第二報告 勇者の足跡とこちらの体制について

第十二レポート:信仰は微塵の役にも立たず

 親が神の敬虔な信徒だった。

 俺が僧侶プリーストになったのは、ただそれだけの理由だ。




§§§






 俺は久方ぶりに、自身の絶叫で眼を覚ました。


「死ねええええええええええええええええ!」


 視界が開ける。

 見覚えのない天井。物の殆どない部屋。

 身体全体がじっとりと冷たく湿っていた。初春の早朝、適当に入った安宿のベッドの中は非常に寒い。


 反射的に身を起こし、荒い息を吐く。冷たい外気が体内を循環し、少しずつ俺の意識を覚醒させていった。


 夢は見なかった。

 いや、覚えていないが、見ていたとしてもそれが悪夢だったのは全身にかいた冷たい汗が示している。手で襟元に触れる。そこは、水でも被ったかのようにじっとりと塗れていて、気持ち悪い。


「るせーぞ、おいッ! 何時だと思っていやがるッ!」


 ガラの悪い荒い声。隣の壁が、俺の精神にとどめでも刺すかのようにがんとなった。

 勇者と泊まった宿とは異なる、一泊千ルクスちょいの安宿の壁は薄い。いや、仮にここが勇者たちと泊まった高級宿だったとしても、今の絶叫は聞こえただろう。


 悪夢だ。まさしく、最悪の気分だ。

 頭も身体もとてつもなく重い。がんがんと脳を苛む痛みはどこか、死地で感じる警鐘に似ていた。


 暗闇の中、強く舌打ちをする。

 天気は雨。窓ガラスを大粒の雫が叩いていた。外はまだ闇に包まれており、何一つ見えないがそれはまだ太陽が上っていないせいもあるだろう。

 昨晩は朦朧として寝付けなかったはずだが、体内に刻まれたリズムはこんな状況でさえきちんと働いたらしい。


 強い吐き気と頭痛。ただでさえ陰鬱になりそうな湿った空気がそれを助長している。

 頭を抑え、俺は誰もいない空中を殺意を込めて睨みつけ、状態異常回復魔法を使った。


 吐き気と頭痛が消える。だが、気分は微塵も良くならなかった。


 大丈夫。まだ俺は冷静だ。

 自分に言い聞かせるように呟く。何度も。何度も。

 その心の奥底に刻みつけるように。


 呟く事数分、ようやく少し頭が冷えた気がして、俺はシャワーを浴びる事にした。

 もしかしたら汗と一緒にこの憤懣も流れ落ちてくれるかもしれない。






§§§





「悪いんだけど、アレス……このパーティから抜けてくれないか?」


 馬車を駆る事数時間、ヴェール村に戻った俺は、ナオに呼び出された。

 場所は以前、村長の厚意で取ってもらった宿と同じ宿。リミスとアリアは宿につくや否や、自室に行ってしまい、部屋に残されたのは俺だけだ。


 強烈な違和感を感じた。その正体に気づいたのは、ナオが口を開き始めてからだった。


 そう、ナオは、出会ってからその瞬間まで……一度も俺と二人きりになっていなかったのだ。

 神聖術を教えるその瞬間でさえ、リミスとアリアが付き添っていた。


 俺はその瞬間、初めてナオと一対一で向かい合っていた。


 唐突に出されたその言葉は俺にとって完全な予想外で、一瞬何を言っているのかわからなくなったのも無理はないだろう。

 何しろ俺は、国に代わり教会が選定した――勇者パーティのプリーストだったのだから。


 もちろん、聖勇者その人の意志が最大限に尊重されるとは知っていても、普通はよほど大きな問題でもなければ、国の選んだ人材を放逐したりはしない。


 ナオの表情はいつも通り真剣で、その漆黒の瞳は憎たらしい程にその強い意志を示している。


 普通、追い出したりはしない。その常識が冷静な思考を阻害した。だからその瞬間、俺にあったのは怒りではなく純粋な疑問だった。


「何でだ?」


 間抜けな俺の疑問に、ナオが動揺一つない落ち着いた声で答えた。

 まるで、道理でも説くかのように。


「必要なくなったからさ。馬車もリミスが動かせるし、野営の知識も大体頭に入っている。神聖術も、僕が使えるようになった」


 意味がわからない。最下位の祈祷を出来るようになった所で、魔王討伐にどれほどの効果があろうか。

