第8話 依存
翌朝、マンションのリビングは戦場のような惨状だった。
清香はソファの上でうつ伏せに突っ伏し、小野坂は床に大の字で寝息を立て、瀬川先輩は俺のベッドに転がり込んでいた。
3人とも服は乱れ、髪はぐしゃぐしゃで、昨夜のアルコールの匂いが部屋に充満している。
俺は頭を抱えながら、まず水と痛み止めをテーブルに並べ、メモを残した。
『水と薬置いときます。起きたら連絡ください。俺、先に会社行きます』
それから急いで着替えて家を出た。
正直、もう顔を合わせるのが怖かった。
電車の中で、可憐からの未読LINEが目に入る。
『昨夜の電話、出られなくてごめんなさい。 今日、空いてる? 私の家に来てくれませんか?』
指が震えながら、すぐに返信した。
『今から行きます』
◇
可憐のアパートは、大学近くの古い2階建て。
外階段を上り、201号室のドアをノックすると、すぐに鍵が開いた。
「…康太さん」
可憐はTシャツにデニムのショートパンツというラフな格好で立っていた。
金髪をポニーテールにまとめ、化粧っ気のない顔がいつもより幼く見える。
「急に来てごめん……入って」
部屋の中は意外に片付いていて、狭いリビングに小さなテーブルとソファ、窓際に観葉植物が並んでいる。
壁には本棚があって、心理学や自己啓発の本がぎっしり。風俗嬢の部屋というイメージとは全然違った。
彼女はキッチンでハーブティーを淹れながら、背中を向けて言った。
「昨日、電話したの……お店辞めた後のこと、ちゃんと話したくて」
俺はソファに座り、湯気の立つカップを受け取る。
「俺も……話したいことがいっぱいあった」
可憐は隣に座り、膝を抱えて小さくなった。
「私、風俗始める前、普通の恋愛してたんです。 高校の先輩で、優しくて、将来一緒に暮らそうって言ってくれてた人。でも、私が大学入ってバイト先で知り合った子と浮気されて……それで全部終わった」
彼女の声が少し震える。
「それから、男の人を信じられなくなって。 お金で割り切れる関係の方が楽だって思って、お店に入ったんです。でも康太さんと会うたびに、どんどんそれが嘘だって気づいて…… 。私、康太さんにするのが一番好きだって、本当に思ったんです」
俺はカップを置いて、彼女の手を握った。
細くて冷たい指が、俺の掌の中で震えていた。
「俺も……ずっと、いい人止まりだった。告白してもフラれて、友達でいいって言われて。 だから風俗に逃げてたんだけど……可憐と会うようになってから、なんか、初めて『この人と一緒にいたい』って思った」
可憐の目が潤む。
「康太さん……私、汚い仕事してたのに……それでもいいの?」
「汚いなんて思ってない。可憐は、可憐だよ。 俺が知ってる、可憐は優しくて、気遣いが上手くて、笑顔が可愛くて……それで十分だ」
彼女は俺の胸に顔を埋めて、ぽろぽろと泣き始めた。
俺は背中をそっと抱きしめる。
初めて、風俗じゃない、ただの「抱きしめ」だった。
しばらくそうしていると、可憐が顔を上げた。
「今夜……ここにいてくれますか? お金とかじゃなくて、私の気持ちだけで……いいですか?」
俺は頷いた。
「もちろん」
◇
夕方、彼女が冷蔵庫の残り物で簡単な夕食を作ってくれた。
カレーライスとサラダ。
2人で小さなテーブルを囲んで食べるのは、なんだか普通の恋人みたいで、胸が熱くなった。
食事が終わって、片付けをしていると、可憐が後ろから俺の背中に抱きついてきた。
「康太さん……」
そのままベッドルームへ連れていかれる。
部屋は薄暗く、カーテンが閉まっていて、アロマの甘い匂いが漂っている。
彼女は俺をベッドに座らせて、ゆっくりとTシャツを脱いだ。
白い肌が夕陽に透けて、息を飲む。
「今度は……康太さんが、私を全部見て」
俺は彼女を抱き寄せ、初めて自分のペースでキスをした。
彼女の唇は柔らかくて、甘くて、少し震えていた。
行為は、いつもお店でしていたものとは全然違った。
急がず、焦らず、ただ互いの体温を感じ合うように。
可憐は俺の耳元で何度も名前を呼び、俺は彼女の髪を撫でながら、
「好きだよ」と初めて言葉にした。
終わった後、彼女は俺の胸に頭を乗せて、静かに言った。
「私……もう、康太さん以外の人とはしたくない」
俺は彼女の額にキスをして、答えた。
「俺もだ」
◇
翌朝、目が覚めると可憐が朝食を作っていた。
トーストとスクランブルエッグ、コーヒー。
彼女は少し照れながら言った。
「会社の子たち……大変なんだよね?
私、邪魔にならないようにするから……でも、時々こうやって会えたらいいな」
俺は彼女の手を握って、頷いた。
「ありがとう。
俺も、ちゃんと向き合わないと……
でも、今は可憐とこうしてる時間が、一番大事だ」
スマホを見ると、清香から未読のLINEが10件以上来ていた。
『先輩、昨夜の件……ちゃんと話そうよ』
『逃げないでくださいね』
『私たちも、本気だから』
俺はため息をつきながら、可憐に言った。
「これから、ちょっと大変になるかも」
可憐は微笑んで、俺の頰にキスをした。
「一緒に、乗り越えよう?」
外では朝の陽射しが差し込み、部屋の中を優しく照らしていた。
俺は、初めて「これから」のことを、少しだけ前向きに考えられた気がした。
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