「ギリギリ」(サイコホラー・1話短編)

ナカメグミ

「ギリギリ」(サイコホラー・1話短編)

「逆境」。この言葉。要注意だ。「逆境を乗り越えて」。「逆境をバネにして」。

逆境とは。「不運で思うようにならない境遇」。


「逆境」にいると思った人間は、乗り越えようとする。

アドレナリンを出す。「思うようにならない境遇」に全力で抗う。

本来の自分以上の力が出せてしまう、こともある。


乗り越えることができた暁には。

成功体験として、強烈に残る。

問題は、そのあとなわけで。逆境がまた来たりするわけで。

形を変えて来たりするわけで。

逆境を1度乗り越えたくらいで終わるほど、日々は簡単ではないわけで。


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私、少し周りと、ちがう。小学校に入学して気がついた。

幼稚園に入る前に、文字は覚えた。本は読めた。数字が頭に入らない。

入学したら、読み書きや計算を覚えてくる子がほとんどだった。

まっさらな状態で入学した。受け取った教科書。

国語。1日で読み終わった。算数。チンプンカンプン。頭に染み込まない。


6月の運動会の遊戯。振りつけが覚えられない。踊りながら移動しろと言われても。

「こっちだって、何度も言ってるでしょ!」。女性担任に腕を引っ張られた。


理科。社会。音楽。体育。初めてやることばかり。緊張する。

やったことがないことを、なぜみんな、自信をもってやれるのか。

授業中。興味を持ったこと。引っかかったこと。止まる。先にいけない。

周りは先に進んでいた。先生に怒られる。私、だめな子。


母は仕事で忙しい。学校の道具の準備、時間割はプリントを見て自分でやる。

見落とし。見間違い。買い忘れ。忘れ物が多い。また怒られる。

毎日、心臓、バクバクです。


唯一の自信。図工。1年生。写生会のコンクールで賞をもらった。

粘土で動物を造った。いつも怒る女性担任が褒めてくれた。うれしい。


2年生の成績表。「ふつう」「がんばりましょう」だらけ。

図工。「よい」。うれしかった。


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3年生。30代の女性教師に、徹底的にマークされた。

班長のとき。給食の食器を自分の分だけ片付けた。

「もっと周りをよく見なさい!」」。怒鳴られた。

自分のこと、周りのペースに合わせるだけでも必死なのです。

周りを見る余裕、ないんです。言えない。


みんなの前で怒られる。頭、叩かれる。学校、嫌だ。悔しい。

真似た。先生に褒められている1人の女子。観察した。

私のように、1人でボーッとする時間、止まる時間、ほとんどない。

笑いながら友達と話す。疑問に思ったこと、私みたく、すぐに口にしてない。

人が話しているとき、口、はさまない。先生の言うことを1番に聞いている。

真似た。しんどくても、周りに合わせる。早く、動く。


4年生の成績表。「よい」が並んだ。

算数、考えない。覚える。反復。アウトプット。覚える。反復。アウトプット。

なんとかなった。

他の教科も、鉛筆を持って書く。覚える。アウトプット。リピート。


「優等生」。勉強ができるようになったら、周りに合わせられるようになったら、

そう言われるようになった。怒られない。怒鳴られない。うれしい。

私、ようやく「優等生」になった、らしい。もう安心。うれしい。


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5年生。春。4年生と、クラスは変わらなかった。

担任が変わった。大学を卒業したばかりの若い女性教師だ。

初日に思った。「エサ」が来た。悪い予感がした。当たった。


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小学4年生の終わりくらいから、周りの空気が変わり始めていた。

男子も女子も「誰が誰を好き」という話をするようになった。

男子の一部。小学校の通り道にある自動販売機で買ったという、女性の裸が載った本を、教室の片隅で見るようになった。先生のいない時に。

この空気の変化は要注意、だ。勘だけど。


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この女性教師は、かわいらしすぎる。優しすぎる。無防備すぎる。

入学してから、毎年担任は変わってきた。女性教師2人。男性教師2人。

いずれもベテランだった。先生のいうことにみんな従っていた。

でも彼女は、この微妙な集団を仕切れるのか。案の定、だめだった。


男子のませたグループが、女性教師をからかい始めた。

「先生、彼氏、いるの?」「先生、初体験はいつ?」

ちがう顔を見せ始めた。複数で。これまでと。

女子はそれを、遠巻きに見ていた。

このませた男子連中はタチが悪いことを、みんな知っている。

敢えて刺激して、自分が得をすることはない。

教室はたちまち、コントロールを失った。授業中に歩く。話す。

いわゆる「学級崩壊」に陥った。


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最悪のことが起こった。学級委員に選ばれた。というか、ならされた。