 ナオの加護は確かに強力だったが、俺の神聖術とナオの神聖術ではまだまだ天と地程の差異がある。僅か十日の訓練で埋められる程、俺の経験は安くない。


「アレス、君には世話になった。君の性格は僕とは合わなかったが、それでも十分な働きだったよ。特に、初めに会った時は――自分の技術を僕に教えてくれるとは思わなかった」


 淡々と述べられる言葉も理解できない。

 頭は悍ましい程に冷え切っていた。だが、その正体が冷静さではなく、あまりに俺の道理に反していたためだという事に気づかなかった。

 ただ、理解は出来なくとも、口は勝手に開いていた。


「教えるのは当然の事だ。俺の任務はナオ、お前が魔王を討伐するまでのサポートにある。勝率を上げるためなら何だってする」


「そういうドライな所が好きじゃないんだ」


「俺の役目はお前に好かれる事じゃない」


 すらすらと出てくる言葉に感情はついていかない。

 まるで我儘を言う子供を見ているかのような気分だった。俺にその権利があったとするのならば、俺はナオの代わりに次の勇者召喚を望んだだろう。力だけ強くても魔王は倒せまい。


 ナオが、嫌悪感からか眉目を歪める。その目つきは、嘗てナオが俺に対して殺気を放ったその瞬間の目つきに酷似している。

 だが、そのような事を気にしている暇もない。脳は勝手に次の事を考えてきた。考えなければ生きてこれなかった俺の思考機能は神聖術と同様に効率に特化している。


回復ヒーラー攻撃アタッカー、両立出来ると思っているのか?」


「出来るさ。僕は勇者だ」


「それは傲慢だ。その両立はかなり難易度が高いし、勇者の役割でもない」


 神力と魔力は競合する。神聖術と魔術は同時に使用することができない。

 レベルが高くなるにつれ、人間は魔力を有効活用しなくては戦っていけなくなる。戦闘中に神聖術を使用する余裕はなくなるだろう。


 勇者は、ただ淡々と告げられる俺の言葉に、唇を歪める。


「……少なくとも、最低限の事は出来る」


 いや、無理だね。ナオじゃまだ無理だ。将来はできるようになるかもしれないが、まだ無理。

 神聖術をあっさり使えるようになって天狗になっているのだろうか。いや、その言葉を反芻してみると、ナオはどうやらもともと、このつもりだったように聞こえる。


 俺の表情から何かを察したのか、まるで言い訳でもするかのようにナオが続ける。


「大体、今の時点でアレスの神聖術は戦闘中に役に立っていない。戦闘後の傷の治療くらい、僕の魔法でも出来る。そうだろ?」


「いや、無理だ。俺の代わりに回復までやるとなると、お前の消耗が激しくなる。戦闘のペースを、レベル上げのペースを落とす事になるだろう。それは魔族に対して付け入る隙を与える」


 一度目を瞑り、ナオがゆっくりと瞼を開く。

 次にその口から放たれた言葉には力があった。


「それくらい……覚悟の上だ」


 覚悟の上。その言葉どおり、その声には強い意志があった。絶対に我を通すという鋼鉄の意志が。


 その瞬間、俺は全てがどうでもよくなった。これは俺には――崩せない。これを崩そうとするのは効率的ではない。


 何故そのような事を言い出したのか、詳しい事情は知らない。


 ナオの持つ元来の性格である勇猛さと無謀さ、勇者として召喚された自負の全てがそこには篭っていた。

 煮込みに煮込んで濃縮した闇のような濁った漆黒の眼。何故、どうしてそこまで無謀になれるのか、俺にはわからない。わからないが、それもどうでもいいと思った。


 俺には聖勇者に反論する権利があるが、従う義務もまたある。それは教義で決まっている。


 勇者の唇がやや持ち上がり、歪な笑みを作る。

 が、その眼は微塵も笑っていない。


「ここだけの話、もともと僕は――パーティメンバーを皆女の子にしてもらう必要だったんだ。そういう条件を王国側に出していた」


「そうか」


「それなのに、何故か僧侶だけ君だった。敬虔な信徒ならば問題ない、と。結果的に、君は優秀だったけど、でも駄目なんだ。そういう問題じゃない。女の子がいいんだよ、僕は」


