うちの母親のことだけど

たがね

うちの母親のことだけど

 うちの母親なんだけど、最近、鬱陶しい。

 もう自分は高校生だっていうのに、友達と遊びに行く時も学校に行く時も、塾に行く時も、一言多い気がする。

「車に気を付けてねー」

「知らない人についていったらだめよ」

「人様に迷惑かけないでねー」

「お友達は大切にするのよ」

 いつまでもうちを子ども扱いしてくるのが、癪に障る。

 何よりも許せないのは、母親はうちのことを、まだ支配下におけるとでも思っているのだろうか。だとしたら、なおさら許せない。

 十八歳で成人に認めてもらえる令和の女子高生が、そんな間抜けなことも守れないなら当然だけど、うちは違う。

 イライラとする。

 毎日、母親がとにかく嫌いだ。

 いつまでも子供扱いをして、いつまでも自分の手元にいる?

 周囲の大人たちはうちのことを「反抗期」とか呼んでいるけど、別に反抗したくてしているわけじゃない。

 うちが玄関で運動靴を履こうとすると、今日も母親は玄関に顔を出す。

「今夜は遅くならないでね」

 その言葉でとうとう、うちの心の中にある、張りつめた糸が切れた。

 今日は土曜日。これから学校の部活に出ようってのに、下手な罵声を浴びるよりも嫌な気分となった。

「うるさいんだよ! ねえ! いい加減にして!」

 はっと、怒鳴ってしまったことにうちは自分でも驚いた。

 イラ立ちが、とにかく収まらない。

 こんなんじゃ部活に行く気も失せる。

 うちは自室にこもった。

 最近は受験や成績のこと、友達関係などもプレッシャーとなって、とにかくうちは気持ちを発散させたいのに母親はそんなうちに絡んでくる。

 部屋のドアに鍵はない。許可もなしにドアを開けて、室内で勉強机のイスに座るうちに、声をかける母親。

 何もかもがうるさくて、何もかもが面倒になる。周囲の声がやかましくて、とげのような音だけしか広がらない。

 母親の声は耳障りなのに、それを知ってか知らずか、無神経に声をかける母親は自分勝手にしか思えない。

 将来や進学のことで不安なうちのことを、理解してくれないのだ。

 こんな気持ち、うちだって嫌だ。

「ママ、リビングにいるね」

 別にどうでもいい。今、うちに知らせる話じゃない。

 もう嫌だ、何もかもがだ。

 紙にくるんで焼却炉に投げ込みたい。

 不安で、不安で、不安で……でもうちだってわかってる。イラ立ちを勝手に感じ、抱いているぐらい、ちゃんと自覚している。

 だからこそ、そっとしておいてほしいのに、母親はいつだって口を挟みたがる。

 それがうちには理解できない。

 ベッドに座り直しても、気分が晴れない。

 やっぱり、言おう。今のうちの気持ちは、母親のあんたの心とは同じではない。いい加減、執拗に絡むのはやめてほしい、と。

 階段を下りてリビングに顔を出すと、母親がソファに座って通販番組を見ていた。

「あら、どうしたの?」

 どうしたの? その、精神を逆なでするような発言が嫌いです!

