第五報告 ヴェールの森の異変とその顛末について

第三十二レポート:レベルを上げろ

 加護。才能。レベル。人間の力はその三要素により大きく決まる。


 この三つの中で個人の努力で何とかなるのは三番目だ。

 だが、十分だった。それだけあれば十分だった。


 レベル、レベル、レベル、レベル、レベル。レベルを上げろ。


 魔物を殺せ。存在力を高めろ。

 人間は脆弱だ。魔物は強力だ。魔族は更に強力だ。そもそもの生態が違う。身体能力が違う。魔力が違う。中には神聖術に似た術を操る者だっている。加護だって決して人間にのみ与えられるものではない。魔族にのみ加護を与える神だっているのだ。


 人が突出しているのはその強力な成長能力だけだ。


 レベルを上げろ。レベルを上げろ。レベルを上げろ。

 人の長所を最大限に発揮しろ。加護が、才能があろうとレベルを上げなければ無意味だ。


 魔物を殺せ。効率のいい魔物を殺せ。存在力を多く持つ魔物を殺せ。


 強敵は避けろ。魔王の手から逃げろ。いずれ倒せるようになる。レベルさえ積み重ねれば必ず倒せるようになる。多少の犠牲はやむを得ない。召喚には大きなコストが掛かっているのだ。全て、ここ十日あまりで俺が藤堂に話した事だった。


 信条も正義も力なくしては無力。俺だって最初はレベル上げを行ったのだ。

 藤堂には自由が認められていたが、自由とは義務を果たす事が前提にありそれには力が必要とされる。


 一月以内に30レベルという目標だって根拠なく立てているわけではない。ルークス王国が旅に出るまでの訓練や勉強の時間を減らしてさっさと藤堂を魔王討伐に出したのだってこれまで積み重ねられてきたノウハウに準じたものだ。


 藤堂には資質があるが、資質が開花する前に戦死した前例などいくらだってある。




§§§



 くそっ、面倒くせえ。これならまだ魔物と命のやり取りをしていたほうが楽だ。


 眼はとろんと潤んでおり、足元も覚束ないにも拘らず、アメリアは酔っ払っているとは思えない回避性能を見せた。

 魔物を追い詰めるのは得意でも人を追いかけるのは得意ではない。俺にとって追い詰めるイコール攻撃なのだ。そして、俺とアメリアのレベル差ならば素手でも余裕で殺してしまうし、全力で身体能力を発揮すればこんな宿の床など簡単に踏み抜けてしまう。


 それでも、身体能力の差は埋められない。

 ひらりひらりと躱すアメリアを壁際まで追い詰め、その腕を掴まえる。


 ようやく追い詰めたぞ。この酔っぱらいが……


 状態異常回復神法リカバリーを掛けるべくその頭に腕を伸ばしかけた所で、しかし不意にアメリアがびくりと身体を震わせた。

 手を止める。顔が上がり、こちらを見上げてきた。その眼のあまりに鋭さに思わず手が止まる。頬はまだ赤いが、酔っ払っているとはとても思えない表情。


 そして、いつもと同じ感情のこもらない声で言った。


「……アレスさん……藤堂さんたちがどうやらヴェールの森に侵入したようです」


 ……まだ酔いを飛ばしてはいないはずなんだが……。


 そのあまりの切り替えの早さに一瞬、呆気にとられるが、その言葉の内容はそれ以上に衝撃だった。


 藤堂が……ヴェールの森に? いやいやいやいや。


 脳がその言葉を理解するのを拒絶する。おかしいだろ。ヘリオスを通じて今後の動向については伝わってきている。ゴーレム・バレーに向かう。俺が村長を通して藤堂たちに伝えた通りである。

 藤堂たちが教会に嘘をつく理由はなく、またその意味もないはずだ。よしんば、途中で心変わりしたとしても、ヴェールの森に向かうなどありえない。村長から立ち入り禁止を伝えられているはずなのだから。


 眉を顰め、アメリアの表情をじっと見つめる。が、嘘などと書いてあるわけもない。

 尋ねる。なるべく平静を装うが、声が低くなってしまう事は止められなかった。


「何故だ?」 


「……グレシャの言葉は要領を得なくて理由までは……」


「……チッ」


 思わず舌打ちが出た。

 何故あいつらはこう、うまい事動いてくれないのだ。森は危険だって言ってんだろ、くそがっ!