 下らない理由だ。

 俺にはその条件が、世界の命運と天秤にかけるに相応しいものなのか、判断できない。


「二つ、条件がある」


 ナオの述べる戯れ言を完全に無視し、二本指を立てる。


 心臓の鼓動は乱れず、俺の眼はきっと今、敵対する闇の眷属を見るような眼になっている事だろう。

 が、そのような事ももはや関係ない。死ね。


「条……件?」


「ああ」


 訝しげな表情をするナオに、しっかり聞こえるように言う。

 それが俺が出来る、せめてもの最後の責任だ。


 まず一つ目。


「まず一つ目。明日朝一で新しい僧侶プリーストを探して仲間に入れろ」


「……それは――」


 言い淀むナオ。

 その言葉こそが、彼がまだ新米の傭兵程の知識も持っていない事を示している。もし彼が知識を持っていたのならば、「当然だ」と答えていたはずだ。


「パーティに回復ヒーラーは必須だ。ヒーラーがいなければ、お前たちは遠からず全滅する事になる」


 この十日間あまり、ナオが殆ど傷を受けずに戦ってこれたのは間違いなくその天稟故である。

 だが逆に、アリアの方は、俺がいなければ小さな傷が積み重なって死んでいたはずだ。傷は動きの悪化を招く。プリーストがいなければ、消耗品である回復薬のストックがその生命とイコールになってくる。


 最後の言葉くらいは聞き入れる気はあるのか、沈黙するナオに強くいいつける。


「僧侶が仲間になるまでは――街から出るな」


「……アレス、君は、君を追い出す僕に忠告するんだね」


 下らない。下らない。何もかもが下らない。

 頭が冷たい、心臓も冷たい。このままでは命が停止してしまいそうだ。

 そしてきっと俺は、命が停止しても気づかずに動き続ける事だろう。そのくらい、俺の身体は、言葉は今、効率的に動いている。


 出てくる声も平静だ。平静でそして、あらゆる感情を廃した平坦。


「勘違いするな。これは好意ではなく――信仰だ」


「信……仰」


「あいにく、俺は秩序神アズ・グリードの――忠実な信徒なんでな」


 部屋の片隅においてあったバトルメイスを握る。全身が白銀色の金属で作られた、魔族の頭蓋をぶち砕く為の凶器。

 帯剣していない、鎧も盾も持っていない今のナオなら一撃で殺せるが、そんな事をしても意味はない。無駄に状況を悪化させるだけだ。

 肩に担ぐと、まだ開けていなかった自分の荷物の入ったリュックを背負い、出口に向かう。既にここに居る理由はない。


 聖勇者、藤堂直継の色のない視線がただ俺を追っていた。

 すれ違いざまに、藤堂が心の篭っていない声で形ばかりの謝罪をする。


「悪いとは思っているよ。国から貰った準備金について、四分の一をあげよう」


 準備金の四分の一。その金額にして、俺がクレイオ受け取るはずだったボーナスの倍はあるだろう。

 微かに首を曲げ、後ろを振り返り、藤堂の目を見た。


「いらん。お前の勝利に投資しといてやる。次の僧侶プリーストの装備でも買ってやるんだな」


「……あ、ああ……わかった」


 魂がどこかに飛んでいきそうになるくらいに心が軽い。

 虚無感、とでも言うのだろうか。悟りを開いてしまいそうだ。


 扉を締めかける俺に、ナオが最後の言葉をかけてくる。


「……待った、アレス。まだ……二つ目の条件を聞いていないよ」


 何だそんな事か。

 俺は、振り向いて笑顔を作ると、本来言うまでもない最後の条件を言った。


「絶対に魔王を倒せ」






 そこからどこをどう歩いたのかはよく覚えていない。

 俺は夢遊病者のように歩き、その辺にある安宿に部屋を取ると、通信を繋ぎ、クレイオの一歩手前の交換手に、枢機卿に勇者パーティから追い出された事を伝えるように言伝を頼むと、まだ切れていないその魔導具を引きちぎるように外してテーブルにぶん投げ、ベッドの上に倒れこむようにして横になった。