勉強ができる。だれもやりたがらない。その理由で。

学級会で、5分ほどで決まった。


定期的に開く学級会。学級委員が仕切る。学芸会の役割分担の話し合い。

ませた男子の一部がかき混ぜる。茶々をいれる。何も決まらない。誰も頼れない。

「早く決めろよ!。学級委員!」。黒板の前。頬が紅潮する。頭が真っ白になる。

しんどい。


女性担任はもう、用をなさない。無能だ。

しばらく前から、彼女は学校に来ても、虚ろな目をしている。

保護者も事態を把握し始めた。役員の母親らが、放課後に話し合いをしていた。

厳しいことで有名な体育会系の男性教師が、女性担任の代わりに授業をした。

男子は大人しかった。


 ずるいだろう。それはずるいだろう。


家のトイレ。朝。母はもう仕事に行った。釧路の10月は冷える。

傍らにパネルヒーターが置かれた便座。正面に貼られたカレンダーを見る。

あと何日で卒業できるのか。数える。かけ算。果てしない。遠い。

トイレを出る。ランドセルを背負う。鍵をかける。学校に行く。しんどい。


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11月。5年生全体で学級対抗のドッジボール大会が開かれた。

学年にクラスは5組。荒れているのは、うちのクラスだけだった。

ませた男子。ふざけて真面目にやらない。内輪でふざけて、内輪で笑う。


 なにがおかしい?。おまえら。教えてくれよ。


外野に出た私。真正面のラインの向こう。内野で笑う男子たちをぼんやり見る。


 たのむ。教えてくれよ。

 必死でなじんだ学校が、最近、全然、楽しくないんだ。


うちのクラスは学年でビリだった。


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戻った教室。女性担任も、ベテランの男性教師もいなかった。


「あーああ。だれのせいで、ビリだったのかなあ」


ませた男子グループのリーダーが、大声で言った。

意図を悟った側近がつなげた。


「クラスの責任は、学級委員じゃないのかなあ?」


 ちがうだろう。

 ふざけてまともにドッジボールしなかったのは、おまえたちだろう。


「あやまってもらおうぜ」とリーダー。

「あーやまれ!。あーやまれ!。あーやまれ!」


声をそろえる、ませ男子たち。

なるほど。こういう時は、あなたたち、そろうのですね。

遠巻きに、ただうつむく女子たち。

そうですよね。自分じゃあ、ないですもんね。


教室の右前方に立つ私。集まる視線。

気づいたら、泣きながら頭を下げて、謝っていた。

「ごめんなさい!。ごめんなさい!。わたしのせいです。すいませんでした!」

涙はおもしろいように出た。あ、私、つらかったんだ。


「アハハハハハ」。

真っ先に大声で笑ったのは、側近男子だった。教室中に響く笑い声。


  おまえ、学校裏の警察官舎に住んでて、オヤジ、警察官だろう?。

  おまえのオヤジ、おまえに何、教えてる?。これ、楽しいか?。


リーダーとその周辺も、つられて大笑いし始めた。

「なにしてる?。授業、始めるぞ!」

ベテランの男性教師が入って来た。全員、席に戻った。

私も席に戻った。筆入れを開けた。何もなかった。何もなかった。何も。


************


夜。時間割をした。時間割は大切だ。1年生でしっかり、学んだ。

忘れ物はいけません。優等生の忘れ物は、許されません。

学級委員は、忘れ物をしてはいけないのです。しっかり入れます。

教科書。ノート。ワーク。下敷き。プリントファイル。連絡帳。

給食用の敷物、エプロン、三角巾の袋はランドセルの脇です。


そして大事な筆入れ。勉強に、筆記具は大切なのです。

筆記具があれば、勉強ができるようになるからです。

だめな子が、優等生にだってなれるからなのです。

筆入れは、私の自由な世界なのです。縦にそっと入れましょう。


勉強机に戻った。椅子に座った。引き出し、開けた。手に取った。抜いた。光った。


時間割のプリントに、来週までに買って用意しておくように、書いてありました。

だからちゃんと買いました。

図工で使うそうです。図工は得意なのです。図工は道具が大事なのです。

だから買いました。小刀(こがたな)。


木の鞘(さや)におさめました。大事な筆入れの横に、立てていれました。

明日、図工はありません。

(了)

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