 腕を離し、乱暴に椅子に座る。

 焦りは禁物だ。既に森に入ったと言った。今から追いかけても森に入るまで一時間はかかる。

 酒瓶を握り、一気にラッパ飲みする。アルコール特有の熱が喉を通り抜けるが、些かも苛立ちを紛らわせては暮れなかった。


 前の席に行儀よく座ったアメリアが謝罪する。


「すいません……もっと早く連絡を取っていれば……」


 壁の時計を確認する。まだ事前に決めた定期連絡までは数時間がある。

 瓶を置いて、唇を手の甲で拭る。


「謝罪は不要だ。むしろ、この段階で気づけてよかった」


「少し不安だったので……」


 欲を言うならば向かい始めた時点で気づけていれば更に良かったが、過ぎた話である。


 というかこいつ、べろんべろんに酔っ払っていたんじゃ……。


 じっとアメリアを見つめるが、すました表情であった。オンとオフの切り替えが激しすぎるぞ、おい!


 言いたいことはいくつもあったが、それらは全て後回しにする。今は仕事だ。


 グレシャから聞き取りを行った時のことを思い出しながら一つ一つ確かめながら言葉に出した。


 まずすべき事は安全性の確認。俺が森から藤堂たちを遠ざけたのは極端に危険だったからではない。少しでもリスクを落とすべきだと考えたためだ。


「グレシャが追い出されたのはヴェールの森でも特に深部、グレイシャル・プラントが生息している地点のその最奥だ。ヴェールの森は広大だ。藤堂たちが侵入した所でグレシャを追い出した悪魔と遭遇する確率は低い」


「グレシャを森の浅い層まで追い立てた理由がまだ判明していません。前回のグレイシャル・プラントが現れたのも同じ原因だとするのならば、理由があるはずです」


 その通りである。だからこそ俺は万が一を考え、ヴェールの森でレベル上げをさせるのを諦めたのだ。

 グレシャを追い出した悪魔が魔王の手の者だったとするのならば、面倒な事になる。レベルを上げている最中に遭遇してしまえば勝ち目は薄いし、逃がしてしまえば勇者の居場所がバレてしまう。


「藤堂の目的が知りたいな」


 レベル上げが目的ならまだいい。迂闊に深部に向かったりはしないだろう。

 だが、ありえないとは思うが、悪魔を討伐しに立ち入ったとするのならばリスクは桁違いに上がってしまう。そもそも、藤堂たちのレベルでは森の深部に出てくる普通の魔物ですら危険なのだ。


 俺の言葉に、アメリアが深くため息をついた。


「……今わかる状況はグレシャがお腹が空いているという事だけです」


「そんな事どうでもいい」


「お腹が空いているとしか言わないんです」


 まさか恫喝が足りていなかったのか? 腕の一本でも潰して見せねばならなかったのか?


 ……まぁいい。大きく深呼吸をして気を落ち着ける。今考えても仕方のない事だ。冷静に対応せねばうまくいくものもうまくいかない。前を見なくては。


 と言っても、選択は一つしかない。

 本来討伐を担当してもらうはずだったグレゴリオが派遣されてくるのもまだ先だし、そもそもあいつと藤堂を会わせてはならない。きっと面倒なことになる。


「万一を考えて森に入る。単純にレベル上げだったらそれはそれでよし。いざという時は俺が悪魔を殺す」


「了解しました」


 打てば叩くアメリアの反応。素晴らしいのは素晴らしいんだが、酒乱時の反応とギャップがありすぎてちょっと引く。

 俺は一度咳払いをして、アメリアに言った。


「……一応、わかっているとは思うが、アメリアはここで待機だ」


「……何故ですか?」


 アメリアが俺を非難でもしているかのような目つきで僅かに首をかしげる。


 わかっていないのか。足手まといは……いらないのだ。


 俺の戦闘スタイルは単純である。身一つで敵陣につっこみ、補助魔法による身体能力の強化とヒールによる回復力を有効活用しつつメイスでぶん殴る。敵陣につっこむ以上、アメリアがいた所で意味がない。補助魔法も回復魔法も基本、接触を必要とするのだ。また、彼女の使える神聖術は俺が使える。


 勿論、機嫌を損ねられると面倒なので正直に言ったりはしない。


「俺の戦闘スタイルはソロに特化している」


「つまり、私は足手まとい、だと」


 ……こいつ、俺があえて言わなかった事をはっきり言いやがった。


 彼女は優秀でも所詮プリーストの域を出ない。レベルは高くとも戦闘経験はそれほどないだろう。レベルはまぁ高いが、魔族相手では心もとない。プリーストは本来前衛がいてこそ生きてくる職なのだ。そして、俺は他者を守る事に慣れていないしそのための技術も持っていない。


 さて、どう説得すべきか……。


 アメリアは俺の眼をじっと見つめると、そのまま表情を変えずに続けた。


「そもそも、アレスさん、たった一人、あの広大な森の中でどうやって藤堂さんたちを発見するつもりですか?」


「感覚を集中すれば藤堂たちの気配はわかる」


「限界があるのでは? 私の魔法ならばアレスさんの数十数百倍の範囲を探れるかと」


 確かにその通りではある。

 気配察知は専門ではない。俺の感知はただレベルの高さに任せたものだ。専門の訓練を受けた斥候スカウトや魔法の力には大きく劣る。

 唇を舐め、目を細めてアメリアの方を睨む。万全を期すのならばアメリアを連れて行くべきだ。だが、彼女をもしこの森で失ってしまえば今後のサポートで苦労する事になるだろう。人員は貴重だ。ステファンが派遣されてきた暁にはアメリアに教育を任せるつもりでもあった。


 彼女が側にいればどうしても守らなくてはいけなくなる。相手に知性があればその弱点をついてくる事だろう。これは経験上、ほぼ間違いない。


 果たして守り切れるのか? 聖勇者とアメリアでは人としての価値には大きく差異があるが、個人的な感情とはそれとはまた別……。


 俺の迷いを感じ取ったのか、アメリアが小さくため息をついた。そして、顔を上げて、はっきりと言った。


「アレスさん、私は……死んでもいい覚悟でアレスさんのサポートに立候補しました」


 その言葉には一切の迷いがない。


 ……自分の命は気にするな、という事か。

 何が彼女をそこまで駆り立てるのか。使命感というわけでもないだろうに。


 だが、そうだな。そこまで言われてしまえば連れて行かざるをえない。彼女の決意を無駄にする事になる。

 何より、この旅はまだ始まったばかりだ。魔王側もレベルのアベレージの低いこの村の近辺に強力な魔族を派遣したりもしないだろう。なるべく後方支援に置くつもりだが、アメリアもいずれ戦闘に巻き込まれる可能性は高い。


 最後に強く睨みつけるが、アメリアの表情は変わらない。


「……いいだろう。ただし、命の危険を感じたらすぐに逃げる事。俺の事は気にしなくていい。俺の神聖術は……お前より上だ」


「分かりました」


 その即答が不安になるんだよ! 本当にわかってんのか、こいつは。

 勇者の命は重いがアメリアの命だって重いのだ。俺は英雄ヒーローじゃない。俺にできる事は多くない。


 俺に出来る事は……祈る事とぶん殴る事だけだ。


「アメリア、ヘリオスに連絡を。ランナー・リザードが用意されているはずだ。ちょっと早いが取りに行くと伝えてくれ。俺は枢機卿に現状を説明する。十分後に出発するぞ。準備しろ」


「了解しました」


 幸いな事に、夜には立つ予定だったので準備は既にできている。

 ふと気づき、まとめられた旅装の中から使う予定のなさそうだった仮面を取り出した。少し迷い、懐に入れる。


 ただ顔を隠す事しか出来ない仮面一枚だ。対面してしまえばバレてしまうだろうか? 会話はしない方がいいだろうが、一度藤堂をぶちのめして身の程を知らせてやりたいものである。


 勿論、聖勇者を崇拝する教会からしてみれば許される事ではないだろうが。


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