 泥のような睡眠が、死のように足首を掴み俺を引きずり込み、眼が覚めた時には冷静になっていた。


 そうだ、今の俺は冷静だ。

 何しろ、今の俺にははっきりとわかる。


 藤堂と話していた時のあの感情が冷静さでも悟りでもなく、理性をも崩壊させる耐え難き『怒り』と『絶望』であったという事が。

 そして、あの時冷静でなくてよかった。もし藤堂と話していた時に今の感情を理解出来ていたとするのならば俺は――あいつの頭蓋を叩き割っていたかもしれない。






§§§






 恐らく、僧侶プリーストのソロだったから、宿の従業員から何か事情ありと思われたのだろう。


 払った値段にしてはかなり上等な浴室で熱いシャワーを頭から浴びる。


 全身を絶え間なく流れ落ちるお湯。視界を遮る雫のその向こう、鏡の中では、ぼやけていてもはっきりわかるくらいに歪んだ俺の顔が映っていた。ただでさえ悪い目つきが更に悪くなっている。どう甘めに見積もってもそれは、人殺しの眼だった。


 もし、昨日宿に駆け込んだ際にこの表情をしていたとするのならば、随分と宿の者を怖がらせてしまった事だろう。


 ただ何となく舌を出し、流れ落ちるお湯を舐めとる。


 憤懣は消えない。消えるわけがない。俺はベストを尽くした。問題も多分なかった。関係性は良くはなかったが許容範囲内だろう。あいつは何と言った? 女にする予定だった、確かにそう言ったのだ。同じ男として理解できなくもないが下らない。


 だが同時に、その憤懣が消えないにしても多少は治まってくるのもまた、わかった。何故か? もう考えても意味が無いことだからだ。それは『効率的』ではない。

 教義としては、勇者の命令は上司クレイオのそれを上回る。抜けろと言われたら俺は抜けるしかない。例えそれが、藤堂を見捨てる事に繋がったとしても。


「くそったれが……ここまで虚仮にされたのは久しぶりだ」


 試しに出してみる勢いのある言葉にもどこか力がない。いや、力がないと思い込む事にした。


 神なんていない。いたとしても俺には興味がない。それを実感したのはもう十年以上前の事だ。

 だから魔物も食らうし刃も持つ。人も殺すし煙草も吸えば酒も飲み女も抱く。


 実は教義なんてどうでも良かった。俺が聖穢セイアイ卿――クレイオ・エイメンに従っていたのはそれがビジネスであり、そしてそれが俺の誇りだったからだ。

 だから、本音を言えば勇者の命令を反故にしても構わなかった。無理やり抜ける事を拒んでも構わなかった。その必要があるのならば、勇者殺しでさえ――躊躇うつもりはない。


 上部から絶え間なく、まるで大雨のようにお湯を落としていた魔導具を止める。

 ただ、雫が頬、肩、胸筋、腹、下半身を伝い落ちるに任せたままで、俺は大きく深呼吸して呼吸を整えた。

 目頭を摘んで揉みほぐし、目つきを整える。殺人鬼の眼から、機嫌が悪ければうっかり人を殺しそうな男の眼へ。


 その後、大きくため息をつき、心を落ち着けた。

 感情をお湯に溶かされ、残ったのは教会の持つ武力組織『特殊異端殲滅教会アウト・クルセイド』の一員である特殊僧兵プリーストの一人だけだ。


 唇を舐め、乾いたタオルで頭を拭く。

 もう一度、クレイオに直接連絡せねばなるまい。昨日のあれは報告などと呼べない。


 浴室から出て、いつも通りの身支度をいつもよりも心なしか遅めに終えた頃には、既に日が上っていた。


 その時、初めて俺は日課の祈祷を忘れている事に気づいたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る