モエ・パイパイ
猫小路葵
モエ・パイパイ
「ハワイ語と日本語はね、似てるんだ」
夜のワイキキ。ホテルの庭の、松明を模した灯りが揺れるプールサイド。賑わうテーブルの間を、トレーを持った給仕が行き来する。
「ハワイ語の母音はA・E・I・O・U の五つ。日本語のア・イ・ウ・エ・オとほぼ完全に一致するわけ」
例えば日本語の「か」という音は「K+A」で出来ている。この構造がハワイ語も同じなのだ。
「だから日本人がハワイ語を聞くと『聞き取りやすい』って感じるし、逆にハワイの人も日本語の発音が上手だって言われてるよ」
「ああ、たしかに! ローマ字読みで、そのまま言えるもんね。ALOHAとかHULAとかWAIKIKIとか」
芽理衣は大きな瞳をキラキラさせて頷いた。やや垂れ気味の二重瞼が愛らしい。はたちはとっくに超えているが、その童顔ゆえ、ハワイで酒を注文すると身分証の提示を求められた。
そんな芽理衣から尊敬の眼差しで見つめられ、健は続けた。
「あと、言霊に関しても共通するものがあるね」
「『言葉には魂が宿る』っていう、あれ?」
「そうだね。ハワイでも言葉そのものに 『マナ』っていう霊的な力 が宿ると信じられてる」
「マナ、聞いたことあるよ」
「言葉をとても大事にする……そういう精神面も日本語と似てるかもしれないね」
芽理衣は「素敵だね」と健に微笑んだ。健の視線は芽理衣の笑顔から、その下へ。童顔には不釣り合いなほど豊かな胸へと移る。脳内で芽理衣の薄着をめくり上げ、その膨らみを想像した。
「今夜は寝かせない」
不意に言われた言葉に、芽理衣はパッと頬を染めた。
「どうしたの、急に」
「言霊だよ。この願いが実現するようにマナを宿した」
恋人たちの終わらない夜。
深夜まで灯りの消えない観光地。動き回る人々。
その物陰で、困り果てている小柄な集団があった。
「大変だ、あの男『寝ない』と言ったぞ!」
「彼だけじゃない。ワイキキはもう、ずっとこの調子だ」
「いい加減にしてくれ!」
「これじゃ、いつまでたっても仕事が進まない!」
観光ホテルの石積みの陰でそうぼやくのは、『メネフネ』たちだった。
メネフネはハワイ土着の小人たち。土木建築に優れており、人々が寝ている夜の間に活動する。人間を助ける優しい性格の持ち主だ。
けれども、ここワイキキでは誰も寝ない。寝てはならぬと言われたわけではないのに、みんなして起きている。
「もうこれ以上は無理だ」
「あのお方を召喚しよう」
「そうだ、あのお方を」
メネフネたちは夜空を仰いだ。
一方、健は芽理衣を見つめていた。愛くるしいベビーフェイス。
(萌え~)
抜群のスタイル。
(極上のパイパイ~)
そんな健の下心が言霊となって立ち上る。物陰ではメネフネたちが声を合わせる。乱立する人工の照明に負けじと、メネフネたちは一心にハワイ語で詠唱した。
「モエ~」
「パイパイ~」
モエ・パイパイとは眠りを操る精霊の名。
そこまでは知らなかった健の欲望が脳内に溢れる。
(萌え~……パイパイ~……)
まったく別の意味を持った二つの祈りが重なり合い、絡み合って空に昇った。すると、風もないのに椰子の葉が揺れた。
「おお……!」
祈りの詠唱が熱を帯びる。やがて星の粉のような光が降り注ぎ、美しい女性の姿をした精霊が、メネフネたちの前に姿を現した。
「モエ・パイパイ様……!」
メネフネたちは興奮して泣いた。モエ・パイパイは微笑みを湛えて立っていた。神秘の面差しは月の光を思わせる。長い髪からは甘い花の香りがした。
「呼びましたか?」
「呼びました!」
「どうかお助けを!」
「モエをパイパイしてください!」
精霊モエ・パイパイは、眠らない街に目をやった。
街は騒音に満ち、本来ハワイが持っていたはずの「静寂な夜」はどこにもなかった。ホテルのプールサイドには偽物の松明が揺れている。テーブルでは日本人の男が一心に念じていた。
(萌え~……パイパイ~……)
モエ・パイパイは頷いた。
「わかりました。皆の願いを叶えましょう」
そして揺りかごに手を添えるように、両手をそっと前に持ち上げ、歌った。
――モエ……パイパイ……
それは子守唄のように、街に流れた。
モエ・パイパイ――それは「揺りかご」を意味するハワイの言葉。揺りかごをゆらりゆらり揺らすような声は眠りを誘い、人を夢の世界へ優しく送り出す。大気を震わせる歌はどこか懐かしく、メロディアスに夜のワイキキを包んでいった。
芽理衣が欠伸混じりに、グラスをテーブルに置いた。
「なんか、眠くなってきちゃった……」
健も同じだった。
「うん、俺も……」
瞼が重い。夜通し励む気満々だったのに、今はもう、一刻も早く眠りたかった。眠れるなら他に何も望まない。周りの客たちも続々と会計を済ませ、引き潮のように帰っていった。
健は芽理衣とホテルの廊下を歩きながら、眠い目を擦りつつ、さっきの話を続けた。
「ハワイ語は日本語みたいに、繰り返しの単語も多いんだよ」
「繰り返しの単語?」
「そう。『ロミロミ』は揉み揉み、『ホロホロ』はぶらぶらとかね。意味を強めるためにそうなるらしいんだけど、その発想も日本語と同じだよね」
そうなんだ……と芽理衣は健と手を絡ませた。
「芽理衣は『ヘノヘノ』だよ」
「それはどういう意味?」
「とっても可愛い、って意味」
芽理衣はくすぐったそうに垂れ目で笑って、健に体を寄せた。柔らかな膨らみが健の腕に触れたけれど、健はただ芽理衣の手を優しく握った。
「今夜はもう眠ろう」
賑やかだったレストラン、走っていたレンタカー、ホテルのネオン……すべてが、まるで海深く沈むように、心地よい沈黙に包まれていった。
健と芽理衣は部屋に消えた。見届けた精霊モエ・パイパイは、ドアに向かって囁いた。
「似ているわよね。ハワイ語と日本語」
語意が異なると知ってはいたが、この際なので利用させてもらった。メネフネたちを助けるためだ。悪戯好きの少女のように、モエ・パイパイはクスッと笑った。
「悪く思わないでね」
そうして、ワイキキにようやく真の夜が訪れた。 星空の下、メネフネたちが一斉に街に飛び出した。
「ようし、仕事だ!」
メネフネたちは各自の持ち場に散った。土木建築に留まらず、街の汚れを浄化したり、壊れた自然を修復したり。寝静まった街で「本来のハワイ」を取り戻そうと、メネフネたちは大忙しで働いた。
「
――翌朝。
目が覚めた人々は、なぜか今までにないほど爽やかな気分だった。朝の太陽に照らされた街はスッキリと整い、新たな輝きに満ちている気がした。
【あとがき】
精霊モエ・パイパイは私の創作ですが、揺りかごを意味する「モエ・パイパイ」は実在のハワイ語です。
参考文献 University of Hawai'i Press「New Pocket Hawaiian Dictionary」
モエ・パイパイ 猫小路葵 @90505
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます