身体を僅かに震わせたものの、特に反応はしていない。
エルメンヒルデさんに向き直り、無事かと訊ねようとしたら――リティさんの後ろに隠れてしまった。
キリッとした女性だから任せておくつもりだったんだけど、どうにもさっきのハンナさん達の罵声が思っていた以上にエルメンヒルデさんの勢いを削いでしまったみたいだ。
しょうがないから、僕の方で説明しておこう。
「皆さんには先程伝た通り、決まった場所に決まった魔導記号と魔導文字を刻印してもらいます。――何か異論がある方はいらっしゃいますか? 共同作業する以上、僕だって妙な雰囲気を引きずっていたくないですから、忌憚のない意見があるのなら聞きますよ?」
にっこりと笑顔を意識しながら訊いてみると、誰も言葉を発しようとはしなかった。
素晴らしいね、うん。
「それと、今回の仕事ですが……エルメンヒルデさん」
「ひぁいっ!?」
「ほら、あれの説明をお願いします」
「は、はい! がんばります!」
何やら気合の入った声をあげてから、エルメンヒルデさんが一歩前へと進み出て咳払いしてみせた。
「今回の仕事は、先程も言った通り女王陛下による勅命の依頼であり、我がファルム王国が周辺国の要望を跳ね除け、最優先で執り行われる仕事ですわ。つまり、今回の仕事でユウ様との相性の良さ、実力が認められた場合、ファルム王国の代表魔導技師として他国への仕事もユウ様と同行して行ってもらう可能性がある事を念頭に入れておいてください」
国の代表という立場を公言される形となって、場の空気が騒然とする。
それもそのはずで、国の代表魔導技師という立場は、謂わば未来が約束されるような代物でもあり、今後はその看板を背負って仕事をしていけるという意味で箔がつくのだ。
まして、今回仕事を手伝ってくれる面々の多くは、一人前として認められたものの、まだ自分の店を持つ程の実力や名声、信頼が得られていない魔導技師の人達だ。
国の代表魔導技師という看板を若くして得られるという事は、まさに垂涎の的である。
けれど――何もそこまで甘い仕事ではない。
「――ですが、今回の仕事は対魔族用の結界の設置です。先程皆様が体感した通り、その力は凄まじく、すでに迷宮都市アルヴァリッドではユウ様の結界により、多くの魔族が捕まっています。つまり、当然この仕事が続けば、結界の設置を危惧する魔族による妨害が予想される可能性もあるという事を忘れないでください」
一流冒険者ですら数人がかりで、一介の魔族一人を倒せるかどうか。そんな冗談みたいな力を持ち、かつ僕らと同じか、或いはそれ以上の知恵すら持つ魔族と対峙するリスクは、当然ながらに無視できるものじゃないのだ。
さすがに魔族を相手にする可能性があると聞いて、騒然としていた空気は一変、さながら通夜のように静まり返った。
「とは言え、皆様の危険を排除すべく、ユウ様のお仲間であり、先日エキドナを討ち果たした勇者の皆様が同行する形となりますので、さほど心配する必要はないかと」
再び騒然とする室内になんだか忙しなさを感じつつも、赤崎くん達にかかっている人気や信頼ぶりを目の当たりにした気分だ。
昨日はあのまま娼館に行くつもりだった二人だけれど、魔導書を通して手に入ったスキルの方が気になってしまったらしく、結局すぐに今度から住む屋敷の庭で練習すると言い残してさっさと帰ってしまった。
あの様子じゃ娼館には行けなかったんだろうけれど……次のチャンスが巡ってくるのは果たしていつになるのやら。
「さらに今回、王都内で起きている器物損壊事件も未解決のままです。町中で目立つ行為をしてしまえば標的にされる可能性もあり、最悪の場合は襲われる可能性もあるため、王都の警邏隊と冒険者に警護を頼んでいます。そう言った意味で、少々物々しい空気の中で仕事をする事になるでしょう」
これについては、実を言うと僕の私財で冒険者が、国からは町の警邏隊の派遣という形で落ち着いている。
今回器物損壊事件を引き起こしているのは、貴族派が、何を目的にしているのかはともかくとして、〈星詠み〉――延いては魔族と結託して引き起こしている事件だ。そうなれば、貴族の息がかかった者が妨害に出る可能性も高い。
王都の警邏隊は騎士団と違って、貴族家の息がかかっている人は少ない。警邏隊には傭兵や冒険者出身の人達が身を固める為に転職した腕自慢が多いため、貴族とはあまり関わっていないのだ。
それでも、金で買収されたりして、いざって時に妨害されても面白くないからね。
そこで僕が、個人的なお金で護衛依頼という形で冒険者を雇い、互いに互いを監視させるような形を取る事にしたのである。
ちなみに僕の私財については、すでに魔族との戦いの最前線である町に配布された魔力測定器と、アルヴァリッドの報酬があるので、今回の報酬で払う分は特に心配する必要がない程度には儲かっている、らしい。
らしい、と言うのも、シュットさんが立ち上げ、つい最近僕らが名乗った「よろず屋」は僕の魔導具の売上がそのままプールされているので、お金がどうなっているのかを僕が気にする事は滅多にないのだ。
そもそも僕自身、お金を使うのは魔導具制作の時に材料が欲しかったりする場合のみで、衣食住の家賃代わりに支払おうにも、「勇者を召喚したのは我々ですので、そういった面は不要です」と固辞されてしまっているせいだったりする。
小心者かつ平凡な僕らは、その状況に甘んじ続けていられないというのが本音なので、今回与えられた屋敷が手に入れば、ようやく羽根を伸ばせる拠点を得られるという訳だ。
「スケジュール上、この工程は十日を目処に動いてもらいます。その後、動作実験にアルヴァリッドから護送した魔族を使用し、不具合などの確認。完成までは十五日程度を考えてください」
エルメンヒルデさんの出すスケジュールは、比較的余裕を持った段取りだ。
何かしらの妨害行為が行われ、作業が遅延してもこのスケジュールで動けるように考えている、というのが実情である。
そういえば橘さんの公演までは、残り八日だったかな。
顔を出すって約束しておいたし、今日あたり落ち着いたら屋敷の確認と、橘さんの練習の方にも顔を出さなくちゃだ。
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