• ホラー
  • 現代ファンタジー

「木の下闇」再投稿、公開中。携帯でも読みやすくしました。

エブリスタのPV800を超えました。この作品は、ゴミではなかったと信じて、再投稿しました。30分くらいで読めます。誰か一人でいい、最後まで読んでくれますように。

2件のコメント

  •  先日、こちらの作品の方に感想を書かせていただきましたが、強い言葉を使い過ぎました。気分を害されたかと思います、申し訳ありません。
     ただ、申し上げたいことは(以前に作品を削除されようとしたこともですが)、「ご自分に厳しすぎるのではないか」ということです。
     もちろん良いことでもありますが、かえってその厳しさが、ご自身の芽を摘んでしまうのではないか、と危惧した次第です。
     
     かく言う私も、読まれない作品に何の意味があるのか……と、最近まで考えていました。
     ですが、ある人物を知って少し考えを変えました。
     ヘンリー・ダーガーという創作者……アマチュア創作者です。
     生涯ただの一人の読者もないまま、六十年あまりをかけて物語を書き続けた孤独な男。それはそれで、美しい生き様だと思います。創作者として、その生き方って有りなんだな、と。
     
     とはいえ、やはりやり方は人それぞれ。押しつけがましく申し上げましたが、どうぞ参考までにということで、役に立ちそうもなければ聞き流していただければ幸甚です。
  • キャーッ!やっぱり誤解された。違うんです、お盆の忙しさと、あまりの猛暑で倒れちゃったんです。

     私メンタルは強いけど、肉体は66歳のおばあちゃんなんで。
    北海道の家は、大抵クーラーがないんです。なのに、寝るときの室温が30度で湿度80%越えが何日も続いて、扇風機フル回転させても眠れなくて、遂に病院で睡眠薬を処方してもらいました。たはは……。

     聞き流す気なんてありませんよ。小説を書く人間の本気が伝わってきてうれしかった。
     ただ、望太郎さんの言葉は「書き手」としての視点だけが強すぎる。

    最近「書き手」と「読み手」との関係性について書かれた素晴らしい文章を見つけたので、そのまま載せます。


     作品は作者のものでは無い。書き終わった時点から、書き手の手を離れてしまう。
     言葉は書かれただけでは未完成で、読まれることによってのみ結実する。
     読まれることによって、初めて魂に語りかける無形の言葉になり、世に放たれるのだ。
     読み手は書き手とは異なる視点から作品を読み、何かを想像する。
    書き手は、自分が何を書いたか、作品の全容を知らない。
    それを知るのは、いつも読み手の役割なのである。
    (若松秀雄/悲しみの秘儀)

    ここには「書き手」と「読み手」の正しい関係が書かれています。
    そして私には「売り手」(編集者・プロ視点)としてのもう一つの視点がある。「売れてナンボ、読んでもらえてナンボ」の世界です。

    その視点から判断すると「木の下闇」は、『カクヨムでは売れない=ボツ・削除』ゴミ判定となります。望太郎さんの評価どうり。
    でも『エブリスタでは売れてる=採用』OK判定になります。

    エブリスタでPVはさらに伸び続け、1087になりました。普通、掲載直後に伸びて、後は止まるものなんですが、+36、+0、+2、+46、+0、+0、+0、+16、+2、と毎日コツコツと伸びて行く。不思議な作品です。

    私は読者と作者はマッチングアプリの関係だと思ってる。
    尊敬する作家、松本清張は旅の雑誌に仕事を依頼されると、鉄ちゃん大喜びの「点と線」をかいた。女性誌から仕事を依頼されると、主人公を女性にし、女心ドロドロの「ゼロの焦点」を書いた。(日本初の断崖絶壁シーンを描いたのは松本清張です!「家政婦は見た」も、原作は松本清張の短編。母の大好物でした。おまけに芥川賞だって取ってるよ!)

    プロってのは、与えられた枠の中で、自分にできる最大限の読ませる工夫をする。読まれてナンボ、売れてなんぼ。生活かかってんだから!
    もし、女性誌に「点と線」を載せ、旅の雑誌に「ゼロの焦点」を載せたら、ヒットしただろうか?(ゼロの焦点は売れたかも。断崖絶壁で名観光地が1つできる)

    これがマッチングアプリだと感じた理由です。

    白状します。私、カクヨムに間違えて来ちゃったんです。
    小野ののかさんの「後宮の検死女官」を読んで、「カクヨムって、少女漫画でもいいんだ」と思ってきちゃいました。
    ところが、いざ入ってみたら、男性率70%。中身は少年ジャンプ!
    ののかさんの「カクヨムでよかったかどうか、悩んでるんですよ」の言葉の意味をよく考えればよかった。
    ユトさんにも「ここは、プロ目指す人のいるサイトでは無いですよ」と教えられたけど、後の祭り。

    カクヨムやめようとしたら、いとこのNに、「作品だけは、残しておけ。誰か読んでくれる人がきっといる」と言われてウーッ。
    シャーロックさんに、「来年はもうカクヨムにないかも」と言ったら、「寂しいこと言わないでくださいよ」と言われて、アーッ。

    「まあ良いか。書くだけ書いて満足したら、すぐやめるんだから」と思ってたのに「雪に泳ぐ魚」書いて、目標クリアして、満足したから「もうやめる」と言ったら「今辞めたらもったいないじゃないですか!」パソコン教室の先生に怒られた。エーッ!
    シャーロックさんと望太郎さんにも止められた。「どうしよう?」

    その答えとして書いたのが、シャーロックさん個人の好みにだけ特化した「魔法の国のシャーロックホームズ」でした。
    もちろん、たいしてカクヨム受けはしません(わかってました)

    ただこれを書いてしまったために、2023年の目標「このシリーズを完成、10万字書く」という目標が設定されてしまい、すくなくとも2024年3月末まで、やめるにやめれなくなり、今日に至る。
    流されやすいんですよ。私は……トホホ。

    「目標というのは、未来の自分に送った約束。“いつ迄に、これをやり遂げる”これを繰り返すことで、人間は、なりたい自分になれるのです」という言葉を聞いた事があります。

    私に取って「目標」は神聖なものです。モチベーションの全てなのです。神聖な約束の指切りゲンマン、「私が私を裏切ってどうする」なのです。

    なんか、何言ってんだかわからなくなりました。もう少し頭が冷えたらちゃんと答えを出せるかもしれません。

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する