 うちは気持ちのダムが決壊し、いろいろな気持ちがあふれ出るのを抑えきれず、母親に言葉をぶつける。

「理解してよ! 今、ぴりぴりしてんのに!」

 母親は何も言わない。むしろ、きょとんとしている。

 その態度が本当に腹立たしい。

「来年は受験だし、いろいろ悩んでる! 勝手に自分の意見をうちに押し付けないでよ!」

「押し付けたわけじゃないよ」

 自分の非を認めない。

 うちは母親の発言をそう解釈して、気持ち悪さすらある怒りをぶちまけた。

「もう何もかもが嫌! どうしてあんたが親なの⁉ 親ガチャに外れたって、こういうことなら、本当に最悪! うちは親ガチャで外れを引いた!」

 言っていいことと悪いことの区別も忘れ、うちはただ、ただ……

「そうかな?」

 母親が悪びれもせずに呟く。

「ママは得したと思っているよ」

「は? 得? 日本語も通じないってこと?」

「ママは子ガチャで大当たりを引いて、あなたが娘でいてくれて得したと思っているの」

 そういう母親は、計算高いというよりも、天真爛漫という雰囲気をまとっている。

 うちは続けた。

「それでも! うちは親ガチャに外れたの! 認めてよ!」

「どうして? ママはあなたのママになれて、とても幸せよ」

 どうせ、噓八百だ。きれいごとを言って終わりにしようっていう魂胆が丸見えだ。

「あんたが親だなんて、恥ずかしい! 化粧も薄くて、おしゃれもしないし! 女を捨てているとしか思えない!」

「そうよ、女を捨ててあなたの母親になったのよ? 恥ずかしくなんてないわ。むしろ誇らしいと思っているし」

 うっ……

 言葉に露骨に詰まったうちは、それでも言い返す。

「うるさい! うちにいつだって命令して」

「違うわ、ママなりに、真摯にあなたの話を聞いているだけよ」

 母親はそう言って、首を傾げる。

 その余裕に見える態度が、ますます……

「うち、パパ活してこの家出ていく!」

 尖った気持ちのまま、とにかく声を張り上げる。

「パパ活して、こんな家なんてもう嫌!」

「なら、うちのパパとそういうことできるの? パパ活がどんなものだかはわかっているんでしょう? うちのパパとできる?」

「…………」

 否定もできない、肯定もできない。

 中途半端なうちが黙っていると、母親は優しく微笑む。

「うちのパパとパパ活ができないのなら、他人とのパパ活は無理だと思うよ」

 少し、うちは考える。

 だが、丸め込まれるのがどうしても嫌なので、とにかく、荒れた感情をぶちまけた。

「こんな家に生まれたくなかった! どうせなら、もっとお金持ちの、芸能人の親とか欲しかった! あんたなんて!」

「ママはね、あなたに会えてとても幸せよ。それにあなたを生んだ日、ママね、思ったわ。こんなに可愛い娘が私みたいな冴えない女性のところに生まれてくれて、神様はなんて優しいのだろうって」

 気持ちが、揺らぐ。

 うちはとにかく、母親の言葉の重みを真っ向から否定した。

「そんなこと言って! どうせうちなんて介護要員なんでしょ? うちはあんたの介護なんてごめんだから!」

「大丈夫よ。死ぬその最後の日まで、ちゃんと自分の足で歩くわ」

 気持ちが、落ち着いてくる。満足しているわけじゃない。この母親への嫌悪感はある。でも、なんだか……

「事件を起こしてやる!」

 負の感情の流れが止まらない。そのまま身を流した結果、言いすぎなことを言ってしまう。

 さすがの母親も、呆れるか怒るかするかもしれない。

 それでもいい、あふれ出るこの気持ちをゼロにさせたい。

 うちは、そんな自分自身の欲求に負ける。

「し、し、新聞とかニュースとか、そういうので取り扱うような、凶悪事件を起こして、親のあんたを困らせて!」

「あのね、本当の悪人は、自分から凶悪とか言わないものよ。誰にも相談しないで凶行に及ぶの。それにきっと、事件を起こしても事件という単語は犯人からは出てこない。あなたに度胸がないっていうのじゃない。あなたはちゃんと、何が悪いことか弁えていると思うの」

 母親の言葉は、優しく、正論だった。怒鳴ったり責めたりもせずに、ただうちの気持ちを受け止めてくれる。

 どっちがいけないのか、わかってきた。

「ほ、ホストに、か、課金して、それで……」

 涙が止まらない。うちはいつの間にか泣いていた。

 すると、母親は手のひらを上にして、両手をうちに差し出す。

 うちは泣きながら、母親の両手に自分の手を重ねる。

 にっこりと母親が笑む。

「こうやって、手を重ねてくれるの、物心ついた頃からやっているでしょう? これをしてくれている間は、ママはあなたのママでいたい。この手を離れた時は、手を振ってあげたいの。受験が近いのに、いつまでも子供扱いしてごめんね。こんな能天気なママでも、もう少しあなたのママでいてもいい?」

「……うん」

「ドラマでも見る?」

「うん」

 心の中は晴れている。雷雨の荒れた気持ちはどこへやら。

 これはもう、勝ち負けでは推し量れない。

「綾香」

 うちの名前を呼ぶ、母親。

「あなたは幸せになっていいの。あなたを幸せにするのが、ママのやりがいよ」

「……もう子ども扱いしないでね」

 ふふっと、母親が小さく笑う。

「そうね。ママがいけなかったわ」

 うちの母親は、能天気で、天真爛漫で、楽観的で、優しいけど――――来世も、うちの母親でいてほしい。

 死ぬにはまだ早いけど、うちは心の中でそう思うのであった。

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