おば山月記

中埜

おば山月記

 帝塚山の李徴は眉目秀麗、世紀の末、若くして名をミスキャンパスに連ね、航空会社のキャンギャルに補せられたが、性、狷介けんかい。自らたのむところ頗る厚く、賤しきOLの身に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなくブッチしたのちは、己の才能を信じ、トレンディドラマのオーデション、自費出版のフォトエッセイに耽った。OLとなって社会に屈するよりは、美女としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、評判は容易に揚らず、生活は日をうて苦しくなる。この頃からその容貌も厚化粧となり、かつてミスコンに輝いたおもかげは何処に求めようもない。ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起上がると、ハロプロに入ると訳の分からぬことを叫びつつそのまま外にとび出て、闇の中へ駆け出した。彼女は二度と戻ってこなかった。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。

 数年の後、かつては同大学に連ねる袁傪えんさんという女、職務により梅田うめだ使つかいし、みち天六てんろくの地に宿った。袁傪は、アーケードの下の商店街を通って行った時、果たして背後より警音器ベルの鳴るを聞く。「ちょっと!どかんかいな!」かえりみらば果たして一匹の猛虎もうこの装いのオバハン、自転車チャリまたぐ。あわや袁傪に衝突かと見えたが、たちまち身を翻して、スーパー玉出の前に駐輪した。駐輪場から人間の声で「あぶないとこやったわ」と繰返し呟くのが聞こえた。その声に袁傪は聞き憶えがあった。驚懼きょうくの中にも、彼女は咄嗟とっさに思いあたって、叫んだ。

「その声は、李徴お姉さまやない?」袁傪は同年にミスキャンパス予選の第に登り、友人の少なかった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁傪の性格が、峻峭しゅんしょうな李徴の性情と衝突しなかったためであろう。

 駐輪場からは、暫く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微かな声が時々洩れるばかりである。ややあって、余所行きのちょっと高い声が答えた。「せや、わたしは帝塚山の李徴や」と。

 袁傪は懐かし気に久闊きゅうかつを叙した。そして、何故こちらを向かぬのかと問うた。李徴の声が答えて言う。「わたしもう大阪のオバハンやで、そんなんようせんわ。絶対あんたおもろがる。せやけど懐かしわ、ほんま。ちょっとだけやったら話でもしよか」

 袁傪は驚きのあまり声を喪う。かつてキャンパスで誰しも目を奪われた美女とは、あまりにも懸け離れていたからである。袁傪は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。虎柄の女は次のように語った。

「えらいもんやでホンマに。なんでこないなったんか、わたしかてようわからへん。安うて丈夫で、洗ろても縮めへん見てくれのエエ服を選んどってん。ほら、わたして買い物うまいやんか。ほな段々と派手になっていってな、バランス悪いから髪もパーマ当てるやろ、白髪も出てきたからヘアカラーするやん。そしたら今度は服が地味やねん。わたし首から上はよう出来てるから、てよう言わんわ恥ずかし。またゴージャスな服買うやろ、パーマ当てる、ヘアカラー、それ繰り返しとったら知らん間に、虎の顔のプリントされたポリエステルばっかりになってしもてん」

 袁傪は息を飲んで、金糸の虎柄女の語る不気味に聞き入っていた。声は続けて言う。

「聞いてえや、わたしもホンマやったらテレビに出たりグラビアやったりして、頭も回るし口も達者やから文化人みたいになっとったはずやん。あんたもそう思とったやろ袁傪。せやけどさっぱり。そのまま年は取るし、肩こるし腰痛いし乳も垂れる、いや何言わすんなホンマやらしいわ。あ、ちょうどええ、今日の特売一人2個までやから袁傪一緒に来てえな」

 袁傪は手を引かれるままに玉出に入り、アホみたいに安いサランラップとオリバーソースを二個ずつ持たされ、レジに並ばされる。成程、安さが第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このサランラップは何処か(非常に微妙な点に於いて)正規品とは思えない。

「いや助かったわー、ラップもソースもなんぼあってもええからね。袁傪いま何やってんの?あ、そう、社長秘書。へぇ……、ええがな……。服かてええもん着とるしね。袁傪も頭良かったし要領ええ子やったからな、あんた気ぃ利く子やったから秘書とかなると思とったで。いや、ホンマやて。わたし?わたしは~……見ての通り、もう半分オバハンや。そのうち完全にオバハンになってまう」

 袁傪には既にオバハンとして完成と感ぜられた。李徴はカゴに買い物袋を山盛りの自転車を押し袁傪と歩み、スーパー玉出の正面の道をJR天満駅に構える。

「なんでこないなったんか、わたしかてようわからへんて言うたけど、思い当たることがないわけでもないんやで。若い頃わたし付き合い悪いてよぉ言われてたやん。高飛車や傲慢やて。あれな、恥ずかしかってん。みんなわかってへん。自尊心はあったで?せやな、臆病な自尊心っちゅうか。美貌と才能を信じてオーデションも受けた、自費出版でフォトエッセイも出した。せやけどそれだけ。切磋琢磨せんかったし、平凡なOLにもなられへんかった。人生なにもせんには長いけど、なんかするには短いわ、とか言うてな。臆病な自尊心と、尊大な羞恥心が、わたしをこんな虎柄のオバハンにしてもうた。わたしが悪いんちゃうねん」

 漸く四辺あたりが薄暗くなって来た。環状線の間を伝って、何処からか、音質の悪いゆうやけこやけが悲しげに響き始めた。

「そろそろ行かんとあかん。テレビ大阪のおとな旅あるき旅が始まるわ。見てる?三田村さんの。あの人感じええわぁ。あ、そや、大学の頃のみんなとまだ付き合いある?会うたら言うといてくれへんかな、わたしは死んだて。今日のことは絶対にいわんといてや。もぉ気ぃつけよ、この見た目になっても声でバレたんやもんね。わたし声もエエからな、局アナとかなったらよかったわ。あ、こういうこと言うからこんな格好になってまうんやな」

 李徴はハンドバッグから黄金糖を一つ取り、袁傪の掌に納める。

「ええか、もう天六に来たらあかんで。次会うた時は自転車で轢いてまうかも知らん。ほなわたし梅田の方やから、ええとこ住んでんねんで」

 袁傪はJRの改札前から、ねんごろに別れの言葉を述べ、ICOCAをかざした。梅田に向かう環状線から、虎柄の李徴が見えた。虎は扇町の方に曲がり梅田とは逆に躍り入り、再びその姿を見なかった。

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おば山月記 中埜 @pisiinu

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